「じ、地震?」
「きゃああッ」
「危ない、ガラスがッ」
「そこの看板落ちるぞ、逃げろーッ」
「車がッ」
混乱と騒動の最中、一人の声が大きく響き渡る。
「あッ―――あれは、何だ?」
逃げ惑う人たちが見上げた、その先に。
「な、何?」
そこは、丁度、真神学園が建つ場所。
同時刻にかの学園の「対」と朋恵が呼称した天龍院学園にも、同様の異変が起こっていた。
校舎を半壊させ、大地より出でし対の大樹。
歪で、巨大な、木造の巨塔。
寛永寺の異界化と時を同じくして、龍命の塔が産声を上げていた。
光は守姫、守人等に道を切り分けられながら、共に異形で溢れる路上を駆け抜けていく。
「でりゃあッ」
白刃一閃、切り伏せて、蓬莱寺が振り返りながら叫んだ。
「姫ッ、早く!」
通り過ぎた直後、出現した異形に水が形作った蛇が食らいつく。
「印!」
如月の水気が、禍々しい姿を消し飛ばした。
駆ける光の脇を飛んできた火符が両脇から迫りつつあった異形を勢い良く炎上させ、退ける。
「お兄様ッ」
更にその先を朋恵が薙刀一閃、障害全てを吹き飛ばす。
後方では美里と比良坂が共同で回復と援護をおこなってくれていた。
美里の癒しの力が、比良坂の歌声に乗って全員に届く。
それは同時に陰陽のバランスを崩した禍モノにとっては脅威になりうるらしく、同様に光を浴びた異形の幾つかがうめき声と共に崩れ落ちていた。
黄金の燐光を引きながら駆けて行く光の背後には、闇を一手に引き受けたような漆黒の姿の壬生が連なり、後衛を務めている。
光は、目の前に現れる影を端から金の拳で消し去りつつ、時折浮かぶ悲しげな表情を、幾度も消しては歯を食いしばっているようだった。
壬生だけがそれに気付いていた。
この場に現れた異形は、単純に陰気の塊の存在もあるけれど、中には運悪く混沌の気に中てられ、陰陽のバランスを崩して異形化したモノも混ざっている。
それらは元、人であったり獣であったりしたモノ達だ。
一度変じてしまったモノは、もう元には戻せない。
光はそのことに気付いていて、けれど倒さなければならない状況を嘆いているのだろう。
その苦しみが少しでも減るように、壬生は先ほどから彼が手を出す前に殆どの障害を倒していた。
どんな事であれ、光を苦しめるものは、全て自分が引き受ける。
(それが、僕の愚行の対価であり、願いだ)
これまで幾度と無く愛するものを苦しめ続けた、その償いとして―――
身勝手で自惚れた思考だとわかっているけれど、それでも壬生は自身に立てた誓いを守り通す覚悟を決めていた。
先陣を朋恵と蓬莱寺が、後衛を壬生が、そして、美里と比良坂の援護をおこないながら、しんがりを如月と村雨が務めて、彼等は駆けて行く。
一路、寛永寺境内へ。
足元すらあやふやとした混沌を踏み分けて、寺の敷地内に入り込んだ途端、骨の髄まで震えそうな陰気が押し寄せてきた。
「なッ」
立ち止まった蓬莱寺と朋恵が、左右に分かれて、その間から光が先頭に走り出る。
足を止めて、睨んだその先―――漆黒に包まれた寛永寺を背景に佇む、紅蓮の陰。
「ようやっと現れたな、御剣よ」
その手にした斬馬刀を閃かせて、闇よりもっと暗い瞳が血塗れた気配を浮かべていた。
「柳生」
光の傍らに、壬生が歩み寄る。
姿を認めて柳生が口の端を吊り上げた。
「色狂いの狗も共について来ているのか、ご苦労なことだ」
「影生はどうした」
光の言葉に、影生の笑いはより深くなる。
「人代ならば、ここに」
寒風がその燃え盛るような赤い髪を乱して、獣の気配を伝えてくる。
真紅の学生服がさっと腕を上げた、その傍らから、暗闇の空間を抜け出すようにしてまるで夢幻の如く、影生の姿が現れ出でた。
蒼白の表情を光さえ食い尽くすような黒髪が縁取り、瞑られた瞳の表情からは感情らしきものは一切うかがい知れない。
