それがどういういきさつだったのか、どんな裏事情があったのか、俺は知らない。

けれども彼と出会ったのは忘れもしない13歳の春。

産まれて初めて連れ出された屋敷の外は、よどんだ空気と埃くさい風が印象的だった。

 

「ようこそ、本家からのわざわざのお越し、歓迎いたします」

「うむ、しばし世話になる」

まるで一端の大人のような振る舞いをする朋恵の姿を光はぼんやりと眺めていた。

兄の光13歳、妹の朋恵10歳、二人はまだ幼すぎるほどに子供の外見をしている。

けれどその精神が恐ろしく成熟している事を、知っているのは彼等の存在自体を知る、ほんの一握りの人々だけだった。

「して、手配の方は如何様だ?」

「はい、光様がいらっしゃる間は世話の者以外ここへ訪れぬようにしてございます」

「世話の者とは?」

「私の秘書で、道場を任せている者でございます」

「信用は」

「無論、万全です」

満足そうにうなずく彼女の髪に刺したきらびやかなかんざしが反射してキラキラと輝いていた。

「お兄様」

朋恵は振り返り、柔らかな笑みを満面に浮かべる。

「車の中でお話しましたとおり、しばらくこちらの方で武術をお学びあそばせ」

「ここで?」

「ええ、そうですわ」

不安げに眉を寄せる光に、妹は何も心配要らないからと何度も言って聞かせた。

「この場所も、この男も信用できます、お兄様は屋敷でしていたように振舞えばよいのです」

光は黙って気丈な姿を静かに見つめている。

「私では教えきれない事をこの者に教わっていらしてください、お兄様には必要な事です」

「必要」

「そうですわ」

軽く頷いて、朋恵は続けて言う。

「一月後迎えに参ります、不自由があればいつでも本家へ連絡を、式鬼を飛ばしてくださいませ」

そして一通の真っ白な封筒を手渡された。

「この中に式鬼が入っております、お兄様以外の人間が開けた時、お兄様がこれを私の元へ届けたいと思ったとき、私の元へ戻るように呪がかけてあります、私以外には絶対に解けない呪ですわ」

光は封筒をしっかりと握り締めた。

了解の意味を込めて頷くと、朋恵はニッコリ微笑んだ。

「それではしっかりおやりなさい、一月後のお兄様の成長を楽しみにしています」

「うん」

朋恵は先ほどまで話していたスーツ姿の壮年の男のほうを振り返り、もう一度光の事を念入りに頼んだ後で、赤いぽっくりの鈴をチリチリいわせながら横引きのガラスのはまった桧の格子戸を開けて出て行ってしまった。

最後にちらりと振り返り、少し寂しそうな視線だけを残して。

無言で立ち尽くす光の肩を先ほどの男が軽く叩いた。

「光君」

振り返ると男は友好的な笑みを浮かべている。

「すまないな、だが、様付けなんて君の柄じゃないだろう?」

「はい」

そこでようやく緊張がほぐれて、光は少しだけ微笑んだ。

男は瞳を細くして、とても温かなまなざしで光を見つめていた。

「自己紹介が遅れたな、私は鳴瀧冬吾という」

「御剣光です、よろしくお願いします」

知っている、と答える鳴瀧のことも知っているような気がして、妙な懐かしさに胸の奥が何故かうずくようだった。

鳴瀧は光を部屋まで案内すると、この道場の事、決まりごとや日用品の場所まで詳しく説明してくれた。

「とりあえず君に必要と思われるものは全てそろっている、だがまだ何かいるようであれば、私かここを任せている青山に言いなさい」

「はい」

「それとこの部屋は二人部屋だ、君のほかにもう一人、ここを使っている者がいる」

「俺のほかに?」

「そうだよ、この道場には寝所に使えそうな場所がここと離れしかなくてね、だが離れは青山が寝泊りしているから」

「それは構いませんが」

その人は誰なんですか?と問いかける光に、鳴瀧は心配要らないと穏やかに微笑んで見せた。

「私の弟子でね、今一番成長を見込んでいる少年なんだ」

「少年?」

「ああ、君と同い年の真面目な人間だ、きっと気が合う」

いまいち賛同しかねた光が無言でいると、鳴瀧は声に出して笑ってから部屋を出て歩き始めた。

「道場へ行こう、青山も彼も、今はそちらで訓練中だ」

促されるままに鳴瀧の後に続く。

道場全体は昔ながらの日本的建築で構成されていて、入り口から入って廊下を少し行くと約三十坪ほどの広さの道場があった。

その脇をぐるりと廻るように庇のついた廊下が渡されていて、道場の裏には炊事場と風呂場、厠、少し離れた場所に光があてがわれた寝所があり、炊事場から伸びる庭に張り出された廊下の先に離れが建っている。

