拳武館高校は、外見同様中も今流行の様式で作られているようだった。
正面玄関から入った昇降口にはずらりとアルミニウム製の靴箱が並び、エントランスは白と青を基調として作られている。だだっ広いホールから続く階段から上れるようで、外から見た感じでは多分4、5階はあるだろう。ホールの両サイドにも廊下が伸びていて、大きく間隔を取ってドアが取り付けられている。
多分、一室一室の広さが結構あるに違いない。
光の予想は大方当たっていたようで、廊下を行く生徒の姿がポツリポツリと見かけられた。
「やっぱ夏休み明けだし、あんま人いねえよな」
脱いだ靴を来賓用の下駄箱に押し込みながら、蓬莱寺はぶるっと体を震わせる。
いくら近代的な学校とはいえ、こんな場所にまで空調が効いているわけがない。
これは、武者震いだ。
隣で光も硬い表情をしていた。
(当然か)
ここは、いわば敵の本拠地のような場所。暢気にしていられる訳がない。
ひょっとしたら今にもそこの階段からあの男―――壬生紅葉が、降りてくるかもしれない。
そうなったら、と想像して、蓬莱寺は下腹にぐっと力をこめた。
どんな状況であっても、俺はこいつを守るだけだ。
そしてそれと同じくらい、あの男ともう一度闘り合ってみたいと思う。
格闘家としての闘争心と、光への想いが内側でせめぎあうようだった。
「おや、君達は」
呼び止められて振り返ると、スーツ姿の初老の男性がこちらに歩み寄ってくる所だった。
「その制服は確か真神だね?誰かに用事かな」
蓬莱寺が何か言おうとするのを遮って、会釈をしてから光が問いかける。
「僕は真神学園三年の御剣光、こちらは同級の蓬莱寺京一です、あなたは拳武館の教職員の方ですか?」
唖然とする蓬莱寺と、同じくらい目を丸くして、初老の男性はニコニコと笑顔を浮かべた。
「いかにも、私はここの教員だ、真神は随分と教育が行き届いているようだね」
それを受けて、いやそれはこいつだけですよと、思わず切り返しそうになっていた。
蓬莱寺は改めて、光が両家の子息であることをつくづく思い出していた。
「それで、御剣君、我が校へはどういった用件で来られたのかな?」
受け答えが非常に型にはまっていたせいか、教員も丁寧に問いかけてくる。
はい、と光は答えた。
「僕は以前鳴瀧先生に稽古をつけていただいたことがあるのですが」
「ほう、あの人から直にかね?」
「はい」
「それはまた」
教員は再び驚いた顔をした。
「それで?」
「最近になって先生がこちらの館長でいらっしゃることを知り、一度ご挨拶に伺おうと思っておりました」
「では、鳴瀧館長に御用なのだね」
「はい」
稽古、館長とぼんやり聞いていて、蓬莱寺はようやく合点がいった。
一番初めに壬生の事を訪ねたとき、光には鳴瀧さんから共に武術を教わった仲だと説明された。
鳴瀧は拳武館高校の館長の名前であるらしい。
光は、その鳴瀧先生に稽古をつけてもらったことがあるとも言った。それならば。
(師匠が校長やってて、兄弟子の野郎がここの生徒だってわけか)
どうやら拳武館高校は光にとって因縁浅からぬ場所であるらしい。
教員は何か考え込むような仕種の後、とりあえずこちらへついて来なさいと廊下を歩き始めた。
案内された先は、集会か何かに使うような特殊な作りの教室だった。
「こちらで待っていなさい、少し確認を取ってくるから」
そう言い残して出て行く。
館長の知り合いと説明したことで、うかつに扱えないだろうと判断されたのかもしれない。
もしかしたらそれ以外の理由もあるのかもしれないが、二人には推し量ることもできなかった。
とりあえず適当な席に腰を下ろすと、蓬莱寺が隣にしゃがみこんで光の顔を覗き込んできた。
「なあ、こっからどうすんだよ」
「俺はとりあえず、あの先生から色々聞いてみるつもりだ」
「んじゃ俺は」
