ようやく休憩時間がやってきて、光は暗幕のすだれを抜けて外へ出た。

「よう、先生」

「やあ」

ドアの向かい側、廊下の窓の傍に村雨と如月がもたれて立っている。

隣には憮然とした表情の蓬莱寺もいた。光はわずかに目を丸くする。

「翡翠、それに、祇孔、どうしたんだ」

「どうもこうも、今日は文化祭だろ、遊びに来たのさ」

帽子の鍔をくいと持ち上げる村雨の隣で、如月がニッコリと微笑んだ。

「楽しんでいるようだね、なかなか、似合っているよ」

「あっテメ、俺が言おうと思ってた事を!」

光は苦笑する。

バンシーというものがなんなのか、よくわからないままに手渡された専用の衣装を取り出してみると、それは純白のシンプルなワンピースだった。

胸元が大きく開いていて、着ると鎖骨のあたりが丸見えになる。

袖は長くて、スカートの丈は膝下二十センチほど、全体的にふんわりとしたデザインだが、ウエストと上腕部だけダーツが入ってきゅっと引き締まっている。

光は一瞬唖然として、それでも仕方なくそれを着たのだった。西洋のお化けという話だったし、こんなものもあるのかなとその時はあまり疑問を持たなかった。

けれど、直後から、彼は普段以上に注目を集めることになってしまった。

本人の自覚は薄いけれど、元々綺麗な面立ちの少年だ。どちらかといえば女顔だし、色も白く、全身に無駄が無い。加えて姿勢も非常によろしい。

いまいち知名度の低いバンシーなどという妖怪を配役したことも、実は彼に女装をさせる口実に過ぎない。

クラスメイトは自らの楽しみと利益を同時に叶える方法を、本人には内緒で実行したのだった。

結果は予想以上で、口コミで広がった客寄せパンダ目当ての人々が3-Cの前に長蛇の列を成し、彼らは美少年に女装の組み合わせは最終兵器となりうる事を知った。

もくろみに気付いた蓬莱寺は以降ずっと複雑な表情でへそを曲げていて、美里は苦笑しつつ彼にあまり無茶をさせないようにと釘を刺すことを忘れなかった。

二人も同じく演技担当で、蓬莱寺はドラキュラ伯爵を、美里はオーソドックスな幽霊を演じている。

現在3-Cのお化け屋敷は校内でトップの売り上げを誇っていて、会計係もホクホクとしている。

このぶんでいけば、かなりの利益が見込めるだろう。

けれど、今、廊下には殆ど人の姿が見えない。

実はついさっきまで、これから休憩に入るとうわさを聞きつけたにわかバンシーマニア達が出待ちのためにひしめき合っていたのだけれど、様子を見に来た村雨が片っ端から追い払ってまわったのだった。

