闇雲に走り、気付けば視界に東京駅の赤レンガ駅舎を見つけて、漸く足を止めた。
乱れた呼吸を整えながら、冷静になれと自身に言い聞かせる。
今、何が起きているのか。
何をすべきなのか。
(そうだ、考えなきゃいけない)
可能な限りの最善を尽くそう、まず、何をすべきだろうか。
(大地と新田を探さなきゃ)
周囲をぐるりと見回して、東京駅近辺はあまり壊れていないことに気が付いた。
都内でも被害の規模に差があるらしい。
一律に被害が及んだわけではなさそうだ。
(でも、だとしたら妙だ)
地震でこんな事になるだろうか―――やはり、いまだヘリの一機も飛ばず、更に被害規模に差があるのなら車両が進行する余地もあるはずだ、しかし、そういったものすら見当たらない。
走っている最中に救助活動が開始された様子も殆ど窺えなかった。
いくら送電線や電波塔の類に不備が発生しているとはいえ、情報社会の現代において、ここまで何も分からず、知らされずといった状況は、明らかにおかしい。
(東京に限らず、関東一円に被害が及んでいるのか、それとも、まさかもっと広い範囲で)
軽く首を振って、とにかく、二人を探すことから始めようと再び動き始める。
それから間もなく、まず維緒が見つかった。
彼女はあの騒動の最中、どうやら自分の姿を追い、ついてきたらしい。
よくそこまでの判断をと天人は内心感心していた。
見かけによらず肝の据わった面があるようだ、それと、状況に惑わされない理性も持ち合わせている。
再会を喜ぶ間もなく、電波が通じていないはずの天人と維緒の携帯電話に、再び半臓門線駅での悪夢が着信した。
―――どこか見覚えのある場所で大地が化け物に襲われ死亡する未来予告、死に顔動画。
「志島くん!」
青褪める維緒に大丈夫だと言い聞かせながら、天人は場所の心当たりに探りを入れる。
大門と大堤燈、間違いない、ここは。
「白羽くん」
「大地は浅草だ」
「仙草寺だよね?」
「ああ、そうだ、急がないと」
「うんっ」
駆け出す天人の後に維緒が続く。
心臓がバクバクと激しい鼓動を刻んでいた。
この未来がいつ起こるか分からない以上、事は一刻を争う。
半臓門線の事故はメール着信直後に起きた、それなら大地の未来は、まさか。
(いや、急ぐんだ)
今、不吉な予感にためらっている暇など無い、東京駅から浅草までそれなりに距離はあるが、間に合うかという考えを天人はかなぐり捨て、ただひたすらに走り続けた。
大地は救える。
死に顔動画は、そのために届けられた。
楽観的見解に基づく考えでも、利己的な思いからでもなく、直感を信じるしかないと天人の内の何かが告げている。
過ぎ去る風景の向こうに仙草寺の大門を見つけた天人は大地を呼んだ。
維緒も細い声を懸命に絞り出し繰り返す。
どこだ、どこだ、どこだ―――辺りを探し回っていた二人の耳に、覚えのある声が響いた。
「天人ぉー!新田さぁーん!どこ行ったー!」
大門の傍にうろつく姿を見つけると同時に緊張が解けて、天人に声をかけた。
振り返った大地が、途端安堵と喜色を表情に滲ませて走り寄ってくる。
「天人!」
「良かった、見つけた!」
「良かねえっての!一体どこ行っちゃってたのよ、俺すげー探したんだかんな!」
「それはこっちの台詞だ」
「あっ、志島君!」
維緒に気付いた大地は「新田しゃん!」と天人を見つけたとき以上に嬉しそうな顔をする。
天人は呆れて、軽く息を吐いていた。
しかしあまり悠長にもしていられないだろう。
早くここから離れなければと維緒に告げられてもきょとんとしている大地の姿に確信を得る。
死に顔動画は運命の当事者にだけは届けられない。
その通りに、大地はいずれこの場所で自らに降りかかるであろう死の運命を知らずにいる。
「ちょっと待ってよ、俺疲れちゃって」
大地がヘラヘラと笑いながら凭れかかった仙草前の石碑が、直後に軋んだ音と共に地中へ沈み始めた。
驚いて飛び退いた大地と、同じく唖然とする天人と維緒の目の前で、完全に石碑が飲み込まれた後の四角い空洞から、入れ替わりに何かの装置らしき物体が轟音と共に飛び出してきた。
円筒型の装置は、出現して間もなく紫がかった黒い電流を放出し、その電流が当たった大門の大堤燈は忽然と消滅して、代わりに白装束の人影が徐々に輪郭を得ていく。
(これは!)
