それから一週間、全ては順調に流れていった。
光は朋恵以外の人間と対峙することで新たな戦いの極意を掴みつつあった。
やはり、一人で教えられる事には限界があるのだろう、それを見極めた彼女の聡明さには改めて感心させられる。
兄のために色々と気を回してくれる妹の心遣いがとても嬉しかった。
そして、初めて得た友が光にとって大きな意味を持ち始めていた。
壬生紅葉の存在は常に新鮮な驚きと喜びを与えてくれる。
彼と手合わせをして、技を磨きあう事は本当に楽しかったし、実際二人の武術の腕前も見てわかるほどにはっきりと進歩していた。
「紅葉、さっきのはちょっと着地が悪くなかった?」
「光もそう思うか、僕も後半歩ほど下がるべきだったと考えていたんだ」
名前で呼び合うほど親しくなった二人の姿に、鳴瀧はいつでも満足そうだった。
「やっぱり、反撃も視野に入れると、半身だけで間合いを詰めるようにしたほうがいい気がするよ」
「軸足でか?」
「そう」
「まあ、僕は蹴りが主体だからね、そのほうが動きやすいかもしれない」
「裏の基本は一撃必殺だから、でも、それを言ったら俺の表だって同じようなものだけど」
「光は腕が細い割に、いい拳を出してくるからね」
「あ、それは気にしてるんだぞ!」
笑いあう二人に、様子を見ていた青山が鍛錬の終了を告げた。
「ほらそこ、遊ばず片付け、道場の掃除!」
「はい」「はい」
答えて行こうとする二人を鳴瀧が呼び止める。
「二人とも、少しいいかね」
「なんですか、鳴瀧館長」
壬生の問いかけに鳴瀧はうなずいた。
「私用が出来たので、一週間ほどここを留守にすることになってしまった、不在中の諸事は青山に一任してあるから、彼の言う事を聞いて真面目に修練を積んでおくように」
「一週間も?」
その間手合わせをしてもらえないことが残念で、光は思わず不平を声に出してしまった。
鳴瀧は苦笑して、すまないと少しだけ頭を下げる。
「なるべく早く戻ってくるつもりだ、その間は紅葉や青山と手合わせをして経験をつみなさい、いいね」
見送りの青山と共に道場を後にする鳴瀧を見送って、つまらないとぼやく光の隣で壬生がしかたないよと微笑んだ。
「館長はお忙しいから」
「うん、わかってるけどさ、でも鳴瀧さんから教わることって凄く多いし」
「僕もいるじゃないか」
光は壬生を見上げた。
「うん」
ニッコリと笑う。
「そうだな、紅葉と、青山さんがいるよな、二人にも教わる事は多いからいいか」
「随分と現金なんだね、光?」
「一ヶ月しかここにいられないし、もっとたくさん経験をつんでおきたいんだ」
その瞬間、本当に一瞬だけ、壬生が険しい表情をしたような気がして光は瞬きを繰り返した。
「そうだね、短い間だし、なるべく多く学べる方がいいからね」
そう答える彼はいつもどおりだけど、何かが違うような気がする。
「うん」
(でも、なんでだろう)
理由のわからない感情に、光はとりあえずそれを保留することに決めた。
「でも、まずは道場の掃除かな?」
「はい」
イタズラっぽく笑い合って、掃除用具置き場に向かいだす光が左腕をわずかにさする。
壬生は気づいていたが、何も聞かなかった。
二人はいつも通りに分担して道場の掃除に取り掛かった。
夕食が終わって、青山は離れに戻ってしまった。
光は壬生と共同で使っている部屋へ戻り、一緒に風呂を済ませて寝床の支度を整える。
「これでよしと」
屋敷では布団を敷いて寝ているので、手際よく終えた光の隣で壬生も布団を敷き終えたようだった。
動き回った事で多少乱れた浴衣を調えて、光が横になるのを確認してから壬生が電燈のスイッチに手を伸ばす。
「消すよ?」
「うん」
部屋が暗くなり、隣の布団に壬生がもぐりこんでいる音を聞きながら光は天井を見つめていた。
「ねえ、紅葉?」
「うん」
「ここに来てもう一週間になるけど、俺、毎日凄く楽しいよ」
「・・・僕も、だよ」
控えめな声が聞こえて、振り返ると壬生は背中を向けていた。
「君と会えて良かったと思っている、僕も楽しいよ」
「そうか」
なんだかたまらなく嬉しくなって、光はニッコリと笑顔を浮かべる。
「俺も、紅葉に会えて良かったよ」
そしてまた天井を見上げた。
後三週間もすれば自分は屋敷に戻らなくてはいけない。
そこには朋恵がいて、身の回りの世話をしてくれる人たちがいて、居心地のいい空間が待っているというのに、光は寂しいと考えていた。
(だって、紅葉がいないじゃないか)
壬生は結局外の人間だ。
