被害状況の調査と対策のため派遣していた局員が戻ったと報告を受けた。
どうやら数名の民間人を施設内部に無断で連れ込んでいるらしい。
(やっとか)
濃灰色の瞳が喜色を帯びてキラリと輝く。
(待ったぞ)
資料など早々に放り出し、足早に部屋を飛び出した。
(やはり私の目に狂いはなかった、だがこれは始まりに過ぎん、君の全てを証明してくれ)
柄にもなく浮き足立っている自身を、しかし抑えきれない。
姿は誰かを乞い求めるように、黒いコートの裾を翻しながら迷いない足取りで進んでいった。
広々としたエントランスを前に、ただ圧倒されるばかりで言葉もなく天人たちは立ち尽くす。
都庁の地下に謎の巨大施設、なんて話は昨今トンデモ本でも見かけない。
全体的に異質だが、中でも飛びぬけて目を引くのは、正面にある巨大なアナログ時計だろう。
それぞれが違う時間を指しているのが気にかかる、見たところ各国の現時刻をそれぞれ示しているわけでもなさそうだ。
(何だ、これ)
ポカンと口を半開きにしていた大地が、おもむろに天人の腕を指で突付いた。
「なあ、なあさ?エレベーターに乗ってたとき、ドアとかあっちこっちに書いてあったの、あれってなんて読むんだろうな?」
「ジプス、じゃないの?」
「そう、ジプスだ」
振り返った真琴が静かにと告げる。
「面倒は避けたい、大人しくしていてくれ」
施設内部と思しき区間に立ち入ってから、真琴はやけにピリピリしている。
それは恐らく、ここが部外者の出入りを禁じているからなのだろうが、出は何故自分たちを連れ込んだのか、不思議に思っていた。
話を聞きたいと乞われたのは事実だが、ここでなくても構わなかっただろう。
地上は危険だから、それも理由として理解できるが、やはり釈然としない。
もしかしたら真琴は自分たちを気遣っているのかもしれないと思う。
確かに色々と酷い目に遭った、しかし今、都内各所で同等かそれ以上の被害を被っている人々は数多いるだろう。
では現状は運が味方したのか。
(まあいい、ここは安全なようだし)
政府機関であれば、地上にいるより遙かに多くの情報を入手できるかもしれない。
付いて来いと促す真琴に続いて、書架の間に覗く扉から小さな部屋へ通された。
そこは、殺風景な場所だった。
パイプベッドに机、椅子が各一台ずつと、壁掛け式の簡易棚が設けられている、宿泊施設だろうか。
「では、まず君たちが悪魔を使役するに至った経緯から説明してもらえないか?」
促されて天人は、維緒の補足も交えつつ、半臓門線のホームで遭遇した出来事から今に至るまでを簡易に真琴に説明していった。
合間に幾つか質問を投げかけて、やがて真琴はフウと溜め息を一つ漏らす。
「そうか、では、君たちも特に知ることはないんだな」
「すみません」
項垂れる維緒に、気にするなと告げる真琴は、依然として頑なな表情こそ崩さないけれど、どことなく雰囲気が和らいだように感じられる。
「君たちは私に多く協力してくれた、それだけでも十分さ、謝る必要など無い」
「迫さん」
真琴は何だと振り返り、天人を見た。
「俺からも訊きたい事があります」
「―――答えられる範囲でしか君の期待には添えないが」
構いませんと答えた。
元より多くは期待していない。
「自衛隊の救助活動はどうなっているんですか?」
大地が怪訝な表情を浮かべる。
確かに直接関係ない質問だが、真琴は道すがら自らを気象庁所属の国家公務員だと話していたし、何よりこんな場所に存在する施設が国の管轄外な訳がない、であれば、自分たちより幾らか状況に明るいはずだ、国の対策や方針、防衛庁や国防組織の動向も知っていて然るべきだろう。
真琴は表情を曇らせて、救助活動は既に始まっている、と天人に答える。
「しかし、今更偽っても仕方ないので正直に話すが、非常に難航している、君たちも不思議に思ったんじゃないか、何故空は沈黙しているのか、と」
