「な―――ん、だって?」
途端、影生の顔から笑みが消えていた。
朋恵も蓬莱寺も、如月も村雨も、今確かに聞こえた一言に思わず耳を疑う。
ベッドの上で光を抱きしめたまま、壬生は微動だにしない。
ただ肩だけが小刻みに震えていて、両腕はようやく取り戻した温もりを二度と手放さないように、必死にすがり付いているかのようだった。
「紅葉?」
影生の声に、壬生の背中がピクリと揺れた。
そのままユルユルと振り返ると、泣きはらした赤い目を申し訳なさそうに眇めて見せる。
「依人―――」
「どうしたの紅葉、君は、御剣光を自分だけのものにしたかったんだろう?」
「すまない」
「何、言ってるんだよ、紅葉」
「僕には」
「紅葉!」
悲鳴のような声に、それでも壬生は悲しそうな顔をするだけだった。
「すまない、依人、契約は無しだ」
「紅葉?!」
「僕には光は殺せない、今更だけど、ようやくわかったんだ」
腕の中の姿をギュッと抱き寄せる。
今、ここにある温もりだけが全てだ。
御剣という名も、剣であることも、彼の宿命だって、僕にとっては愛すべきものだ。
それは全て、君に繋がっているのだから。
この身から失われていたのは光だけではなく、僕自身の想いすら、僕は忘れてしまっていた。
ここまで追い込まれてようやく気付くなんてと、浅はかな自分が呪わしい。
「光を傷つけるたび、本当に壊れていったのは僕自身の心だ、僕が、弱かったから、自分のことしか見えていなかったから」
だから随分傷つけたと、いまだ目覚めない彼の顔を覗き込む。
あの綺麗な、金色の瞳。
それを奪ったのは僕だ。
一番欲していたものを、僕は自ら壊してしまった。
「けれど、それでも、光はこんな僕をまだ愛しているといってくれたんだ」
受け止めようとしていてくれた。赦そうとしてくれていた。
裏切ったのは僕のほうだ。
あの頃の君を忘れていた。
いつだって掛け値なしの愛情で包んでくれていた君の事を。
「僕には、そんな光を壊してしまうことなんて、できない」
「何言ってるんだよ紅葉、お前は、そいつのせいで、ずっと苦しんでいたんだろう?あの時僕に言ってくれたじゃないか!」
―――僕の全部より大事な人がいなくなって、この胸にはぽっかり穴が開いているんだ。
―――そこからはまだ血が流れてとまらない。苦痛も、嘆きも、消えてはくれない。
「君は言ったじゃないか、僕に!寂しさを分かち合あってくれるかわりに、僕は君の願いを叶えてあげるって、そう約束したじゃないか!」
影生は半狂乱で金切り声を張り上げていた。
目を血走らせて口角から泡を飛ばす様子に、彼の下で朋恵が眉をひそめている。
「言ってくれたじゃないか、僕の傍にいてくれるって!」
「依人」
「友達になってくれるって、言ったじゃないか!僕を助けてくれるって、言ったじゃないか!」
「依人、すまない」
光の体を抱きしめて、壬生は辛そうにうな垂れる。
「すまない」
絶望に顔を歪ませて、だらりと肩を落とす様子がいたたまれなかった。
以前聞いた影生の事情が頭を掠めて、瞼を伏せる。
詫びることしかできない。
すでに、彼の望みを叶えることなどできなくなってしまった。
僕に光は殺せない。
闇の奥で、真っ暗に染まった影生の姿がぐらりと揺れた。
「ふ、フフ、フフフ」
そのままよろよろと立ち上がる。
片手に持っていた朋恵の薙刀を投げ捨てて、まるで夢遊病者のようにベッドに近づいてきた。
「紅葉」
ただならぬ気配を感じて、壬生は光を自身の影に庇う。
直後にぴたりと足を止めると、長い髪の間で影生の瞳が爛々と輝いていた。
「同じ人形なら、君も偽者より本物の方がいいのか」
「依人」
「僕よりも、そいつを選ぶのか、あの言葉は全部嘘だったのか」
「依人、謝ることしかできないが、それでも僕は」
「うるさい!」
闇が吼える。
朋恵も、蓬莱寺も、如月も、村雨も、はっと息を呑んでいた。
「―――うそつき」
片腕を前に突き出す。
「うそつき、うそつき、うそつきうそつきうそつきうそつき、うそつきいいい!」
掌から放たれた衝撃波をまともに食らって、壬生は光もろとも後方に吹き飛ばされていた。
攻撃があたる直前と、落下する手前、身を挺して庇ったおかげで光に怪我は無い。
何とか体制を整えつつ、壬生は横たえた光と影生の間に立ちはだかった。
「依人、もうやめてくれ、僕は」
「裏切り者め!」
絶叫と共に二発目の衝撃波が襲い掛かる。
「クアアアッ」
膨大な圧力に拮抗する、体のあちこちが裂けて、血が噴出していた。
黒いコートのシルエットが大きくぐらついた。
「依人ッ」
「よくも僕を裏切ったな、裏切ったな!お前も僕じゃないのか、どうして!」
三発目の衝撃波が直撃して、ついに壬生は膝を折ってしまう。
そこに、四発目の衝撃波が炸裂した。
「壬生!」
蓬莱寺は堪えきれず、今まで散々憎んだその名を叫んでいた。
満身創痍の体を、それでもまだ光を守るようにして、彼はその場にうずくまっている。
「壬生!壬生紅葉!畜生、こんな、もんでエエッ」
懇親の力を込めて戒めの力を振りほどこうとする四人を尻目に、影生は静かに壬生の正面に立った。
表情に色はなく、仄暗い双眸は無慈悲に淀み、僅かに強ばっている。
「紅葉」
声が無感動に名前を呼ぶ。
「僕の傍にいてくれないなんて、そんな君はもう要らない」
「より、と」
「さよなら」
向けられた掌の前で、闇が歪んだ。
―――これまでの罰を受ける時がきたんだ。
壬生はゆっくりと目を閉じた。
光、すまない、こんな結末しか選べなくて。
君を散々傷つけて、置いていく僕を、君はやっぱり赦してくれるのだろうか。
何故かまた涙がこぼれてくるようだった。
それは、多分僕ではなく、君のもの。
君の守人であり続ける事ができなくて、本当にすまない。
最後にもう一度、あの金の瞳を見る事が叶わなかったのだけが、心残りだった。
「光」
まるで祈りのように囁く。
直後―――壬生の背後で、気の爆発が起こっていた。
「なっ?!」
暗闇が一瞬で黄金色に塗りつぶされ、直後に仰け反った影生の体は後方まで吹き飛ばされていた。
それとほぼ同時に、朋恵達を捕らえていた闇がボロボロと崩れ落ちる。
唖然としていた壬生は、振り返って、更にその目を大きく見開いていた。
「光―――」
そこに、金の光を纏った光が、すっくと立ち上がっていた。