そこにいたのは、死に顔動画で大地を殺した女形の化け物だった。
邪悪に微笑む様は明らかに人ではない。
「―――君たち!」
背後から鋭い声が飛ぶ。
振り返ると、見覚えのある姿が天人たちの元へ駆け寄ってきた。
少し前に渋谷駅前で天人達を呼び止めた、あの女だ。
「何をしている!」
女は叱責しながら、取り出した携帯電話を開いて構えた。
「君たちは悪魔使いだろう!早く構えろ!」
そのまま天人の脇をすり抜け、女悪魔との間に割って入るように立ちはだかると、肩越しに厳しい眼差しを寄越す。
「殺されるぞ、早く仲魔を召喚しろ!」
仲魔―――ひたすら戸惑う大地と維緒に目をやり、天人は改めて女悪魔に向き直ると、背の高い女と同じように開いた携帯電話を構えた。
「あ、天人?」
大地の隣で、維緒もハッとした様子で携帯電話を開き、身構える。
「志島くん、悪魔召喚アプリだよ!」
「ふぇ?あ!お、おう!」
慌てて携帯電話を取り出した、大地が画面を開き、操作すると―――携帯電話を持つ手の辺りが発行して、半臓門線駅構内で戦った半透明の悪魔が飛び出した。
「うわあ!」
仰け反る大地と同様に、維緒も、自身の携帯電話画面から飛び出してきた羽根の生えた小悪魔に戸惑っている。
天人が赤い小鬼を呼び出した事を確認すると、女は正面の悪魔は自分に任せろと言ってきた。
「アレは手強い、君たちの手には負えないだろう、君たちには私の援護を頼む!いくぞ!」
駆け出す女を目で追って、天人は振り返り、大地と維緒に呼びかけた。
「あの人を援護する!」
「え、援護って」
不意に嫌な気配が漂い、女悪魔の左右と、天人達を取り囲むように、数体の悪魔が出現する。
「うわあ!バケモノが増えた!」
「白羽くん!」
「落ち着け!」
サッと視線を走らせて、天人は女悪魔の左側を指差す。
「あっちだ、行くぞ!」
駆け出す天人に維緒が続き、後から大地もついてくる。
天人はためらわず、悪魔召喚アプリの画面を確認して、小鬼の名前を呼んだ。
「オバリオン!アタック!」
呼ばれた子鬼が天人の示した悪魔に襲いかかる。
「新田、援護!ピクシーのジオだ!」
「じ、ジオ!」
オバリオンが殴りつけた悪魔に、ピクシーの起した電撃が命中する。
悪魔の姿が消滅するのを確認して、天人は続いて大地を呼んだ。
「大地、左からもう一体近付いてくる、ポルターガイストのブフ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、くそお!」
ブフと大地が指差した先の悪魔に、ポルターガイストが氷の粒を降らせた。
「そのまま殴れ!」
「マジかよ!」
殴りかかる大地の動きを見極めて、距離が開いた所で天人は電撃を呼び出した。
本当にそんな事が出来るのかどうか、甚だ疑問ではあったけれど―――悪魔召喚アプリ内でティコが説明していた通り、天人の掌から放たれた雷が狙った敵を直撃する。
「すっげえ」
呆然と呟く大地に、お前も画面を確認しろと告げる。
「でぃ、ディアとか書いてあるけど」
「回復呪文らしい、新田はアギ、炎が出せる」
「ほ、炎?」
「試しにやってみろ、あと少しでアイツを倒せる!」
ブフを食らい、大地に殴られ、ふらついている悪魔に人差し指を突きつけながら維緒がアギと叫ぶと、収束した熱がそのまま炎の塊となって飛び出し、悪魔を焼き尽くす。
「で、できちゃった」
維緒は一瞬ポカンとした表情を浮かべる。
その背後で腕を振り上げた悪魔の姿に、天人は咄嗟に身体を滑り込ませて、維緒を庇いながら腕を盾に身構えた。
「きゃああ!」
「天人!」
ガツン、と鈍い衝撃が、痛みに変わり広がっていく。
しかしそのまま力任せに押し返して、維緒の手を引き逃れながら、大丈夫かと声をかけた。
「へ、平気だよ、でも、白羽くん」
「俺も平気だ、気にするな」
「おい天人、無事か!」
振り返り、天人は大地に行くぞと鋭い眼差しを向ける。
「新田が怪我してもいいのか、やるぞ!」
「お、おう、分かった!」
まだ不安が残る眼差しは、けれど同時に揺ぎ無い意志を浮べてしっかり頷き返し、大地は天人を見詰める。
「行け、ポルターガイスト!」
「任せろ、ブフ!」
維緒を襲った悪魔は氷の礫を食らい、身悶える背後から続けて大地が拳を叩き込んだ。
