板張りの廊下を歩いてきた朋恵は、縁台に佇む姿を見つけてほんの僅か微笑を浮かべていた。
「お兄様」
振り返った光は白装束に身を包み、ゆっくりとこちらを振り返ってから、微笑を返してくれる。
けれど、そのあまりに儚げで美しすぎる姿に、胸の奥がきしむように痛んで、朋恵は思わず歩みを止めていた。
「どうした、朋恵」
「いえ―――そのような御姿で縁台に立たれては、お風邪を召してしまいます」
「心配いらないよ」
わかっている、そんな事は。
何も言えない朋恵を暫く見詰めて、光は再び庭を眺めた。
「ほら、見てごらん」
振り返ると、曇天からはらり、はらりと真綿のようなものが舞い降りてくる。
「雪だ」
光がすっと片手を差し出した。
その掌に、ふわりと一片の雪が舞い降りて、体温にゆるゆると解けて消える。
残った水たまりに視線を落とすと、光はまた空を見上げて瞳を細くした。
「まるで、桜みたいだな」
そうして今度は、淡雪を積もらせる細い枝から連なる、庭の木々に眼を向ける。
「この庭も、春には桜が咲いて、それは美しかった」
「―――はい」
「今年も綺麗に咲くんだろうな、庭いっぱいに、埋め尽くすほど、満開の紅色が」
「お兄様」
唇を結んだ兄の横顔に、妹は居たたまれなくて思わず視線を逸らす。
けれど、直後にそれを戒めるかのように、再び真っ直ぐ向き直る朋恵の姿に、光は振り返って歩み寄ると、艶やかな黒髪をゆっくり撫でてやった。
温かな掌の感触に瞳を閉じて、離れ行くのを惜しむように、その甲に自身の掌を重ねてギュッと押し付ける。
「朋恵」
「はい」
「お前は、俺の大切な人だ」
「嘘ばかり、お兄様の最愛の方は、他にいらっしゃるでしょう?」
「紅葉とは違う気持ちだよ、朋恵の代わりなど、この世界のどこにもありはしない」
再び瞳を開けば、光は優しい笑みを浮かべていた。
その、金茶の双眸に映ることがどれほどの喜びであるのか、誇りであるか、兄は少しでも知っていてくれただろうか。
「朋恵」
こうして名前を呼ばれる事も。
「はい」
それに答えることも。
どれほど幸福で、満ち足りた日々であった事か。
兄は、その思いを共有していてくれたのだろうか。
剣と守姫は単にそれぞれの半身同士というだけでなく、運命すら共有するさだめにある。
だから、というわけではないと、朋恵は今胸に去来する思いを静かに見詰めていた。
兄と出会えたこと、共にあったことは、全て宿星の導きかもしれない。
けれど、これまで睦みあってきた日々は紛れもなく兄と自分の二人で築き上げたものであり、彼を導き、道行を照らす事は心からの喜びであった。
降る雪の寒さすら、この手のぬくもりがあれば、感じない。
光は代わらず優しい笑顔で、朋恵の髪を一筋、そっと梳いた。
「お前は、素敵な女性だ」
「有難うございます」
「うん、君を愛してくれる、君の眼鏡に適う誰かと、出逢いがあればよかったのだけれど」
「お兄様が愛してくださいました、私は十分満たされております」
「しょうがないな、いい加減ひとり立ちをしてくれないと、兄は心配だよ」
いたずらな瞳に、朋恵はわざと膨れて見せる。
「まあ、そんな御言葉を頂くなんて心外ですわ、私の方こそ、お兄様にいい加減しっかりしていただきたいと思っておりますのに」
「ハハ、相変わらず手厳しい」
「当然です、誰がお兄様に武術の稽古をつけて、学問を教えて差し上げたと思っていられるのかしら?」
「降参、降参、まったく、お前には適わないよ」
「当然です」
そうして兄の胸元に片手を当てて、甘えるように額を寄せてくる。
妹の長く艶やかな黒髪を、光は何度も、何度も、ゆっくりと撫でた。
そのまま再び庭に視線を転じて、感付かれないように、悲しみを瞳の奥深く封じていく。
―――ひと目だけでもいい、もう一度逢いたかった。
(けれど)
逢ってしまえば、きっと未練が残る。
(これで、いいんだ)
抱き寄せる感触に身を委ねて、光も、朋恵も、身じろぎすらしなかった。
たとえ血の繋がりはなくとも、二人の絆は血脈より深い。
それは、運命すら絶つことのできない繋がりだ。
降る雪の向こうに、春の気配が見つけられなくて、そっと伏せた眼差しの先、世界は、ゆっくりと白く染まっていった。