「随分楽しそうな事をしているんだね」

光を抱き寄せながら、壬生が涼しげな目元をすっと細くした。

蓬莱寺と村雨は硬直したように動けなかったが、すぐさま蓬莱寺のほうが木刀の切先を突きつけて闖入者を怒鳴りつけた。

「てめえ!性懲りもなくまた現れやがって―――姫を離しやがれ!」

視線だけで殺せそうなほどの殺気を立ち上らせながら、ギラギラと睨みつけている。

傍で村雨がわずかに驚いたような表情を浮かべていた。

「へえ、なんだか知らねえが、随分と怨まれてるみてえだな、あんた」

「僕には関係のないことだよ、貴方や、そこの彼の思惑などはね」

光、と囁きかけながら、壬生の腕が更に体を抱きしめる。

光は青ざめたまま、身じろぐことすら出来ずにいるようだった。

突然の様子の変貌振りに、見ていた村雨は明らかな嫌色を示す。

「随分久し振りだね、寂しかったかい?」

氷のような声が耳元で話しかけてくる。

「僕は寂しかったよ、君に会えない日も、いつだって君の事ばかり考えてしまって」

剣武館の学生服の下で、光の掌が弱々しくキュウと握り締められた。

顔を赤くした蓬莱寺が猛烈な勢いで怒鳴った。

「ふざけんじゃねえぞ、殺し屋!手前がそれを言えた義理か!」

「言うさ」

顔を上げて、視線があった途端、蓬莱寺の背筋がゾクリと総毛だった。

まるで狂人のように―――

どこまでも奥深い、底の見えない闇色に染まった瞳の壬生がニヤリと笑う。

腕が、まるで捕縛の鎖のように光の体を這っていた。

「光は僕のものだ」

「っつ、てめえ」

「君ごとき、何を言っても、何をしても、それだけは覆せない」

「なんだと!」

「無駄な悪あがきは早々にやめたほうがいい、君は、身の程を知るべきだ」

獣のような唸り声を洩らしながら、切りかかっていこうとする蓬莱寺を村雨が止めた。

「何すんだてめェ!」

「ちょっとだけ待ってろ、蓬莱寺」

そのまま前に出ると、オイと壬生に呼びかける。

「壬生とか言ったな、って事はお前は元御剣の守人やってた裏の龍か?」

壬生がへえと声を洩らす。

「随分こちらのことに詳しいようだね、見ない顔だけど、一体何者だ?」

「俺は村雨祇孔、お姫さん直々に選ばれた御剣の守人だ」

「ふうん」

そして、薄い唇が陰険な笑みを浮かべる。

「僕は剣自身に選ばれた守人だ、そして、元じゃない、今もだよ」

「何言ってやがる!てめえのしてることは」

叫ぶ蓬莱寺の脇で、村雨も不敵に口の端を吊り上げた。

「壬生さんよ、その割にはどうも、あんたのしてることはなんもかも空回りしてるように見えるぜ」

「何だと」

「てめえのやってることはもはや守人の役でも何でもねえ、ただの一人よがりじゃねえか」

壬生の目が鋭く村雨を睨みつける。

よほど胆力の強い人間でも物怖じしてしまいそうなその視線を受けても、村雨はなおも高圧的な態度を崩そうとはしなかった。

強気の眼差しが反対に彼を睨みつけて、笑う。

「あちこちに理由をつけて、本当は何がしたいんだ」

壬生は答えない。

「そいつの様子を見たら、あんたの目論見がすでに失敗してることくらい一目瞭然だろう」

「目論見だと?」

呟く蓬莱寺の脇から、村雨は一歩踏み出していた。

「思い出して見やがれ、てめえ、最初は何を考えてたんだ」

また一歩。

それにあわせるようにして、光を捕らえたまま壬生が一歩下がる。

「何が欲しかった」

一歩、そして、一歩。

「そいつはあんたが本当にやりたかったことなのか」

前進と後退。

村雨が、ふと足を止めて壬生を見据える。

「―――去年の秋ごろ、何があった?」

壬生がぎょっとしたように眼を見開いたので、蓬莱寺は面食らっていた。

明らかに動揺した素振りで、先ほどまでの余裕すら揺らいでいる。

両腕に力を込めて光を抱きしめながら、まるで何かを堪えるように瞳が虚空を見詰めた。

