車はいったん屋敷へと向かうことになった。
光も特に反対しなかったので、蓬莱寺もおとなしく一緒についていく。
本当はすぐにでも新宿へ帰ってしまいたかった。戻れば、ほんの数日前の出来事だ、必ず思い出すだろう。
辛そうな光の姿など見たくないと思っていたが、門をくぐり、家に入っても相変わらず普通にしているようなので、蓬莱寺は密かに胸を撫で下ろしていた。
初めに通された居間に再び通されて、並んで卓に着いた光と蓬莱寺の正面に座った朋恵がおもむろに話し始める。
「お兄様が東京にお戻りになられる前に、いくつかお話しておかねばならぬ事がございます」
強ばった口調だった。
あまり気持ちのいい話でない事を察して、蓬莱寺は光をちらりと窺う。
光は、どこか醒めた表情で妹の姿をじっと見つめていた。
「先だってお兄様に危害が加えられた際」
気配がピクリと震える。
蓬莱寺は再び心配げに光を横目で窺う。
「あの者が残していったものがあります」
「何だと?」
朋恵に向き直った蓬莱寺が身を乗り出した。
「壬生が、何残していきやがったんだ?」
少女は答えずに、視線を兄に移した。
「お兄様はもうお気づきですわね?」
蓬莱寺も慌てて光を振り返ると、僅かに青ざめた表情がコクリ、と頷く。
「どういうことだ」
「お兄様は、呪をかけられております」
驚いてもう一度振り返っても、相変わらず朋恵は淡々としていた。
「呪の名は六門封神、御剣の守人が得意とする、一族が編み出した封呪の一つです」
「ちょ、ちょっとまてよ、呪って、どういうことだ、そりゃなんなんだ」
混乱した様子の蓬莱寺に、光がとりあえず座るように促した。
腰を下ろしても、蓬莱寺は卓に身を乗り出したままだった。
朋恵が僅かに嘆息する。
「六門封神は、血を媒介とする強力な術、この呪はかけた者かかけられた者にしか解くことはできません。呪は六度にわたって施され、最後の一つをかけられたとき、その者は無力化し、術者の手に落ちます」
「術者って」
「この場合はあの男ということになりますわね」
あの男。
壬生紅葉の手に、光が落ちると言うのか?
「そりゃあ・・・」
言われた事を反芻して、何とか理解しようと努めながら、蓬莱寺はふと気が付いて朋恵に問いかけた。
「さっきかけられた者って言ったよなあ?」
「はい」
「それって光のことだろ、だったら」
「理論上の話であって、現実には不可能ですわ」
話の意図するところを察した彼女は、結論から言った。怪訝に眉を寄せる蓬莱寺に、次いで説明を加える。
「六門封神は互いの血を体内に取り込むことにより、想い合うその心を繋げて相手の力を支配下に置く呪です、かけられる者が術者に強い想いを抱かなければ成功しない。逆に言えば、かけられる者がその想いを失くさない限り、術は衰えることがない」
「それっつうのは、つまり」
「そうです」
朋恵は頷いた。
「お兄様があの男を忘れない限り、あと五度の施術で六門封神は完成してしまう」
そんな、無理じゃないかと心で呟いていた。
光があいつを忘れる事なんてできるはずが無い。あんな目にあって、忘れられるはずが無い。
(いや、それだけじゃねえ)
蓬莱寺は光を見た。
こいつは、殺されるような目にあってもまだ、あの男のなすがままだった。
抵抗する素振りすら見せなかった。
多分、こいつの中で、あの男とのことは終わっちゃいない。
見つめられるうち、光はフイと視線を背けた。それが全ての答を肯定しているようで、辛くて目を反らす。
何故かは分からないが、胸の奥が締め付けられるようだった。
「私に解けぬ呪はございません」
重い部屋で、朋恵の声だけがよく通った。
「なれど、六門封神だけは解けませぬ、そして私に龍の記憶に触れる術は無い」
そして僅かに下を向く。
「過去、お兄様の記憶を封じましたが、それもまたあの男に会えば戻ってしまうでしょう。それに一時的な忘却では呪を解くことなどできはしない」
辺りの空気が更に沈み込むようだった。
「お兄様」
光が顔を上げる。正面から朋恵の真剣な眼差しが見つめていた。
「御身をお守りするためにも、新宿へ戻られたならば赴いていただきたい場所がございます」
「新宿に?」
蓬莱寺が聞き返すと、朋恵は深く頷いた。
「そこは、かつて徳川に仕えていた忍びの家系、ですが縁あって御剣と馴染みの深い一族が住まう場所」
「忍び?」
首をかしげる蓬莱寺に、隣で光が答える。
「忍者だよ」
「に?!」
ぎょっとする彼に構わず、朋恵は懐から和紙を取り出した。受け取った光がそれを開くと、中に住所と氏名が書き込まれている。
「そちらに、その者はおります。現存する一族最後の一人ですわ」
光は朋恵を見た。
「話はつけてあります、そこへお行きなさい」
「それは、またお前の星見か?」
「いいえ」
首を振る。
「此度は御当主様の判断です」
「父さんの?」
「はい」
光は何か考えているようだった。話の展開に乗り切れていない蓬莱寺は、黙って様子を伺っている。
「わかった」
頷いて立つと、隣で支えになるようにして蓬莱寺も立ち上がった。
それで、ここに戻った最初の日の事を思い出して光はかすかに微笑む。
こいつはまた俺を心配しているのか。
あらためて、今隣にいてくれる存在を嬉しく思う。
俺なんかに付き合って、命の危険に晒されるには勿体無いくらいイイ奴だ。こいつを危険な目になど晒したくない。絶対に。
そっと腕に手をあてて、驚いて振り返った顔に向かって小さく大丈夫だからと告げた。
蓬莱寺の頬がうっすら赤くなっていた。
光はもう一度、手にした用紙の中を読む。
「ここに、行けばいいんだな」
「はい」
思わず住所の最後に示してある、古めかしい店名を口に出して呟いていた。
「如月骨董品店、か」
現代に残る忍びの一族の、それが今の生業なのだと知った。