夕暮れの帰り道、妙な気配に光と蓬莱寺は足を止めた。
「姫、気付いてっか」
言われるまでもない、と頷いて、二人は背中合わせになりながら油断なくあたりの気配を探る。
やがて、小さく唸り声が聞こえて、建物の暗がりから小柄な獣が数匹飛び出してきた。
どう見ても野犬の類では無い。
犬はこんなに前肢が鋭くないし、口だって耳の脇まで裂けていたりしない。
そもそも首が二本ある生き物など、この世には存在しない。
舌打ちした蓬莱寺は気合一閃、飛び掛ってきた一匹を木刀で叩き落していた。
反対側に回り込んだ獣を、光が一蹴の元に弾き飛ばす。
「姫、横!」
飛び掛ってきた一匹が鋭い前肢で光の腕を切りつけた。
「くそっ」
蓬莱寺が剣から発剄を打ち出して飛び去る影を叩き落す。
前に弾いたもう一匹が体勢を立て直して踊りかかってきたのを、身を低くして避けながら光は腹に剄をこめた拳の一撃をお見舞いした。
ギャン、ギャンと悲鳴をあげて、倒された獣は次々と土くれに変わっていく。
最後の一匹を光が雪蓮拳でしとめると、凍りついた獣ははじけて消えてしまった。
「式鬼か」
投げ捨てた袋を拾い上げる蓬莱寺に、光が頷く。
「多分、外法かもしれないけれど」
「そっか」
戻ってきて、光の腕を取って蓬莱寺は傷口を見た。
「結構ざっくりいったな、こっからなら如月のとこが近いだろ、手当てしに行こうぜ」
「ああ」
答える光は暗い表情をしていたが、蓬莱寺は気づかないふりをしていた。
なにも言おうとしないから、黙ってそれを受け止める。それくらいしか出来なかった。
ハンカチで腕の付け根を縛って簡単に止血を施すと、人目につかない道を選んで二人は如月骨董品屋を目指した。
傷の、治りが悪くなっている。
邪気もこんなすぐ側に来るまで気付けなかった。いや、それどころか先ほどの異形達の正体すら判らない。以前はこんなことありえなかったというのに。
(力が封じられてる・・・)
六門封神は三門目まで進み、いまや本来の半分ほどの力しか発揮できない。
その真に意味する事がどういうものであるのか、分かっているけれど、光にはどうすることも出来なかった。
紅葉と一緒になって、最悪の選択肢を選ぼうとしている。
(でも、それじゃ、そんなことをしたら)
空々しい理屈ばかりが上滑りをしていくようだった。
隣で見詰める思いのこもった眼差しにも気付かないまま、光はぐっと血の滲む腕を握り締めていた。
「光は、最近元気がないな」
如月骨董品店で修繕を頼んであった木刀を引き渡しつつ、如月が蓬莱寺の顔を窺う。
夏休みに入って以来、光はずっと家に引きこもっている。
たまに出かけるときも、必ず蓬莱寺が迎えにいってあちこち付き合っていた。
本人は悪いと言って一度断ろうとしていたが、朋恵の要請と蓬莱寺たっての希望もあり、最終的にはおとなしく自宅謹慎を受け入れてくれた。
周囲に張り巡らされた結界にも強化を施し、ガードの数も増えたらしい。
万全の防御を施しているにもかかわらず、光の表情はいつもどこか暗かった。
「やはりアレが原因か」
「それ以外の何があるってんだよ」
受け取った獲物を確認すると、番台脇の上がりかまちに蓬莱寺はドスンと腰を下ろす。
「異形の、バケモン達がしょっちゅう襲ってくるようになった、あちらさんも気付いているらしい」
「三門目だからな、すでに」
番台に戻った如月は帳簿に目を通しながら話を続ける。
「そろそろ本来の力の半分も出せなくなるはずだ」
「そうなのか?」
「ああ」
顔を上げた如月は蓬莱寺の前で手を開いて見せた。
「一門だけならなんとかなる、だが二門封じられたら確実に弱くなる、三門目、四門目で本来どうりには戦えなくなるだろう、五門までいけば一般人以下だ」
光は、すでに三門まで封じられてしまった。
蓬莱寺はごくりと喉を鳴らす。
「じゃ、じゃあ、六門全部封じられたら」
「術をかけた者の、操り人形になる」
全て折った指の、小指だけ立てて如月が皮肉めいた笑いを浮かべた。
「六門目は相手の全てを奪う、心も、力も、何もかも、奪った術者の思うままになる」
木刀を握る手に力がこもりすぎて、今にも砕いてしまいそうだった。
蓬莱寺は肩を震わせながら、如月の手をじっと見詰めている。
「壬生紅葉の本当の狙いが何なのか、それは僕にもわからない」
名前を聞くだけではらわたが煮えくり返るようだ。
「だが、光を手に入れようとしていることだけは確かだろう」
「手に入れて、どうする」
「さて、どうするつもりなんだろうね」
蓬莱寺は如月をじろりと睨んだ。
「君ならどうする?蓬莱寺君」
急に話を振られて、目を丸くする蓬莱寺を如月は興味深げに眺めていた。
「お、俺は」
もしも・・・剣を。
光を手に入れる事が、出来たなら?
