Light Prayer4TH DAY

 

 昨夜の事。

身体が妙に軽いなと不思議に思いながら、記憶を辿っていく。

直哉と別れて、戻った和哉に、篤郎と柚子は心配したと口を揃えて繰り返したけれど、何処へ行っていたか、何をしていたのか、深く追求しなかった。

ただ一人怪訝な顔をしていた圭介からも特には咎められず、暗黙の内に気を遣わせてしまった事実が心苦しい。

それでも、まさか本当の事など言えなくて、散歩をしていたんだと曖昧に誤魔化した和哉を、仕方ないなぁと笑って受け入れてくれた篤郎と柚子の、不安げに揺れていた瞳の様子がまだ眼裏に残っている。

―――ベル・デルが光の玉に変わり、和哉の体に吸い込まれるようにして消えた、あの時からずっと何かがおかしい。

篤郎と柚子も、違和感に戸惑う和哉の心情を敏感に感じ取っているのだろう。

しかし、和哉には『篤郎だけは大丈夫』という、根拠のない確信があった。

自分が如何に世間を知らず育ってきたか、最近になって、和哉は篤郎を介していやと言うほど教えられた。

今更、ウソばかり教え込んだ兄を恨みはしないけれど、だからこそ、呆れず見下さず、むしろ毛色の違いを楽しむように接してくれる、篤郎の存在を心からありがたいと思っている。

もしかしたら一方的な依存かもしれないけれど、そう考える事自体、篤郎が知ったら憤慨するだろう。

どれだけ自分が想われているか、分からないほど、愚鈍ではないつもりだ。

だから篤郎だけは信じていられる。

しかし―――問題は柚子だ。

中学時代の友人らしい篤郎には悪いが、知り合ったばかりの圭介の事は、元よりあまり眼中にない。

しかし柚子の心情は常に気になっている。

傷付けていないか、不安にさせていないか、自分を慕い続けてくれる幼馴染の憂いを、可能な限り排除してやりたい。

柚子の望む形では好意に応えられない以上、寧ろ残酷なのかもしれないけれど、苦しむ姿を見たくないと願う自分の想いもまた真実だから譲れない。

結局、中途半端なのかもしれないなと、空を見上げた。

今日も見事に晴れ渡り、青く澄み切った空。

地べたを這いずり回ることしか出来ない地上の人々を嘲笑うように照り付けてくる太陽が、しかし昨日までほど暑くない事に気がついて、妙な胸騒ぎが沸き起こった。

(そういえば、空気もなんだか、少しおかしいような気がする)

肌を焦がす熱とは別の、正体不明の圧迫感。

目に見えない何かが充満しているような感覚を覚える。

フッと息を吐いて、見下ろした膝の上で両手を開いて、瞬きをした。

そういえば、昨晩は殆ど眠らなかったのに、いつもより意識が明瞭としている。

今までどおり交替で見張りをしながら順に睡眠を取ることにして、それぞれ一人が起きて、他は眠る体制で一晩過ごす間、和哉は、見張りの番以外は寝たふりをして目を瞑っていただけだった。

