ニカイアから新たにメールが届けられた。

電波の通じない状況で、当たり前のように着信する、これは一体誰がどのように発信しているのだろう。

内容は更に異常で、今度は悪魔オークションの解禁と招待を告知するメールだった。

悪魔を倒すたび、アプリ内で増加する、このマッカという表記に連なる数値は一体何だろうと気になっていた疑問が一つ解消されると同時に、新たな謎が増えてしまった。

真琴はニカイアの管理運営組織が政府なのかと尋ねた時、「いいや」と明言していた。

であれば政府とニカイアは無関係なのだろう、しかし―――ならば、誰が?何故?

自分達に生きる機会と手段を与えた、その意図するところがまるで分からない。

晴海方面から逃れてきたという一団から、あちらは火の海と聞かされた天人たちはルートをレインボーブリッジ横断に変更して、一路芝浦を目指し歩き続けている。

道中、街中で当然のように悪魔と遭遇する、そのように世界は変質してしまった。

崩れた建物、亀裂の入った路面、あちこちで火花を散らす千切れた電線や、所々で目にする黒煙、泣き声、喚き声、彷徨う人々。

手持ちの悪魔だけで今後も戦い抜いていくのは難しいだろうと判断した天人は、早速悪魔オークションを利用して、数体の悪魔を競り落とし、自分と大地たちのアプリ内にセットしておいた。

こういった管理設定等の操作は、基本的にネットワークのホスト以外行えない仕様らしい。

その甲斐あってか、悪魔達との戦いも比較的優勢に勝利を収め続けているけれど、まだ現状を受け入れ難い様子の大地からは「心臓に毛が生えてるんじゃねーの」と呆れられてしまった。

しかし、今、最も戸惑っているのは、恐らく自分ではないかと天人は思っている。

かつての常識や通例の全てが覆されるような異常事態であるのに、誰に教わることもなく奇怪なツールを使いこなし、悪魔を使って悪魔と戦う。

―――ごく普通の高校生だったはずだ。

暮らしぶりこそ両親のお陰で世間一般より随分裕福ではあったけれど、天人自身に関して言えば、秀でても劣ってもなく、突出した個性を持たず、敵を作らず、特別目立とうともしない。

