男は古ぼけた校舎を見上げた。

目深にかぶった白の学ラン帽の下の瞳はまるで猛禽類のように鋭く、どこか楽しげな光を湛えている。

「ここが、真神か」

秋色に染まった広葉樹に囲まれた校内からは鐘の音が響いていた。

丁度、本日全ての学課が修了した事を告げる音だった。

男は校門脇に身を潜めると、指先でつばを下げながら門柱に寄りかかり、腕を組んで目を閉じる。

「さあて」

分厚い事前報告書は仕方無しに全部読んだ。

こんな仕事ははっきりいって趣味じゃない、だから断ってやるつもりだった。

けれど。

やる気になったのは、小難しい文面に記されていた内容に強く興味を引かれたからに他ならない。

話に聞く限りでは、悪印象など抱きようも無いほどの大した人物だった。

だからこそ、ちゃんと自身の眼で確認しておかなければなるまい。

特殊な環境に置かれている者ほど周囲は色眼鏡で評価しがちなのだから。

真贋を見極めるには会ってみるしかないだろうと、思い立って新宿くんだりまでわざわざ足を運んできてやったのだった。

それに何より久し振りの腕試しと運試し、はっきりいって興奮している。

もうすぐ出会うだろう、対象者の人となりにわずかばかりの期待と警戒が混在していた。

「こんなつまんねえ場所までせっかく来てやったんだ」

新宿は自分のねぐらのような場所でもあったけれど、歓楽街から外れたボロ学校に個人的な用件など一つもない。

こんな機会でもなければ一生足を運ばなかった場所だ。

「無駄足を踏ませないでくれよ」

男の唇に、薄い笑みが浮かんでいた。

「せいぜい愉しませてもらおうか―――先生」

校内から急ぎ足の生徒達が、ちらほらと出てくる気配がしていた。

 

「姫っ、帰ろうぜ!」

鞄に教科書をしまっていると、上に両手が置かれたせいで入れ口がパタンと閉じてしまった。

光はわずかに呆れて、机の前に立っている蓬莱寺を見上げていた。

「京一、俺、教科書をしまいたいんだけど」

「お前よくそんな重いもん持ち歩きしてるよなあ、何のための机だよ」

「これは勉強するための物、中は一時的に教科書を入れておく場所だろうが」

「バッカ違うって、使えるモンはちゃんと使っとけって言ってんだよ」

「お前はいつか教科書全部捨てられてるぞ」

「俺は特に困らねえぞっ」

思わず深く嘆息すると、隣で美里がクスクスと声を立てて笑っていた。

「京一君は宿題どうしてるの?教科書がないと、困るんじゃないかしら」

「平気平気、こいつがな」

言いながら光を指す。

「―――俺がなんだよ」

「いや、真面目だからさ、ちゃーんとやって来てっから、心配いらねえんだ」

「あのな」

蓬莱寺を睨みつけて、光が強引に両手を払いのけると、彼はあわあわしながら崩しかけたバランスを立て直して危ねェだろと逆に睨みつけてきた。二人でにらみ合っている横で、美里は益々可笑しそうに笑う。

「二人が一緒だと、何だか楽しいわね」

「俺は迷惑してるよ」

「なんだとっ」

「もう、二人とも?」

軽くいさめつつ、美里は不意に優しげな微笑を浮かべる。

「よかった」

光は首をかしげた。

「なんだよ、美里」

蓬莱寺も怪訝そうな顔をした。

二人を交互に見交わして、彼女は母性に満ちた温かな眼差しを投げかけてきた。

「仲直り、できたのね?」

光と蓬莱寺は同時に顔を見交わす。

そして、美里を見て、不意に照れたような笑顔を浮かべた。

「うん」

頷く光の頭を蓬莱寺が小突く。

「ばぁか、元々喧嘩なんかしてねえだろ、美里も何言ってんだ」

「そう…そうね、そうだったのかも」

「かも、じゃなくて、そうだったんだよ、ったく、変な気使ってんじゃねえぞ」

美里は微笑みながら優しく「ごめんなさい」と答えた。

「そうだ、なら、お前も来るか?」

「え」

「姫とさ、これからラーメン食いに行くことになってんだ」

そんな約束したっけと聞く光に、蓬莱寺は今しただろと胸を張る。

光は苦笑しつつ美里を振り返った。

「そういうことらしいから、もしよければ一緒に行かないか?」

「誘ってもらって嬉しいけれど、ごめんなさい、これから生徒会の集まりがあって」

「もしかして文化祭の?」

「ええ、そうよ」

蓬莱寺が変な声を上げながら感心した。

「お前も大変だな、修学旅行の次は文化祭か、ご苦労さん」

「皆が楽しく過ごすためだし、私達が頑張らないとね」

「おい、聞いたか姫、俺たちとは住む世界が違うぜ」

「それはお前だけだろう、京一」

「んだとぉ」

美里は再びクスクスと笑いながら、それじゃあといって席から立った。

「二人とも、下校時刻内には帰るようにね」

「へいへい」

「さようなら」

「ああ、また明日」

互いに手を振り交わしながら、彼女はそのまま教室を出て行った。

後姿を見送って、さてと蓬莱寺が振り返る。

「姫、俺たちも行こうぜ」

嬉しそうな笑顔だった。

「こっち帰ってきて、初めてのラーメンだ、ありがたく食いに行こうぜ」

「そうだな」

京都から戻って以来、二人の間は以前よりも一層強固な絆でつながれたようだった。

あれから蓬莱寺は何も言わないし、光も何も聞いていない。

けれど、たとえそれが表面的な感情であろうとも、今の状態はこれ以上なく互いにとって好ましいものだった。だから壊したく無い、共通の想いが、自然と二人の距離を縮めていた。

蓬莱寺は友達の顔で、光を見詰めている。

だから、光も、同じように友達として、以前と何も変わらない態度で接していた。

そこに余計な言葉は一言も要らないように思えた。

「ほら、ぐずぐずすんな、ったくお前はいつも動作が鈍いからなあ」

「京一が忙しな過ぎるんだよ」

「お育ちがよろしいからだろ、お前の」

「どういう意味だ、それ」

ようやく仕度が終わって、鞄を持って光は席を立った。

待ち構えていた蓬莱寺は腰掛けていた近くの机から飛び降りて、行こうぜと笑顔を浮かべた。

隣を行く彼の、茶色の髪を吹いてきた秋の風が軽やかに揺らしていった。

 

(続きへ)