その後、三人で向かった先は目黒にあるはずの壬生の家ではなかった。
そこから更に北上して、大分千葉寄りの寂れた駅の一つに降り立つ。
そこは、特に何も無い街で、灰色の建物がやけに多い薄暗い場所だった。
「ここだよ」
背の高いマンションの前で翡翠が足を止める。
京一はその頂上を見上げた。
二人は慣れた様子で暗証番号つきのドアのボタンをいくつか押して、ブザーと共に開いた中へ進んでいく。京一も慌てて後に続いた。
エレベーターに乗り込み、最上階の一つ下の階を選択して、着くまでの間終始無言だった。
自動で開いたドアを抜けて、廊下を歩いて奥の方にあるドアを目指す。
翡翠がチャイムを鳴らして、取り付けられたレンズをちょっと覗き込んだ。
「壬生、僕だ」
「如月さん、何用ですか?」
ドアの向こうから聞こえた声に、京一はカッと頭の奥が白くなるような衝動を覚えた。
「何用ですか、じゃねえ!ここ開けろ、壬生!」
怒って殴りかかろうとする京一を祇孔が後ろから羽交い絞めにする。
「こら、お前、さっき約束するって言ったじゃねえか」
「うっせえ、離せ!」
「てめ、暴れんなって」
「この、クソ野郎!てめえよくもひーちゃんを」
「蓬莱寺!」
しばらく無言だった紅葉がいぶかしんだ声で聞いてくる。
「如月さん、村雨さん、これは、どういうことですか?」
「蓬莱寺君は光を探していた」
「それで?」
「本当の事を知っておく権利はあると思う、彼は光の友人なのだし」
「壬生―!ここ開けろぉ!」
ドアの奥にあった人の気配が消えた。それでもまだ暴れている京一に翡翠が呆れたような視線を向けた。
「少し静かに出来ないのか?ご近所に迷惑がかかるだろう」
「そんなこと関係ねえ、いいから放せ、俺を中に入れろ!」
「まったく、手が付けられないな」
「うるせえ!」
ガチャリ、と開錠の音がして、ドアが開いた。
京一が、アッと呟いて一瞬動きを止める。
「待たせたね」
顔を見せた紅葉に、隙をついて祇孔の拘束を離れた京一がいきなり殴りかかる。
「蓬莱寺君!」
直前でかわした紅葉がそのまま腕を封じる。押さえつけられた京一は至近距離から紅葉を睨みつけた。
「てめえ、壬生、これはいったいどういうつもりだ」
「君に僕の心情を話すつもりは無い」
「何だと?!」
「光が、君に会いたいといっているから会わせてやるんだ、勘違いしないでくれ」
紅葉の声は無機質で、何の感情も感じられなかった。
それが少し気味悪くて、京一は思わず口をつぐむ。
やっと落ち着いた事を確認して、ようやく腕を離すと紅葉はドアを開いた。
「どうぞ」
京一は肩を怒らせて中へ入る。
「おじゃまします」
「じゃますんぜ」
翡翠と祇孔が入った所で、紅葉はドアに鍵をかけた。それは幾重にも重なり合った非常に強固で頑丈なものだった。
靴を脱ぐのももどかしく、半ば放り出すようにして京一は廊下を走り、正面の曇りガラスのはまったドアを勢いよく開く。
そこは客間で、隣の部屋に続くドアが少しだけ開いていた。
「ひーちゃん!」
壁に叩きつける勢いで開いたその向こう、部屋の中に広がる光景に、京一は唖然とする。
部屋にはただ一つ、大きなベッドだけ。
側の窓ガラスは閉じていて、左右に避けられたカーテンの間から青空が覗いていた。
そこに、光はいた。
枕元の大きなクッションに埋もれるようにして、元々色白だった肌が病的なほど青白く変色して。
共に戦っていた頃の面影はもうどこにも無い。痩せ細った体で、それでも本来の美貌は微塵も失われていなかった。
濁った色の金茶の瞳が、どこか緩い視線で微笑みかけてくる。
「京一」
「ひー・・・ちゃん?」
「久し振り、元気そうで何よりだ」
「お前」
フラフラと歩み寄って、そして気付いた。
光の両腕を縛る拘束具。驚いて、布団を跳ね除けると両足もベッドに拘束されていた。
「光」
震える両手で肩を掴むと、妙な感触が指先に触れて、ビクリと手を離す。
「ど・・・した、これ」
「両腕ね、足も、腱が切れてるんだよ、動かないんだ」
京一は自分の体がカタカタと震えていることに気付いた。
これは、これは、あの光なのか?かつて自分が敵わないと尊敬した、あの光なのか?
「ひ、光、これは、なんだって、こんな」
何か恐ろしいものでも見てしまったようで、あとずさる京一に光は無邪気な笑顔を浮かべた。
「紅葉が、俺を欲しいと言ったから」
「な・・・んだ・・・と」
「あげたんだ、腕も足も、俺はもういらないからって」
「あげたって」
「欲しいって言われたからあげたんだよ、それでもまだ心配だからって、鎖もつけたんだ」
動かない手足を拘束して、ベッドに縛り付けて、これを紅葉がやったと言うのか?
怒りより衝撃の方が深すぎて、ヨロヨロとその場に座り込んだ京一を金茶の瞳が心配げに見つめる。
「京一、大丈夫か」
「お前は、どうなんだよ」
自分でも訳のわからない台詞だと思った。こんな状況で大丈夫もへったくれも無かったが、京一にはそれだけ言うのが精一杯だった。
「俺は、幸せだよ」
光の笑顔に偽りは無かった。
「紅葉がいつでも側にいてくれるから、ずっと幸せなんだ」
「そ・・・な、ば、バカな」
光は病んでいる。
にごった瞳が曖昧な笑顔で笑っている。その表情はまるで力がなくて、彼から生きている人の気配がほとんど感じられなかった。
精巧に作られた人形のように、ベッドに寝そべったままニコニコと微笑み続けている。
京一は、もうどうしたらいいのかわからなくて、ただ呆然とその姿を見つめていた。
背後で物音がして、のろのろと見上げると紅葉が立っていた。
「蓬莱寺君、そろそろ帰ってくれ」
「壬生・・・」
「光が疲れてしまう、もういいだろう、帰ってくれ」
「お前、これは」
紅葉は京一を無視して光の側へ歩み寄り、ベッド脇に腰掛けてその体を抱いた。
「紅葉、京一が来てくれたんだ」
光は嬉しそうに胸にもたれて報告している。
「うん、そうみたいだね」
「あいつ元気そうだったなあ」
「そうか」
「なんかビックリしてたみたいだった」
「今の君を見たからだろう?」
そうかーと言って笑う彼にはもう京一の姿は見えていないようだった。それが震えるほど恐ろしくて、呆然とする肩を祇孔が叩いた。
「おい」
ようやく聞こえてきた現実の声に、すがるような眼差しを向ける。
「もう気は済んだろ、壬生が切れないうちに帰るぜ」
「けど」
「これ以上ここにいたら、あいつは俺たちを殺そうとするだろうよ」
ちらりと振り返った先の壬生は、光をあやしながら抜け目無くこちらを窺っているようだった。
その気配に僅かに殺気のようなものが混じりつつある。
腕に抱かれた光は、相変わらず無邪気に甘え続けているようだった。
「行くぜ」
促されて、ヨロヨロ立ち上がりながら、振り返ってみた窓の青さがやけに目に染みるようだった。
三人は言葉も無く家をでて、ドアを閉めると中からいくつも鍵が閉じる音がして、それきりだった。
(次)