そういった平凡な自分や代わり映えしない環境を多少疎ましく感じても、何をするでもなく、諾々と日常に埋もれていく、そうやって生きていくのだろうと思っていた。

しかし同時に言い様のない不安や、違和感を覚えていたのも事実だった。

見えない明日に恐怖して、未来を想い泣いた。

身の丈にあった将来を憂慮していたわけではない。

広義に於いては同義かもしれないが、天人の恐れた未来は、虚無の世界だった。

今が無事だからといって、その先も安寧と過ごせるとは限らない。

この状況は長く抱き込んでいたそれらの不安を暴かれるようで恐ろしい。

そして同時に自分が如何に怠惰と諦観を決め込んでいたかを思い知らされてもいる。

生き延びるためには何でもするべきだ、しかし、このまま状況に適応してもいいのだろうか。

今日まで自分を形成していた全てが失われてしまうのではないか、それは、今の天人には耐え難く感じられる。

煮詰まった考えを解くように溜め息を付いた。

―――くだらない事にカロリーを消費している場合じゃない、今は緊急事態だ。

誰に指差されようと、何をしようとも、重要なのは心を偽らないこと。

自らを欺けば、命を失う。

だからいいんだと結論付けて、真っ直ぐ前を見据えて歩く。

大地と維緒は天人の後に続くようにしながら、時折漠然とした不安や家族の安否を口にしていた。

恐らく二人は自分の居場所を無条件で庇護してくれる人々に求めているのだろう。

天人も気にはなっているけれど、二人よりよほどドライに捉えている。

何せ―――二度と会えない可能性すら視野に入れているのだから。

何度目かの悪魔との戦闘を終えて、お前馴染むの早いよな、と、付き合いの長い幼馴染の心中を見透かすように、大地が声をかけてきた。

「すっかりアプリとか悪魔とか使いこなしちゃってさ、まあ、頼もしいんですけどね」

「お前も戦えてるだろ」

「うへえ、やめてくれよ、俺はもう一杯一杯!腹一杯!あ、腹は減ってんだけどね」

同時に大地の腹がキュルキュルと切ない鳴き声を上げる。

一連のやり取りを見てクスリと笑った維緒も、不意に表情を曇らせて、お腹減ったね、と、呟いた。

「昼のパンはもう全部食っちまったしなあ、はあ、ホントにこれからどうしたもんかね」

「うん」

「―――だったら、もう一度迫さんに会って、非常食だけでも分けてもらえないか交渉してみるか?」

「っだー!どうしてキミはそう怖いモノ知らずかね?無理!てか、ダメだろ、そんなの、戻ったら独房行きだぞ!メシとどっちが大事なんだよ!」

「食事くらい出してくれるさ、餓死させるわけにも行かないだろ、多分」

「はあ?」

「そう、かも」

「新田しゃんまで!」

二人で顔を見合わせると、天人は新田と笑いあった。

漸くからかわれた事に気付いた大地が「何だよ、もう」と口を尖らせる。

「君らそんなことして楽しいわけ?何かドーッと疲れたんですけど、ついでに腹も減ったんですけど」

「腹はさっきから空いてるだろ」

「あのな、天人、なんでそう上げ足ばっかし取るかね、俺からかっても腹は膨れないでしょ?」

「気は紛れる」

「あーまーとー!」

コンニャロと殴りかかってくる大地をひょいひょいとよけながら笑う。

傍で見ている新田も笑っている。

―――こんな光景が、今日の昼頃までは当たり前だった。

暫く追い回して、疲れたと座り込んだ大地の隣に立ち、天人も軽く息を整える。

「しっかし、それにしても、アイツだアイツ!元はといえばアイツがあんなコト言うから」

「アイツ?」

覗き込んできた維緒に、大地は真琴と話していた男がいた事を伝えた。

「その人が、迫さんに、私たちを独房に入れろって言ったの?」

「そう、そうなの!やったら偉そうにしちゃってさ、迫さんに命令なんかしちゃって、誰なんだろうねアイツ」

「えと、迫さんに命令できる人って、上司の人?かな」

「うええ、そーかなぁ?だってあの声、俺らとあんまし変わんねーっぽい感じしたけど」

「あ、う、どうだろう、そうかなって、ちょっと思っただけなんだけど」

「上司だろ」

「マジ、なして?」

確認したわけではないが、状況や会話内容から鑑みて、恐らく間違いない。

そう告げると大地も納得した様子で、上司命令じゃなあ、とぼやいていた。

「迫さんも逆らえないかぁ、てかあの人、最初は怖えーって思ったけど、結構親切だったよな」

「うん、私たちの事、保護してくれようとしてたよね」

「はあ、やっぱあの野郎が悪い、全部悪い、ちくしょう、俺の夕飯どうしてくれるんだよう」

「だったらもう一度迫さんに」

「きゃあっかあああっ」

大地にダメ出しされてあからさまに顔をしかめて見せた天人を見て、維緒が再び笑った

「んまあ、明日になったら、もしかしたら自衛隊とか、色々助けに来てくれるかもしんないし、とりあえず今日のところは新田さんち目指して頑張ろー!」

空笑いした大地自身、言葉にまるで根拠がないと理解しているようだ。

不意に維緒も暗い表情を浮かべて、三人の間に沈黙が降りる。

「え、えーっと」

急に大地が辺りをキョロキョロと見回すので、天人は「トイレか?」と声をかけた。

「あのね、いつまでそのネタ引っ張る気よ、そうじゃなくてさ、流石にそろそろ疲れたっしょ?腹も減ってるし」

「そうだな」

「そこでだ、免許を持ってる俺くんといたしましては?ここらでイッチョ本領発揮って」

志島くん車運転できるのと維緒に尋ねられて、大地は頬を赤らめつつ笑い返す。

「そーなのよ!できちゃうんだなあ、これが!くうう、夏休みの免許合宿!受験勉強と引き換えに頑張っといて良かった!天人!お前にゃ色々言われたけど、これで俺も汚名挽回」