すかさず天人も蹴りを見舞うと、消滅を確認する暇も惜しむように振り返り、女に近付きつつあった悪魔を示してオバリオンに命じた。
「呪詛!」
地に眠る悪霊たちの怨嗟が悪魔の足に絡みつき、動きを封じ込める。
僅かなタイムラグを突いて、今度は維緒にアギで攻撃するよう指示した。
維緒が放った炎が命中すると同時に飛来したピクシーが電撃を浴びせて、鋭い爪で何度も切りつける。
その間に別の悪魔が維緒に近付き、手にした棒状の獲物を脳天めがけて振り下ろす直前、形振り構わず特攻を決めた大地に突き飛ばされて地面に転がった。
「し、志島くん!」
「ちっくしょお、新田さんに何すんだ、この!」
「新田!」
天人の声でビクリと我に返り、維緒はアギを唱えて倒れた悪魔を攻撃する。
「大地!」
大地も焼け焦げた悪魔に殴りかかる。
抵抗を試みた悪魔の一撃が頬に命中して、ぐらりと傾いだ大地を跳ね飛ばし起き上がろうとした悪魔を、しかし大地は渾身の力を込めた一撃で完全に沈黙させた。
「志島くん!」
そのままグッタリと座り込んでしまった大地に、維緒が駆け寄っていく。
天人は背の高い女に目を向けた。
二体の悪魔を駆使して戦う姿は女性ながら実に勇ましく、対峙する悪魔は既に虫の息だった。
(凄いな)
戦い慣れているとは、まさにこの状態を指して言うのだろう。
(あの人は、何者なんだろう)
黒髪をなびかせ、しなやかな痩躯からは想像もつかないほど強力な力で、悪魔を打ち据える。
つい見惚れていたら、死角から忍び寄る悪魔の姿に気付いてしまった。
武器を振り上げる動作にハッとして天人は咄嗟に駆け出していく。
「オバリオン、呪詛!」
怨嗟に絡め取られた悪魔の動きが一瞬停止した隙を突き、体当たりでバランスを崩すと、翳した掌から電撃を見舞って、更にオバリオンに追撃を命じた。
「君!」
焦りを滲ませて振り返った女に、天人は構うなと鋭く告げて、自らもオバリオンと共に一撃食らわせる。
女はもう一体の悪魔を始末すると、最後に女悪魔にとどめを刺した。
人ごときにと口惜しげな捨て台詞を残し、女悪魔は茜色の大気に溶けるように消えていく。
日が、いつの間にか西の果てへ落ちようとしていた。
滲む血と汗を拭って息を吐いた天人に、気遣う声が「大丈夫か?」と呼びかけてくる。
「先ほどはありがとう」
振り返ると背の高い女が至極真面目な顔で佇んでいた。
「民間人にしては随分戦い慣れしているようだが、君、既に実戦を体験済みなのか?」
「はい、少し前に半臓門線の構内で」
「ここまで移動する間に、悪魔と遭遇したか?」
「いえ、会っていません」
ドゥベとかいう奇妙な物体には遭遇したけれど、アレが悪魔とは考え辛い。
どちらかといえば、映画で見た宇宙の生命体や、未来の生物といった表現の方が妥当に感じられる。
女は暫く天人を観察するように伺い、けれど、フッと視線を逸らして、石碑があった場所に出現した謎の装置に目を向けた。
「とにかく、雷門に再封印を施す、君たちもよく戦ってくれたな、後は任せてくれ」
装置に近付いていく女を見送り、天人は大地と維緒の元へ駆け寄っていった。
「大地」
「おー天人、お疲れぇ」
「白羽くん、怪我は?」
「平気」
座り込んだままの大地に手を貸して立ち上がらせると、大地は困り顔で多少弱々しく笑う。
「まいった、つーか、さっきのアレってなんなの?」
「スキルとか言うらしい、悪魔を呼んだ時、ティコが説明してくれた」
「あ、うん、私のティコも説明してくれたよ」
「え、俺のティコってば職務怠慢?」
「そんなわけないだろ、覚えてないのか」
うーんと唸りこみ、ややして大地が「ああ」と腑に落ちた声を漏らす。
「そういや何か言ってた、けど俺、余裕無くてさ」
「だろうな」
「てか何よお前、いきなりヒーローめいちゃって!」
大地の言葉に維緒も仄かに頬を染めてうんと頷いた。
「格好良かったね、白羽くん」
「ふえ?ににに、新田しゃん!」
今度は慌てて更に顔の赤くなる維緒に天人は思わず笑ってしまう。
確かに、正直なところ、今更のように自分でも驚いている。
敵を認識すると同時に即座に状況を理解し、躊躇う事なく力を行使した、自分のどこにそこまでの度胸や覚悟が潜んでいたのか、改めて先ほどまでの状況を思い返すと背筋に冷たいものを覚える。
