縁台の上から忌々しく睨みつける視線を、色のない瞳は涼しげに正面から受けて流した。
捕まえた光が腕の中で身じろぎしながら小さく自分の名前を呼んだので、ちらりとそちらを見てから耳元に囁く。
「まだ僕を呼ぶのかい?こんな目に遭いながら」
「紅葉・・・どうして」
「妹に何も聞いていないのか」
「お兄様を放しなさい!」
鋭い叱責に、壬生はくつくつと声に出して笑う。
「相変わらずだな、君は」
「放せと申しておろう、はようお返し」
「嫌だ」
喉元をきりりと締め上げて、そのせいで光が掠れた声で悲鳴を上げた。
朋恵が再び怒鳴ろうとする直前、獲物を手にした蓬莱寺が庭先に飛び出してくる。
「てめえ、また来やがったのか!」
構えた切先にくるりと身を代え、壬生は光を盾にした。
「君は、あのときの剣客か」
「覚えていてくれたとは光栄だな」
「随分時代錯誤な趣向だね、髪は結わないのかい?」
「うるせえっ」
おかしそうに笑う声が庭に響いた。
「護衛を気取るのは勝手だが、随分と馴れ馴れしいじゃないか」
正面を向いたまま、光の頬に顔を寄せる。
「僕の光に」
「お前のものなどではない!」
朋恵が叫んだ。
そのあまりの剣幕に蓬莱寺は一瞬ビクリとし、壬生は醒めた視線を向ける。
「僕のものだよ」
感情を感じさせない声がさらりと返される。
「僕が貰っていくんだ、こんなくだらないくびきの中になんて、いつまでも居させやしない」
「貴様・・・」
壬生はまた笑った。
捕らわれた光はただ目を閉じて、身動きさえしない。
その様子が痛ましくて、悔しくて、蓬莱寺は奥歯を強くかみ締めた。
「光・・・」
腹に触れる壬生の手がそっとその辺りを探る。
「やはり傷はほとんど治りかけてる、か、相変わらず丈夫だね」
光は僅かに呻いた。
「ごめんね、ちょっと痛いよ」
優しい声とは裏腹に、肋骨に添えられた指先と腕が妙な動きをした途端、ゴキリと嫌な音が体内に響く。
「ぐっ・・・!」
一瞬目を剥いて、光の口から赤い色が一筋伝った。
「お兄様?!」
「光っ」
「動くな」
捕らえた光の体を手前に構えて、目の前の二人を威嚇しながら壬生の手が今度は心臓の上辺りに触れる。
「六つ星の、一つ目を封ずる、これは血の盟約にして、解くこと叶わず」
口を閉じてから一瞬顔をしかめて、またもとの無表情に戻った壬生の口元に僅かに血がにじんでいた。
首を押さえていた手を顎につけて、力ずくで仰向けにしながらニッコリと笑う。
「これで、一つ目」
その直後の出来事に朋恵と蓬莱寺は絶句した。
間断なく訪れる痛みに混沌とした意識を必死で保ちながら、光の瞳に新たな涙が滲んでこぼれる。
壬生は、血に濡れた唇で光に口づけを施していた。
潜り込んできた舌先から伝う鉄錆のような味が喉の奥まで染み渡り、それを飲み込むのを確認してようやく唇が離される。
ぐったりと脱力する様子に瞳を細めた壬生を、蓬莱寺が上段の構えでたまらず切りかかっていった。
「てめえ、このっ・・・!」
その動きを視線の端でちらりと捕らえ、切先の届く一歩手前で壬生はするりと身をよける。
学生服の端が一辺切り落とされた。
「無茶するね、僕はまだ光を捕らえているのに」
そのままきりかえして今度は下段から降られる太刀を、大きく飛びのいて避けながら壬生が笑う。
「ダメだよ、そんな剣じゃ光を傷つけてしまうよ」
「うるせえ!てめえ、ふざけんじゃねえ!」
激昂する蓬莱寺に肩をすぼめて、壬生はもう一度だけ光の頬に唇を寄せる。
「光、また今度・・・それまでに死なないように」
うっすら開いた視線をただ向けて、光は物言いたげに壬生を見上げた。
「君を壊すのは僕だ、次に会う時までに、ちゃんと元気になっているんだよ」
「壬生ぅ!」
狙い定めて切りつけた刃はその身に触れる事はなかった。
捕らえていた手を離して壬生は軽々と宙を舞い、そのまま庭の奥へと走り去っていく。
「てめえ、待ちやがれ!」
怒号と共に追ってくる蓬莱寺をちらりと見て、目前まで迫った白壁の前でふと立ち止まり、壬生はぱっと振り返った。間合いを取って立ち止まった彼の顔を見据えてニヤリと笑う。
「では、また」
不敵な表情にぐっと息を詰めた蓬莱寺が怒りに任せて切りつける寸前で、飛び上がった長身はやすやすと壁を越えて闇に溶けた。後を追おうとする蓬莱寺を少女の声が呼び止める。
「おやめなさい!」
でも、と言いかけて、彼は彼女の腕に抱かれている姿に気が付いた。
一瞬だけ迷って、すぐその側へ走り寄る。
「光っ」
膝をついて覗き込むと、光は喘ぐように切れ切れの呼吸を繰り返していた。
息を吐くたび一緒に血がこぼれだすので、あばらが折れて肺に刺さっているのだと気づく。
「お兄様」
朋恵は蓬莱寺を見上げて、強い声で促した。
「早く、救急車を」
「お、おう」
慌てて携帯電話をとりに行く後姿を見送りながら、朋恵は小さく印を切った。
これで壬生の施した結界は消える。彼は、他の家人がこられないように呪をかけていた。もう少しすれば異変に気づいた家の者が大勢やってくるはずだ。
「と、もえ」
ゴボゴボと血色の泡を吐き出しながら、光が呼んだので朋恵は慌ててその手を握りしめた。
「お兄様、喋ってはなりません、怪我が」
「教えて、くれ、ど・・・して」
必死の形相で尋ねる兄に、朋恵は唇を噛んで目を細めた。
「お兄様・・・」
痛苦と衝撃でよどんだ目が、それでもまだ彼女に答えを求めている。
たまらず朋恵は胸の内を吐き出すように答えていた。
「私は、貴方のお役目のため、あの男の存在を拒んだのです」
「な・・・ぜ・・・」
「あの男がお兄様の心を捕まえようとしていたから、この地に未練が残れば、貴方は」
「そ・・・な、こと・・・」
ない、と最後に唇だけ動いて、声は途絶えた。
崩れ落ちる体を抱きとめて、着物が血で汚れるのも構わず必死に意識を集中する。
(龍よ・・・)
少女の全身が淡い青色の輝きに包まれた。
その光は兄に伝わり、全身を覆ってより強い光へと変わる。
「お兄様・・・」
いつの間にか朋恵は泣いていた。
胸に渦巻くのは壬生への、自身への怒り、そして、兄への謝罪と深い後悔の思い。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい、お兄様・・・」
震える声は、駆けつけた家人が彼女を呼ぶまで途切れる事はなかった。