「汚名は返上、というか、合宿は汚名だったの?」

「ちげーよ、バカ!お前色々言ってただろ、落ちても面倒見ないとか」

「まあ、一浪くらいよくある話だから」

「しないっ、てか、できないっていうか」

不意に力なく笑う。

「―――この状況じゃ、大学受験自体、まともにやれるかどうかだよなあ」

不意にシンとなった空気を振り払うかのように、大地は再び車を探し始めた。

災害時に車はキーをつけたまま施錠せず路肩に止めて運転手だけ避難する決まりらしいが、そういった車両を無許可で拝借するのは問題だろう。

しかし現状、寧ろ咎められる謂れはないと思う。

姿を見守っていると、ふと足を止めた大地の視線の先に、車体にスーパーの店名が塗装された小型トラックが一台停車していた。

「アレにするか!そこで待っててくれよ、天人!新田さん!」

そのまま駆けだした大地がトラックに乗り込むと、間もなくヘッドライトが眩く点灯する。

天人たちの元へ車両を回しつつ、窓から顔を出して「おおーい」と呼びかけてくる大地に、凄いねと呟く維緒の声を聞きながら、天人は何気なく空を見上げていた。

闇に満ちる満天の星―――東京の空が思っていた程濁っていなくて、正直意外だった。

その空に浮かび上がる影に、不意に気付く。

グングン接近する奇妙な形状を認めると同時にハッとして身構えた。

「白羽くん?」

維緒を片腕で制しながら僅かに後退りした天人の目の前で、大地の運転する小型トラックの荷台に『それ』はすぐ傍の高架の側面を破壊しつつ急速降下して出現した―――クルクルと回転する胴と、海綿の様な頭部、見間違えるはずがない、維緒が悲鳴の様な声を微かに漏らす。

「し、白羽くん、あれって!」

衝撃を受けて慌てて車内に引っ込んだ大地が、何が起こったと怯えた様子で叫んだ。

「ダイチ!アクセル!」

天人の声に、大地はうわあと声を上げながらギアを切り替え、猛スピードでトラックをバックさせる。

その反動で荷台から転げ落ちた異形は地面に全身をしこたま打ち付けていたけれど、何事もなかったようにフワリと浮き上がり、言語のようにも聞こえる奇妙な音を発生させた。

クルクルと回転する胴の上で、頭部がゆっくり膨張を始める。

背後から天人の服の裾をギュッと握り締める維緒の手の感触があった。

「どうしよう、どうしよう白羽くん、アレって」

「ドゥベだ」

絶望的な想いと共に、昼間の光景が蘇ってくる。

ドゥベの爆発で大勢死んだ。

今度は俺たちか。

―――逃れたはずなのに、今更、こんな場所で殺されるのか。

(いいや)

天人はポケットから携帯電話を取り出した。

明確な意思があったわけではない。

しかし、指先に硬質な感触を覚えると同時に肝が据わり、震えも収まっていた。

ドゥベの周囲に数体の悪魔が出現する。

「新田」

「は、い」

「やろう、構えろ」

「でも」

天人はドゥベと障害物の間の僅かな空間を指差す。

「あの辺りから向こうに抜けられないかな」

「えっ」

「まともに戦う気は無い、逃げよう、それくらいなら出来るはずだ」

確率は限りなく低いかもしれないが、抗いもせず運命に飲み込まれたくない。

怯えた気配を感じて振り返ると、天人は維緒に精一杯微笑んで見せた。

「あのさ、新田」

「うん」

「今の死に顔メールって、届いたっけ?」

「えっ」

「俺の携帯には届いてない、新田が死ぬ未来も、大地が死ぬ未来も、届いていないよ」

あ、と呟いた維緒の瞳に光が宿る。

「だったらさ、少なくとも、新田と大地はここで死ぬ運命じゃない、そういうことだろう?」

「あ、の」

「うん」

「白羽くんの死に顔メールも、私の携帯に、届いてない、よ」

ギュッと手を握り締めて、天人を見詰め返す。

「白羽くんも、死なない」

天人は静かに頷き返した。

「行こう」

「うん」

「こんな所で、終わってたまるか」

「うんっ」

意志を持って携帯を構えた維緒の姿に、天人も大丈夫だと改めて正面に向き直る。

―――今、維緒に告げた言葉は、正直詭弁だ。

死に顔メールを信用しているわけでは無いし、もしかしたら電波障害か何かでメールが届かなかった可能性もある、それでも、僅かな希望でも、賭けるしかない、自分を信じて進むしかない。

