午後11時半近く。
駅に降り立つと、周囲はこんな時刻にもかかわらず、多くの人で賑わっていた。
新年の祝い事を日付が変わるのと同時に共に分かち合うつもりなのだろうか。
改札を抜けて、不安な様子で彼らを見渡す光に、壬生が声をかけようとしたとき、別の場所から先に二人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「よう!」
振り返ると、真神の制服の上からジャケットとマフラーを羽織った姿の蓬莱寺が駆けてくる。
「京一」
肩に、いつものように紫布に包まれた長物を担いで、すぐ傍で立ち止まると、光はニコリと微笑みかけた。
「待っていたのか?」
「おうよ、今夜年始にこの辺りででかい騒ぎが起こるって聞いてな、しっかし何だな、どいつもこいつも、暢気なもんだぜ」
呆れ顔で周囲を見回して、ワザとらしいため息をついて見せる様子に、光と壬生は顔を見合わせて笑う。
「こんな状況で騒動でも起これば、辺りは恐慌状態だろうな」
「そうだな」
「いっそ、駅員にでも説明して、避難勧告でも出させるか?もうすぐ世紀の大決戦がおこなわれます、怪我したくない奴はとっととお家に帰ってくださいってな」
「京一君!」
白いコートの姿が駆け寄ってきて、蓬莱寺の隣に立つ光の姿に気づくと、ふわりと花開くように笑顔を浮かべた。
「光、それに、壬生さんも」
「美里」
応えた光の脇で、壬生が丁寧に頭を下げたので、美里も倣って礼をする。
蓬莱寺は興味なさそうにその様子を見ていた。
「気付いたらいなくなっていたから、心配したわ」
振り返って蓬莱寺を責める彼女に、光は何事か尋ねる。
「私たち、ここまで一緒に来たの」
「まァ、女一人で夜道を歩くのは、危ないからな」
「京一君が家まで迎えに来てくれて、それから新宿駅で電車に乗ったのだけれど」
「俺、切符買い間違えちまってさ」
いやーと笑う蓬莱寺を、光はやれやれと眺めている。
「まあそこまでは良かったんだけど、清算しようとしたら今度は金が無くって」
それで、とりあえず美里がその切符で清算を済ませることにして、蓬莱寺は美里の切符で改札を通り抜けたらしい。
その直後に光たちに遭遇したというわけだ。
「呆れた」
素直な感想に、蓬莱寺はつれないなと光の背中を軽く叩く。
「俺らしくていいだろ?」
「そういうのは自慢にならないんだよ、京一」
「何だよ姫、お前は俺のこと、わかってくれてるんじゃなかったのか」
そこで、はたと光は壬生を振り返って、苦笑いを浮かべていた。
同じように困り顔で微笑み返す姿に、蓬莱寺と美里は不思議そうに首をかしげる。
「そうだな、そうして笑ってる方が、ずっと京一らしい」
「おう」
四人は同時に、ゆっくりと、ネオンに照らされた夜の街に向き直った。
「あと一時間か」
「ええ」
「の、割には目立った異変は起こってないよな」
「いいえ、大地が昂っている」
美里がそっとまぶたを閉じる。
「聞こえる―――ここを流れる大きな力の脈動、今朝からずっとだわ、段々、膨らんで、勢いを増している」
光には判る?と、清んだ瞳が覗き込んでくる。
「ああ」
双眸はすでに淡く龍金を湛え始めていた。
「もうすぐ、刻が満ちる」
両隣で壬生と蓬莱寺が気合を入れなおしたようだった。
行こう、と、光の声に続いて、歩き出す。
周囲の喧騒が、俄かに遠ざかったような気がした。
東京の夜は明るい。
それは、四月にこの街を訪れて、最初に感じた事だった。
日が落ちれば夜であり、闇であるはずなのに、周囲は人工の灯火できらめき、陽光が射しても明けない場所もある。
混沌とした交わりの中で栄える街。陰陽の境目が曖昧で、人もあやかしも共に在る。
それは、繁栄の過程でなるべくしてなった状況なのだろうけれど、そう考えると何だか滑稽だった。
欲望を追求するほどに、万物の飽和、命の根源が訪れる。
それは、混沌という名の心地よい安らぎ、全てはそこから始まり、そこへと還ってゆく。
(けれど)
光は思う。
(今夜は少し、様子が違う)
闇に落ちる光、光に落ちる影、混在して成り立つ東京の夜。
けれど、今、顕現しつつあるものは、それよりもっと深く、暗い―――
現状の感覚が自身の意識によるものと、外的要因によるものと、相互が複雑に影響しあって結果主観に及んでいるのだろうと、何となく察しはついていた。
駅を出ると、周囲に人影は無く、寛永寺へ近づくに連れて更に顕著になった。