「はい」
「各種交通機関は地割れや火災、障害物等により、完全に機能停止状態に陥っている、陸路が駄目なら空路と、既に何艇も各基地より発った、だがその全てが撃墜され、それどころか要所に設置された対空兵器の類も軒並みやられてしまった、現状我々には有効な手段が殆ど残されていないんだ」
そんな、と、維緒が小さく呟いた。
真琴は僅かに瞳を伏せる。
「それに、被害は地震に因るものだけではない、現在化速度的にもたらされている最たる要因は」
「悪魔」
「―――そうだ」
天人を見詰めて、真琴は一つ頷いた。
脳裏に半臓門線で見た異形の姿が呼び起こされる。
「迫さん」
「何だ」
「俺たち、ドゥベとかいうのに遭遇したんですけど」
途端、サッと真琴の表情が青褪める。
「何だと」
「あれも悪魔なんですか?」
しかし答える事なく黙り込んでしまった真琴を見て、大地と維緒が不安げに顔を見合わせた。
天人もただならぬ様子にじっと真琴の言葉を待つ。
「―――ドゥベに関して、我々も有益な情報をまだ得られていない」
発言を天人は即座に嘘と看破した。
根拠は無い、しかし、どこか後ろめたげな真琴の様子が真実の秘匿を物語っている。
緘口令が敷かれているのかもしれないとすぐドゥベの件に見切りをつけて、今度はポケットから取り出した携帯電話機を見せながら、それじゃあこれは、と改めて真琴に切り出した。
「政府が配布したアプリなんですか?」
「君たちが用いている悪魔召喚システムの事なら、違う、我々の使用するものと異なる仕様で、配布元どころか製作者すら掴めていない、そもそも、配布の意図も全く不明だ」
「そうですか」
「しかしそれは、現状悪魔に対抗できる唯一の手段なんだ」
真琴の言葉を聞きながら、開いた液晶画面上のまだ見慣れないアイコンに視線を落とす。
「奴等に人の造った武器の一切は通用しない」
「試したんですか?」
「ああ、そうだ、我々はあらゆる手段を試し、結果、悪魔は同系統の力もしくは物質でしか滅ぼすことはできないという結論に至った、つまり、毒を持って毒を制するという訳だ」
悪魔は悪魔の力でなければ倒せない。
それなら、あのスキルとかいう力も、源を同じにするのだろうか。
考え込む天人を見詰めていた真琴が、不意に立ち上がった。
「すまんが、そろそろ行かなければ、報告が済み次第すぐ戻る、質問には改めて答えよう」
君たちも少しの間待っていてくれと声をかけられて、大地と維緒がにわかに緊張した面持ちでそれぞれに首を振る。
足早に退室した真琴の姿がドアの向こうに見えなくなると、三人同時に思わず顔を見合わせて、ホウッと息を吐き項垂れた。
「なんつーか、とんでもないことになってんのね」
「そうだな、思ってた以上に深刻みたいだ」
「武器通用しないって言ってたな、んじゃあ、悪魔にバーンとかやっても無駄ってことか」
「銃だけじゃないさ、それに、対空兵器も軒並みやられたって、さっき言ってただろ」
「ってことは自衛隊の皆さんも悪魔召喚アプリとか使って戦っちゃってんの?」
「そうだね」
話しながら、天人は脳内で得た情報を整理していく。
まず当初の予想通り、恐らく現状の収拾は当面不可能だろう。
それどころか、真琴の話から察するに、この異常な事態に対処できる人間は限られている。
悪魔召喚アプリを持たない人々は恐らく逃げることしかできない。
持っていたとしても、戦えるかどうかは別問題だ。
(それに、悪魔は意思がある、そんな奴らが東京にだけ留まっているなんて考えられない)
もしかしたら国内各所で同様の災害と混乱が起こっているのかもしれないと、不意に浮かんだとんでもない想像に天人の全身が総毛立つ。
だとすればどこにも逃げ場なんてないじゃないか。
更に、被害は国内だけに留まるのだろうか?
