差し込む日差しの中、ぼんやり瞳を見開いて、宙を見詰めた。

壬生の襲来から日々は虚ろに過ぎていっている。

いつもなら朝は早いほうの光は、首をめぐらせて時刻を確認した。

そろそろ仕度を始めなければ遅刻してしまう頃合だ。

起き上がろうとして、重い四肢に顔をしかめる。

―――気が、澱んでいる。

彼を形作る流れのあちこちが、何かに堰き止められている。

思うようにバランスが取れなくて、立ち上がる際、よろけて床に座り込んでしまった。

六門封神は、これほどまで身体に影響を及ぼすようになってしまった。

残る門は二つ。

全て封じられた時、世界は暗黒と混沌に包まれるだろう。

龍が地上に使わした、ただ一振りの力持つ剣。

その心が病んでいては、秩序など望めるはずも無い。

これは俺が招いた破滅だ。

光は俯く。

せっかく新天地に踏み出したというのに、ここはあの屋敷と何も変わらないじゃないか。

幾重にも重ねた結界で雛を守り、育む、龍の巣駕籠と何が違う。

役目を果たすためにこの地を訪れ、それから俺に何ができた、何をしてきた?

重苦しい沈黙ばかりが部屋にわだかまっているようだった。

見上げても、差し込む朝の陽さえ暗く見えるようで、視線を背ける。

「こんなことじゃ、いけないよな」

言葉はどこか虚ろに響いた。

ハハハと笑う乾いた声だけ、心を壊していくようだった。

 

「ねえ、ちょっとそこ!紐解けてるよ、中丸見えじゃないっ」

「あ、ゴメンゴメン」

「おい、化粧用具って誰が持ってきてるんだ」

「女子じゃねえの、確かあいつが」

「あーもう、なんか緊張しちゃうよ、どうしよ、お客さんとか全然来なかったら」

「まさか、ありえないよ!」

「お釣銭がぁー」

「おい、ヒメッ」

紙袋を手にした蓬莱寺が教室の出入り口で呼んでいる。

今日の室内はいつもと様子が違い、あちこちを衝立や机で仕切って暗幕を垂らして、さながら即興の闇の迷宮のように作りかえられてあった。

女生徒から紙袋を受け取った光は、声に応えてそちらへ行く。

「さっさと着替えちまおうぜ、開店までもう二十分くらいしかねえ」

「ああ」

「そういやお前、何だっけ?」

「バンシー、とか、聞いた」

「ばんしー?」

「何でも海外の葬式のときに現れる幽霊で、大声で泣いたりするらしい」

「それのどこが怖いんだ」

「さあ?」

そういえば京一は?と聞かれて、蓬莱寺は見てのお楽しみだとニヤリと微笑んだ。

本日、真神学園高等学校は文化祭の開催日だ。

高校生活の大きなイベントの一つでもあり、外部からも大量の訪問者が見込めるとあって、生徒達は一様に頬を高潮させながらはしゃぎまわっている。

一クラスひとつずつのほかに、部活ごとにも一つか、二つずつ、出し物の準備は一ヶ月近くも前から始まっていて、今年はマニアックな案にも出店許可が下りたから、学園内は例を見ないほどの熱気に包まれていた。

偏に、今年の生徒会役員である美里達の努力の賜物なのだが、縁の下の力持ちは自己主張などせずに、一線引いた立場から総合的な監督のみをおこなっている。

光や蓬莱寺の所属する3-Cはお化け屋敷を出店する。

大道具役とお化け役にクラスメイトを割り振って、連日放課後の予定を潰しての準備作業は実に効率よく進んでいった。

くじ引きの結果、大道具役が割り振られていた光は裏方に徹するはずだったけれど、結果に異議を申し立てたクラスメイト及びファンクラブの面々の多くの声によって結局お化け役も兼任することとなってしまった。

