もてなす、といった朋恵の言葉は本当で、その日の夕食はここで暮らしていた光から見ても随分豪華に整えられていた。

久々に帰ってきた家主を歓迎する意味もあるのだろう。

光の家は代々商いを営んでいて、本宅は京都の方にあり、朋恵の実親、光にしてみれば育ての親である人たちはそちらで暮らしている。こちらにあるのは別宅で、光は次の当主であるからここの主人も当然彼であった。家の名義自体は義父のものであったが、この家では誰もが光を若旦那様と呼んで慕っている。

「ワカサギの唐揚げだ・・・」

好物が並んだ卓上に特に好きな食材の一つを見つけてポツリとこぼすと、給仕の手伝いが茶碗に米をよそいながら微笑んだ。

「若様がお戻りになられたんで、急いでお取り寄せいたしました」

「そんな、いいのに」

「私ども嬉しいんですのよ、これくらいはさせていただきませんと」

ありがとうといって茶碗を受け取る姿を、蓬莱寺は何か珍しいものでも見るような目でしげしげと眺めていた。視線に気づいた光が首をかしげる。

「どうした?」

「いや、お前って本当におぼっちゃまだったんだなーと思って」

「なんだ」

そんなことか、とつまらなそうに言う光をちらりと見て、朋恵が困り顔で笑った。

「お兄様、おもてなしの席では少しは楽しい顔をなさいませ」

「今はそんな気になれない」

冷たく言い放つ姿を寂しそうに眺める。給仕もそんな二人は見慣れていないのか、蓬莱寺と同じくらい困惑した表情で兄妹を交互に見交わしていた。

「ごゆっくり」

下がるときまで心配そうにして、朋恵に言われて給仕は部屋を出て行った。

三人きりになった室内で黙々と食事の手だけが進む。

「蓬莱寺様、お兄様は学校ではどのようになさっていますの?」

「え、あー、別に普通だけど」

「普通とはどのようなご様子なのですか?」

「ええと、学校行って、勉強したり、飯食ったり、喋ったりしてる、でもまだそんなにたってねえから、遊びに行ったりはまだだけど」

そう言って蓬莱寺は思い出していた。

光が真神に転校してもう一週間ほどになるが、三日目以降はずっと病院のベッドで昏睡状態だった事を。

越してきて、いきなりあんな事があって、気づいたら自分はこんな所で飯なんかご馳走になっている。

巻き込まれたことを不快に思ったりはしていないが、この男が来てから確実に変化しつつある日常に、正直不安は否めない。

(けど、俺はこいつを守らないと)

はす向かいで食事を取る光の姿は時折酷く脆く映った。

それを守りたいと思う気持ちはまるで義務のようで、どうして自分がそう考えてしまうのか、いまだに謎だった。出会ったときからずっと感じている、それは既視感にも似た妙な懐かしさ。

(何だかよくわかんねえよな、俺はそんな頭良いわけじゃねえし、けど、光の事は守りたい)

守りたいんだ、と胸の奥で呟いて、視線を感じて振り返ると朋恵が目の端で笑っていた。

まるで気持ちを見透かされたようで、蓬莱寺は自然と赤くなってしまう。

「お兄様」

黙々と食事を続けていた光が振り返った。

「何だ?」

「よいお友達を得られましたわね」

朋恵の言葉を受けたように振り返り、幾らか動揺している蓬莱寺を見止めて光は少しだけ笑った。

「そうだな」

「何だよ、おだててもなんもでねえぞ」

照れくさくて苦笑した姿を見て、僅かに場の雰囲気が和む。

ようやく食事に味がついたようで、蓬莱寺はこっそり胸をなでおろしていた。

 

 その後なんとか和やかなまま食事は終わり、蓬莱寺はあてがわれた部屋に朋恵に案内されて去っていった。

光も数日ぶりの自室に足を運ぶ。

(まさか、こんな早く戻ることになるなんてな)

出て行ったときの気持ちを思い出して自嘲気味に笑ってみても、胸の苦さは消えなかった。

なんだかんだとうやむやにされかけているが、このまま朋恵の思惑通りに引き下がるつもりなど毛頭ない。

今夜中に何としてでも本当の事を聞きださなければ、どうにも眠れそうに無かった。

(それに・・・でないと俺は)