起きていようとしたわけではない。

ただ、眠くならなかった。

それでも目を開けていては変に勘繰られるかもしれないと、一応目を瞑り、一晩中考え続けていた。

これまでの事、これからの事、そして、今起きている事。

篤郎が見張りの番になったとき、見つめられる視線を感じた。

柚子が番の時は、そっと身を寄せられたりもした。

圭介は篤郎を挟んで向こう側にいたから、何をしているのかよく分からなかったけれど、恐らくは考え事をしている雰囲気だった。

そうして、友人と知人の様子を窺いつつ、気付けば夜が明けていた。

今、和哉は自分が分からない。

一体何が起こり、どうなろうとしているのか、もしや自分の身に何か起きているのではないか。

不安を覚えるたび、昨夜の直哉の姿が蘇ってきて、かすかな胸の痛みを押し殺して堪える。

頼るばかりが能の、情けない奴にはなりたくない。

レン、と呼ばれて顔を上げると、目の前に水の入ったペットボトルを持った篤郎が立っていた。

「おはよう」

ニコリと笑いかけてくる。

変わらない笑顔に、僅かにこみ上げるものがあった。

「おはよう」

「―――レン、あのさ」

「おはよう、みんな」

爽やかな挨拶と共に圭介が現れた。

何か言いかけていた篤郎は一旦言葉を区切り、圭介の姿を確認してから、急に苦笑いを浮かべると、「おはよう」と圭介に返した。

「今日で四日目の朝だね、昨日ベル・デルと戦ったのが、何だか夢みたいだよ」

「だな、しかし―――いでで、硬いトコばっかで寝るから、背中が痛くなっちまったぜ」

「良く言うわよ!」

柚子も現れて「アンタ昨日も熟睡してたクセに」と呆れ顔で腰に手を当てる。

「おはよ、レン!」

クルリと振り返ると、パッと花開くように笑うので、和哉もつられて笑みが浮かんだ。

「おはよ」

「うん!さて、まずは今日の行動を確認しましょ」

「あのさ」

篤郎が不意に片手を上げる。

「ちょっと考えた事があるんだけど聞いてくれるか?」

「考えた事?」

「ああ」

和哉たちをぐるりと見回して、そのまま篤郎はおもむろに切り出した。

「政府が封鎖を続けてる原因って、悪魔が人間にとって危険だからだよな?」

「え?―――う、うん」

「オレたちは封鎖を解きたいだろ?でもそのためには、東京から悪魔がいなくなる事が必要だ」

確かにそうだ。

頷く和哉に、篤郎もしっかりと頷き返してくる。

「なのに、具体的にそのためにはどうすればいいかさえ、今のオレたちには分からない」

「まぁ、そうだよね、正直見当もつかないよ」

「じゃあさ、悪魔を消す以外に、本当に封鎖を解除する方法って、何もねえのかな」

「何、どういう事?」

困惑気味の和哉達の前で、篤郎は自分のCOMPを開いてみせる。

「オレたちのCOMPは、今のところだけど、完全に現れる悪魔を制御してる」

確かに、あんなわけの分からない存在を使役している事自体、まさに奇跡の所業だ。

そのシステムを他でもない自分の兄が組み上げた。

それは、和哉にとって誇らしくあり、同時に兄に対しての疑念の元ともなっていた。

直哉は一体何を考えているのだろう。

理由も意味も無く、行動を起こすような人でない事だけは確かだ。

「もしこの原理が解明されて」

篤郎の瞳がキラリと輝く。

「全ての悪魔を制御する事が出来たら、封鎖の理由はなくなるんじゃないか?」

「確かにそうだ」

封鎖が解除されるなら、究極的には、手段は問わない。

ベルの王位争いも、3日後の世界の行方すら関係ない。

生き残りをかけた現状から抜け出せれば―――皆で生き抜く事さえ叶えば、それでいいのだから。

「ああ」

和哉の想いを篤郎が首肯する。

「あとはどうやって実現するかが問題なんだけどな―――オレが思いつく方法はたった1つ、悪魔召喚プログラムのサーバーを解析して、制御の原理を調べる事だ」

制御の原理さえ分かれば仕組みを再現すればいいと話す、篤郎の活き活きとした表情を見ていると、和哉も本当に可能であるような気がし始めていた。

「もしかしたら、サーバーそのものを使って、全ての悪魔にアクセス出来るかもしれない」

「凄い発想だね」

「はは、まぁ、そうでもないって、でも、そこで問題になるのが、サーバーが存在する場所だ」

隣にストンと腰を下ろして、いよいよ身を乗り出してくる、熱心に話す篤郎の姿は素直に好ましく思える。

自分の組んだプログラミングの有効性に関して、門外漢の和哉に話す時も、いつもこんな調子だった。

ここに直哉が加わってしまうと完全に蚊帳の外に追い遣られてしまうけれど、うん、うんと熱心に話を聞く和哉に、篤郎は試行錯誤しながら理解できるよう話を噛み砕いて伝える努力をしてくれた。