道場に近づくにつれて人の声が聞こえてきて、それは少年のものであるのだろうと光にもおぼろげに推察できた。

「さあ、ここだ」

磨き抜かれた床板を踏んで、鳴瀧と光は道場に入った。

「青山、紅葉、御剣の客人が参られた、挨拶を」

組み手をしていた道着姿の若い男がこちらへやってくる。

その後に続くように、光と同年代らしき少年が歩いてきた。

「館長、この子ですね?」

若い男は人懐っこい笑みを浮かべていた。

額の中央で前髪を分けて、首の後ろを刈り込んで毛先を整えた髪の色はわずかに茶色をしていて、背丈は鳴瀧と同じくらいあるようだ。

「いや〜綺麗だなあ、こんな子が現実いるなんて、世間は広いですねぇ」

「青山、あまりからかうな」

「あはは、すいません」

笑って差し出された手に、光は無言で握手を交わす。

「青山優希です、よろしく」

「はい」

「これから一ヶ月、貴方の身の回りのお世話をさせていただきます、御用があれば何なりと言ってください」

「ありがとうございます」

微笑むと、青山は一瞬驚いた顔をしてからわずかに赤くなって苦笑を洩らした。

「まいったなあ」

鳴瀧はその様子を面白そうに笑い、それから青山の隣にいる少年の方に視線を向ける。

「紅葉、君も挨拶を」

紅葉と呼ばれた少年は落ち着いた声で「はい」と答えた。

黒い髪に黒い瞳、光より少し背の高い大人びた雰囲気を持つ少年だった。

「御剣光君」

「は、はい」

いきなり呼ばれて少しだけ驚く。

「僕は壬生紅葉、君がここにいるのは短い期間だと館長から聞いたけれど、その間お互い少しでも技を磨く事が出来るといいな」

「うん」

話す雰囲気にどことなく好感が持てて、素直にうなずくと、壬生の表情がわずかに和らいだようにみえた。

「よろしく」

差し出された手に光も掌を重ねる。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

しっかりと握手をした後で、鳴瀧が大きく手を打って早速鍛錬を始めようと場の全員に呼びかけた。

手渡された道着を持って部屋へ行き、着替えてから戻ると鳴瀧も道着に着替えて待っていた。

「少し体を暖めてから本格的に始めよう、紅葉は手伝ってやりなさい」

「はい」

向き合った壬生が軽い打ち合いをすると告げてくる。

光は了承して、構えの姿勢を取った。

「手加減はなしだ、動きが良くなってきたら実際どのくらい打てるのか見せてもらう」

それはもちろん光に言った言葉で、途端に壬生が真剣な表情に変わる。

「君の実力、見せてもらうよ」

激しく視線をぶつけ合う二人の耳に鳴瀧の合図が聞こえた。

次の瞬間、光と壬生は同時に床板を蹴って本気の拳を互いめがけて繰り出していた。

 

 日も暮れ、道場には明かりがともり、すっかり疲れ果てた頃に鳴瀧が鍛錬の終了を告げた。

汗だくで息の上がっている壬生と光に青山が道場の清掃を申し付ける。

「お前たちを鍛えてくれている場所だ、丁寧に、完璧に磨きぬけよ?」

自分は夕食の支度をするために出て行ってしまった青山に、片付けなければならない書類が残っているからと鳴瀧も行ってしまい、道場には二人だけが残された。

勝手知ったる様子で奥に雑巾を取りに行く壬生の後について、光も道着の袖をまくりながら彼に声をかけた。

「バケツはある?水はどこで汲んで来ればいいのかな」

壬生は少し驚いたようだった。

「君、掃除できるのか?」

その一言に少しだけむっとした表情を浮かべる。

「掃除以外もできるけど?」

「あ、いや、すまない」

慌てて否定して、バケツを手渡しながら壬生は気まずそうに眉を寄せた。

「君の事を館長から聞いて、どうやら勝手に誤解していたらしい」

「誤解?」

「君は、生まれてからずっと屋敷で育ったんだろう?」

今度は光が驚く番だった。

「知ってるの?俺のこと」

「少しだけだよ、君が御剣という家の人間で、生まれてこの方外にでた事がなくて、そして」

そこでちょっと言葉を区切る。

「―――そして、これは今日知ったけれど、君が物凄く強いということ」

「そんな、俺なんかまだまだだよ」

途端浮かんだ予想外に優しげな微笑に、光はまた驚かされてしまった。

「あれだけ出来て、それでもまだまだだなんて、君は随分と向上心があるんだな」

「そんなじゃ、ないけど」

照れて赤くなる姿に壬生の目がそっと細められる。

「御剣」

自分より背の高い彼を見上げると、骨ばった指が肩にぽんと乗せられた。

「これからよろしく、君となら僕もより高みが目指せそうだ」

「俺のほうこそ、よろしくお願いします」

頷いて、これが友達というものなのかなと考えていた。

産まれて初めて出会った同年代の血縁でない人間に、興味を抱かずにいられない。

光は内心の喜びを隠しきれなかった。

(壬生紅葉、か)

何だか気の合いそうな人だ。

彼となら上手くやれる気がする。

そう思ってニッコリと微笑むと、壬生は少し目を見開き、それから水道の場所をわかりやすく教えてくれた。

「夕飯までまだ時間がある、手際よく終わらせてしまおう」

「うん」

後姿が道場から出て行ってしまうまでの間、見送る彼の双眸の奥深くでチロチロと燃え上がる何かがあったことに、その時は誰も、壬生自身すら気づいてはいなかった。

 

(続きへ)