如月宅は光の実家と雰囲気がよく似ていた。
それは、構造や景観の事ではなく、あたりに漂う空気が同じような質を孕んでいた。もう大分古い家であるはずなのに、澄み切った清廉な気配に満ち溢れている。家は、家人の質と同化するというから、ここで暮らしてきた如月一族がそのような者達なのだろう。僅かに安堵すると同時に、妙に肌に馴染む知った気の感触を不思議に思っていた。
奥座敷へ抜ける庭に面した廊下を歩いている最中、如月がふと足を止めた。
「光君」
光は何事かと彼を見る。
「どうだい、うちは」
「え」
「君には過ごしやすいだろう、水の気配がしないか?」
そういえば、と辺りをうかがって、光はふと言葉を洩らした。
「玄武?」
「は?」
蓬莱寺が不思議そうに光を見た。
馴染みのある気配がする。行を五つに分けたうち、水に属する神の名を冠した技を習った時、同質の気を呼び出した覚えがあった。
如月が静かに頷いた。
「うちは、四神の玄武を祭っている、ここは街の北方、如月家は古くからその守護にあたってきた」
「そうか」
ようやく合点がいって、納得した様子の光に如月が微笑みかける。
「君の気配も馴染み深いな、朋恵さんに聞いていたより、随分と付き合いやすい人のようだし」
「えっ」
驚いてから僅かに赤くなった光を見て、蓬莱寺が急にむっとした表情を浮かべる。
「おい、俺には何のことかさっぱりだ、ちょっとは説明しろよ」
「ああ、悪い」
光が謝るので、蓬莱寺はふてくされた表情のままフイとそっぽを向いてしまった。
どこか含みのある視線をちらりと向けてから、如月は踵を返して再び歩き出した。
「こちらだ、もう着くよ」
三人はそのまま奥へと進んでいった。
それからそう行かないうちに奥の座敷に通されて、勧められるままに腰を下ろすと如月はいったん部屋から出て行ってしまった。
「姫のとこと似てんな」
「うちも、同じような日本家屋だから」
「でもこっちのほうがぼろっちいぜ、姫ん家はもっとだだっ広かったし」
光は僅かに苦笑した。
「なあ、姫」
「うん」
まだ呼ばれ慣れないあだ名に困り顔で答えると、蓬莱寺が不意に顔を近づけてくる。
「お前さ、あの如月とかいう野郎、どう思ったんだよ」
「どうって」
「なんかキザッたらしくねえか?」
こいつは何を言っているんだろう。返答に困っていると、蓬莱寺はわざとらしく顎をしゃくって見せる。
「どうもいけすかねえっつうか、変なんだよなあ、姫にも馴れ馴れしいし」
「馴れ馴れしくされたかな」
「してた、俺にわかんねえ話しばっか振るし、初対面だってのに妙に親切だし」
「いい人じゃないか」
分からない話については、仕方の無いことだと思う。御剣の内部の事情について、誰かに易く話すわけにはいかない。これだけ色々と巻き込んでしまって、今更とは思うのだが、知ってしまったことで余計な負荷を蓬莱寺に負わせたくなかった。
蓬莱寺は不満げに眉間を寄せていた。
「なあ、姫」
「何?」
「お前さ、あいつのこと」
その時障子が開いて、如月が戻ってきた。
姿を見つけた蓬莱寺は言いかけた言葉を引っ込めておとなしく元の場所に戻った。光は首をかしげていたが、如月に呼ばれてすぐそちらへ視線を移してしまう。
「どうぞ」
正面に正座した彼が差し出してきたのは、紫の布に包まれた二つの物体だった。一つは棒のように長く、多分全長六十センチほどだろうか、もう一つは長辺三十センチほどの長方形をしていた。
長い方を手に取って、布を開くと中から一振りの太刀が姿を見せる。
「おおっ」
隣にいた蓬莱寺が色めき立った。
「そちらは御剣の宝剣、虎爪刀、四神の一振りで白虎の力が封じてある」
純白の鞘に包まれたその刀身を抜き放てば、中から透明に輝く白金の刃が姿を現す。蓬莱寺がしきりに身を乗り出してくるので、光はそれを鞘に収めてから手渡してやった。
「すげえ・・・こんなもんがあるのか」
矯めつ眇めつ感心して吐息する姿に苦笑していると、如月がふっと笑みを浮かべた。
