美里と待ち合わせた場所へ向かいながら、蓬莱寺は何度も光の様子を伺っていた。
少し前に聞いた話は、光を介してしか係わり合いの無い自分にとっても十分衝撃的な内容だった。
それならば、当事者である光の心境は今どのようなものだろう。
推し量るだけでこちらまで辛くて、黙って後について歩いた。
京都は秋で、街を彩る紅葉は十分目を引く美しさであったけれど、二人の視界には殆ど映る事もなかった。
「その者の名は柳生宗崇という」
弓月はそう言った。
そのものがすべての元凶であるのだ、と。
「それは、どういうことですか?」
問いかける声がどこか震えているように思うのは気のせいだろうか。
父親はふと瞳を閉じて、大きく息を吐き出してからその先を話し始めた。
「御剣の家に生まれる男子は剣だ、そして剣は、いつの世にも一振りしか存在しない」
光は強張った眼差しをまっすぐ弓月に向けている。
「だが、私と弦麻とは一卵性の双子だった」
それがどのような意味を持つことなのか。
「御剣の先代、お前のお婆様は八卦と星見により答えを導き出されたのだ」
「それは」
「我らは弓の定めを持つものであった」
「ゆみ?」
弓月は頷いた。
「そうだ、お前という嚆矢を打ち出すための、我らは陰陽つがいの弓、そのためこの地に生を受けた」
「どうゆうことだよ」
たまらず蓬莱寺が口を挟む。弓月はちらりと窺うと、再び光に視線を向けた。
「お前の父はな、光、自らの命を賭しても、世の混乱を治められぬだろうと知っていたのだ」
金茶の瞳がみるみる開かれていく。
色白の肌が蒼く染まり、光は父親を凝視していた。
「そ、んな」
「迦代さんとの間にお前が生まれたとき、弦麻はそれを悟った」
そして私も、と弓月は言う。
「忌まわしい時の意思を汲み取った、我が一族を祝福する、いや、呪っているといったほうが正しいか?あの太極におわす龍はな、そのような宿星を我らに振り分けていたのだ」
「そんな、バカな」
唇を震わせて、光は今にも倒れてしまいそうに見える。
彼の動揺がどれ程のものか、それは傍目にも明らかだった。
それでもまだ話を聞く意思を持ち続けていられるのは、彼が負う使命感によるところが大きいのかもしれない。
御剣の剣。
真実一体どのようなものであるのか、有する意味を蓬莱寺は知らない。
弓月が続けた。
「御剣の剣としての宿星は弦麻に、私には、もう一振りの剣として、お前と弦麻を守る定めが与えられていた」
「父さんが、俺と死んだ父さんの、守人?」
「そうだ、龍が仕組んだ二段重ねの防御であり攻撃だ」
「二段重ね、それは」
あの男、柳生は、と銀鼠の瞳がすっと細くなる。
「恐ろしく永い時を経て、今正に魔人と化した人ならざる存在だ。あの者はすでに闇そのものとなりつつある、人の心に巣食う暗黒が奴の住まいであり、それがある限り、彼奴が消滅することはあるまい」
「そんなとんでもねえ奴が、光を狙ってるってのか?」
父親は深く頷いた。
「そのためのふた揃えの剣だと、私は思っている―――まあ、この地を統べる真意など、我が身ごときで推し量れる筈も無いのだろうがな」
自嘲的な笑みを浮かべて、直後に弓月は唇を強く引き締める。
その眼差しには真摯な輝きが満ちていた。
「あれが」
ひどく深い声だ。
「あの者だけが、弦麻の最後を知っている」
言外に含まれる、悲しみと後悔の念。
この男にとって、過去は未だ過ぎ去ったものではないのかもしれない。
「私は守人として、弦麻やお前の師である冬吾、そして志を同じくする他の者達と共にあの魔人に立ち向かったが、最後にとどめを刺したのは弦麻一人の力だった。我々はその時あれの傍でその背を守ってやることすらできなかった」
「父さん」
「あの戦いで半身を失った私に残されたものは、弦麻と迦代さんが命を賭して守りぬいた―――光、お前一人きりだった」
「父さんが、俺を?」
「そうだ、あいつと迦代さんが紡いだ、この世でただ一振りの希望、龍が与えし金色の剣」
それがお前なのだよと弓月は言う。
見つめあう金と銀の瞳の間には、何人たりとも立ち入る事のできない血の定めが深く暗く横たわっているように思う。底のしれない、恐ろしいまでに強固な因縁が。
座敷が寒かったわけでもないのに、蓬莱寺は身震いしていた。