彼に落ちていた暗闇が、わずかに色を薄くする。

壬生は光の頬に顔を摺り寄せた。

そうして黙考するようにして一瞬目を閉じ、再び開かれた瞳には元の闇が満ちていた。

唇に冷たい笑みが浮かぶ。

「随分色々と調べられているようだ、僕も、急がなくてはならないのかもしれないな」

横目で光を窺うように見る。

「僕の気がよく馴染んでいるようだね、もう弱らせる必要もないな」

「なっ」

蓬莱寺が声を上げた。

壬生は哂う。

「君の中に沈殿している僕の気を媒介に、また一つ鍵を増やしていこう」

顎を持ち上げられながら、光は無抵抗のまま虚ろな眼差しを壬生へと向けた。

先ほどまであれほど威勢良く戦っていたはずなのに、今の彼にその時の様子は微塵も感じられない。

異様な変化に気づいた村雨が小さく舌打ちをした。

「しょっぱなから失敗してちゃ、俺だけじゃなくあいつのメンツまで丸つぶれだからな!」

懐から取り出した符が、四番目の封印を施そうと唇を近づける壬生めがけて打ち出される。

壬生は寸での所でそれをよけると、光を抱きしめたまま体重を感じさせない動きで後方へと飛びのいた。

「僕らの邪魔をするのか?貴方も随分と趣味の悪い人だ」

「ぬかせ」

次の符を打ち出そうとする村雨の脇から、突然蓬莱寺が剣を構えて突っ込んでいく。

「うぉおおおお!」

袈裟切りに落ちてくる切先からひらりと飛び上がり、壬生は腕に抱いた光の耳元で何事か囁きかけた。

光の体がわずかにかくんと震える。

壬生はうっすら微笑んでいた。

「仕方ない、少しだけ遊んであげるとしようか」

地上に降り立った直後、拘束していた腕を外す。

「姫!こっちに来い!」

すかさず蓬莱寺が怒鳴った。

しかし、光はぼんやり立ち尽くすばかりで動こうとしない。

「姫?!」

視界に壬生が立ちはだかり、光を背後に隠した。

「六門封神がどのようなものか、君は多分あの御剣の妹姫に吹き込まれているのだろう?」

「それがどうした、この変態!」

蓬莱寺が吼える。

「光に施した封印はすでに三門目」

壬生は冷たく微笑を浮かべていた。

「それがどういうことなのか」

「勿体付けてんじゃねえよ、はっきり言いやがれ!」

「フン、わからないのかい?」

壬生は見下すように鼻を鳴らした。

再び怒鳴ろうとした蓬莱寺を、村雨が制止する。

「御剣の心はすでにあいつの手の中だ」

「なっ」

驚愕の眼差しが振り返る。

村雨が忌々しげに表情を歪めていた。

「あいつがどっかいかねえ限り、俺達の声はあいつにとどかねえ」

「んな、バカな」

「腹立たしいがウソじゃねえ、今この目で見て、ようやく確信が持てたぜ」

調書にな、そんなことがちょこっとだけ書いてあったんだ。

言い捨てる村雨は壬生を睨みつける。

壬生は笑っていた。

蓬莱寺の中に、改めて怒りの炎が勢いよく燃え上がっていた。

「光の心はすでに僕の手の内だ、君たちと遊んだ後で、次の鎖を残して行くとしよう」

「てめえ」

「せっかく時間を割いてあげるんだ、せいぜい」

暗い瞳の奥に、すっと好戦的な炎が宿る。

「―――愉しませて、貰うか?」

「ぬかせ!」

怒鳴りながら木刀を構えた蓬莱寺が地を蹴る。

「でいやあ!」

振りかぶってきた刃を片腕で止めて、その下から鋭く壬生のつま先が跳ね上がってきた。

「ハッ」

反動で飛びのいた視線の先で、風圧で切られた前髪がハラハラと宙を舞う。

壬生は間髪いれずに反対の足を繰り出してきた。

横に薙いだつま先をかわしながら、構えなおして蓬莱寺が頸を打ち出す。

「はアッ」

群青の学生服は背後に飛びのき、その陰に隠れるようにして光がフラフラと彼の背後へ歩いていった。

まるで、壬生の周囲に張られた結界の中を、こちらから逃げるように。

