「NO-Title11」
真っ黒い影のような姿で男は立っていた。
それは新宿、歌舞伎町の薄汚れた路地裏。祇孔が遊び、暮らし、そして流されるように日々を過ごしている人の掃き溜め。大都市の箱庭。
懐も暖かくなったので、そろそろ仕事はお終いにして寝床に帰る途中で見かけた。
細い路地だったので見逃す所だった。
通り過ぎて、思い出して、数歩後退って覗き込む。
「おい、お前、壬生か?」
くるりと振り返ったその目だけが異様に輝いて見えて、散々修羅場を潜り抜けてきたはずの祇孔の背筋に悪寒が走った。
奴も仕事、か。
とっさに伺った彼の周囲に何もなかったから、大方帰り途中なのだろう。
歌舞伎町の駅周りを行き交いするサラリーマン達の姿を思い出して、比較すると何とも対照的な光景に冷めた笑いが漏れる。
「村雨さん」
紅葉は闇から抜け出してきた。
路上を投げやりに照らす裸電球に浮かぶ姿はどこか薄汚れて見える。
嘗め回すように窺って、ニヤリと笑って肩を叩いた。
「跡どころか殺気すらねえな、妙な気配はすっけど、さすがプロ」
その手をやんわりと押しのけて、冷たい視線が祇孔を見据える。
「何か用が?」
「おいおい、つれねえよなあ、仮にも仲間だろが」
自分ですら思ってもないような事を言って、白々しさに笑いが漏れた。
紅葉も無表情で立ち尽くしている。
「お前のそっちが素か?」
顎をしゃくる。
「先生には見せたことねえよな、そんな顔」
「ご用は無いようですね」
「あん?」
「では、失礼」
そのまま踵を返して帰ろうとするので、少しつまらなく思って祇孔は声を上げた。
「おい、壬生!先生が今のお前見たら、なんて思うだろうな」
紅葉の足元がぴたりと止まる。
「あんたの仕事のことは知ってんだろうが、実際会ったらどうかな、お前見てなんて言うか」
明らかに反応があったので、ようやく面白くなってきてついつい言葉に調子が乗ってくる。
「そんな暗い目で、愛想つかすかもしんねえぜ」
無論、祇孔はそんな事を本心で思ってなどいない。
あくまで遊び半分、そっけない壬生の態度が気に食わなくて、今彼が一番反応しそうな事でカマをかけているだけだった。勝負も散々勝ってきたし、気が大きくなっていたというのもある。
「そしたら俺ンとこに来るかもなぁ、知ってるか?人の気を惹くにゃ、落ち込んでる時が狙い目なんだ、そこにつけこんで一気に」
いつも本心など見せない男だ。この際つけこんで、楽しませてもらおうじゃないか。
しかし、くるりと振り返った紅葉の視線にそれ以上の言葉は封じられた。
「村雨さん」
いつもと特に変わりなく喋っているのに、その声は底冷えするほど寒々しい。
紅葉はうっすら微笑んだ。上限の月のように歪んだ口元で。
「光におかしな真似をしようだなんて、冗談でも言わないほうがいいですよ」
祇孔はごくりと喉を鳴らす。
視線で人を殺す事が出来るのなら、今の自分は間違いなく命を落としているだろう。そう、思った。
「彼は、僕のものです、いなくなるなら無くしてしまった方がいい」
それは殺すってことか?
聞こうとしてやめた。どのみち同じ穴のムジナだ、灰暗いものの考え方など嫌というほど知っている。
何だか興ざめしてしまって、くだらない話を吹っかけたもんだと祇孔は嘆息した。
こいつに先生の話を持ち出すだなんて、どうかしている。
そのためだけにいくらでも命を張れる野郎だってのに、こいつは。
「あー悪い、俺がバカだった、ちょっと機嫌が良くてな、今日は」
闇に立つ紅葉に手を振って、祇孔は苦笑した。
もう一度悪いといって帽子を取り、少し頭を下げる。
そうしたほうがこの場は早く収まると思ったからだった。
「引き止めたな、先生のことは全部吹いただけだ、忘れろ、すまなかった」
いいという風に手を振って、紅葉は再び背を向けた。
「では」
立ち去る姿を今度こそ見送って、祇孔は帽子を目深にかぶりなおす。
見上げると空はいびつに切り取られていて、星すら見えなかった。
「俺も、あいつも、どこにも行き場なんて無いのかもな」
それでも人は、暗闇に光を求めずにいられない。
彼がその手の内に見出した輝きを、奪い去れる者などいない。多分。
(あんな人殺しまでコマしちまうなんて、大したタマだぜ、先生)
思い出す笑顔の鮮やかさに、こちらまであてられてしまいそうだった。怖い番犬が付いているのでそんなバカな真似はしない、けど。
もうちょっとだけ早く、少なくともあいつより先に出会えていたら、良かったのに。
「バカらしい」
笑って歩き出す町の空気は醒めていた。
いくら進んでも、その先には灰色の町と極彩色の灯りしか見えなかった。
おまけがあるよ♪光サイドはこっち
裏から来られる内容です…ということは?!(ワザとらしい)
(完)