(考え過ぎかな)
冷静を装っていても、やはり本音は恐怖し、混乱しているのだろう。
携帯電話をポケットにしまいながら(落ち着け)と自身に言い聞かせる。
「な、なあ、天人?」
呼ばれて振り返ると、妙にモジモジした大地と目が合った。
「あの、スンマセン」
「どうしたの?」
「安心したら催してきました、と、トイレ」
新田がきょとんとしている。
暫し思考停止して、天人は盛大に溜息を吐いた。
「―――勘弁しろよ」
「そっ、そんなこと言わないでさあ〜!」
頼むよ相棒と大地は涙目ですがり付いてくる。
「俺、トイレの場所分かんないし!」
「俺だって知ってるわけないだろ」
「だから一緒に来てくれって言ってんだろぉ」
「ジプスの人にでも訊いたら?」
「ダッ、ダメ!だって迫さんに大人しくしてろって言われたばっかじゃないのさ!」
「トイレくらいは見逃してくれると思うけど」
「天人ぉ〜」
仕方ないなと天人は立ち上がった。
「新田さん」
首を傾げる姿に、大地をトイレに連れて行ってくるから、と告げると、即座に顔を赤く染めた大地が手を振り回しながら「わざわざ言わなくていいだろ!」と食って掛かってくる。
「だって、心配するだろ、何も言わないで出て行ったらさ」
「そ、それはそうかもしんにゃい、けど」
「もう、大地はうるさい、さっさと行くぞ」
「ううー!この人でなし!」
喚く大地と共に部屋を出る。
維緒は、僅かに不安げな表情を浮かべていたけれど、いってらっしゃいと送り出してくれた。
改めて見渡せば、施設内部はやたら広い。
壁面を覆い尽す書架に収められた蔵書量も尋常では無く、タイトルに綴られた文字は殆どが外国の言語で一見しただけではどのような内容か想像すら難い。
しかし、幾つか覗く日本語の文字も、耳慣れない言葉ばかりでやはりよく分からなかった。
「しっかし、マジ広いよなー」
クルリと見回して、大地はすぐまた漏れる、漏れると品なく足をバタつかせる。
呆れ顔で歩き出した天人は、手っ取り早く誰かに訊いてしまおうと周囲に首を巡らせた。
そして不意に誰かの声を聞いて、けれど何故か近付くのは憚られ、曲がり角で耳をそばだてる幼馴染の姿を怪訝に見詰める大地が「何々?」と隣に張り付いてくる。
「あれ、この声って」
迫さんだ、と呟いたきり、大地は黙り込んだ。
書架の影に身を潜めるようにして、天人と大地は真琴と誰かの会話を盗み聞く。
―――声は若い、そして、男の声だった、二人の間には妙な緊張感が漂っている。
「そうか、分かった」
「はい、申し訳ありません」
「私も、その者に直接話を聞きたい」
「は?」
「まとめては混線しそうだな、一人ずつ取り調べするとしよう」
「しかし、彼らから特に有益な情報は得られませんでした、これ以上話を聞く必要は」
「手緩いぞ、迫、彼らはドゥベと遭遇したと話しているのだろう?」
「はい」
「一介の民間人でしかない者たちが、何故生き延びてここにいる、おかしいと思わなかったのか?」
大地がゴクリと喉を鳴らした。
天人も何の話をしているか、すぐ理解して硬直する。
見知らぬ男の冷淡な声は更に畳み掛けるように真琴に告げる。
「裏で申し合わせているかもしれん、詳細に調べる必要があるだろう、直ちに彼らを独房へ移せ」
息を呑む気配が伝わってきた。
「その、リーダと思しき少年から話を聞こう、急ぎ手配しろ」
「し、しかし」
「何度も同じ事を言わせるな」
真琴の反論は聞こえてこない。
男が「話は終わりだ」と切り上げる一言を受けて、大地が天人のパーカーの裾をぐいぐい引っ張った。
「ヤバイ、ヤバイって!今の話、聞いただろ、天人!」
「監禁されるらしいな」
「暢気なコト言ってる場合かよ、す、すぐに逃げねーと!」
その場を素早く離れて、維緒の待つ部屋まで引き返す。
何も知らない維緒は天人と大地の姿を見つけてホッとした表情を浮かべたけれど、直後に大地から事情を聞かされて、困惑した様子で「どうして」と天人を見詰めた。
「分からない」
