「バイタル、数値低下」

「出血がひどい、もっと輸血を」

「脈拍乱れています、呼吸器系統にも異常、先生ッ」

処置室の扉が開いて、看護婦は術着を着た壬生と朋恵を伴って入室する。

「いんちょーせんせェ」

途端、巨漢の院長が振り返って、おお来たかと厳しい表情のまま言った。

「呼ばれた理由は、もうわかっているね?」

朋恵は静かに頷く。

壬生は、手術台の上に横たわっている光の姿に釘付けになっていた。

口元に酸素マスクを被せられ、すでにこの世のものでないほど、全身に翳りがさしている。

何度も浮かびかける恐ろしい考えを、汗ばむ掌を握り締めて必死に振り払っていた。

「ん?」

院長は壬生を見て、わずかに間を置いてから、壬生と朋恵と、二人を引率してきたナース以外全員にいったん処置室を出て行くように指示した。

困惑しながら最後の一人が処置室のドアを抜けて、扉が閉まった事を確認してから、再び朋恵に向き直る。

「さて、この子には何か術がかけられているようだ」

「はい」

何故それをただの民間病院の院長が見抜けたのだろう。

壬生は、術着で苦しげなその女性をまじまじと見詰めた。

「気の流れをいくつかのポイントでせき止める、性質の悪い術だ、わたしは生憎と解呪の技能を持たなくてね」

「残念ですが、私にも、今お兄様にかけられている呪を解く力はありません」

朋恵が僅かに瞳を伏せる。

「ですが」

振り返って、壬生を見上げた。

釣られるように院長も視線を向けてくる。

「この者が唯一、解呪の法を持ち合わせています」

「あんた、できるのかい?」

壬生はしっかりと頷き返す。

六門封神は、龍が選んだ守人にしか、かける事も、解く事も出来ない。

鼓動が激しく鳴っていた。

二人が避けた先、横たわる光の傍へ近づいていく。

見下ろすと、胸が裂けてしまいそうなほど痛んだ。

光。

すまない。

今、開放するから―――

 

「我が封ぜし、五つ星、宿りしこの身より彼の元へ返れ、星は天に、生は地に、血は血を廻り、天へと返れ、廻り廻って二つを繋げ」

 

酸素吸入器を外して、ギュッと眉を寄せる。

「すまない、光、これで本当に最後だから―――」

口腔内で舌を噛んで、血を流した。

そのまま口付けて、光の喉に自分の血を注ぎ込む。

そうして、今度は探り当てた光の舌をほんの少しだけ噛んで裂いた。

滲み出す暖かさを飲み込んで、深い口づけをゆっくりと解く。

「―――随分情熱的な解呪方法だね」

背後で、揶揄するように院長が呟いた直後、光の全身がふわりと金色の光を帯びた。

「これは」

周囲の計器が異常な数値を刻み始める。

それは、命の萌動。魂の咆哮。

万物をつかさどる龍の力が、今確かに彼の体内に戻り、隅々まで満ちていく。

傍で見詰めながら、壬生は僅かに胸を撫で下ろしていた。

呪は、これで、全て消え去った。

今まで彼を縛り続けていた自身の想い、制御しきれないほどの激しい憎愛、衝動。

その全部が一緒に溶けて無くなっていく。

「光」

今、この胸に残っているものは、純然たる君への愛だけだ。

酸素吸入器を戻して、壬生は囁いた。

「お願いだ、生きてくれ」

光がユルユルと消えていく。

一瞬異常な数値を記録した計器の類も、すでに元に戻っていた。

頃合を見計らったらしい院長が、外に出ていたスタッフ達を呼び戻して来いと看護婦に指示した。

「今からはあたし達の仕事だ、あんた達は外で待っていなさい」

「はい」

朋恵が壬生を呼んだ。

去り際、一度だけ髪に触れて、壬生はフッと表情を曇らせる。

「心配しなくてもいい」

院長がふてぶてしい笑みを浮かべていた。

「あたしが、可愛い男の子を死なせたりするもんかね、信用おし、これでも腕だけは確かだよ」

「お願い、します」

「ああ」

そのまま部屋を出て行く。

処置室の外で、さっきの看護婦の指示に従って術着を返して、治療室の外の廊下から出てきた扉を振り返って見詰めた。

上部に設置されていた処置中の文字が点灯した。

「壬生」

隣で、朋恵は懸命に気を張って立ってはいるが、もう限界のようだった。

華奢な足元が何度もふらつくので、僅かにためらって、そっと手を差し伸ばす。

「要らぬ世話です」

直後に跳ね除けて、それよりもと壬生を見上げた。

意志の篭った、強い綺麗な瞳だった。

「貴方に渡しておかねばならぬものがあります」

「―――何ですか」

これを、の声と共に、鈴の音が聞こえる。

差し出した朋恵の掌が淡く輝いて、表面からスッと何かが抜け出てくる。

それは、一振りの太刀だった。

「これは」

青い鞘に納まった太刀を、朋恵は両手の上に乗せて恭しく差し出した。

「御剣の四神の宝物、その最後の一振り、竜牙刀です」

「竜牙刀」

呆然とする壬生に、受け取りなさいと朋恵は守姫の声で命じた。

そろそろと手を伸ばして掴むと、太刀は驚くほどすんなり手に馴染んだ。

「代々、御剣を守護するものに手渡される四神の名を冠した四振りの刀、その全ての持ち主がこれで定まりました」

「朋恵さん」

壬生は、受け取った太刀を困惑気味に見詰めている。

「何ですか」

これは、身に余るものでは無いのだろうか。

「僕が、本当にこれを受け取っても、構わないのですか?」

これだけの背反行為を働いて、それでもまだ、僕にその価値があると認めてもらっても構わないのか。

朋恵はじっと壬生の瞳の奥を見ていた。

「壬生」

「はい」

「先ほど、貴方が叶うならと言った、あの言葉は偽りなのですか?」

壬生は大きく目を見開いて、直後に強く首を左右に振る。

「僕は、全ての可能性を懸けて、光と共に生きます」

言葉に偽りも迷いもない。

さっき術を解いたとき、もう一度胸の中で誓いを立てた。

僕は光を守る。

これから、未来永劫、この魂が消滅したとしても、ずっと。

「ならば、その剣は貴方のものです」

朋恵は微笑むでもなく、諭すでもなく、ただ淡々とそう答えた。

「貴方の想いに偽りありと思えば、剣は自ら我が手元に戻るでしょう、貴方が気に病む必要はありません」

そうですかと呟いて、もう一度手の中の太刀を見つめる。

祭儀用かと思われるほど美麗な装飾を施された、御剣の宝。

剣を助けるための神具の一振りだ。

御剣という家自体が剣を育むための鞘なのだから、そこに伝わるものは、全て剣のためのもの。

その一つが僕の手に預けられた。

(僕は、もう二度と光を傷つけないし、傷つけさせない)

何度でも誓おう。

再び扉に目を戻すと、朋恵に、一度病室に戻ると告げられた。

「他の守人に詳しい状況を説明してきます」

「わかりました」

去り際、壬生、ともう一度だけ呼ばれる。

振り返った壬生に、朋恵は小さく頭を下げていた。

「―――兄を、頼みます」

すぐに踵を返して去っていく。

彼女の華奢な背中を見送りながら、壬生は―――そのまま、身じろぐことすらできず、立ち尽くしていた。

 

(続きへ)