見かねた蓬莱寺も大道具の作業を手伝ったから、実質二人は人の二倍以上働いた計算になる。

「割にあわねえよ、売り上げよかったら、いくらか上前撥ねさせてもらわねえと」

「そんなことできるわけないだろう、材料費やその他諸々引いて、残った分は学校の維持費に回されるんだから」

「ハア、何で学生から金巻き上げるようなことするかね、このボロ学校は、俺達の労働報酬をなんだと思ってやがるんだ」

「報酬ならちゃんと貰ってるだろ、楽しい時間が、その報酬だよ」

廊下を進み、全校男子生徒用の着替え室に指定された教室内に入ると、すでに多くの生徒が衣装を身に纏っていた。

壮観だなとぐるりを見回した蓬莱寺が不意に顔をしかめた。

「どうした京一」

「野郎のウェイトレス姿ほど、見るに耐えないものはねえな」

「あっちは着物だ、それに、こっちは女子の制服だな」

「彼女のか?うらやましいねえ」

「その考え方もどうかと思うけど」

軽口を叩きながら適当な場所を確保する。

着替え始めて、ちらりと窺った光の姿に、蓬莱寺の頬がわずかに染まった。

さすが古武術の操り手だけあって、全体的に無駄なく引き締まった体をしている。

けれど、筋肉質というわけでなく、むしろ華奢でバネが鍛えられているようなイメージだ。

色の白い肌はますます透明感を増していて、それが元来の美貌を一際引き立たせ、一見すると性別を判じかねる。

ゴクリと喉がなって、蓬莱寺は慌てて他所に視線を向けた。

その直後、同じように光を見ていたらしい幾つもの視線に気付いて、ムッと表情を曇らせる。

「おい、光、壁際行くぞ」

「え、何で」

「いいからっ」

強引に腕を引っ張って、着替え途中の光を壁に押し付けると、その姿を隠すようにして観衆の前に立ちはだかった。

あちこちから敵意ある眼差しや舌打ちなどが聞こえてきたが、そんなものは勝手にやっていればいい。

鈍い光は、やはり気付いていないようだけれど。

「何なんだよ京一」

「気にすんな、いいから早く着替えろ」

「お前、なんか変だぞ」

蓬莱寺はわずかに苦笑した。

「そんなことより急がねえと、女どもにどやされっぞ」

「ん、ああ」

おとなしく着替えを始める姿を確認して、蓬莱寺の瞳にふと暗い影がよぎる。

(光―――)

視線を落とした掌を、閉じたり握ったりしてみた。

今、腕を捕らえて歩いた間のわずかな感触。

こうして触れてみると痛感させられる。

あの日、壬生紅葉の手によって四門目が封じられてしまってから、光は日に日に衰えているようだった。

忌まわしい力はこんなにもはっきりとその効力を見せ付け始めている。

今の光は多分本来の半分の力も出せなくなっているだろう。

転校してきてからずっと傍で戦ってきたから、状態の変化は誰よりよく分かるつもりだ。

四月に出会った頃、黄金の輝きを纏っていた少年に、今はその面影すら見つけられない。

内に潜む最強の力は封じられ、その心は闇をさまよっているようだった。

それは、全て、壬生のせいだ。

蓬莱寺はイライラと眉間を寄せる。

割り切れてしまえば楽だったのに、村雨は光にも原因があると言っていた。

―――気付いていなかったわけじゃない。

ただ、事実を認めたくなくて、必死に責任転嫁を図ろうとしていただけだ。

蓬莱寺はマントのリボンを結ぶフリをして、再びこっそりと光の様子を伺った。

お前は今、この瞬間にも、あの男の事を考えているのか。

苦しくて胸が張り裂けそうになる。

けれど、その反面、絶対守ると誓ったあの夜のことが改めて甦ってくる様だった。

あの時俺は覚悟を決めた。

お前の望みが俺の望みだ、お前の幸福が、俺の幸福だ。

だから、俺はお前を守る。

何があっても、どんなことがあっても、必ずお前のために剣を振るう。

深刻になりかけた肩をポンポンと叩かれた。

「どうした京一、支度、終わったんだろう?」

「あ、ああ」

「俺も終わった、そろそろ行こう、女の子たちが心配するよ」

ニッコリと微笑まれて、蓬莱寺も笑顔を返していた。

鬱陶しい黒いマントをよけながら、ああと短く返事をする。

「行こうぜ、姫―――今日は、めいっぱい楽しもうな」

部屋の外からにぎやかな雰囲気が伝わっていた。

 

(続きへ)