天龍院の学生服に身を包み、静まり返った様子はまさに「人形」の揶揄そのままのようだった。
「柳生ッ」
光が唇を噛み締めた。
その時、影生がすっと顔を上げた。
開かれた双眸は―――龍の金に、染まっている。
「依人!」
壬生の叫びも意に介さない様子で、柳生に促されて、影生はふらりと立ち上がった。
差し出した両手に漆黒の手甲が嵌まる。
光の黄龍甲と酷似した形状に、誰もが一瞬目を覆いたい気分に襲われた。
影生は、陰の剣として覚醒している。
最早疑いようの無い現実がそこにはあった。
僅かに呆然と立ち尽くした壬生は、傍らの気配に気付き、はたと視線を転じる。
見詰めてくる眼差しに、そっと頷き返した。
(大丈夫だから―――)
どちらともない想いの気配に、光も静かに頷き返し、再び柳生を見据える。
「さあ、雌雄を決せようぞ」
行け、の一言と共に、影生が地を蹴った。
光も飛び出していく。
僅かな間を置いて、堰を切ったように再び現れ、襲いかかる異形を切り捨てながら、守人たち、守姫、そして、柳生も、太刀を抜き放ち駆け寄ってくる。
「ぬおおおおッ」
柳生の斬馬刀を防いだのは、蓬莱寺の太刀だった。
金属のぶつかり合う音と共に、如月の暗器が飛来する。
「でりゃあッ」
弾いて、間合いを取ろうとしたところを切付けてくる、馬を真っ二つに割る異名を持つほどの巨大な刀身であるにもかかわらず、柳生の攻撃は壮絶で容赦がない。
「クソッ、信じられねえ!」
刀身で何とか受け流して、次を打ち込む前に柳生は目前まで迫った暗器を斬馬刀で防ぐ。
舌打ちを漏らして如月は印を組み、その間にも蓬莱寺と柳生の打ち合いは続いていた。
朋恵は、周囲をまるで雲霞の如く押し寄せてくる異形たちを切り伏せている。
けれど、地の調和が乱れた今、それは際限なく現れ出でて、息をつく暇もなかった。
美里の菩薩眼の光を乗せた祈りが比良坂の歌声に増幅されて渦を作り、守姫の戦いを援護する。
光に触れた異形は陰陽の調和を取り戻して次々に姿を消した。
けれど、それも際限がない。
「っつ!」
歌う事に疲れてふらついた比良坂を、美里がとっさに抱きとめて支える。
「比良坂さん!」
波状の防衛線が消滅して、押し寄せてきた異形たちを朋恵が全力で食い止めようと薙刀を振るう。
けれど。
(間に合わないッ)
力及ばず、美里と比良坂に殺到した狂爪が届くほんの僅か手前で。
「五光狂幻殺!」
まばゆい光に包まれて、異形たちが吹き飛ばされる。
直後に再び立ち上がった比良坂が歌い始めて、美里はその姿を支えながら祈り始めた。
再び巻き起こる秩序の波に、飲まれた異形が次々と消えていく。
ひと心地ついて、軽くため息を漏らした朋恵の方を、大きな掌がポンと叩いていた。
「お姫様、一人で頑張りなさんな、あんただけが戦ってるわけじゃないだろう」
「フッ、足手まといにはならずにおられるようですわね」
「オイオイ、俺の価値はあんたの中ではそんなに低いのか?」
「男を上げたいならば、精々気張って御覧なさい、私は、虚ではなく実を取る女ですッ」
薙刀を振るい、3メートル近い鬼をたった一刀で切って捨てる。
女豪傑の姿に村雨は口笛を吹きながら、懐から符を抜き出していた。
「こりゃ、よっぽどいい所見せないと、お姫様は振り返りもしてくれなさそうだ」
迫り来る異形に向かい、印を切って符を投げた。
ぱっと発光して燃え上がる符と共に、異形たちも炎上して次々と姿を消していく。
「悪いな、俺の見せ場に一役買ってくれよ、お前等ッ」
―――寛永寺の、本殿のほぼ手前、正面にて。
「うおおおおッ」
ぶつかり合った気が膨らんで、弾け飛ぶ。
その風圧に乗って間合いを取り、再び打ち込みあう、陰と陽、二振りの剣は互いに光跡をなびかせながら激しい打ち合いを続けていた。