虚勢でも偽りでも貫き通すまでだ。

天人と維緒が悪魔を呼び出すと、戦いの意志ありと見て取ったかのようにドゥベ以外の悪魔が襲い掛かってきた。

「新田!正面のポルターガイスト、ジオ!」

「うん!」

「後ろからカプソだ、ジオ!」

「白羽くん、右!」

振り下ろされた棒状の武器を間一髪避けて、天人は犬頭の悪魔にアギを唱えた。

燃え上がった悪魔の向こうに見えるドゥベの頭部が更に肥大した気がする。

(まずい)

維緒が悲鳴を上げた。

追い討ちを食らわそうとした悪魔の背を、天人は力一杯蹴りつける。

よろけた所にすかさず呼び出した仲魔で追撃を仕掛けて、敵悪魔が消滅した先で青褪めていた維緒に手を伸ばす。

「来い!」

―――その瞬間、遠い記憶が脳裏を過ぎった。

幻のように浮かび上がる鮮やかな赤は、けれどすぐ悪魔の放った炎と気付き、維緒を引き寄せながら身体を反転させて自ら盾になる。

焼け焦げる臭いと痛みに顔を顰めて、背後にブフを唱えた。

「白羽くん!」

よろけつつ維緒を解放すると、天人は「構うな」と告げて、次いで襲いかかってくる悪魔に立ち向かっていった。

容赦なく棒状の武器を打ち据えてくる悪魔の攻撃をかわして仲魔に攻撃を命じ、自らスキルを唱えて返り討ちにすると、更に新手の悪魔が剣を構える。

騎士風の手強そうな外見をした姿は、これまで遭遇した悪魔たちと一線を画する雰囲気を湛えていた。

「新田」

呼ばれて振り返った維緒に、天人は援護を依頼する。

「コイツを突破したら、一気にドゥベから離れよう、多分もう時間がない」

維緒もドゥベを見たのだろう、一瞬息を呑む気配の後で、はい、と、気丈な声が返ってきた。

「私、頑張るから、白羽くんも無理だけはしないで」

「分かってる」

先手必勝、天人はアギを唱えるが、騎士風の悪魔は炎を剣で薙ぎ払い、そのまま突進してくる。

「白羽くん!」

維緒の叫び声と共に使役する仲魔が雷を落としても、悪魔は殆どダメージを受けていない様子だ、そして、剣先が天人の腕を切り裂いた。

「うくっ」

距離を取ろうとした天人を、騎士風の悪魔の援護に付いた半透明の悪魔が発した氷粒が激しく穿つ。

肌を切り裂く冷気の雨に、白いパーカーのあちこちに赤い染みが浮き上がった。

「やだっ、いやだよ、白羽くん!」

天人はガルを唱える。

カマイタチ状の風に切り裂かれた騎士風の悪魔は目に見えて怯み、苦悶の声を上げる。

(弱点は疾風か!)

再び剣を構えようとする、その暇を与えず天人は容赦なく騎士風の悪魔の脇腹に蹴りを叩き込んで、バランスを崩した所に重ねてガルを放ち、維緒に「走れ!」と叫んで駆け出した。

「白羽くん、血が!」

「大丈夫だから、急いで!」

背後で復讐に燃える騎士風の悪魔へ、とどめを刺すよう使役する仲魔を差し向ける。

ピクシーの放ったガルは援護についていた半透明の悪魔諸共、二体を完全に消滅させた。

一方のドゥベは、僅かな衝撃で破裂しそうなほど頭部を膨張させ、気付いた天人と維緒は一瞬絶望に陥りそうになる。

しかし歯を食い縛り、ドゥベの傍らを駆け抜けようとしたとき、突如噴出した炎が維緒の足元を焼いた。

「きゃああっ」

転倒しかけた維緒を咄嗟に引寄せて、そのまま担ぐようにして天人は走る。

苦しげに漏れる声にしっかりしろと呼びかけながらドゥベから離れようとした矢先、突如、金属音が頭上から降り注いだ。

寸での所で立ち止まった視界に、効果から崩れ落ちてきた瓦礫がうずたかく積みあがり、完全に道を塞がれた状況を前に、天人は今度こそ立ち尽くす。

背後から伝わる熱は、恐らく爆発までもう間もない証だろう。

遂にチェックメイトか。

伝わり落ちる汗と共に奥歯を噛み締める。

(ここまでか)