「京一には、できたら聞き込みに行って欲しい」
馬鹿言うなよと蓬莱寺は言い捨てる。
「お前一人、こんな場所に放っておけるか、何かあったらどうすんだ」
「大丈夫だよ、拳武の人間は馬鹿じゃないから」
「は、なんだそりゃ」
光は少しだけ笑った。
「朋恵から聞いてるだろ?ここの、もう一つの顔のこと」
暗殺組織としての、裏の拳武館。
思い出して蓬莱寺はゾクリとする。それじゃあさっきの教師も暗殺組織の一員だというのか。
「拳武の人間すべてが組織に属してるわけじゃない、それは館長と副館長の選出した一握りの生徒と教員だけだ」
「じゃ、じゃあ、さっきの先公は」
「多分、暗部の人間じゃない、一般教員だろう」
確かに殺気や闘気のようなものは微塵も感じられなかった。
「あの人に会って鳴瀧さんの話をしている以上、ここで俺に何かあったら真っ先に疑われるのは内部の、しかも暗部所属の人間だ、拳武は依頼無しの活動を認めていないから、事が知れたら粛清の対象にされる」
「粛清?」
「拳武には掟があるんだよ、新撰組の局中法度みたいなものらしい」
そちらのほうは知らないのでよくわからなかったが、要は断りなく闘うことを禁じているのだろう。
粛清というからには、掟を犯した者には死か、それと同等の処罰が待っているに違いない。
「人数がそれほどいるわけでもないから、面はすぐに割れるだろうな」
「お前、何でそんな詳しく」
言いかけて蓬莱寺は気づいた。
ここの館長である鳴瀧の弟子の壬生は、過去に光の守人だったと聞いた。
学校内の最高権力者がそんな人間を育て上げて、あまつさえ光自身にまで稽古をつけていたというならば、館長は御剣をよく知る人間だろう。そしてそれは御剣とこの学校が関係しているということだ。
そういえば以前、如月が光を裏当主と呼んだことをふと思い出す。
あの時は大して気にも留めていなかったが、それはひょっとしたら御剣の実権を真に握っているのは現当主である彼の父親ではなく、彼自身だということに他ならないのではないだろうか。
いずれ、はっきりとしたことは分からない。
けれど見聞きして覚えている範疇から導き出された結論としては正しいような気がする。
蓬莱寺は改めて、光を取り巻く世界の底深さに言いようのない不安めいたものを覚えていた。
「京一?」
不意に顔色を覗き込まれて、僅かに体をのけぞらせる。
「あっと、悪ィ」
ごまかしついでに苦笑がもれた。
「ともかく、そういう理由があるから、ここにいる間はそれほど危険じゃないんだ」
「けど」
「―――壬生も、ここにはいない」
蓬莱寺はまじまじと光を見つめる。
「分かるのか?」
どこかしら暗鬱な表情がこくりと頷いた。
「気配が、どこにもない、まだそれくらいは分かるんだ」
封印の力が作用していてもそれくらいのことはできるという意味だったのだろう。
けれど、蓬莱寺には別の意味を含んでいるように思えた。
「頼む、京一」
光が改めて懇願するような視線で見つめてくる。
蓬莱寺は迷ったが、彼のたっての頼みを断れるはずもなく、結局は不承不承に了解の意味を込めて首を縦に振った。
「いいぜ、わかった」
「京一」
「けど、危なくなったらすぐ俺を呼べ、それだけは絶対に約束だ、いいな」
うんと答えた後、光はすまないと頭を下げた。
「やめろよ、俺たちはその、ダチだろ?ならそんなこと気にすることじゃねえ、いいからドンと頼っとけ」
ニッと笑って見せた後、教室の出入り口へと向かう。
「じゃ、お互い首尾よく行くといいな」
「ああ」
ドアを少し開けて、廊下を確認してから蓬莱寺はすばやい動作で教室内を後にした。
後ろ手に閉じていくドアが最後の隙間までぴったり押しつぶす、その瞬間まで光はじっと蓬莱寺の後姿を見送っていた。
(京一、頼んだぞ)
こわばった唇を無意識に固く結ぶ姿がそこにはあった。