「御剣、光さん?」

見ず知らずの彼女にいきなり名前を言い当てられて、光は目を丸くする。

脇腹を突付かれて、見れば蓬莱寺がニヤニヤしながらこちらを窺っていた。

「おい、随分可愛いオトモダチじゃねえか、誰だよ」

「そんなじゃないけど」

言いつつ、名前を知っているなら面識があるはずだと記憶の底をさらう。

おかしな気配や殺気は感じられないから、自分をどうにかしにきた刺客という訳では無いだろう。

同じように判断したらしい蓬莱寺も隣でヘラヘラと気を緩ませていた。

「あの」

少女が苦笑いを浮かべる。

「私のことは知らないはずです、貴方はずっと眠っていたし」

「え?」

驚いた途端、蓬莱寺が突然素っ頓狂な声で叫んだ。

「ああっ」

迷惑そうに振り返った光に、彼と少女を交互に見て興奮気味に喋る。

「この娘、桜ヶ丘の!」

「何?」

「ほれ、入院してた時!お前の担当だった娘だよ、確か名前は」

少女がニッコリと微笑んだ。

「比良坂です」

「そうそう、紗代ちゃん!」

嬉しそうに話す蓬莱寺に、光は改めて比良坂へ向き直った。彼女は、白い肌に柔らかな髪と、鳶色の瞳のはかなげな印象で、看護士という職業は天職のように思えた。

「そうか、君が」

ほんの一週間ほどの間に随分と色々な事が起きた。その間に二度も入院したのだなと思って、光は僅かに苦い顔をする。気付いた比良坂が、首まで巻かれた包帯の事を尋ねた。

「患部はもっと下のほうでしたよね、それは」

「ああ、うん」

言いづらそうに俯いた光の肩に蓬莱寺が腕を回して引き寄せる。

「アハハ、こいつうっかりしてっからよ、まーた怪我しちまったんだ」

「そうなんですか?」

心配そうに表情を歪めて、比良坂が光の様子を伺ってきた。光は言うべき言葉が思い浮かばずに、ただ困り顔で頷いただけだった。

「前に入院なさってた時も、院長先生に無理を言って出て行かれたっていうし・・・もっとご自愛なさってください」

「はい、すみません」

「そんな、謝ってなんて下さらなくても結構です」

比良坂はそうだと呟いて、急に光の手を取った。伝わってきた温もりに光は一瞬ビクリとする。

「これから桜ヶ丘に行きましょう」

「ええっ」

蓬莱寺が大げさにのけぞった。

「そそそ、そりゃまたいきなり、何でだよ」

「怪我をしているからです」

毅然と言い放つ比良坂に、光は多様呆然としながら彼女に聞き返す。

「俺、一応治療も受けて、今度はちゃんと退院許可も貰ってでてきたんだけど」

そのことに関しては多分に朋恵の圧力がかかっているような気もするが、ともかく今回はちゃんと医師の了承も得ている。

だが、比良坂は首を振った。

「うちの院長は許可していません」

「でもよお」

「うちで許可していない以上、貴方はまだ桜ヶ丘の患者さんです、私には手当てする義務があります」

蓬莱寺はまだ何か言いたげに口を閉じる。

光も困って彼女を見ていると、目の前の表情が急にシュンと曇り顔に変わった。

「貴方のこと、ずっと心配していたんです・・・お願いします、私と一緒に来てもらえませんか?」

ぎゅっと握る感触の柔らかさに、光はつながれた手に視線を落としていた。

何故だろう、この子には不思議な感じがある。朋恵と美里の印象は似ていたが、それとは少し違う、けれど、とても近いような気配。身の内から滲み出してくるような妙な親近感。彼女の悲しい姿を見たくないと思う。特に深い付き合いのある相手でもないのに。

光は顔を上げた。

見つめてくる比良坂と眼が合って、それで少し困ったように微笑む。

「うん」

小さく頷いた。

「わかった、一緒に行くよ」

途端嬉しそうに微笑む姿を見て、胸の奥に何かが沸き起こるようだった。

握っている手をそっと解きながら、ただしと言葉を続ける。

「俺はこれから行かなくちゃいけないところがあるんだ、だから、その後でもいいかな」

「構いません、でも、私も同行させてください」

「そりゃーちょっと」

困ると言いかける蓬莱寺を制止して、光は頷いた。蓬莱寺がいいのかと耳打ちする。

「いいよ、そんなに時間がかかるわけでもないし」

「けどよ」

「何かあっても、俺とお前がいれば平気だろう?」

蓬莱寺ははたとして、嬉しそうに照れ笑いを浮かべた。

「そういやそうだな、俺とお前だもんな」

「ああ」

それに、と光は思う。彼女はどう断っても付いてくるだろう。柔和な印象の割に、強い瞳を持つ少女だ。自分の意志で物事を決めて、ちゃんと歩いていける力を持っている。

それなら危なくない範囲で同行を許した方が、後々妙なことにならずに済むだろうと判断していた。

「比良坂さん、一緒に行こう」

改めて、比良坂は微笑みながら頷いた。肩に回りっぱなしだった蓬莱寺の腕をどけて、三人は並んで歩き出した。

沈みかけている夕日が、まるで血の色のように彼らの姿を照らしていた。

 

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