それでも、せめて、せめて維緒だけでもと、無駄と分かりつつ体の正面で庇うようにして背を丸めた。

「白羽、くん」

悲痛な眼差しと目が合い、天人の口元に不意に笑みが浮かぶ―――務めて笑おうとしたわけではない、無意識に微笑んでいた、その時―――けたたましいエンジン音と共に覚えのある声が降ってきた。

「天人お!新田さん!」

ハッと見上げた高架の奥、落下時にドゥベが破壊した箇所から、眩いヘッドライトが覗いている。

「待ってろ!」

運転席の窓から乗り出した影が腕を振り上げた。

「お、俺、行ったらぁー!」

排気音を響かせて、崩れた壁を更に砕きながら飛び出した小型トラックが宙を駆ける―――荷台に書かれたスーパーの店名がやけにゆっくりと視界を過ぎっていく。

直後、炸裂する爆音と熱風の中で、天人は維緒を庇い激しい衝撃に耐えた。

気配の収まる頃合いを見計らって顔を上げると、維緒を抱く腕を解きながら立ち上がり、周囲を見回して唖然とする―――数メートル先で、焼け焦げたトラックが無残な姿を晒していた。

そのすぐ傍に、頭部を失い胴だけとなったドゥベが、それでもまだヨロヨロと回転を続けている。

生きているのだ、あんな姿になっても、まだ。

途端ドクンと鼓動が一つ大きく打ち鳴らされた。

握り締めた携帯電話から悪魔を呼び出し、弾かれたように駆け出していく。

今だ。

天啓を受けたような気がした。

今ならやれる、今なら倒せる。

(こいつを、ドゥベを)

悪魔とも違う印象を受ける謎の存在。

強大な力を持ち、人の身では到底太刀打ちできない気配を纏っていた、そのドゥベに、まさに今、挑もうとしている。

これは蛮勇だろうか、それとも。

(倒す!)

未来に敗北の文字はなく、勝利すら意識の外にあった。

倒す、ただそれだけ。

この場を生延びるという意志だけが今の天人を支配している。

沸き起こる激情のまま、召喚したオバリオンに攻撃を指示して、天人自身足を振り上げ、力一杯ドゥベを蹴り飛ばしてやった。

次いで翳した掌からブフを放ち、更に追い討ちをかけようとして、ドゥベから噴出した炎に肩を焼かれる。

痛みを奥歯で噛み殺しながらピクシーにディアを唱えさせると、今度はオバリオンを差し向けて、天人はもう一度ブフを放った。

ドゥベは確実にダメージを受け、弱体化の一途を辿っている。

亀裂の入った表面にオバリオンの拳が炸裂して毒々しい表皮が剥がれ落ちた。

内側は虚無を思わせる空洞が広がっている―――本当に、これは一体何なのだろう。

振り上げた靴底を叩き込むようにしてドゥベを蹴り飛ばすと、ブワッと噴出した炎が天人の頬を掠める。

ひりつく肌の痛みを返すように続けて一発、二発と、立て続けに蹴りつける。

その度にドゥベから奇妙な音が漏れて、胴は殆ど斜めになりながら弱々しく回転を続けていた。

全身が軋む。

続く痛みに神経伝達が徐々に鈍りつつある。

知覚の遅延と共に手足がずしりと重くなっていくようで、自身の限界をおぼろげに感じた天人は、残る全てを振り絞るように叫んだ。

「終わらせてやる!」

渾身のブフを放ち、氷の礫を弱々しい炎で防ごうとするドゥベに、勢いを乗せた横蹴りを叩き込む。

やけに軽い感触が殆ど砕けていた表皮を大きく穿って、そこからグニャリと折れ曲がったドゥベはまるで今際を告げるような奇怪な音声と共に禍々しい光を放つと、突如発生した空間の渦に吸い込まれるようにして消えてしまった。

