光は東京での仮住まいの家に戻っていた。
あの惨事の後であったから、一時的に千葉の自宅へ帰るような話もでていたけれど、光自身がそれを拒んだため、こちらの住まいで暫し休養という事に落ち着いたのだった。
入院中の荷物を運んでくれた壬生は、そのまま泊り込んで連日忙しそうにしていた。
拳武館内での事後処理と、これまで自分がしてきたことの尻拭いだと、身体を気遣った光に微笑んでくれた。
彼は、過去を責めているようだった。
他の皆にも、こちらへ戻った事は知らせておいた。
如月は少し落ち着いてから顔を見せると言っていた。
村雨は、彼の方も何か慌しくなっているようで、暫らくはこちらへ来れそうもないと申し訳なさそうにしていた。
「けど、あんたに何かありゃ、飛んでくぜ、いつでも連絡をくれ、俺も一応守人って奴になっちまったし、それなら主人の命が一番だろう?」
光が、俺は主人じゃないと言うと、彼は「なら、ダチだ、ダチのピンチにゃ必ず駆けつけるぜ」と、電話口で笑っていた。
誰かの言葉みたいだ。
―――蓬莱寺は、一度だけ顔を見せにきてくれた。
けれど、上がりもせず、玄関先で少し話しただけで、すぐに帰ってしまった。
その時の様子を思い出すたび、辛く思う。
今までのこと、京都の夜、彼はそれ以来何も言わないけれど、いつも優しく見守っていてくれた事を知っている。
蓬莱寺はきっと、俺に気を使ってくれているんだろう。
そんな柄でもないくせに、誰よりも情の深い心の持ち主であるから、きっと何も言わずに我慢する。
想いがわかるからこそ、尚更、無理など言えない。
本当はもっと話したかったし、蓬莱寺と一緒に居たかったけれど、光にはそれができなかった。
比良坂はまだ暫らく桜ヶ丘で養生するらしい。
美里は生徒会の仕事で忙しくしているそうだ。卒業も近いから、早く登校してきてねと、心配そうにしていた。
皆の想いが嬉しく、また辛く感じる。
その全てに俺は応える事ができるのだろうか。
力は、この身に戻った。
けれど心は?想いは、定めを貫けるのか?
(全てが終わったら、俺は―――)
「光」
ぼんやり窓の外を見ていた光は、ふと振り返った。
玄関で靴を履く壬生の姿が見えた。
「少し出てくる、結界を張っていくから、外に出ないでくれ」
「わかった」
「30分ほどで戻る、じゃあ」
そのまま扉の閉まる音がして、彼は出て行ってしまった。
じっとドアを見詰めながら、光はコートの背中に思いを馳せていた。
きちんとした身なりをしていたから、多分拳武か御剣の人間と会うのだろう。
死の直前、正気に戻った副館長が柳生の名を告げたことにより、今回の裏切り行為は契約条項に違反するとみなされ、依頼は取り消しになり、壬生に下されていた任も解除された。
彼は今、館長勅命の任務―――光の警護に専任している。
その話をしてくれたとき、一緒に、これまでの詳細も少しだけ話してくれた。
柳生は拳武館に光の殺害を依頼していたわけでは無いらしい。
ただ、こちらの指示通り、彼を害して欲しい、手段は問わないし、まかり間違って殺害したとしても、詳細や責任は問わない。
報酬は任務を完遂したと思われた地点で、その都度言い値を払う。
かなり曖昧な判定基準で、しかも大金が舞い込んでくる、いわば美味しい仕事というものだった。
「だからこそ副館長はこの仕事を引き受けたんだろうな、そして、僕も」
それが目的の成就と合致すると信じて、やはり依頼を引き受けた。
最後は硬い表情で黙り込んでしまった、彼に、それ以上を尋ねることはできなかった。
―――けれど、本当はまだ聞きたい事がたくさんある。
壬生と影生の関係も、5年前のあの日からどのように過ごしていたのかも。
何もかも伝えて欲しいとは思わないけれど、痛みや悲しみを一人で抱え込まないで欲しい。
今の彼は、俺を避けている。
嫌悪感などではなく、単に戸惑っているだけなのだろう。それくらいは光も理解していたし、仕方の無い事だとも思っていた。
(でも)
必要以上は会話もなく、けれど他の諸事は完璧にこなして、触れもしない、夜は別の部屋で眠る。
壬生は、居間のソファに薄い毛布一枚だけ羽織って、エアコンもつけないで眠る。
初めの数日は気づかなかったけれど、ある時知って非常に動揺した。
彼は、毎晩光より後に眠るし、朝は先に起きているから、いつだって見かける姿は忙しそうに動き回ってばかりだ。
エアコンも布団も、必要ないからと答えていた。でも本当はそうじゃないのだろう。
壬生は、あまり俺を見ようとしない。
けれど時々、他所を見ているとき、強力で熱烈な視線を感じる。
そんな時すぐに振り返っても、一瞬だけこちらを見ていた様な壬生の姿が見えて、その後はまた何事も無かったかのように振る舞われるのだ。
誠実に責務だけを果たす、従順な守人。
―――けれど、俺はそんなものを望んでいない。
いつだって欲しいのは、壬生の眼差しや、声、温もり。優しいその手だけ。
(傍にいて欲しいだけなのに)
―――ただ、あの頃のように。
「紅葉」
ぽつりと名前を呟けば、一人の寂しさが殊更胸に染みるようだ。
やっと触れ合えたと思ったら、彼はまだガラスの向こう側にいる。
鬱々と過ごしている間に暦はずいぶん進んでしまった。真神は今頃冬休みだろうか。
病院から戻って以来外には出ていないが、きっと寒いのだろう。
紅葉は、今頃寒くしていないだろうか?
「寂しい、よ」
小さく呟いて、そのままうずくまった。何も聞こえない部屋で、自分の鼓動の音だけ、光は聞いていた。