雰囲気に流されたにしては大胆過ぎた、僅かでもどこかのタイミングが狂っていたら、恐らくこの程度の傷ではすまなかっただろう。
そういえば先ほど悪魔の攻撃を止めた腕が鈍く痛み続けていることに気が着いて、患部に手を当てる天人の仕草を見た大地が二マリと笑い、見せてみろよと何故か勿体つけた言い方と共に手を差し出してくる。
「おお、よしよし、今からこの傷を俺のスキルで治してやろう、そりゃ、ディア〜!」
大地の掌から溢れ出した淡い光は、天人の腕に注ぐように吸い込まれて、瞬く間に痛みを消してしまった。
触れて、腕をひとしきり動かして、おおと感嘆の声を漏らすと、天人は改めて「ありがとう」と大地に告げる。
「いーってことよ!新田しゃんの傷もディアで治しちゃったし?俺ってばイケてるっしょ!」
「確かに、珍しく格好いい」
「ちょっと待て、今要らん一言聞こえたぞ、天人は今後ケガってもディアしてやんねー!こんにゃろ!」
「あ、でも、スキルって付け替えできるみたいだね」
「はひ?」
思わぬ維緒の突っ込みに、大地が唖然とした表情を浮かべる。
「えっと、んにゃー、ホスト指定の端末でしか操作できねいって、なあ、ホストって?」
「天人くん?」
二人の視線を受けて、天人は携帯電話の画面を開き、悪魔召喚アプリを呼び出した。
「俺の携帯っぽいな」
「そっか」
「うおおい!にゃんでだー!まぁ、お前がホストっつーなら安心だけどさ、天人何かした?」
「いいや」
実際操作を試みても、大地と維緒の携帯端末からスキルの付け替えは実行不可能だった。
大地が口を尖らせて、携帯までお前がリーダーって認めたことかよぅと冗談めかしてぼやく。
「でも、何でだろうね、どうして白羽くんが」
「イケメン補正か、こんにゃろー、俺だってちょっとはイケてんだろぉ」
「ある意味な」
「何さ!ある意味って、何さ!」
君たち、と呼ぶ声に気付いて振り返ると、背の高い女が雷門を背景にゆっくり近付いてくる。
「仙草寺の再封印が済んだ、改めて礼を言おう」
「再封印?」
大地に問われて、女が背後に視線を向ける。
「うお!堤燈復活してる!」
先程、女悪魔の出現と共に忽然と消えたはずの大堤燈が、いつの間にか元の場所に鎮座していた。
「あ、あの、封印って」
「先程戦った女悪魔をこの門に封じていたんだ、それより」
女は天人達をぐるりと見回す。
「私からも君たちに訪ねたいことがある、どうだろう、少し時間を貰えないだろうか?」
どうすると大地と維緒の眼差しが天人に集中した。
「わかりました」
女のまとう緊張感が僅かに軟化する。
「有難う、では、少し場所を移動しようか」
踵を返して歩き出す女の後に続こうとした天人の脇を大地が突付いて、小声で「いいの?」と訊いてきた。
「てかコレ、大丈夫なワケ?」
「助けてくれたんだから、とりあえず信用していいんじゃないか」
「で、でも、この人どこの誰か俺ら知らねーし、知らない人についてっちゃいけませんって先生が」
「失礼した」
不意に振り返った女と目の合った大地はハッとして顔を伏せる。
女の視線はそのまま天人に移り、名乗るのが遅れたなと僅かに姿勢を正した。
「私は迫真琴、素性に関しては、目的地に到着次第説明しよう」
「目的地って」
維緒も真琴と目が合うと、ビクリと肩を震わせて視線を逸らす。
真琴は「永田町だ」と短く告げて、すぐまた歩き出した。
ふと見上げた空は既に群青に染まり、金星瞬く薄暮の果て、西の彼方に今日の陽があとわずか橙の輝きを残すばかり、もうすぐ夜が訪れる。
長い一日だったと、奇妙な感慨深さと共に、天人は微かに嘆息していた。
昼に災害に巻き込まれて今に至るまで、実際は数時間程度しか経っていない。
しかし自分達はもっとずっと長い間駆け回り、逃げ惑っていたように思う。
実感と共に押し寄せる疲労が体の端々に鈍い痛みを引き起こす。
天人は改めて、覚悟を胸に真琴の後に続いた。
躊躇ってはいけない、恐れてはいけない。
自ら飛び込んでいかなければ、多分道は開けない。
(母さん、無事かな)
明日の天気を気遣うような、どこか空々しい想いと共に浮かんだ母の面影はすぐ意識の底に沈み、緊張と警戒心を伴う天人の足元には長い影が伸びていた。