すれ違う姿は無く、気配すら無い、人々はまるで封ぜられているかのように駅周辺から離れようとしない。
「なあ、姫」
「うん?」
「ちょっと妙じゃねえか、これは」
蓬莱寺はそのまま不意に立ち止まった。
光と、壬生も、同じく足を止める。
「どうしたの?」
美里だけが不思議そうに首をかしげながら、同じく傍らに止まり、彼らが見据える先を同じように窺った。
寛永寺の垣根から伸びる木立の影から、唐突に、今現れたような気配がすっと歩み出てきた。
「こんばんわ」
夜目にも鮮やかな着物をまとった少女と、その背後に影のように付き従う、白い学生服の大男の姿。
「よう、ご一行様、ようやくお着きだな」
艶やかな黒髪を高い位置でひとまとめにして、着物の裾には龍と月、銀糸と錦糸で縫い上げられた衣装の袖と帯の裾に鈴がつけられた姿の朋恵は、闇夜に輝く眼差しを燐と向けて立っている。
美貌と相成って、まるで現実味の無い姿に、蓬莱寺があんぐりと口をあけたまま放心していた。
吹きぬける北風に、彼女のものだろう、伽羅の香りがほのかに混ざる。
「綺麗だろ?」
細い肩を、唐突に村雨がなんでもないそぶりで引き寄せて笑った。
「蓬莱寺、お前、とんでもないバカ面してるぜ」
「んなッ」
けれど、反論が立つより先に、容赦のない平手の一撃が村雨の腕を叩き落す。
「った!」
「―――下らぬ事を申されますな、村雨殿、今宵は冗談などお控えなさいませ」
怖い、怖いと苦笑いする様子に目もくれず、朋恵は真っ直ぐ光の正面まで歩いてきた。
「お兄様」
りん、と鈴が鳴る。
その一音で、辺りの空気が瞬時に澄み渡る。
「着物、仕上がったんだな」
「はい」
「綺麗だ、お前によく似合う」
「有難うございます」
傅く少女の姿を、守人たちは言葉も無く見ている。
動作するたびに、鈴がしゃらしゃらと音を立てた。
「刻が訪れました、御方様」
朋恵は静かに光を見詰める。
「此度は私も、お供仕ります―――御身を守る、巫女として」
瞬間、光が浮かべた酷く悲しげな気配を眼差しの奥深くに感じ取って、壬生だけがはっと息を呑んだ。
けれど直後にはいつもの様子に戻っているので、言い様の無い不安だけが胸中に残る。
実を言えば、その気配は昨晩からずっと、熱烈に求めてきた光に応えていた時からずっと、妙な予感が拭えない。それは、まるで黒い染みのように心の一点に落ちて、未だ消せずにいる。
壬生はそれを、光のために隠し続けていた。
今、迷いは死に繋がる。
自身や守人達もそうだが、何より、他ならぬ光の死に。
(それだけは絶対に受け入れられない)
壬生は再び、他の多くの不安と共に、心の底に鍵をかけた。
闇夜に静かに光の声が響き渡る。
「御剣の媛巫女」
今度は、誰もがハッと彼を見詰めていた。
厳かな気配の中、光の全身が淡く金の輝きを纏い始める。
「今宵、古の契を、再び果たそうぞ」
「はい」
す、と差し出された朋恵の両手の上に、龍の形をした黄金の篭手が唐突に出現する。
蓬莱寺は以前それを如月の家で見たことを思い出していた。
光の指先が触れた瞬間、篭手は光になり、直後には両腕に嵌まっていた。
「―――準備が整ったようだね」
声に振り返れば、道の向こうに如月が立っている。
「皆さん!」
駅の方角から、白い息を弾ませて、比良坂が駆けて来るのが見えた。
「寛永寺の周り、誰もいないみたいです、どうしたんでしょう」
「そうなの?」
「はい」
息を整える比良坂に、不思議そうに首をかしげる美里を、彼女たちを振り返って朋恵が疑問に答えた。
「私が結界を張りました、今宵、此処は戦場となります、無用な流血などお兄様は望まれぬでしょうから」
比良坂と美里の視線を受けて、光は静かに頷き返す。
蓬莱寺も納得した様子で小さく声を漏らしていた。
壬生と、村雨と、如月は、察しがついていたらしく、特に反応などは無い。
「よし、これで全員、揃ったなッ」
紫布から抜き出して、解き放った白虎の宝刀を頭上に掲げながら、蓬莱寺が時の声を上げる。
「行くぜ!」
全員が寛永寺に向き直った途端。
ぐらりと、世界が揺れて。
「う、わ」
「な、何だ?」
「キャアッ」
「光ッ」
大地が激しく鳴動を始める。
爆発しそうなほど高まった気のせいで、辺りの景色が歪み、次元が割けた。
歪みから流れ出す、良いもの、悪しきもの、この世にあらざるあらゆるものたちの気配。
寛永寺全体を混沌が包み込んでいく―――
異形たちの気配と、叫び声。
1999年、深夜0時00分、00秒。
遂に、定めの時は、始まった。