天人はそのままフラフラと数歩進み、荒い呼吸を繰り返しながら立ち尽くす。

秋風が汗に濡れた髪をフワリと揺らして通り過ぎた。

急に静まり返った風景は闇に沈み、興奮の収まりと同時に、現実が押し寄せてくる。

傍らに控える仲魔を召喚アプリに収容して、ゆっくり振り返った天人は視界に維緒の姿を探した。

少し離れた場所で佇んでいた維緒が、天人の視線を受けて「志島くんが」と声を震わせた。

―――そうだ、大地だ。

再び振り返った風景の中で大破した小型トラックの残骸に目を向けると、無意識に両手を握り締めていた。

恐ろしいが、確認しなければならない。

まだ生きていてくれればいい、しかし、もし、願いが叶わなければ―――俺は。

一歩踏み出そうとして、ふと何かの気配に天人は周囲を見回した。

維緒も忙しなく首を動かしている。

今、声が聞こえなかっただろうか。

そうあって欲しいという願いから来る幻聴かと思ったけれど、違う、現に今も聞こえている。

「―――い、おおーい、天人、あまとやーい!」

ハッと見上げた高架の、崩れたコンクリートから飛び出した鉄筋にぶら下がる姿を見つけた。

同時に全身の力が抜けて、そのまま座り込みそうになった。

「こっちだ、こっち!」

緊張感に欠ける声が、彼なりに必死な様子で繰り返す。

「助けてー!」

「志島くん!」

維緒に呼ばれた大地は急に苦笑いでウィースと場違いな挨拶をする。

「いやぁ、は、ハハハ、参っちゃったね、コレ、ハハハハハ」

どうやら大きな怪我もしていないらしい。

呆れて、天人が「何してるんだ」と声をかけると、今度は「ばっきゃろー!」と憤慨した声が返ってきた。

「それが命の恩人にする態度か!お前のピンチに今度はぜってー助けてやんないからな!」

「どうしてそんな事に?」

「察しろぉ!バカぁ!途中でトラック飛び降りたんだよ!ブルースもビックリだっつーの!」

「え、そ、そうなの?」

「お?おお!そーなの新田しゃん!てかまだピンチなんですけどね、だから早く!天人!助けてぇ!」

手が、手がと騒がしい様子に、天人は不意に維緒と顔を見合わせると、クスリと笑い合う。

大地の勇気がなければ助からなかった命だ。

本当にありがたいと思いつつ、口ではやれやれと呟いて周囲を見渡した。

すぐ近くに新橋の駅が見えるが、上ったところでどうやって引き上げるか思いつかない、ここは悪魔を利用して大地を下ろさせようかと携帯電話を開く。

 

その時、思いもかけず―――ビルの陰から拍手が鳴り響いた。

 

「見事」

夜をまとって現れた姿は開口一番そう告げた。

星明りを弾く銀の髪に、濃灰色の瞳。

一瞬、冬の夜空に浮かぶ月を連想していた、冷ややかでいて、どこか寂しい―――

周囲を威圧する雰囲気と共に、真っ直ぐ見詰めてくる男の眼差しから、天人は視線を逸らせない。

唇に浮かんだ淡い微笑がどこか親しげで、何とはなしに心がざわついていた。

背格好も、そして、恐らくは年齢も同程度の、しかし男は天人達と明らかに毛色が異なっている。

「よもやドゥベを下すとは、恐れ入ったぞ」

男から「天人」と名前を呼ばれて、思いもかけず天人は驚いてしまう。

少なくとも自分に面識はない。

―――そうだろうか?

大地と維緒も困惑した表情と共に黙り込み、男の様子を窺っていた。

唐突に登場した得体の知れない人物に対して不安を覚えているのだろう。

男の傍らに真琴の姿を見つけて、天人はふと、今聞いた声がジプスで自分達を捕らえるよう命じていた声だと気が付いた。

「お前は」

ほう、と呟いた男の、濃灰色の瞳がスッと眇められる。

「私を覚えていてくれたか」

「いや」

途端、浮かんだ落胆と侮蔑の気配を、しかし男は不敵な微笑でかき消して、代わりにすっと差し出した腕の、小指だけ立てて天人に示して見せた。

「では、これではどうだ、天人」

「何」

「指きりだよ」

男の声が微かに笑う。

「君が私に立てた誓いだ、八年ほど前になるか、自分の言葉を忘れたか?」

「八年前?」

「君は私の味方、なのだろう?」

―――俺は、この男と八年前に出会っているのだろうか。

必死に記憶の糸を手繰る。

自分は十歳だった、めまぐるしく沸き起こる疑念がともすれば混乱を呼び起こしそうになるが、天人は理性でどうにか思考を制御して必死に考え続けた。

巡る過去の彼方に何かしらの予兆を覚えて、瞑った目裏に赤い影が過ぎった。

ハッと再び見開けば、男の静かな眼差しがじっとこちらを見詰めている。

その瞳はどこか焦れる様でもあり、天人は何故か背筋が粟立つような感覚を覚えていた。

(十歳の頃、何があった?)

