「扉が開く」
薄闇の中、底深い男の声が響く。
「あらゆる時間、あらゆる次元、あらゆる時代を貫く、大いなる力の扉が開く」
椅子に腰掛ける足元には、影が身をゆだねていた。
長い髪がスルスルと床の上で動く。
影はまるで従順な僕のように、静かに男に寄り添っていた。
「刻は、近い」
闇の中で姿は二つしかないのに、多くの気配がうごめいていた。
それは怨嗟、呪詛、慟哭、狂乱―――あらゆる負の感情が彼らを取り巻いている。
「来るべき日のため、準備をしなくてはならぬ」
「はい」
「首尾は如何様か」
「ぬかりなく、護手は堕ち、器は後僅かで砕けます」
フフ、と声が笑った。
「人の心の、何と脆き事よ、何と浅はかなことよ」
愚かしきは、人也。
脆弱にして限りある、生という名の檻に捕らわれた哀れな存在。
「統治し、救ってやる神が必要であろう」
神は我だ。
男は言う。
「我は、人の世を救いたまう、神なるぞ―――」
蓬莱寺はベッドサイドの簡易椅子に腰掛けたまま、もう随分微動だにせず光の顔を見つめ続けていた。
あれからすでに三日。
美里は文化祭の後処理をしなくてはならず、如月も用があるとかで店に戻ってしまった。
村雨は、誰かに呼び出されたとかで、やはりここにはいなかった。
白壁に囲まれた個人病室の清潔なベッドの中で、光は昏々と眠り続けている。
時折体のあちこちが淡く金色の光を帯びるので、恐ろしくて両手で押さえると、輝きはすうと静まるように消えていった。
朋恵も千葉の邸宅に一度戻ったらしい。
二人きり、脈拍を測るためだけに取り付けられた計器の音がやけに耳に障るようだ。
「光」
そっと手で触れる。
滑らかな感触は彼のもの。けれど、体温は殆ど感じられない。
まるで氷の彫像が眠っているようだった。
恐ろしくて叫びだしてしまいそうになるのを必死に堪えながら、シーツの端から差し込んだ指先を光のものと絡め合わせる。
今更、何故俺でなかったのかと悔やむ気持ちも無いけれど、それでも彼の想いがまるで自分の事のように歯痒かった。
壬生は今頃何をしているのだろう。
こんな状態の光を見て、それでも尚、最後の封印を施そうとするのだろうか?
それを―――愛情と呼ぶ事は、できるのか。
「そんなの」
そんなもんじゃねえよ。
蓬莱寺は思う。
自分もまだ誰かを思うことや、思われることの本当の意味なんてよく分かっていない。
それでも壬生のしている事は絶対に違う。
愛情は空から降ってくる日の光みたいなもんだ。
綺麗で、暖かくて、際限なくて、ただ降り注ぐ。そこにあるもの全てを等しく照らしながら。
けれど、それも強すぎれば、大地を枯らすだろう。
激しすぎる愛情は何もかも焼き尽くしてしまう。
そうなれば、それはすでに「愛」ではなく、ただの暴力だろう。
今の壬生に愛は無い。
少なくとも俺にはそう見える。奴の中で渦巻いているのは、ただの嫉妬と独占欲だけだ。
「そんな野郎に、お前をやるわけにはいかねえ―――絶対に」
それが光の望みだとしても。
「お前が願うように、俺たちも願ってるんだ、お前を守る事を」
それが蓬莱寺の中に生まれた約束だった。
守人も、剣も、こいつの想いだってどうでもいい。
光が壬生への気持ちを貫こうとするなら、俺達が願いを貫いてはいけない道理は無い。
「俺は、お前を、守るからな」
改めて口に出して呟いて、決意がより一層強まるようだった。
僅かな電子音以外何も聞こえない部屋で、蓬莱寺はいつまでも光を見詰めていた。