妹を、何より信頼している朋恵を、許すことが出来ない。

怒りの原因は壬生から引き離されたことよりも、朋恵が自分を裏切った事実の方が大きかった。

彼女が相手では一筋縄ではいかないだろうが、それでも必ず答えてもらわないと。

物のない部屋で、所在無く用意された一組の布団と浴衣を目に留めながら、光は大きく息を吐き出していた。

襖の外は夜、すでにとっぷりと日は暮れて、コノハズクの鳴き声や、風が時折庭の枝を揺らす音だけが闇に聞こえる。庭園の一角に面した室内には、障子紙を通してぼやけた月の光が差し込んでいた。

光は電燈もつけずに立ち尽くしながら、三日前の痛い出来事に思いをめぐらせてみる。

「・・・紅葉」

ポツリと呟いた声は本当に頼りなくて、僅かに失笑が漏れた。

「俺は、いつからこんなに情けなくなったんだ」

御剣の家に産まれて、初めから役目以外のことなどありえなかった人生に差し込んでしまった一筋の光。

そのせいで振り回されて、今も心は千路に乱れている。剣が姫を疑うなどという事があるはずもないのに。

壬生紅葉との出会いがそうさせるのなら、ひょっとして朋恵の行動もそのあたりに起因するのかもしれない。

「紅葉」

もう一度だけ呟いた時、庭から鈴の音がした。

(ちりん)

耳を済ませないと聞こえないほどの小さな音であったのに、その途端光ははじかれたように全身をビクリと震わせた。

(ちりん)

もう一度聞こえる。まるで自分を呼んでいるかのように。

(ちりん)

一緒に届く気配に心音がどんどん早くなっていく。

光は思わずシャツの胸を握り締めていた。

(ちりん)

わかる。

(ちりん)

この気配は知っている。

(ちりん)

けれど、どうやってここに入ったのだろう?

呪術を収めた者達が畏怖する御剣の結界は、人に破れるものでない。

昔から妹はそれを家全体に満遍なく施していた。剣姫のかける呪は普通の術士の呪と違い、その基盤は万物を形作る根底の力。根本から作り変えることで、邪悪を避ける結界と成す。つまり、ここにある土や草、その他諸々の白壁のうちにある物質全てが各々結界を構成していて、幾重にも重なり合うそれを抜けるすべなど無いはずだった。

(そんなこと出来ないはずなのに・・・)

それでも今感じるこの気配は間違えようも無い。

理屈はともかく、それは今、この瞬間確かにここにいるのだから。

(ちりん)

また聞こえる。呼んでいる。

光は意を決し、振り返って庭に向かう襖を開けた。

月明かりに照らされた庭内に、呼吸を止めて辺りを見回す。

(ちりん)

銀の光の遊ぶその中、まるで影法師のようにたたずむ姿があった。

片手に持った鈴をそっと下ろし、ポケットにしまってから彼は笑う。

「光」

「紅葉・・・」

見つめかえす深い色の瞳に引き寄せられるようにして、光はフラフラと軒先に降りていた。

「どうやって、入った?」

震える声で尋ねると、ああ、と造作もなく答えが返される。

「何もしていない、僕はここに入る資格があるんだ」

「どうして」

「君が居るからだよ、光」

微笑んで、不意に両腕が伸ばされた。

「おいで」

光は手のひらを握り締めた。汗ばむ拳を震わせて、全身を戦慄かせながら壬生を凝視する。

壬生は微笑んでいた。あの頃と同じ、優しすぎる気配を漂わせて。

「おいで」

もう一度だけ呼ばれて、光は彼を睨む瞳に涙をにじませる。

言葉の裏に確かに感じる殺気。

けれども自分はその声を拒めない。溢れてくる想いの前に、そんなことできるわけが無い。

おぼつかない足取りで近づいてくる光を見止めて、壬生はますます優しい笑顔を浮かべた。

「光」

「くれ、は」

あと一歩・・・壬生の手がもう光を捕まえる。

真っ白になった思考の裏で、ああ、ここで殺されるのだなとぼんやり考えていた。

(役目・・・果たせなかったな・・・)

もしかしたらこれが運命だったのかもしれない。

世界は滅びる。その最後の引き金が、この自分。

目の端をぬるいものが伝わった。壬生の表情が、少しだけ歪んだ。

(ごめんなさい・・・)

指がシャツに触れる。

その直前。

「お兄様!」

鋭い悲鳴にビクリと立ち止まった光を、壬生の手が強引に引き寄せて腕の中に抱きとめた。

片腕で腹を抱え、もう片方の手は喉を捕まえる。

しっかりと押さえつけられて、息苦しさに光は僅かに喘いだ。

「貴様・・・痴れ者め」

忌々しげに吐き捨てる朋恵に向かい、壬生は冷たく微笑んだ。

「久し振りだね、御剣朋恵・・・五年ぶりかな?」

 

(続きへ)