赤、光り輝く照明、大勢の人々―――離れの庭園。

(パーティー)

そうだ、パーティーだ。

最初で最後の同伴となった、あの日から父は更に多忙を極め、母はやけにステータスを重要視するようになり、家はより豊かになったけれど、比例するように家族の距離はどんどん遠く開いていった。

何故だろう、鼓動が早い。

男に誰かの面影が重なる。

ゆるりと腕を下す仕草を眺めながら、同時に天人の脳裏で一つの約束が蘇った。

ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼんのます。

(そうだ)

銀の髪、濃灰色の瞳、色白の肌と、華奢な体躯。

赤い晴れ着がよく似合っていた―――しかし、そうであれば、これは一体どういう事だろう。

再び困惑する天人に、男が不意にクツクツと笑い出して、意地の悪い眼差しを寄越した。

「では君、私の名はどうだ、もう思い出したのではないか?」

「名前」

―――確かに聞いた。

天人は一言ずつ確かめるように唱える。

「ホウツイン、ヤマト」

「ああ、その通りだよ天人、峰津院大和、それが私の名だ」

心底嬉しそうに微笑み、けれどヤマトは天人の様子から心情を酌んで、再びやれやれと首を振った。

「まだ分からんか、よく考えたまえ―――この名は女児に命名するようなものか?」

天人は即ち理解して、改めて目の前の姿を唖然と凝視する。

漸く繋がった、しかし、同時にかなり衝撃を受けた。

クツクツ笑いながら近付いてくる、彼が、あの日の少女だったのか。

「ふふ、粗忽者め、だがまあ私の名を忘れずにいたからな、赦してやろう」

深々と息を吐き出す天人に、それほど驚くようなことでもあるまい、と呆れる。

大和に対して今度は多少申し訳ない思いに駆られた。

当時は今ほど精悍な顔つきでは無かったけれど、しかし何故気付けなかった?