光が見世物にされている状況に腹を立てていた蓬莱寺も手を貸した事は言うまでも無い。

如月だけが我関せずの姿勢で様子を見守っていた。

あらかた人がいなくなった頃合を見計らって、同じように気を利かせたクラスメイトがようやく光に休憩を告げたのだった。

あれだけの客入りだったにもかかわらず、殆ど誰もいない廊下を見回して、当事者だけが不思議そうに首を傾げていたのだけれど。

センセェ、と村雨が無遠慮に肩を抱き寄せる。

「しっかしなんだな、あんた絶対産まれてくる性別を間違えたぜ」

「何いってんだ気味悪い、男だろうが女だろうが、姫は姫じゃねえか」

「お前こそ気味悪いぜ、蓬莱寺、じゃ何か?お前はあれか、両刀なのか?」

「バッ」

顔を赤くして怒りかける蓬莱寺を、光がまあまあとなだめた。

彼が両刀という言葉の意味を知らないだろうと、如月だけが感づいて苦笑をもらす。

「その様子では大事無いようだな」

「あん?」

「蓬莱寺君も、ちゃんと役目を果たしているようだし」

ドラキュラ男はにわかに佇まいを直した。

「―――ったりめえだろ」

「そうか」

わずかに表情を曇らせた光の頭を、村雨がグシャグシャとかき混ぜる。

「そんな顔するもんじゃねえよ、大体、悪いと思ってんなら、どうしてあのバカを忘れようとしねえんだ」

「村雨!」

「フン、俺はなあ、細かい気なんて使えねえ人種なんだ、だからはっきり言わせて貰うぜ、俺たちが苦労してんのは全部あんたが原因だ」

赤い唇がきゅっと噛み締められていた。

いまの格好とあわせて、その姿はまるで少女のようだ。儚く、繊細で、頼りない。

「だからこそあんたはそれをちゃんと自覚して、その上でどうするか考えるべきだ、落ち込んだり卑屈になってる場合じゃねえだろ」

如月が真剣な眼差しを向けている。

蓬莱寺も、もう何も言おうとしなかった。

とにかく時間が無い。

村雨の言うとおり、どうすることも出来ない問題なら、それを踏まえたうえで今後の対策を早急に練らなければならない。

「野郎のことが忘れられないなら」

蓬莱寺がマントの下でグッと手を握り締める。

「何とかして、正気に戻して役目を思い出させるしかねえ」

「考えはあるのか?」

「あったらやってる、だが、この間の野郎の様子、あながち不可能って訳でもなさそうだったからな」

「えっ」

驚いたように顔を上げる光を、覗きこんで村雨がニッと笑った。

「何をどうしたら、ってのはまだ何も思いついちゃいねえが、少なくともアイツはそろそろ限界みたいだったぜ」

「何、が」

目の前に指が突き出される。

「あんたを、傷つけることだよ」

ゴクン、と喉がなった。

四月に再会して以来、壬生は何のためらいも迷いも無く封印を施し続けてきた。

それなのに、村雨の言うような心境の変化が果たして現実に起こりうるのだろうか。

―――光は、そうであって欲しいと願わずにいられない。

誰よりも自分の身を案じ、慈しんでくれたあの頃のように。

いまだ募り続ける想いの色が褪せていないと信じたい。信じている。

光、と如月が呼んだ。

「とにかく、僕達も対策を練る、村雨の言うことが事実であれ、奴が未だに君を狙っていることには変わりないんだ、それならば僕らは守人としての役目を果たさなければならない」

「ああ」

蓬莱寺も頷き返していた。

「野郎にはもう二度とバカな真似はさせねえ、あれで最後だ」

最後、という言葉がやけに響くようだった。

そうであって欲しい、けれど、どんな形であれ、俺はまた壬生に会いたいと思っている。

(皆がこんなにも俺の事を考えてくれているのに、俺は)

息苦しくて俯くと、今度は村雨も何も言わなかった。

学園祭の校内は活気付いているというのに、自分達の周りだけ空気が重く凍り付いているようだった。

「とにかく君も用心してくれ、光、何かあったら必ず連絡を」

「―――ああ」

「心配すんな、俺らもそれなりに使えるところちゃんと見せてやるからよ」

「どうだかな、お前は怪しいもんだぜ、村雨」

「ハッ、どこぞのヘボ剣士よりは役に立つ自信はあるぜ」

「んだとてめえ!やんのかコラァ」

やれやれと嘆息する如月を見て、光もつい微笑を浮かべる。

「そんなことより先生、あんた、やっと休憩なんだろ、飯は食ったのか」

「話を逸らすな!」

「うるっせえバカ、てめえより御剣の昼飯の方が重要だ」

蓬莱寺はグッと言葉に詰まる。

「なあセンセ、もしまだだってんなら一緒に食いに行こうぜ、それとも何か買ってきて欲しいかい?」

「あ、いや、俺は弁当作ってきたから」

「弁当!」

村雨と如月は顔を見合わせる。嫌な予感がして、蓬莱寺は顔をしかめた。

「なあ、そりゃあんたの手作りだよな」

「そうだけど」

「もしよかったら―――その、少し味見させてはもらえないだろうか」

「えっ」

「てめえら人の飯にたかってんじゃねえよ!それはなあっ」

「いいよ」

あっさり光が許してしまって、男前は大仰にずっこけていた。

怪訝そうに様子を伺う如月と、村雨はまだ光を抱いたままで楽しげに声を上げて笑う。

「残念だったな蓬莱寺」

調書を読んでいると言っていた、村雨は多分あの事を知っているのだろう。

悔しそうにする蓬莱寺にニヤニヤと笑いかけながら、弁当は今日も重箱なのかいなどと白々しく聞いている。

「いや、今日は俺一人だけだから、あんまり沢山作ってきてない」

「そりゃ残念だ」

「前もって言っておいてくれたら、二人分多く作ってきたのに」

「姫、俺のは?」

「お前も要ったのか、ゴメン、こんな日だし、食事は別になると思ったんだ」

そんなあとぼやいて今度こそ撃沈する蓬莱寺を尻目に、じゃあ何か変わりになりそうなものを買ってこようかと如月が気遣った。

「いや、いいよ」

光はわずかに弱々しく笑う。

「実は俺、この頃あんまり食欲無いんだ、だから、気にしなくても構わない」

三人が顔を見合わせるので、光は困ったように顔を曇らせた。

「その、大した理由なんてないんだ、だから心配しなくていいよ、悪い」

言いつつ、それが真実でないと誰より自身が一番よく知っている。

この頃は眠っても疲れが取れないし、食事を取るのがひどく億劫だ。

体中に倦怠感がまとわり付いていて、解けないそれを周囲に感づかれないように振舞おうとすると益々疲労が募っていく。

再び淀みかけた空気を振り払うようにして、村雨の手が肩を数回叩いた。

「んじゃま、お言葉に甘えることにすっか、なあセンセ、酒蒸はあるか?俺はあれが好きで」

「バカ、そんなもん弁当に入れてくるかよ」

蓬莱寺が毒づく。

結局同じ階で出店している喫茶店で昼食をとることになって、弁当を取ってきた光を囲むようにして四人は歩き出した。

彼らが集結するととても目立つようで、まだあきらめ切れないマニアたちが物陰からシャッターを切るたびに村雨と蓬莱寺は怖い視線を向けてまわっている。

光は苦笑しつつ、如月にそっと耳打ちをした。

「やっぱり目立つみたいだな、コレ」

如月は仕方ないよとクスリと笑う。

多分光は自分の格好の事を言っているのだろうけど、如月はそれに対して答えたわけではなかった。

大げさなほど牽制している二人の様子を伺いつつ、剣とは罪作りなものだなと改めて実感していた。

辺りはまるでかりそめの和やかさに目くらましをかけられているかのようだった。

 

(続きへ)