子供が泣いている。

どうしようもない現実に、忌まわしい連鎖の定めに、絶望して泣きじゃくっている。

よく見ると背中には小さな翼が生えていて、その片方が引きちぎられたようになくなっていた。

(あれは、俺・・・?)

欠けた片翼の存在を、どうして今まで忘れていたのだろう。

わからない、わかっているのは遠い昔の幻のような記憶だけ。

あの黄金色に輝く一時、甘く囁く彼の声が、壊れた録音機のように同じ言葉を繰り返す。

「僕も、光を愛しています」

重なる面影は同じなのに、瞳の色はまるで別人のようだった。

遠ざかっていく姿に必死で手を伸ばす。

掴んでも掴みきれない影を、がむしゃらに泣き叫んで引きとめようとしている。

行かないで、行かないで、行かないで・・・・・

忘れ、ないで。

吹き荒れる桜の向こうに消えていく影に向かって、誰かが死に物狂いで叫んでいた。

「行くな、ひかるううう!」

 

「光?!

室内を照らす陽光がやけに目にまぶしい。

顔に落ちる影を見て、伸ばした自分の両掌の指の隙間からその光が射してくることに気が付いた。

「あ、れ?」

光は、自分の声をどこか他人事のように聞いていた。

それに重なるようにして、隣から重いため息が漏れる。

振り返ると蓬莱寺が椅子に座ってこちらを見ていた。

光は辺りを見回して、ようやく今いる場所が病院であることに気が付いた。

(そうか、俺は・・・)

清潔なシーツに包まれた体には幾重にも包帯が巻かれ、衣服も入院患者用の簡素なものに替えられていた。

「光、大丈夫か、痛い所とかないか?」

無言で頷いた光にようやく安心した笑顔を見せてから、それでも蓬莱寺の表情はまだどこか不安げだった。

声だけがいつも通りに話しかけてくる。

「怪我は全治一ヶ月、まあ、もっともお前の場合そんなにかかるかどうからしいが」

「どういうことだ?」

「治りが異様に早いって言ってたぜ、尋常じゃない・・・とかな」

怪訝に眉を寄せた光に、蓬莱寺は僅かに慌てたそぶりを見せた。

「ああ、心配すんなよ、ここは俺のかかりつけで、腕はいいし口も堅いから」

「でも」

「お前の怪我のことだって詳しくは聞かない」

暗に聞かれたら困るのだろうと言っていた。

蓬莱寺は勘がいい。もしかしたら医師から何か聞いて、彼なりの配慮をしてくれているのかもしれない。ため息をつきながら重い瞼をゆるゆると閉じると、その向こうに古い思い出が浮かび上がるようだった。

蘇った過去の記憶。

五年という歳月に、歪んでしまった彼の面影。

また涙が浮かんできそうで、きつく瞼を結ぶと何かが髪に触れた。

「あっ」

見上げた瞬間、蓬莱寺が手を引っ込めた。

「ごめ・・・俺」

落ち着かない様子でこちらを窺っている。

「・・・なあ、光」

散々迷って決めたように、言いづらそうな彼の口がぽつぽつと話しかけた。

「あのさ、その、あいつの事なんだけど」

誰?と聞こうとして、光はすぐに思い当たって表情を曇らせた。

気配に気付いた蓬莱寺も苦い表情を浮かべる。

「壬生紅葉って、何者なんだ?」

答えずに、光は首ごと顔を背けた。

背後から伝わってくる蓬莱寺の困ったような気配に、悪いと思いつつも言葉が出てこない。

重苦しい雰囲気に室内は僅かの間沈黙に沈んだ。

「なあ・・・」

耐えかねた蓬莱寺が所在無く呼びかける。

「光、その」

「壬生は」

言葉を遮って、光は不意に口を開いた。

「彼は、俺の兄弟子だった男だ」

「兄弟子?」

向こうを向いたままの後頭部がコクンと頷く。

「紅葉とは、一緒に師匠の・・・鳴瀧さんの道場で武術を習ってた」

「そっか」

そいつがどうして光の命を奪いに来たのだろう?