「そ、んな、もん」
ごくりと喉を鳴らして、蓬莱寺は急に厳しく如月を睨みつけた。
「そんなもん、どうもしねえよ、っつーか最初ッからそんなこたしねえ!」
意地の悪い笑みがおやおやと肩をすくめてみせる。
「そうだね」
どこか、少し安心したような表情だった。
「君ならそんなことはしないだろうね」
「どういう意味だよ」
「朋恵さんが君を選んだ理由が少しだけわかる気がするよ」
「安全パイだってか?」
如月は笑って、違うよとだけ答えた。
そして再び帳簿に視線を戻す。
「蓬莱寺君」
「なんだよ」
「現御剣の守人である君の許可が欲しいんだが」
「どんな」
「光を祭りに誘わないか?」
「は」
そのまま、如月は番台の下を手で探り、一枚の紙切れを突き出してくる。
受け取って読むと、ここからそう遠くない神社で行われる夏祭りの告知ビラだった。
「彼、夏になってから引きこもっているんだろう?」
「あ、ああ」
「いくら心配だとはいえ、彼も高校生、僕らと同い年だ、娯楽は必要だろう」
「けど」
言いよどむ蓬莱寺に、不意に如月が顔を上げてこちらを見る。
彼は真剣な表情だった。
「光は、十五で高校に上がるまで、ずっと自宅に閉じ込められて育った、知っているだろう?」
「ああ、まあ」
「それと、今と、何か思うところなど無いのか、君は」
蓬莱寺ははっと息を呑んだ。
外の世界を知るたび、光は嬉しそうに色々な事を聞いてきた。
あちこち見てまわるのは楽しいと言っていた。もう、随分前のことに思えるあの日、新宿駅付近を散策した時も、こんな状況下にもかかわらず光はいつもより溌剌としていたような気がする。
そういえば、と、急に数日前の事を思い出していた。
近所のスーパーに一週間ほど外出しないで済む量の買い物をしに行ったとき、玄関先で光が冗談めかしたように笑って言った事があった。
「どっか、日本の外れの孤島で暮らす人みたいだな、俺」
たった一人きりで。
小さな島で、彼は何を思って暮らすのだろうか。
蓬莱寺の胸がきりりと痛む。
「そっか」
小さく呟いていた。
「そうだよな」
あらためて、手の中の告知ビラを見て、しっかりと一つ頷いた。
「よし、じゃ、行こうぜ、如月と、俺と」
「美里さんも誘わないか?」
「え」
きょとんとしていると、如月がわずかに苦笑する。
「彼女も目覚めた、剣を守るものの一人だ、朋恵さんも了解しているし、ガードは多いに越した事は無いだろう?」
「そりゃ、そうだが」
「僕らは戦えるが、光にもしもの事があったとき、してやれることは何も無いぞ」
如月の意見は正論だった。
蓬莱寺はまだ少し迷って、それから腹を決めたようにもう一度頷いた。
「よし、わかった、姫と俺と如月と、それから美里で、夏祭りに行こうぜ!」
「光もきっと喜ぶ」
如月も嬉しそうだった。
蓬莱寺もニッと笑って、もう一度手の中のビラを見て、今度はそっと微笑んでいた。