「キミ!」

呼ばれて、壬生はビクリと肩を震わせて、そろそろと顔を上げた。

気付けば周囲は多くの人の気配でざわついている。

「怪我人を、こっちへ」

呼びかけてきたのは女で、白衣を着ていた。ここは病院だ。

(なら、医者か)

一瞬ためらったけれど、結局は言われるままに光を抱き上げて、ストレッチャーの上に乗せた。

誰の手も借りなかった。

「急いで緊急治療室へ」

すぐに数人の看護婦に囲まれて搬送される後から、壬生もそのままついていこうとした。

「お待ちなさい!」

鋭い呼び声。

振り返ると、満身創痍の朋恵が、ふらつきながら真っ直ぐこちらを見ていた。

「朋恵さん」

壬生が呟いた瞬間。

(パアンッ)

―――派手な音が廊下に響いて、壬生は一瞬自分が頬を貼られたのだとわからなかった。

病室の奥から、蓬莱寺と如月が様子を伺っている。

村雨はまだ目を閉じたままグッタリと俯いていた。

「貴方を」

強ばった表情と、声。

「私は、まだ貴方を許していません」

朋恵はきつく壬生を睨み続けている。

「あなたの所業の数々を、私は決して許しません」

ですが。

壬生は半ば覚悟を決めながら、それでも朋恵を見詰めていた。

彼女には、きっと憎まれているだろうとわかっていた。

光のためなら、どんな罰でも、いくらでも受けよう。準備は出来ている。

「私は、お兄様の想いを否定するつもりはありません」

朋恵の表情が急に幼さを帯びる。

ただ、兄を傷つけられた妹として、親族としての真摯な怒りと憎悪。

想いが十分すぎるほど伝わってきたから、壬生は僅かに瞳を伏せる。

僕はどれ程の間違いを犯してしまったのか。

いくら彼女が事の発端だったとはいえ、責めるのはお門違いではなかったのか。

全ては御剣の剣が背負う宿星のため。

けれど、それすらも光個人を傷つける理由にはなり得なかった。

(僕は、僕自身の弱さを、全て光に押し付けていたのか)

情けなくて、自分が憎くてたまらない。

僕も、光も、五年前から何も変わってはいなかった。

ただ、光がいつでも全部受け止めてくれたから、甘えきってゆだねていただけなんだ。

愛も、激情も、弱さや苦しみ、怒りさえも、全て。

ぶつけて独りよがりをしていた。

何もかも手の内に取り込んでしまうつもりでいた。

光の命すらも―――

けれど、今なら、いや、今更、だが、はっきりとわかる。

最後の最後になって、ようやく理解した。

暗闇の中、身を守る術すらなく、ベッドの上に横たわっていた光の姿を見て。

この瞬間に何もかも失われてしまいそうな、その時になって、やっと。

 

(僕は、光を愛している)

 

それ以上でも以下でもなく、ただ、一言に尽くされる想い。

与えるものでも、ましてや奪うものでもない、それは常に途切れることなく注がれていた。

光が与え続けてくれた。

深い想いで、真摯な心で、いつも、いつでも、何度でも。

奪うだけ奪って、貪って、僕はどれ程の仕打ちをしてしまったのか。

壬生は俯く。

今、何ができるというのだろう。

ようやく気づいたときには、すでに光は凶刃に倒れてしまった。

今も制服に残る、真っ黒く染まった大量の血痕。

命の名残に、恐ろしくて震えが止まらない。

光が死んでしまったら、僕はどうすればいい?どうやって生きていけばいいんだ。

「壬生紅葉」

再び顔を上げる。

凛とした姿に、足がすくんだ。

「私は、守姫として、貴方が再び御剣の守護につく事を認めましょう」

―――壬生はゆっくりと瞠目していく。

「貴方は、今この時より、再び剣の守人の一人です」

視界がぶれて、俄かに言われた言葉の意味が理解できなかった。

では僕はまた光の傍にいることができるのか?

彼を守ることができるのか?

貴女はそれを、許してくれるというのか。

「お前の罪は、決して消えません、傷つけた過去も、失くすことはできない」

両肩がビクリと震える。

「ですが」

光とよく似た顔、同じ気配、剣を守護する守姫は、揺るがない眼差しでじっと壬生を見据えている。

「未来は、まだ誰のものでもない」

「朋恵、さん」

「貴方がもし、その意思をお持ちならば―――ここから再び、兄のために生きると誓いなさい」

彼女の瞳も淡い金色をしていることに初めて気が付いた。

兄よりずっと控えめな輝きだけれど、それは間違いなく、御剣の姫の証。黄金の龍の瞳。

「兄のために生きる、その自分自身のために、最善と尽くすと誓いなさい」

それが、龍に選ばれた守人の定めです。

壬生はグッと掌を握り締める。

「僕は」

話す傍から、声すら震えてしまいそうだった。

今更、なんて、まだ僕は甘えようとしていた。

そんなわけにはいかない。

今、何ができるのか、どれ程の役に立てるのか、この命を投げ出してでも探さなくては。

「叶うのならば、許されるのならば、どうか」

それ以上は言葉にならなくて、壬生は再び頭を垂れた。

ただし、今度は礼をするために。

想いの丈全てつぎ込んで、朋恵に心の底から謝罪した。傷つけてしまった、彼女の兄に対して。

「面を上げなさい」

その声と、ストレッチャーが運ばれていった方角から足音が駆けて来たのは殆ど同じくらいだった。

「朋恵ちゃーん!」

振り返ればピンクのナース服を着た看護婦が息を切らしてこちらに向かってくる。

「あ、あのねッ、院ちょーせんせが、と、朋恵ちゃんに早く来て欲しいって」

「兄に、何か」

言いかけてハッと朋恵は息を呑む。

「壬生!」

厳しい顔で振り返って、壬生は腕を掴まれた。

「守人として、務めを果たしなさい、あなたも付いてくるのです!」

「と、朋恵ちゃん、その人は?」

「兄の関係者です、早く案内を!」

看護婦は一瞬ためらって、小さく頷き返すと、そのまま踵を返して再び駆け出した。

元来た方角へ、今度は朋恵と壬生も連れ立って走る。

「朋恵さん」

ただならぬ気配に尋ねようとして、直後に壬生は瞳を見開いていた。

―――まさか。

「鍵を開くのです」

思惑に気づいたように、朋恵が言う。

「貴方の閉じた門の鍵を、開きなさい」

唇を固く結んで、壬生は頷いた。

 

(続きへ)