そうでなくても放課後直前などは全員の気も緩みっぱなしだというのに、休み明けのHRは普段以上にぬるい空気に包まれていた。

二学期の予定を簡単に説明しながら、配られたいくつかの印刷物の、その一つに蓬莱寺は目を走らせる。

「なんだよ、修学旅行はまた京都かよ」

真神は都立校なので、学生生活最大のイベントの一つはお約束どおりの内容のようだ。

中学でも京都に行った蓬莱寺としては、いささか興に欠ける決定を僅かに不満に思う。

(けど、まあ、そんなこたどうでもいいか)

ざらつく手触りの藁半紙には、旅行のお知らせと班決めのことが載っていた。

班構成は三人から五人、日程は一週間ほどで、新幹線で行くことになるらしい。

蓬莱寺は離れた席に座る光の様子を伺った。

光も、手渡された印刷物に、こちらは一枚一枚ちゃんと目を通しているようだった。

最低三人ということなら、光と、後は適当に誰か誘えばいい。

気心が知れているという点では美里が最適かと思えたが、彼女も年頃の少女だし、男ばかりの班で一緒に行動したくないかもしれない。蓬莱寺としても誘いづらい感は多少あった。

(まあ、そんときゃそんときだな)

ともかく光とさえ一緒なら、それでいい。

俺も現金だなと少し笑う。

マリアが何か話していたが、その後の蓬莱寺の耳には一言も届いてこなかった。

しばらくして号令がかかり、周りが立ち上がるので億劫気にそれに習う。

礼をして、ようやくHRが終了した。

同時に蓬莱寺は一目散に光の傍へ走り寄っていった。

「なあ、なあ、姫、修学旅行だけどよ!」

光は驚いたように蓬莱寺の姿を認めて、そして笑う。

「京一、一緒に見て回らないか?」

「えっ」

少し目を丸くして、それから全面的に肯定する意思をこめて大きく頷くと、隣で美里がクスクスと声を立てて笑っていた。

「京一君は本当に光が好きなのね」

何気ないその一言に、蓬莱寺はカッと赤くなる。

「そっ、そんなじゃねえよ」

慌てて口を尖らせる。

「俺はただ、こいつと一緒につるんでたほうが面白ェからさ、だから誘いに来ただけで」

「京一も誘おうとしてくれたのか?」

「ったりめえだろ、俺らダチじゃねえか」

ダチねえと声がして、蓬莱寺はうわと叫びながら横にのけぞった。

その背後にいつの間に現れたのか、遠野が腕を組んで立っている。

「姫、こんな奴に友達呼ばわりされたら一生の恥よね、可哀想」

「んだと、てめえ!」

「あらら、誰も来てない学校に休み中通い詰めてた学校大好き人間に、てめえ呼ばわりされたくないわね」

うぬぬと声を詰まらせた蓬莱寺をポンポンと叩いて、光は遠野に困り顔で微笑みかける。

「俺が思ってもないようなこと、勝手に言わないでくれよ」

「姫」

光がうんと頷くと、蓬莱寺は甘えた視線ですがりつく。

見ていた遠野は物好きねえと吐息混じりにつぶやいていた。

「それはそうと、あんた達馬鹿二人はどうせ一緒に見て回るんでしょ、京都」

「馬鹿ってのは何だ、馬鹿ってのは」

「ああ、そのつもりだよ」

ふてくされる蓬莱寺とは逆に、光はニコニコと答える。

あの、と、ふいに声がした。

「ねえ、光、それと、京一君」

三人が振り返ると美里がどこか照れくさそうに表情を困らせていた。

「どうした美里」

ええ、と答えた口調が控えめにその先を話す。

「その、もし迷惑でないなら、私も二人と一緒の班になりたいの」

「え?!