今も同じように、身振り手振りで篤郎の話が続く。

「で、サーバーの場所をどうやって調べるか?その方法なんだけどさ」

「COMPはナオヤが作った」

「う〜ん、確かにサーバーを組んだのはナオヤさんだけどさ、居場所、見つけられねえだろ?」

頷き返した和哉に、だったら、と、人差し指を絶てて見せる。

「現在の持ち主である翔門会をあたった方が手っ取り早いんじゃないかな?」

「そうか」

「とにかく、何とかして翔門会の連中と接触して、サーバーの位置を聞き出そうぜ!」

僕も協力するよと、不意に圭介が答えた。

頷きあう篤郎と圭介とは別に、ふと気付くと柚子だけは浮かない表情をしていて、けれど和哉と目が合った途端、誤魔化すように笑いかけてきた。

柚子にとって、積極的に悪魔とかかわるような行為は、いずれも好ましくないに違いない。

数日の間に異様な現状にも大分慣れた様子だけれど、殆ど強がりと無理で保っているのだろう。

―――和哉と篤郎、柚子のCOMPからメールの着信音が鳴り響く。

「ん、ラプラスメールだな」

確認しようぜ、と、COMPの画面を覗き込んだ篤郎に、圭介がメガネの奥の瞳をほんの僅か眇めた。

「ラプラスメール?それ、何だい?」

「え?何言ってんだよ、ケイスケ」

顔を上げた篤郎もきょとんとしている。

「ほら、毎朝届くメールだよ、未来の事が書いてあるヤツ」

「未来の事が?ううん、ボクのCOMPには、そんなメール来た事がないよ」

「マジかよ?もしかして、ラプラスメールってオレたちにしか来てなかったのか?」

三人の間に微妙な空気が流れる―――それなら、このメールも、未来予知以外の思惑を伴って、直哉が仕込んだ伏線の一つなのだろうか。

「ま、まぁいいや」

立ち上がった篤郎が圭介を呼び寄せた。

「ケイスケはオレのを見ればいいよ、ホラ」

和哉と柚子もそれぞれ自分のCOMPを開いて覗き込んだ。

 

「これが、未来に起る事件?」

―――圭介の声が震えている。

「じゃあ、やっぱり、ミドリちゃんは!」

 

荒れ狂う嵐のように―――

激昂した圭介は、止める間も無く何処かへ去っていった。

人間が人間を殺す。

それ自体は、言ってしまえば、太古から行われてきた淘汰の摂理であり、今更論じる意義すらない。

ライオンの子殺しは有名だし、大義名分が通りさえすれば、大量殺人者でも英雄として讃えられる。

利害の絡む同種間の殺し合いは、どんな獣でも、植物ですら手を染める原初の罪だ。

まして、個々の理由は千差万別、無条件に分かり合う術など人は到底持ち得ない。

圭介の怒りはもっともな様で、結局は彼が翠を害する者達を許せないだけなのだろう。

しかしそこに善悪の概念を持ち出すから話が混乱する。

恐らくは怒りを正当化したいのだろうが、理由がイマイチ不明で、煩わしさだけが募った。

親身に案じている篤郎や、同調している柚子には、圭介の心情が理解できるのかもしれない。

和哉はもう一度、ラプラスメールの内容にざっと目を通してみた。

 

11時頃、豊島区池袋地下道にて悪魔使いに対する迫害、犠牲者は小牧翠、死亡。

17時頃、渋谷区渋谷駅前にて自衛隊による射殺事件、犠牲者は人気ロック歌手の女性、自殺の可能性あり。

全日、暴動の激化、悪魔使いと一般人の対立が表面化。

全日、自殺者の増加、社会的秩序崩壊。

 

(崩壊する秩序がまだ残ってたなんて、驚きだ)

なら、状況はいよいよ加速度的に悪化していくのだろう。

今まで以上に、悪魔に限らず、人間にも気をつけなければならなくなる。

社会など、所詮個々の利害関係がより潤滑に成り立つよう形成された集団意識でしかないのだから、大衆の目的により形状は様々に変化して当然だ。

秩序の崩壊、つまり、究極の実力主義となるわけか。

力の有無や優劣が生死を分ける、そうなれば、今まで以上に弱者が淘汰されていく。

(年寄りはともかく、子供はダメだよなあ)

ろくでもない事を考えているな、と、和哉はCOMPをパクンと閉じた。

いつ誰が殺されても、現状では不思議はない。

ドリーは―――翠は、好き放題の挙句殺されるのだから、自業自得のようにも思う。

確かに掲げた題目は立派だ、しかし、思想の押し付けは単なる暴力に過ぎない。

圭介共々、誰かのためと言いながら、実際は自分のために行動している。

それ自体は責められるものでもないが、面倒を掛けてくれるな、と、溜め息が漏れた。

立ち去る際、圭介の余命が一つ減ったと、篤郎と柚子にも伝えておいた。

ワガママばかりの彼らだけれど、きっと救ってみせる。

そしてあと一つ、ラプラスメールに記されていたもう一人の死、それはハルの未来に違いない。

だからハルも助ける、知らされた破滅の予知の、ただの一つたりとも実現させはしない。

(でも、この状況、いつになったら収拾がつくのかな)

ふと見上げた空が僅かに淀んでいるように思えて、何度か瞬きを繰り返し、目を凝らしてみたけれど、変わらず真夏の深い蒼が何処までも広がっていた。

―――昨晩、直哉越しに見上げた夜空を思い出す。

「まだ会うべきでない」と告げられた、言葉の意味に向きかけた意識を、篤郎の呼び声に引き戻された。

そういえば、今朝は昨日ほど暑くない。

セミの声もあまり聞こえてこない。

今、この瞬間にも、種や個の区別無く、多くの命が失われ続けているのだろう。

「行こうぜ」と手を引かれて、ベンチから立ち上がった和哉の髪を、温い風がフワリと掠めて通り過ぎていった。