通学路の途中、歩いていた光の背後から、大きな声が呼びかけてくる。
「御剣―!」
振り返ると、なつっこい笑みと共に駆けてくる蓬莱寺の姿が見えた。
「よ、おはよッ!」
あれだけ勢いよく走っていたにもかかわらず、息一つ乱れていない。
「おはよう」
光もニコリと笑い返した。
蓬莱寺は一瞬動作を止めて、それから、そうだと話を切り出す。
「今日の一限目ってさ、現国だっけ?」
「ええと、わからないな」
「そ、そっか」
ふと、彼が肩に担いでいる、紫の包みに目がいく。
「蓬莱寺は」
「えッ」
「剣術か何か、やっているのか?」
ああ、これ、と、蓬莱寺はその包みで自分の肩をポンポンと叩いた。
「俺、剣道部、しかも部長、めんどくせーんだけどさ、何か勝手に押し付けられちまって」
「へえ」
「格好いいだろ?」
「うん」
後頭部をポリポリと掻く仕草を、光はニコニコと眺めている。
「なかなか腕が立ちそうだと、思っていたよ」
「わかるのか?」
「見ていれば、それなりにわかる」
「お前は弱そうだよな」
思わずハハハと笑ってしまった。
光を、蓬莱寺は瞳を細くして見詰める。
「何か、初めて逢った気がしないな、俺達」
「え?」
「お前って妙な奴だよ、ホント」
いきなり、後頭部に掌をあてられて。
「うわわ、うわ!」
グシャグシャと擦ると、蓬莱寺はそのまま駆けだしていく。
髪を指で梳いて整えながら、光は呆気に取られて、背中が再び振り返るまで、ただ目で追っていた。
美里の言っていた通り、転校初日より、光の周囲は大分落ち着いたようだ。
朝はクラスメイトから多少質問攻めにされたけれど、一時間目終了と同時に、机に立ち寄った蓬莱寺が「校内案内してやるよ」と教室から連れ出してくれたお陰で、改めて、暫く世話になる学舎を心置きなく探索することができた。
校内は三階構造になっており、上から順に学年が若くなっていく事、職員室や保健室といった補助機関はどの場所にあるのか、他に、手洗いの位置や、水道の場所も教わった。
中休みの短い間にまわりきれる規模でなかったから、蓬莱寺は次の休み時間にも声をかけてきてくれて、結局、昼休みに至るまでの間、授業以外はずっと蓬莱寺と校内のあちこちを歩いた。
「昼飯、一緒に食おうぜ」
誘われて、今は、屋上にいる。
授業中は美里が細々と世話を焼いてくれるから、今のところ光は世話になりっぱなしだ。
ありがたいと思う反面、何だか申し訳ないような心持ちもしている。
そして、昨日荒れていた佐久間は、今日は登校してきていない。
「お前、今日も弁当?」
「ああ」
いいなあ、とぼやいて、蓬莱寺は買ってきたパンにかぶりついた。
「蓬莱寺も、弁当を作って持ってきたらいい」
「なんだそりゃ、嫌味か?俺が料理なんかするように見えるか?」
それはよくわからない。
エプロン姿が似合うんじゃないかと、ぼんやり思い浮かべたことを感づかれたようだ。
蓬莱寺は、料理はしねえよと口を尖らせて、またパンを齧った。
「ラーメンくらいなら作れっけど、飯なんて、精々肉とか野菜炒める程度だぜ」
「十分じゃないのか?」
「あのな、昼飯にラーメンなんて、どうやって持ってくるんだよ、それに、めんどくせえ」
(一番の障害は、それだな)
「何だよ」
いや、と答えて、光はおかずのシュウマイを箸でつまむ。
「これ、食べるか?」
「え、くれんの?」
「どうぞ」
パクリと一口で頬張った。
やはり、蓬莱寺は食いつきっぷりがいい。
「うまい!」
租借して、飲み込んで、上がった歓声に、光は笑いながら次のおかずを箸に取る。
「有難う、そう褒められると、嬉しいよ」
「いやいやいや!お前マジでコックとかいけるって、少なくとも、俺に関しちゃ満点だぜ」
「褒めすぎだよ」
「へへへ、だってさ、ホントうめえんだもん」
差し出した鮭も、やはりパクリと食べた。
何だか面白くて、もっと食べさせてやろうかと考えて、ふと、思い立つ。
「そうだ、蓬莱寺」
「ん?」
「そんなに俺の弁当がうまいなら、明日から、お前の分も作ってこようか?」
「―――えっ」
一瞬、呆けた顔をして、それから大仰に仰け反って、目を丸くして口をぽかんと開けた。
なんとも間の抜けた蓬莱寺を眺めながら、光はどうかな、と返事を求めた。
「そ、そりゃあ!」
「うん」
「作ってくれんなら、ありがたい、けどよお」
「何?」
「面倒だろ、俺の分もなんて」
「俺は、別に、重箱にすればいいだけだから」
「持ってくるの大変だろ?」
「そうでもないよ」
そうなのか、と聞き返してくる、蓬莱寺の目がすでに期待でキラキラと輝いている。
(分かり易過ぎる)
思わず笑ってしまったけれど、笑顔は好意的に受け取られたようだった。
「じゃあ、まあ、お前がそこまで言うんなら」
「ああ」
「やったぜッ」
拳を握って両腕をグッと後ろに引くような仕草をして、直後に蓬莱寺は頬を染めながら、いやそのと口籠っていた。
光は食事を再開する。
蓬莱寺も、残っていたパンをむしゃむしゃと食べ始めた。
和やかな春の景色。
花風に、うららかな陽気が優しい歌を奏でる。
「いいな」
「うん?」
「春は、温かくて、心が穏やかになる」
「お前って詩人な」
缶のコーヒーを飲んで、蓬莱寺が笑った。
「やっぱ変な奴だ、俺の周りにはないタイプだぜ」
「そうなのか?」
「ああ」
ならば、珍しくて気にかけられているのだろうか。
誰に対しても親切というわけでもなさそうだから、ある意味、美里とは正反対の人物と思う。
美里は分け隔てなく、皆に平等に接しているように見える。
(佐久間はそのあたりが気に入っているのかな)
昨日の蓬莱寺の話を、不意に思い出していた。
「どうした、御剣」
「佐久間は」
「あ?」
そこまで言って口を閉じた光の、言葉の続きを察して、蓬莱寺が眉間を寄せた。
「気にする事ないぜ、奴がガッコに来ないのは、まあしょっちゅうだ」
「昨日、机を蹴って出て行く前、睨まれたんだ」
「危ねえな、そんなら、まさか出待ちとかされたりするかもな」
「出待ち?」
「仲間集めて、お前の事ボコろうって寸法だよ、流石にここじゃヤバイだろ、あちらさんもそれくらい弁えてんだろうぜ」
「そうなのか」
「俺の勝手な想像だ、そう気にするこたねえが、そうだな―――もし心配なら」
一緒に帰るか?
蓬莱寺は、軽い口調と裏腹に、とても真剣な目でこちらを見ていた。
心配しているのだとすぐに判った。
佐久間の事は別にしても、蓬莱寺と一緒の下校を断る理由も特になかったから、光は頷き返した。
「んじゃ、放課後、ついでに飯食って帰ろうぜ」
うまいラーメン屋があるのだと、今度はけろりと表情を変えて、蓬莱寺はニコニコ話し始める。
それも目当ての一つだったのかと、ようやく思い至った。
この、やたら親しげな、おせっかいなほど気のいい級友に、光は随分打ち解け始めていた。