「姫、ひめっ」
覗き込んだ蓬莱寺が必死に呼びかける。
青ざめた表情の光は、まるで今にも消えてしまいそうなほど弱々しい雰囲気だった。
「姫!」
瞼がわずかに動いた。
小さく声を洩らして、光の双眸がゆっくりと開いていく。
「姫」
「光」
口々に呼びかける、その姿を一人ずつ確認して、光は悲しげに表情を歪ませた。
「光、一体何があったんだ、さっきの男は」
「やめろよ如月、姫は」
矢継ぎ早に問いただそうとする如月を蓬莱寺が睨みつける。
「京一」
呼ばれて振り返った。
「いいんだ、大丈夫、俺は大丈夫だから」
全然そんな素振りもないくせに、必死に安心させようとしている想いが見て取れるようで、蓬莱寺は口を閉じた。
「ごめん、皆、俺が軽率だったばっかりに」
「いや、それはもう過ぎたことだ、気にすることじゃない」
如月は手短に答えると、それで、と付け足した。
光は寂しげな瞳をどこか遠くに向けながら、茫洋とした口調でぽつぽつと喋り始めた。
「さっきの男は、影生依人だと名乗っていた」
「影生、依人?」
「俺に会いに来たんだって」
「なんでまた、姫に」
蓬莱寺が口を挟む。
「紅葉の親友だって、言ってた」
それで、三人は三様にビクリと体を震わせた。
光にとってその名前がどんな意味を持つのか。この場に知らぬ者はいない。
そして、その親友と名乗る人間が現れた事で、どんな思いがしたのかも。
「彼は」
如月は言葉に気を使っているようだった。
「君を害しに来たのか?」
「多分そうだと思う、でも、違うような気もする」
半分は希望こみの返答だった。
壬生は、確かに影生と親友同士なのかもしれない。
けれどどうして自分の存在があの男にまで影響を及ぼすのだろう。
唐突に疑問が浮かんだ。
壬生は、今でも変わらず自分を想ってくれている。それはそうであって欲しいという願いを差し引いても信じていいような気がする。
殺すと言っているけれど、彼の眼の奥に映る光はあの頃のままだった。
まだ幼く、世界が壊れる前、いつも隣にいて言葉もなく自分を見つめてきた、狂おしいほどの愛しさに溢れる熱いまなざしのまま。今ではその形はいびつにゆがんで見えるけれど。
まだこんなにも壬生を愛しているからこそ、気持ちは痛いほど伝わってくる。
けれど、それならば、なおのこと影生が困る原因が分からない。
光を消さなければ一緒にいられないというなら、壬生も賛同しているはずなのに、彼は別の思惑で行動しているように思う。
それならどうして影生は自分を殺す必要があるのだろう。
苦しみから逃れた壬生が影生と一緒になるつもりなのかという考えもよぎったが、それならもっと手っ取り早い方法がありそうだった。
「紅葉は」
知らず、声が漏れる。
「どうして俺の事を殺したいんだろうな・・・?」
蓬莱寺と如月が困惑気に顔を見合わせている。
今、改めて壬生が何を考えているのか、とても知りたいと思った。
殺すなどと言われて、かつての想いを裏切るように何度も体を傷つけられて、解くことの出来ない呪で縛り上げられるのに戸惑うばかりでそれ以上考える事をしなかった。
悲しみばかりが大きすぎて、心が麻痺していた。
けれど、ようやく、はっきりと現実を見据える覚悟ができた気がする。
それは図らずも影生依人が姿を表したことに端を発していた。
あの男が何を考えて、何故あんな事を言ったのか。
それを知ることと、壬生の本心を探ることは同じに思えた。
支えてくれる美里に礼を言って、光はふらつきながらゆっくりと体を起こした。
彼女の細い腕を頼りに立ち上がり、まだ戸惑っている様子の三人をぐるりと見回す。
「紅葉の事が、知りたいんだ」
蓬莱寺がわずかに眉を寄せる。
「あいつが何を考えているのか知りたい、もっとちゃんとした形でよく調べたい」
調べる、と呟いて、如月が光をじっと見た。
「―――素性、その他を調べることなら、僕にも幾らか手伝いができると思う」
「うん、翡翠がやってくれるなら心強いよ」
「姫」
「京一は俺を手伝って欲しい」
それがどれだけ残酷な言葉なのか、分かっていても頼れるものが他にいなかった。
光は心苦しい思いを外に出さないように気をつけながら、彼の答を待っていた。
顔をしかめたままで、蓬莱寺は、その瞳にわずかに暗い色を映しながら黙り込んでいる。
「俺は」
やっと搾り出したような、微かな声だった。
「お前のダチだからな、手伝えって言うなら、しゃあねえからやってやってもいいぜ」
最後に付け足した、満面の笑みが痛々しかった。
光は言い尽くせないほどの感謝の思いを胸の奥で述べながら、ただ一言「ありがとう」とわずかに微笑んでみせた。
「光、私も手伝うから」
「うん、すまない」
「いいのよ」
美里も慈しむような眼差しで光を見上げる。
皆が一様に気遣ってくれている。もう、これ以上甘えてばかりではいられない。
辛い、苦しいと嘆くばかりで何もしようとしなかった。けど、俺はそれだけでいちゃいけない。
僅かでもいい、動かなければ。状況は何も変わらないに違いない。
光はようやく一歩前に踏み出せたように感じていた。
この道の先は多分壬生に繋がっているのだろう。
闇の果てはいまだ見えてこないけれど、彼らが共にいてくれるなら、きっと歩いていくことができる。
大鳥居の向こうで朧に揺れる提灯の灯りを眺めながら、金茶の双眸は照り返しで僅かに強い輝きを映していた。