学校でおざなりな授業を受けて、その合間も離れた席に座る光を知らぬ間に目で追っている。
白いワイシャツから覗く首筋を見ていると、体の中心に血が集まってくるようだった。
もう後数週間もしないうちに長い休みが始まるので、クラスメイト達は暑さも手伝ってどの顔も気だるげにゆだっている。
教卓に立つ犬神がうんざりした様子で黒板を指て、額の汗を拭っていた。
(俺にとっちゃあ、時間の浪費だよなあ)
今後進学の予定も、就職の予定もない自分にとって、高校が最終学歴になるだろう。
(姫はどうすんのかな)
彼の卒業後の予定を知りたいと思った。
最近は、こうしてヒマさえあれば光のことばかり考えている。
まるで恋する女みてえだ。
いや、実際俺はあいつが好きなんだけど、そんな事を考えていると苦笑が漏れる。
「蓬莱寺、随分機嫌がいいようだが、それではこの化学式くらい余裕だろうな」
突然の指名に、慌てて見上げると犬神が意地の悪い表情でこちらを見ていた。
「前に出て答えてもらおうか」
「え、ええと、アハハ」
ンなもん分かるわけねえだろうが!と心の中で毒づくと、光がこちらを見ていた。
手元のノートに何か書き込んである。それは化学式だった。
(姫!お前って奴は・・・)
改めて彼に惚れ直すような気持ちで、公式を網膜にしっかりと焼き付けた。
「どうした、早くしろ」
「へいへい、わーってますよ!」
わざとぶらぶら前に出て、蓬莱寺は気だるげにチョークを黒板に走らせる。
出来上がった内容をチェックして、犬神が納得した様に一つ頷いた。
「正解だ、ちゃんと予習してきたようだな」
「あったりまえだっつうの、俺だってやるときはなぁ」
「お前に言ったわけじゃない」
犬神は光を振り返った。
「御剣、予習してきたのは偉いが、カンニングはこいつのためにならんぞ」
「なっ」
京一が慌てて身を乗り出す。
「よって、お前ら二人廊下に立ってろ、黒板は消さずにおいてやるから、授業が終わってから写すなりして自力で何とかするんだな」
「てんめえ犬神、姫は関係ねーだろうが!」
「犯罪補助罪というのを知っているか?共犯者も同罪だ」
「ノート見せてもらったのが犯罪なのかよ!」
「文句を言う前におまえの頭の中身をどうにかするんだな、ほら、御剣はもう廊下に行ったぞ」
見れば、後姿がドアの向こうに消えていく。
「あっ姫!」
「お前も早く出ろ、授業の邪魔だ」
半ば追い出されるようにして、廊下に出てきた蓬莱寺がクソッと毒づきながら扉に舌打ちをした。
「おい姫、何おとなしく言う事聞いてんだよ」
「こういうときは逆らわない方がいいと思って、それに」
「なんだよ」
「美里が後で授業内容を教えてくれるって言ってたから、心配要らない」
「・・・あ、そーですか」
なんだか怒る気もそげて、諦め半分で廊下の窓際にもたれかかった。
隣で光はちゃんと直立して立っている。
「まあ、あんなかったるい授業受けてるくらいなら、姫と一緒にここでボケッとしてるほうがまだましだけどな」
「俺たちは一応怒られてるんだぞ、そういうことは思ってても言っちゃダメだ」
「へいへい」
日差しの差し込む廊下は蒸し暑くて、時折吹き込む風が唯一の慰めだった。
でも、蓬莱寺にはそれほど不快ではなかった。
隣に立つ光はこの頃ますます儚げで、艶っぽく見える。
それが彼の弱体化に端を発するものであるのか、蓬莱寺自身の心境の変化によるものなのか、よくは分からなかったが、手を伸ばせば届きそうな場所にいる姿を見詰めているだけで胸の奥が焦げるように熱い。
額に浮かぶ汗を見つけて、何気なく伸ばした手でそれを拭いつつ前髪を払ってやっていた。
「え?」
驚いて、一瞬身を引く光を見て、蓬莱寺も自分が何をしたのかに気付いた。
「あ、わー、わるい、なんかボッとしてて」
ハハハと笑う声がどこか空々しい。
こんなに体は近くにいるのに、彼の心ははるかに遠い。
光が少し困ったような表情をしたので、言葉に詰まって苦笑いを浮かべた。
「あっちいな」
「うん」
俯きがちな声が答えた。
光が何を思ったのか、考えたくなかった。
「休みになったらさ」
「京一」
諌めるような声に、僅かに身をすくめる。
「・・・悪い」
それきり、授業終了のチャイムが鳴るまで、二人は無言で立ち続けていた。