「ええッ、じゃあ年始にそんな大騒動が巻き起こっていたってわけ?」
年明け早々、何らかのメディア媒体で騒動を知った遠野が押しかけてきて、蓬莱寺は酷く困惑した。
こちらといえばまだ戦いの余韻が抜けきらなくて、毎日こたつでみかんの日々をぼうっと過ごしていたところなのだから。
寛永寺を出た後、朋恵が呼びつけていたのだろうか、御剣の家から迎えの車が到着していた。
見覚えのある黒塗りの高級外国車に驚いている間に、朋恵はいったん千葉の家に戻るとだけ残して、光だけ乗せて行ってしまった。
壬生も、着いて行こうとしていたのだけれど、朋恵に断固拒否されて、諦めざるを得なかったようだ。
意識の無い光をシートに下して扉を閉める一連の動作の間ずっと物憂げに表情を曇らせ、車が発進すると、テールランプが見えなくなるまでずっと立ち尽くしていた。
その光景を思い出すたび、なんとも言えない気分が胸に去来する。
壬生の、かつて光に対して行ってきた仕打ちに関しては、到底許すことなどできないけれど、今は憎しみや嫉妬のような感情は殆ど払拭されて残っていない。
だから、この感情も、そういった類のものではないと思う。
(けど、何だかなあ)
その後、壬生はたった一人で夜の街に消えていった。
どこへ行ったのか知らないし、帰る場所など案じていない。
同じく肩を丸めて少し寂しげに去っていった村雨と別れて、蓬莱寺は如月、美里、比良坂と共に帰路を辿った。
すれ違う人々は少し前の大騒動のせいで誰も興奮していて、不安と興味がごた混ぜになった様子でしきりにニュースや噂話に興じる様子を眺めながら、何となく現実味が足りないなと笑ってしまった。
美里に「どうしたの」と聞かれても、何でもないと答えながら、それでもおかしな気配はずっと身体を廻り続けた。
それは、多分他の皆も同じであっただろうと思う。
口数少なく電車に揺られて、彼等とも新宿駅で別れた。
馴染んだ道程、ただ、片手に獲物が無い事だけが少しだけ寂しい。
虎爪刀は別れ際に朋恵が持っていってしまった。
蛇亀刀も、雀炎刀も、竜牙刀も、全て。
まるで光との繋がりを持っていかれてしまうような気がして、手放すのがひどく辛かった。
それから何日かして家に遠野が現れて、玄関から乗り込んできた彼女は家族の前だというのに構わず「知っている事全て吐きなさいよーッ」と喉を締め上げてきたものだから、いらぬ勘違いをされたかもしれない。
「何であたしを呼んでくれなかったのよッ」
「あのなあ、お前、あの場面でお前なんかいたら、速攻殺されてたぞ、それになんでお前が俺達の事知ってんだよ」
「アンタ達のことは女の勘よ、そんでもって女を危険から守るのが男の役目でしょッ」
「バカ言え、お前を女と思ったことなんて一度もねえぞ」
「何ですってえええッ」
「うお、ギブギブ、首絞めんな、グエッ」
ひとしきり暴れた後で、遠野は自分が収集した情報を教えてくれた。
それによると、塔が出現した事により、真神学園と天龍院学園は校舎半壊の憂き目にあったこと。
件の塔の出現位置がまさか学園だったとは思わず、蓬莱寺はその事実に随分驚かされた。
そして、寛永寺本殿正面倒壊の件は結局理由も犯人も判らず、このままお蔵入りしそうだということ。
「まあ、これに関しては、もう本当にお手上げよね、だってまさか龍脈が、とか、魔人が、とか、そういう話をするわけにいかないもの」
「随分食い付が悪いな、大体お前、俺の話しどこまで信用してんだよ」
「一応、殆ど全部、ね、でも面白いけれどそれだけだわ、知的好奇心の充足には十分よ、ご馳走様」
「は?」
「何でもっと早く誘ってくれなかったのかとか、恨み言もたくさんあるけれどね、まあいいわ、終わった事だもの、勘弁してあげるわよ」
「そりゃ、どうも」
「ねえ、そんな事より京一、アンタの話を丸呑みするとして、それじゃ姫は無事なの?」
―――事実をあらかた話したとはいえ、詳細全て話してしまったわけではない。
ただ、彼が因縁ある相手と対決する宿命にあり、その戦いに自分や他に数名の人間が巻き込まれて、結果あの惨事が起こったと説明しただけだ。
遠野の性格からすればもっと突っ込まれるかと思っていたのに、予想に反して更に多くを訊かれるようなことがなくて、正直拍子抜けしてしまった。
人にはそれぞれ踏み込める分というものがある、自らの範疇を超えて接触を持てば、必ず何らかの形で対価を求められるだろう。
そして、それは、決して払える範囲内で済まされるというわけではない。
そのあたりの危険性を本能で察したのか。
遠野が勘のいい女でよかったと、この時ばかりは蓬莱寺もつくづく感心してしまった。
「姫は、千葉の実家で養生中だ、いくらあいつがとんでもない胆力の持ち主だったとしても、今度の一件は相当こたえたらしいぜ、でもちゃんと目も覚めたし、元気そうにしてた」
「そう、良かった」
ホッと胸を撫で下ろす姿を見ながら、直後にこっそり心中で詫びる。
今の話は全て、遠野を安心させるための作り話だ。
本当のことを言えば、寛永寺での決戦以来、光とは連絡が取れなくなっている。
電話にも出ないし、千葉の邸宅の手伝いからは取り次げないの一点張り、その後の容態は、朋恵から『大事無いので心配いらない』と、人伝にそっけなく告げられただけだ。
気が抜けたように過ごす日々の中で、それだけ唯一気がかりであり、胸に落ちた黒い染みのように、じわじわと不安は広がりつつある。
寛永寺で黄龍を受け入れた光はそのまま倒れてしまったけれど、確かに気絶しているだけのようだったし、気も弱まっていなかった、外傷にいたっては一つも無かった。
それなのに、いまだ安否の確認を、光自身から取れていない。
何かあれば真っ先に騒ぐはずの朋恵も連絡をよこしてこないし、壬生とは会っていなかった。
ひとしきり話して用件が済んだのか、遠野はそれからすぐ「邪魔したわね」の捨て台詞を残して、部屋を出て行ってしまった。
玄関から母親に愛想良く挨拶する声が聞こえてきて、後であれこれ詮索されるのかと思うとつくづくうんざりする。
ごろりと寝そべって、そのまま天井を見上げていた。
「姫、今頃、何してんだろうなあ」
光のことだけ、いつでも気になる。
一人になるとつい思い浮かべてしまう、あの、綺麗な姿。
「俺も、いい加減吹っ切れてないよな」
呟きついでに自嘲的な笑みが漏れていた。
こんなに真っ直ぐ誰かを思うことができるのかと、それが自分の中に発見した一番の驚きで、また誇りでもあった。
光の、微笑や、無理に奪った唇の感触だって、今はまだはっきり思い出せる。
けれど、いつか思い出は薄れていってしまうだろう。
それまでにはこの想いも、ただ懐かしいだけのものに変わってくれていたらいいと願っていた。
光の幸せが自分の幸せだと、今はまだ、とても言えない
けれど、いつかはそうなって欲しいと思っている。
そして、変われる自分を信じている。
以前には思いもよらなかったことだ、この一年間、光と関わり、多くの出来事に遭遇して、確実に自分は変わった。
前よりもずっといい男だと、蓬莱寺は自画自賛してまた笑っていた。
そして、起き上がってカレンダーの日付を眼で追う。
冬期休暇は、あと僅かだった。