蓬莱寺が苦々しげに表情を歪める。

「口惜しいかい?」

壬生は嘲っていた。

「だから言っただろう、身の程をわきまえろと」

「うるせえ!」

駆けてくる姿を、壬生の打ち出した発剄が正面から捉えて吹き飛ばした。

「ぐはっ」

防御を取ることさえままならないほどの素早い動きに、まともにくらった蓬莱寺がのけぞって倒れる。

その脇をすり抜けて、炎を纏った札が壬生めがけて飛来した。

うっすら微笑んだ唇が、飛び上がりながら声を上げる。

「光、防御を!」

「なっ」

目を剥く蓬莱寺の前で、壬生がいなくなったことで背後にいた光目掛けて札は飛んでいった。

その影を捉えた虚ろな眼差しが突如素早い動作で気を練り、冷気の渦を自らの正面に生み出す。

渦に当たった札は消化されて力なく地上に落ちた。そこに、壬生が再びひらりと舞い降りてくる。

「安心していい」

再び構えなおしながら、壬生はニヤリと笑っていた。

「まだ僕に命じられても、光は自分の身を守るためにしか動かない」

「てめえ―――」

「陰龍にのみ伝えられる守人の奥技だ、六門封神とは、こういうものなんだよ」

立ち上がった蓬莱寺の背後で、村雨が吐き捨てていた。

「あの技はな、相手に想像を絶する苦痛を与えながら少しずつ施してく、えげつねえ技なんだ」

「どういうことだよっ」

「わかんねえか?六門封神は術者の事を忘れない限り、消えたり解けたりしねえんだよ」

それはつまり。

蓬莱寺は突然ゾッとする。

負の感情はそう簡単に消えてなくなりはしない。

ましてやそれを自分にもたらした当事者のことなど、忘れろという方が無理だろう。

強い憎しみや悲しみは、そのまま加害者への執着心へと変わる。

そうやって施されていく術は、どうやっても解くことなど出来ないのではないか。

束縛から逃れるためには記憶の全てを失いよりほかない。

そんなことになって、それまでどおりの人格や人生を持ちうるのか。

答えは否である。

六門封神を解除以外の方法から逃れた時、それは被術者が消滅するのと殆ど同義だ。

「汚ねえ―――」

蓬莱寺の口から、自然とそんな言葉が漏れていた。

「最低だぜ、あの野郎―――」

「だがな、それが剣が陰龍に自ら与えた、自身を守らせるための手段の一つなんだ」

村雨の声は淡々としている。

「あの技は陰龍、つまり剣自ら選出した守人にしか使えねえ、そして御剣は五年前、あの野郎に心を許しちまった、それは剣自ら奴を自分の陰龍として認めたことに他ならねえ」

「なんでだよ、心を許したってんなら」

俺だって。

そう言おうとした事を見越してか、村雨は首を振った。

「ほかでもない、御剣自身があの野郎に執着してんだろう?」

それが、証拠だ。

言われて蓬莱寺は奥歯を噛み締める。

「術法だけ知っててもな、剣がそいつを自分の影だと認めてなきゃ、あの術は発動しねえんだ」

「ふざけやがって―――」

「まあ、てめえを守らせるための技に剣自体がかかることは無いと思ってたんだが、どうやら御剣自身にも原因があるみてえだな」

村雨は懐から符を引き抜いた。

「とりあえず野郎を追っ払わねえと、御剣は正気に戻らねえぞ」

「くそっ」

蓬莱寺も木刀を構えた。

二人の姿を交互に見交わし、壬生は余裕の篭った笑みを浮かべている。

その背後で、光はまだ虚ろに宙を眺めていた。

「作戦会議は済んだのかな?」

背の高い影がジリジリと攻撃へ姿勢を転じ始める。

「さあ、僕から光を取り戻したいなら、全力でかかってきなよ」

もっとも。

壬生は笑う。

「お前たちにそれが出来れば、の話だけれどね」

「ふざけんな、壬生ぅ!」

怒号を上げて蓬莱寺が足元の砂を蹴った。

 

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