そうとしか答えられない、けれど今は議論を交わしている余裕すらない。
「とと、とにかく、逃げよう!」
急かす大地と、もう間もなく戻ってくるだろう真琴の気配に追い立てられるようにして、三人は案内された道順を逆に辿り、どうにか国会議事堂の外へ抜け出すことが出来た。
―――しかし妙だ。
セキュリティ発動どころか、真琴がカードキーを使用して動作させていたエレベーターすら何の認識行為も必要とせず稼動し、誰に見咎められる事なく天人たちは脱出を果たせた。
国家機関の施設が、いくら現状が混乱しているといえども、これほど安易に民間人の逃亡を許すだろうか。
けれどその点に関して疑念を覚えているのは、どうやら自分だけらしい。
地上に出た途端、再び催した大地は委細構わず駆けて行ってしまうし、維緒は状況把握で手一杯の様子だ。
天人は疑念を胸の奥に押しやり、もう気にしないと決める。
(終わった事だ、それより、これからの事を考えないと)
「ねえ、白羽くん」
維緒の上目遣いの眼差しが窺うように向けられる。
「白羽くんは、怖くないの?」
「怖いよ」
答えて、すっかり暗くなった風景を眺めた。
人工灯の一切を失い、闇に包まれた東京の空に、まだ星が輝いていた事を改めて知らされる。
昨夜までネオンに紛れて観ることの叶わなかった、遍く夜空を彩る星座。
東にオリオン、北にペルセウス、カシオペア。
「流石に北斗七星はもう無理か」
「そうだね、今の時期じゃ、地平線辺りまでしか上がらないはずだから」
北のほうなら見えるだろうけれどと、維緒が空を指し示す。
「あ、ほら、白羽くん、牡牛座だよ」
「どれ?」
「あの辺りの星の固まり、プレアデス星団っていうんだ、橙色の一等星アルデバランが目印でね」
「へえ、詳しいな」
「あ、わ、私、牡牛座だから」
赤くなって俯いた維緒に、天人は笑って「俺は乙女座だよ」と告げる。
顔を上げた維緒が嬉しそうに「春の星座だね」と微笑んだ。
「おおーい、お待たせ」
漸く戻って来た大地は、天人と維緒を交互に見て首を傾げる。
「んん?何笑ってんの、新田さん」
「星座の話をしてたんだ」
天人が答えた。
「ほら、あの辺りに星が固まってるだろう?」
「んにゃ?えーっと、おお、アレか?」
「それが牡牛座だって教えてくれたんだよ、新田は牡牛座なんだって」
「へえ!そーなんだ」
女子ってそういう話好きだもんなぁとしきりに感心する大地に、維緒が大地の星座を尋ねる。
「俺?俺は獅子座!レオンね、レオン!」
維緒に興味を持たれて余程嬉しかったらしい。
満面の笑みを浮かべる大地に、レオンじゃなくてレオだろと突っ込みを飲み込んで笑う。
苦笑いの新田も同じ事を考えているのかもしれない。
大地一人が暢気に話を星座同士の相性へ持っていこうとするものだから、天人は内心呆れながらそろそろ行こうと二人を促した。
「んにゃ、そうだな、すっかり暗くなっちまったけど、んで、とりあえずどこ行く?天人」
「アホか、お前、新田を家まで送り届けるんじゃなかったのか」
「おおう!」と大仰に仰け反り、即座に大地は決して忘れていたわけではないと維緒に言い繕っている。
維緒もいよいよ困った様子で気を遣わないで欲しいと繰り返す、二人の間の抜けたやり取りに、天人はすっかり呆れ果てて「もういいだろ」と促すと、踵を返した。
「ここからだと有明は東南だから、まず晴海を目指そう、レインボーブリッジって手もあるな」
「あ、レインボーブリッジって、徒歩でも渡れるの?」
「歩道があるんだ、時間はかかるけど、渡れるよ」
「車走ってっかな」
大地はそのまま黙り込んでしまった。
維緒も不意に沈うつな表情で瞳を伏せる。
こんな状況で車が走っているわけがない、交通機関はとっくに麻痺している。
レインボーブリッジ自体被害を受けている可能性もあるだろう。
真琴の言葉を思い出しながら見上げた星空は、東京においてはかえってそれが異常なのだと思い知らせるかのように、冷え冷えとした美しさを湛えていた。
冬の気配を孕んだ風が、彼らの間をヒュウッと吹き抜けていった。