今回ここに来ることができたのも、自分が技を磨くために朋恵が必要だと判断したからに他ならない。
御剣の最大の秘密に関して、部外者が割り込む余地などほんの僅かもありえなかった。
(でも、俺は)
壬生と出会うために訪れたのだと思いたい。
確かに修練を積んで以前より強くなる事は出来たけれど、それ以上に大きなものを自分は手に入れることができた。
離れたくない、ずっと一緒にいて、これからも共に鍛錬を続けたり、色々な話をしたりしたい。
けれど、自分には絶対にやり遂げなくてはならないことがある。
そしてそのためには自分を犠牲にする以外方法は無いように思えた。
光は目を閉じた。
(ああ)
自分でも気づかずに、紡がれた言葉が唇からこぼれ落ちる。
「ずっと、ここにいられたらなあ」
ふいに衣擦れの音がして光は目を開いた。
何かが動く気配に隣を見る。
「紅葉?」
布団から起き上がった彼は、障子をすり抜けて差し込む月の光に縁取られて黒い影のように映っていた。
「どうかした?」
首を傾げる光の下に、そのまま静かに近づいて、布団の端に膝をついて座る。
壬生は上掛けをそっと捲り上げて、横たわる光の姿を露にした。
「紅葉?」
驚いて目を丸くする上に、ゆっくりと圧し掛かってくる。
唖然とする光の目の奥を覗き込むようにして、両脇に両手をついて、壬生の顔が寄せられた。
「く、紅葉?なに、一体どうした」
「光」
鼻先が触れ合うほどの距離から聞こえる壬生の声が鼓膜に反響する。
「君を、どこにも行かせたくない」
「なに?」
妙な気配に光はうろたえてしまう。
どうしたというのか、壬生は、一体何を考えているんだ?
疑問符が頭の中で渦を巻く。
「く、れは?」
「君と離れるなんて、そんなこと考えたくもない」
「紅葉、紅葉ってば!」
「君が、好きだよ」
言葉を理解できない間に呼吸を止められた。
それが、唇を塞がれた所為だとすぐに気付く。
壬生の唇が、光の唇に重ねられていた。
「んっ・・・んんっ」
貪るように吸い上げられて身動きが取れない。
濡れた音と共に流れ込む雫を嚥下して、段々息苦しくなってきた。
(く・・・るしっ・・・)
身を捩って逃げようとした途端、強い力で腕を掴まれて、ハッと壬生を見上げる。
「だめだよ」
訊いた事もないような、低く、暗い声。
「紅葉」
「逃がさない、今日という日を、僕はずっと待ち焦がれていたんだ、だから」
胸の上に置かれた手から頸が打ち込まれて、全身がビクリと爆ぜた。
痺れたようになり身動きが取れない。
呆然と見上げる壬生の姿に、何をするんだろう、何をされるんだろうと、不安と恐怖が渦を巻き、それを見て取った壬生の顔に薄い笑みと、悲しげな影が同時に浮かび上がっていた。
「少し手荒だけど、君は強いから、動きを制限させてもらう」
「や・・・離してっ・・・」
「だめだと言っているだろう?」
耳元に吐息が吹きかかる。
また唇を吸われ、肌にふれ、胸元をまさぐられて・・・抵抗できずにいる光の下肢に、壬生の手が触れる。
(何するつもり・・・それは駄目・・・)
瞠目して見つめる。
今、自分の瞳に、壬生の姿が映っているに違いない。
寂しげな微笑を向けられて、息が詰まりそうになった。
実際、身体は反応して、光は何度も甘い声で鳴いた。
そして予感は確信へと変わり、空を月が幾らか渡った頃、微かな悲鳴が、閨に響いた。
体を揺すられるたび、苦悶の嘆きは甘く艶やかで淫靡な吐息へと変わっていく。
知らず足を腰に絡めて、もっと奥へ、奥へと誘う、無意識の行為は壬生を更に滾らせて、光を抱き寄せ、更に深く、強く、激しく打ち付ける。
痛くて甘い、苦しくて、泣きたくなるほど心地良い。
壬生の全てが流れ込んでくる。
全てをさらけ出したいような想いに駆られる。
やがて、深く長い口付けの後、交わる二人は互いに絡み合い一対の龍の様に快楽という名の空を駆け、その最果てで壬生は迸る劣情を光の奥深くへと注ぎ込んだ。
着衣の乱れにまるで意識が回らず、あられもない姿のまま、呆然と天井を見上げる。
思考が巡ってくれない。
意識も、何もかも、真っ白に染まっている。
ただ腹の奥、身体の、腰から下にわだかまるようにして残る熱と痛みがいつまでも抜けず、当分動けそうもなかった。
「光・・・」
改めて帯を解かれて、壬生が再び肌を寄せてきた。
圧し掛かってくる姿に抗えず、淡い声を漏らす。
「紅葉・・・どうして?」
「光、すまない、僕はもう・・・こうすることでしか」
想いを、果たせなくて。
離れの外では月光は俄かに立ち込めた雲に遮られ、部屋は艶めかしい闇に満たされていった。