「それは、蓬莱寺さんにお渡しして欲しいと朋恵さんから言われてあった」
「朋恵に?」
「ああ、だが、僕が渡したのでは蓬莱寺君の持ち物にならない」
蓬莱寺がきょとんとした様子で如月を見る。
「どういうことだ?」
「御剣の宝物の全ては剣のためにある。だから、剣自身もしくは剣の姫の手ずから頂かねばならない」
如月は振り返ると光に微笑みかけた。
「僕が余計な気を回さなくても、結果それを選択したんだな、君は」
「それはどういう」
「宿星が彼を選んだという事だ」
途端、身を硬くした光の前に乗り出すようにして、蓬莱寺が視界を遮った。
「おい、なんかよくわかんねえけど、ひょっとしてこれは俺が貰っていいもんなのか?」
「そんなわけ無いだろう」
背後から光にぴしゃりと言われて、蓬莱寺は口を尖らせながら振り返る。
「なんだよ、今頂くとか、渡して欲しいとか言ってたじゃねえか」
「それは御剣の宝なんだから、お前が持ってていいのは俺がいる間だけだ」
「んじゃ貰ったも同然だな」
明るく笑った蓬莱寺に、光は一瞬ハッとしてから、すぐ苦笑してそうだなと答えた。
如月はその姿を無言でじっと見ている。何か言いたげな気配であったが、幸いそれは誰にも気付かれる事がなかった。
光はもう一つの包みを手に取って開いた。
「これは!」
中から覗いたのは、金色の龍をかたどった一そろいの手甲。
輝きに導かれるように光がその片方を手にはめると、少し大きめに見えた手甲はすんなりと腕の形に馴染んで落ち着いた。
「それは黄龍甲、龍金で出来ている、御剣最高の宝物という話だ」
「それがどうしてここに」
唖然とする光に、如月が微笑む。
「家の蔵にあってもそれらの宝物の入った箱だけは開く事が出来なかったんだ、うちの蔵は飛水の呪で封じられていて、同じ血に連なるものしか入ることはできない、そこにあって、更に開かずの封を施されていたということは、先代もしくは先々代の守姫が二重の防御を張ったんだろう」
そこまで厳重に守られて、この手甲は光の訪れを待っていた。
「黄龍甲は御剣から生る剣が持って、始めて真価を発揮する」
それは、光にもよく分かっていた。手甲をはめた瞬間、いつもかすかにしか感じない「あれ」の存在が急に膨れ上がったような気がする。恐ろしくて僅かに体が震えた。
「君以外の誰が持ってもダメだ、それどころか、持ち主を祟り、滅ぼそうとするだろう」
「マジかよ」
虎爪刀に見惚れていた蓬莱寺がぎょっとしたように光の手元を覗き込んだ。
「如月は大丈夫だったのか?」
「うちはその御品を預かっているという名目があるからね」
なるほど、と呟いて、もう一つの龍甲を手にはめた。
両手に装着するとなおいっそう気配が濃くなる。身のうちから溢れてくる金の光に、光だけでなく隣にいた蓬莱寺や如月も気付いたようだった。
「姫、なんかお前」
蓬莱寺が不意に不安げな顔をした。如月は先ほどから無表情でこちらを窺っている。
手甲のはまった掌を開いたり握ったりして、その様子を眺めていると耳元で何かが囁いた。
途端、光はビクンと全身を震わせた。
「ひ、姫?」
驚く二人の目の前で、直後物凄い勢いで手甲を外していく。必死の形相に彼らは言葉もなくその様子を伺っていた。
「っく!」
外した手甲を握り締めて、両肩で荒く息を吐く。
光の顔面は蒼白になっていた。蓬莱寺が、心配げに肩に触れてきた。
「おい、姫、どした?」
「な、何でも、ない」
「そんなわけねえだろ、なんか変な感じがしたのか?」
「違う!」
叫んで手を振り解くと、二人は唖然とした様子で彼を見つめていた。
光は手甲を下に置き、ふらりと立ち上がって外へ続くふすまのほうへ歩いていく。
「お、おい姫」
「光君?」
後を追ってこようとする彼らを振り返って、光は沈んだ声を洩らした。
「頼む、少しだけ一人にしてくれ・・・さっきの、庭にいるから」
そのまま戸に手をかけて横へ引く。
部屋を出ても、後からついてくるものは誰もいなかった。
光はヨロヨロと先ほど見た庭へと向かっていった。