叫んだのは蓬莱寺と遠野だった。光は特別どうということもなく美里を見つめている。

美里は光を見ながら、ダメかしらと小首をかしげた。

光は笑顔で首を振った。

「いや、美里がいたらきっと楽しい、俺からもお願いするよ」

「そ、そんな、私」

ポッと頬を赤らめた彼女を眺めて、遠野がアララと意味深な声を上げる。

「姫もやるじゃないの、コノコノ、色男!」

「え、あ、いや」

光があたふたするので、蓬莱寺までニヤニヤと言葉尻に乗ってきた。

「姫が慌てるとこなんざ、珍しいじゃねえか」

「そうそう、なんだかちょっと可愛いわねえ」

「こ、コラ、二人共!」

悔し紛れに抗議すると、今度は美里を交えた三人に笑われてしまった。

「まあ、ともかく」

急に話を切り替えられるので、大きなため息が漏れる。

美里がウフフと笑った。

「あんた達が一緒の班なら、なんか色々と面白いことが起きそうね」

「なんだよそれ、どういう意味だよ」

どうもこうもないわよと言って遠野は胸を張った。

「記者の勘よ、きっと記事になりそうな面白いことが起きるわ!」

「記事って、んなもん」

「たとえば某男子Hがお風呂を覗くとか、夜中に抜け出して歓楽街で一悶着、とか」

てめえ遠野ふざけんなよと蓬莱寺が凄む。

「某男子Hって何だよ、そりゃひょっとして」

「あら、誰もあんただなんて言ってないじゃない」

遠野は平然と切り返す。

「それとも何?ひょっとしてそんな予定がおありなのかしら、蓬莱寺京一君は」

またもや悔しそうに言いこめられてしまっているので、今度は光が笑う番だった。

「大丈夫だよ、俺がちゃんと見張るから」

「あら姫、そんなに真面目にしてくれなくてもいいんだって」

「え」

「こいつが馬鹿やってくれたほうが記事になるし、そうすれば我が部の懐具合も大助かりだわ」

「そんな、アン子ちゃん」

「ただしアタシの入浴シーンだけは覗いてくれなくて結構よ、ほかの子にして頂戴」

「だれが手前の裸なんざ見るってんだよ!」

遠野はオホホと笑って身を翻した。

「そんじゃ、京一、期待してるからねー」

「っざけんな!」

怒鳴り声も意に介さず、現れたときと同じように神出鬼没に去っていく。

嵐のようなひと時が過ぎ去って、ぶりぶり怒っている蓬莱寺をちらりと見てから光は美里と顔を合わせて苦笑した。

「あの、じゃあ私、生徒会の集まりがあるから」

立ち上がるので、つられて光も席を立つ。悪態を吐き飽きた蓬莱寺がひょいと振り返った。

「なんだよ美里、ひょっとして修学旅行の集まりか?」

「ええ、そうよ」

「はあ、休み明けだってのに、お前も大変だよなあ」

感心するそぶりの蓬莱寺に、美里はううんと首を振る。

「みんなが楽しく旅行するためだもの、大変なんかじゃないわ」

「お前の爪の垢、煎じてあのアホ女に飲ませてやってくれよ」

遠野が出て行ったほうを親指でさしながら蓬莱寺は眉間を寄せた。

美里は苦笑して、それじゃまた明日、と鞄を持って教室から出て行ってしまった。

見れば殆どの生徒がもう教室を後にしている。時刻もまだ昼を少し過ぎたばかりだし、誰も居残るほど暇でないのだろう。

光が鞄を手繰り寄せると、蓬莱寺も自分の机からペタンコの鞄を取って戻ってきた。

「行くんだろ」

問いかけに、急に沈んだ表情が一度だけこくりと頷く。

蓬莱寺はぼりぼり頭を掻くと、アーと抜けた声を発した。

「でもよお、その、拳武は逃げたりしねえし、ちょっと小腹も減ってるし、飯食ってからじゃあダメかな」

振り返った光が、少し間を置いてから仕方ないなと笑みを浮かべる。

「んじゃ決まりな、いつものラーメン屋で構わねえよな?」

「結局はそうなるのか」

「旨いんだから文句ねーだろ、いいから行くぞ」

歩き出す後ろから光がついて来て隣に並ぶ。

昼食をとったら、適当に駅前で遊んで本当にそのまま帰ってしまいたかった。

蓬莱寺の本音に気づいていたのか、途中の道程で光から話す事は殆どなかった。

 

 ラーメン屋でざっと昼食を済ませて、そのまま拳武館高校へと向かう。

港区の駅で降り立って、近くの交番で学校の所在地を詳しく聞いてようやく探し当てた。

「俺、こっちは殆ど来たことねえからなあ、案内もできなくてすまねえな」

「いいよ、俺はそもそも真神と自宅周辺以外全く土地勘が無いし」

番地だけでなく、簡単な地図も書いてもらったことがずいぶん助けになった。

比較的わかりやすい道順を経て、見つけ出した学舎は近代的な作りの大きな建物だった。

「ひゃー」

開口一番、抜けた声と共に蓬莱寺は門から続く敷地内を眺めている。

「私立校ってのはどこも凄ェな、ビンボな都立よか偉ェ立派だぜ」

「でも真神は歴史を感じる、あれはあれで俺は好きだよ」

姫、と振り返った蓬莱寺は破顔一笑、光を見つめる。

「お前っていい奴だな、本当に」

そういうところが好きなんだと、言葉に出さずに付け足した。

ところどころにあふれ出す彼の人柄に、いつだって魅了されている。

具体的には口で言えない。小さな積み重ねが、気づけば今の想いにつながっていた。

ボヤッとしていると促されて、二人は並んで敷地の中へ踏み込んでいった。

 

(続きへ)