「クッ」
光の腕が影生を一撃すれば、影生はそれを受け止めて、更に一撃加えてくる。
拳が届く直前で弾き、再び繰り出せば迎撃される、繰り返しの合間に、壬生が蹴撃で援護を続けていた。
「依人ッ」
呼びかける声にも、影生はまったく反応しない。
ただ目前の敵を屠るためだけに動作を続ける、まるで戦闘人形のような姿に、光は何度も胸中にこみ上げてくる悲しみを押し殺していた。
それは、壬生も同様であり、僅かな躊躇いを見抜いた影生の拳が、その都度光を殴打し、壬生を跳ね飛ばす。
「ぐッ、う」
何度目かの攻撃に崩されかけたバランスを整えながら、口腔内に溜まった血液を吐き捨てた壬生の背後に、柳生の凶刃が迫り来る。
「させるかぁッ」
蓬莱寺が怒号と共に直前で刃を受け止めて、弾いた直後に壬生は体制を整えていた。
「気をつけろ!迷惑かけんな、てめえは、姫を守るんだろうがッ」
「すまない」
再び切りかかる柳生の斬馬刀を白虎刀で受け止めて、鋼のぶつかり合う音を後に聞きながら壬生は影生と戦っている光の元へと駆けつける。
「依人、正気に戻ってくれ、依人!」
打ち込まれる打撃を防いで叫ぶ壬生に、脇から加勢した光が彼を弾きながら同じように叫ぶ。
「影生さんッ」
「無駄だ、愚か者共」
蓬莱寺から間合いを取り直した柳生が、斬馬刀を構えながら上弦の月の様に口の端を吊り上げた。
「それはすでに覚醒済みだ、我の外法により、人としての魂などとっくに滅している、どれほどの想いで叫ぼうが、嘆こうが、人代には届かぬ」
「てめえ、柳生!」
殺到する白虎刀をかわして、柳生は嘲る様な笑い声を闇に轟かせていた。
「嘆くがいい、悲嘆に暮れ、絶望するがいい、それこそが我が力、我が糧となる陰気!」
「ふざけるなッ」
「かくも愚かなり、人の業よ、獣の性を忘れ、かりそめの儀や愛などに現を抜かし、心という名の寄る辺無き幻想に囚われし汝等には、哀と怒に満ちた死こそが相応しい」
「依人ッ」
影生の殴打が光に迫る。
それを、寸で防いで、真っ向から壬生と影生は見詰め合っていた。
「依人、君は、もう僕の知っている影生依人ではないのか?」
「無駄だ!」
柳生の声とともに力押しで負けた壬生は弾き飛ばされて、傍らに光が駆け寄っていく。
「紅葉ッ」
「御剣、去ね!一つの時代に覇王は二人も要らぬ、滅すべきは貴様だッ」
殺気とともに影生が迫る。
光は、振り返って迎撃の構えを取った。
立ち上がった壬生もその隣で構える。
柳生の背後に蓬莱寺が打ち込み、それを防いだ刀身に如月の術から生まれた水蛇が絡み付いて柳生に迫る。
「はああああッ」
術を跳ね飛ばした更にその周囲へ、殺到する異形を朋恵と村雨が滅し続けていた。
増幅した五行が全てに流れ込み、強大な力のうねりが生まれる。
大地を流れる気脈は、すでに爆発寸前にまで高まっていた。
「きりがねえなッ」
朋恵を援護する村雨が、そう呟いた瞬間。
守姫は何かに感づいた様子でハッと空を見上げていた。
比良坂の歌声はいよいよ高まり、美里の力を乗せて、切り結びあう光と影生、壬生、そして、柳生と蓬莱寺、如月を中心に、まるで巨大な渦のように周囲を廻る力場を形成している。
その、膨大な、陰陽混在した混沌めがけて、龍命の塔が吸い上げた気脈が、互いに共鳴しあう中央に収縮し、一気に放射された。
光がビクンと動きを止めて、影生もねじの切れた人形のように唐突に静止した。
突然の変調に困惑して動作を止めた壬生同様、周囲の異変に気付いた蓬莱寺が怪訝な表情を浮かべると、隙を突いたように結び合っていた刃を弾いて、柳生が突然寛永寺本殿めがけて駆け出していた。
「ついに刻が訪れたようだ、来い!カオス!」
途端、影生が弾かれたように走り出す。