深まる疑問に首をかしげると、光はぽつぽつと話し続けた。

「道場で・・・仲良くしてくれたんだ、初めて出来た、友達だった」

友達、という単語に、蓬莱寺の肩がピクリと震えた。

あの時の光の態度はそんな感じなんかじゃない、むしろそれは・・・

考えかけて蓬莱寺はやめる。今そんな事を邪推して、無駄に気を悪くしたくなかった。

それに、多分自分の推察は当たっているだろう。あれを見れば誰だってそう考えるはずだ。

ベッド脇で強く握り締めた拳は、想いの当人に気付かれることはなかった。

「本当に良くしてくれて、親友だった」

声色が沈む。

「大好きだった」

何気なく呟かれたその一言が、やけに胸の奥で響いている。

蓬莱寺は少しだけ顔を背けた。

「でも俺は・・・あそこであいつに会うまで、その記憶がなかったんだ」

「え?」

驚いて注視すると、不意に光がくるりと体の向きを変えて振り返った。

泣いているかと思って心配していたが、酷く真剣な表情をしている。

「原因は大体想像がついてる」

「お、おい、光」

「思い出した記憶が全部偽りのないものなら、俺の記憶を操作したのは間違いなく彼女だ」

「彼女?」

光は重々しく嘆息する。

「妹の朋恵だ」

蓬莱寺は話の流れが全然見えてこないようで、困惑したように眉を寄せていた。

「どうしてお前の妹さんが、お前の記憶をいじったりなんかできんだよ」

答えないで光は半身を起こしかけた。

その様子に慌てて補助の手が差し出される。背中と肩を支えられて、何とか起き上がると腹部にまだ鈍痛が残っていた。

「おい、いくらお前がとんでもなく丈夫でもよ、ここ来てまだ三日しか経ってないんだぜ?」

「三日?」

そんなに長いこと意識を失っていたのか。

蓬莱寺が丸三日、死んだように眠っていた旨を教えてくれた。自分はやっと今目覚めて、それで本当に安心したらしい。

「すぐ動くなんて無茶だ、確かにとんでもない治癒力だってセンセは言ってたけどよ」

切り傷などはもうほとんど治りかけていて、腹の内部の損傷も驚異的な速さで回復しつつあるらしい。

彼を診察してくれた院長の岩山が冗談交じりに「喧嘩するために産まれてきたような体だね」と笑ったのを改めて思い出し、蓬莱寺は何ともいえない気分になっていた。

まるで戦うために産まれてきたような頑強な肉体。

こんなに白くて細いのに、光は驚異的な戦闘力で立ちはだかるものを全て粉砕してきた。

確かに彼は強い、けれども自分は知っている。

超人的な身体能力の奥に潜む、まるでアンバランスなガラスのように脆い心を。

壬生紅葉と再会した時の様子を見て確信した。こいつは、周りが思うほど絶対的な奴じゃない。

陰鬱に曇る綺麗な横顔を見ていると、何が何でも守ってやりたい気持ちが胸の奥からあふれ出してとめられなかった。

「放せ、蓬莱寺」

「え、あ!」

言われて初めて、蓬莱寺は自分の手が光の肩をがっちり握り締めていたことに気が付いた。

慌てて手放して気遣う。光はそこを少しさすって、大丈夫だからと答えた。

そのままきしむ体に顔をしかめながら、ベッドサイドに足を下ろす。

「あ、おいコラ!だからお前はまだ寝てねーと・・・」

「俺は行かなくちゃいけないんだ」

「どこにだよ!」

立ち上がろうとして僅かによろめいた体を抱きとめるように支えて、顔の側で蓬莱寺が問いかけた。

光は前を見据えたまま、確固たる意思を秘めた声ではっきりと告げる。

「妹に、朋恵に会わないといけない」

 

(続きへ)