そして天人は、その訳を僅かな非難と共に大和に問い返す。

「何であの時、あんな格好していたんだよ」

そう、赤い晴れ着姿、そして、端正な面立ちに惑わされた。

しかし大和は含むように笑い、その話はいずれしてやる、と早々に切り上げてしまう。

「今は昔話に花を咲かせている場合ではあるまい」

「でも、まさかこんな形で再会するなんて」

「ああ、私も会えて嬉しいよ、天人、君はあの頃と少しも変わらないな」

和やかな二人を取り巻く周囲は、対比の様にシンと静まり返っている。

ジプス局員や、真琴ですら、大和が天人と旧知の間柄と知らずにいたらしい。

不意に頭上から「天人ぉ!」と呼ぶ声がして、天人が目を向けると、高架にぶら下がったままの大地が同様と困惑を一緒くたにした表情で目を吊り上げていた。

「オイ、何やってんだよ!そいつ、お前の知り合い?」

「そうだよ」

「ちょっと待て、知んねーぞ!」

「前に父さんに連れて行かれたパーティ会場で知り合ったんだ、話したことなかったっけ?」

「ない!」

大地は行き場のない憤りを吐き出すかのように足をバタつかせる。

「そいつ、俺らンことさっき独房行きとか言ってたヤツじゃないの?俺声覚えてんぞ!それで何で天人の知り合いなんだよ、だったら俺らのことだってもうちょっと」

「―――その節は大変失礼した」

急に割って入ってきた大和が、大地を見上げて丁寧に礼をした。

「う、あ?」

「君たちの素性を正確に把握していなかったのだ、天人の知人であれば拘束する必要などあるまい、改めて詫びよう、すまなかった」

「えっ、いや、その」

慇懃な態度に勢いを殺がれた大地はすっかり動揺している。

振り返り、再び微笑みかけてくる大和に、天人も笑い返しながら、その実、笑顔の奥に潜む仄暗い情念のようなものを感じ取っていた。

大和は本心ではまるで謝罪の念など抱いていないのではないだろうか―――

「迫」

「はい」

真琴に、大地を下ろしてやれと指示を下す様と、態度の落差が著しくて、傍らで様子を眺めながら天人は大和にどこか不安定な印象を受けていた。

「彼らを速やかに保護し、メディカルチェックを行え、問題があれば処置を」

「はい」

「しょ、処置?」

上ずった大地の声に、天人は「怪我の治療だよ」と不安を晴らすべく笑い掛けた。

「ジプスで手当てしてくれるって、ついでに保護してくれるらしい」

「ま、マジか?」

「うん」

「ホントに?」

「心配性だなあ、大丈夫だよ、政府機関の人なんだから、それに俺の知り合いなんだから、悪いようにはされないさ」

「そ、そっか、そうだよな、自衛隊みたいなもんだよな!」

傍らで聞こえた溜息を無視して、天人は「そうだよ」と大地に答える。

大和が何か言いたげにこちらを見て、フイとそっぽを向いた。

駆け出していく真琴に、漸く安堵した様子で助けを求める大地と、他の局員達に体の具合を気遣われて笑顔を見せている維緒を眺めていると、不意に「もういいか?」と声を掛けられる。

「君にも治療が必要だ、私と行こう、天人」

「それなら大地と新田も一緒に」

「彼らについては問題ない、局員が速やかに局内へ搬送するだろう」

「でも、多分心配するから」

「何を?」

「ここまで一緒だったんだ、一人だけ離れたら不安になるだろ」

「フフ、同情など何の役にも立たんぞ、天人、安易な馴れ合いは互いにとって毒にしかならん、駄々をこねず私と来い、それに、君には知りたいことがたくさんあるんじゃないのか?」

―――確かに。

そして恐らく、今の発言から鑑みるに、大和は多くの情報を得ているのだろう。

部下を従える政府機関所属の人間ならそれなりの立場にあるはずと思い尋ねてみると、局長職という予想以上の答えが返ってきた。

「流石、君は聡いな」

「何となく、ちょっと偉そうだったし」

「事実それなりの身分さ、天人、なかなかに良い洞察力を持っている、素晴らしい」

有難うと微笑みながら、天人は恐らく大和に情は通じないだろうと踏んでいた。

こちらとしても、今更八年前の話などされた所で、大和への信頼に直結するわけも無く、ましてついさっきまで忘れていた過去を恩着せがましく持ち出す気も無い。

しかし今、大和の申し出は渡りに船だ。

昼から続く異常な事態の連続に、疲労は既にピークを迎えている。

すぐにでも安全な場所で心身を休めたい、国家組織ならばその程度の願いは容易く叶えられるだろう。

天人は大地と維緒に目をやり、微かに吐息を漏らして「そうだね」と大和を振り返った。

「流石に疲れたよ、少し、休みたい」

「ああ、そうだろうとも、治療ついでに話でもしよう、何せ八年ぶりだ、君の近況をぜひ聞かせて欲しい」

「そうだな、改めて考えると、随分懐かしいな」

「私もだよ、さあ、行こう天人」

スッと手を取られた。

僅かに驚く天人に構わず、大和はそのまま先導するように歩き出す。

この歳で手を繋いで歩くなんてと戸惑う天人と対照的に、大和に手を離す気配は微塵もない。

歩き辛くないかとさりげなく訴えてみても、軽く笑い返されただけだった。

(大和の中の俺は、あの頃のまま、時間が止まっているのかな)

幼い頃の印象のまま振舞われているのだろうか。

かつての様子が払拭された、広くたくましい背中は見るからに頼もしく力強い印象を受ける。

大和はこの背に多くを負っているに違いない。

同程度の年齢と思しき彼と自身の境遇の差異に、漠然とした隔たりを覚えてしまう。

しかし、繋ぐ手の感触はただ懐かしくて、それぞれの違和感が天人を戸惑わせる。

歩きながら不意に大和が「そういえば」と呟いていた。

「逆だな」

「え?」

「君に手を引かれて走った、あの時の事を思い出していた、今はそれと逆だ」

「ああ」

「しかし、君の姿は私の傍らに在るほうがいい」

手を解いて大和の姿が天人の隣に並ぶ。

「確かに歩き辛かったな」

クスリと笑いかけるので、天人は苦笑いで「そうだね」と答えて、そのまま黙り込んだ。

大和の真意が読めない。

しかし大和は相変わらず楽しげに、時折伺うような視線を寄越しながら歩く。

何故、今になって再会したのだろう?

僅かに居心地の悪さを覚えながら、天人は無意識に溜息を漏らしていた。