呆然と見送る光に、朋恵が叫んだ。
「お兄様!」
けれど、光が反射的に行動を開始するより先に。
「遅い!フハハハハハハッ」
寛永寺の正面に立った影生が両腕を天高く掲げ、そこに、飛来した巨大な気の塊が落ちた。
「黄龍よ!」
どおん、と、大地を揺るがす爆音の後。
黄金の光が寛永寺境内全体から天空めがけて立ち上る。
それは、一気に集約し、影生の体から立ち上る金の柱を形成する。
『ウォオオアゴオオオオアアアァァァルゥアアアアアア!』
最早言語とも呼べない、波動の咆哮を発して、影生依人の体がメキメキと創り変えられていく。
よろめいた美里を、今度は比良坂が受け止めていた。
「美里さんッ」
「大地が、震えている―――何かが生まれようとしているわ、何か、とてつもなく大きなものが」
そのまま座り込む二人の背後で、朋恵が呆然と立ち尽くしている。
「何てこと」
境内を覆いつくした光に焼かれて、あれほど際限なく現れ続けていた異形は一瞬で全て消滅してしまった。
それだけではない、この場に溢れる気のあまりの膨大さに、陰陽の整っていない存在は全て生じると同時に滅しているようだった。
眩いほどの輝きに包まれて―――
「依人」
壬生の声が、隣に居るはずなのに、ひどく遠い。
蓬莱寺も、如月も、村雨も、身じろぎひとつできずにいた。
「フフフ」
柳生の笑い声が聞こえる。
禍々しい、勝ち誇ったような、狂喜の笑みが。
「遂に、我は遂に、龍を手に入れたぞ、この世の全てを掌中に捕り収めた」
影生の頭部には角が生え、口は耳まで切れ上がり、首と、胴と、伸びていく過程で衣服は破れ、その身には無数の鱗が生え揃っていった。
四肢も伸び、指先には強靭な爪が生えて、臀部が突出して尾のようになり、うねっている。
奇形と化したその姿、それは―――歪な、一尾の龍のようであった。
全身からあふれ出す龍金は尋常でない波動とともに風を起し、周囲をさざめかせる。
漆黒の頭髪も金に染まり、それはまるで触手のように影生の背後でざわついていた。
柳生は傍らにある異形の姿を満足げに眺めて、再び光たちを振り返り、斬馬刀を地に突き刺した。
「さあ、人代に降りし混沌の象徴よ、我が命に答え、我に従え、まずは―――汝と人との契を屠り、その身を解放せよ!」
異形の龍が吼える。
黄金の輝きを引きながら、猛った姿は振り返り、そして。
「っくあ!」
誰もが息を呑んだ。
それは、柳生すらも。
いや―――厳密には、彼は息を呑んだのではなかった。
何故ならその胸には。
「な、ぜだ」
正面から突き込まれ、背中を破り、生える、影生の片腕。
貫かれた柳生は、腕が引き抜かれるのと同時に血飛沫を上げて倒れた。
けれど、その色は赤ではなく、果てしなく黒い。
とめどなく流れ出す暗黒を片手で塞ぐような格好のまま、紅蓮の鬼神は膝を折り崩れた。
斬馬刀が金の輝きを映して眩しく煌いている。
『グウゥゥ―――グルル、グルルルル』
低い、地鳴りのような音とともに、奇形の龍は再び振り返っていた。
その眼の先に光の姿を捉え、再び雄叫びを上げる。
「キャアアアッ」
美里と比良坂が共に抱き合うようにして身を寄せ合い、少女たちを守るように、朋恵が薙刀を構えたまま前に歩み出た。
村雨がその傍に控える。
蓬莱寺は息を呑み、ぬめる虎爪刀の柄を握り直していた。
如月も、懐中から取り出した蛇亀刀を構える。
壬生が絶望の表情を浮かべて、奥歯を噛み、それを振り払って再び元・影生であったものと向き合った、その時。
『グアオオオアアアアオオアアアアアアアア!』
轟く絶叫と共に異形の龍が最早肉眼では追いつけない速度で殺到する。
ただ一人―――御剣の剣めがけて。
「ひかるッ」
壬生の叫びと殆ど同時に、龍の片腕は、光の胸を柳生と同じように、貫いていた。