「陰の剣である私のなすべきことは、お前を真の御剣として育てること、そして、守姫を育むこと。迦代さんはお前を生んですぐ死んでしまったから、それは私と千影の役目だった」
「母さんは」
「千影は如来眼、気脈を見ることのできる女だ」
今はもう失われて久しい能力だがねと付け加える。
「朋恵は生まれたときから守姫の定めを負っていた、物心ついたころには、すでにその自覚があった。私はあの子に全てを託すことができるようになるまでお前を守り、そしてその役の終わりを悟って、朋恵と二人、あの別宅へとお前たちを隠した」
「どうして」
「あの男がいつ現れるのか、予測がつかなかったからだ」
弓月は瞳を伏せた。光と同じように睫が長い。
「あれは、柳生は、間違いなくお前を狙う、弦麻の最後に何を見たのかは知らないが、あの男は御剣の力そのものに興味を持っていた。だからお前が本宅にいるのは危険だった」
守るなら、それに適した場所で、幾重にも封じてそれとわからなくする必要があったのだと言う。
「これはお前にとってとても重要な話だ、だから機が熟すまで、事情を知る我々だけの胸にとどめておこうと決めあった。だが今、暗黒はお前に迫りつつある」
「そんなことがどうして、朋恵の星見ですか」
「違う」
途端、父の顔が険しくなり、それ以上の問いかけを全て拒絶するような空気が生まれる。
光、と弓月は呼びかけた。
「私にはまだ語らねばならぬことが幾つか残っている、だが、その全てを今話すわけにはいかない」
「父さん」
「ただお前の身に危険が迫っていること、それだけは知らせておく必要があった。だから今日、お前をここに呼びつけた」
研ぎ澄まされた銀鼠の瞳が、不意に蓬莱寺の方を向いた。
「君にも忘れないでいて欲しい、朋恵が光の守人に選んだというならば、君には何を置いても光を守ってもらわねばならぬ」
それが時の意思なのだからと、言われた言葉の意味はよく分からなかったが、蓬莱寺は弓月にしっかりと頷き返した。
「心配いらねえよ親父さん、こいつは、俺がどんなことしても絶対守ってみせる」
「京一」
振り返った蓬莱寺は口の端だけでニヤリと笑った。頬が、わずかに赤い。
「ありがとう」
弓月は座したまま卓の上で一礼した。
蓬莱寺が気まずそうに視線を逸らすので、光はわずかに瞳を細める。
「時が満ちたら、その時こそ全てを話そう」
締めくくりの一言を待っていたかのように、ふすまの向こうから千陰が声をかけてきた。
「弓月さま、光さん、蓬莱寺さん、お茶菓子のご用意ができました」
「お持ちしなさい」
「はい」
すっと戸が開き、千影は盆を手にしたまま音も無く卓のそばへ寄る。
そうしてそれぞれの前に、繊細な色使いの和菓子と冷えた麦茶を置いていった。
「ご同席いたしてもよろしいですか?」
妻に問われて、主は頷く。光と弓月の間の一辺に腰を落ち着けて、改めて千影はしげしげと光を眺めると愛しげな笑みを浮かべた。
「光さん、大きくなられましたね」
「はい、母さんもお変わりなく」
「まあ、そんなことはございません、母も年をとりましたよ」
「お前は私と添った頃から少しも変わってはおらぬよ」
うふふと笑う婦人は、蓬莱寺が見ても十分美しく、若々しく感じられた。
これが二人の子を持つ母親だとは到底思えない。
父親の弓月や、朋恵もそうだが、御剣の人間は皆どこか現実味に欠けている。
それは外見や、特殊な環境によるところもあるのだろうが、具体的に言葉に表せない何かが決定的に違っているように思う。
特に光にその気配が強いようだった。
蓬莱寺はなぜだか急に、自分が虚構の世界にいるような錯覚を覚えていた。
彼らは確かに存在して、こうして言葉も交わしているのに、まるで陽炎のように儚い。
これが先ほど聞いた黄金の龍の呪いというものなのだろうか。
(そういや)
ふと思う。
黄金の龍とは、一体何のことなのだろうと。
以前如月の店で見せてもらった、御剣に代々伝わる剣にしか扱えないという武具も、黄金の龍を模した手甲だった。
それと、一振りの剣。虎爪刀。
この家は何なのだろう。
一体どんな秘密を抱えている?
どんな歴史に縛られて生きてきたのだろう。そしてそれは。
(今でも、姫のことを縛りつけてんのか?)
隣を見れば、光は穏やかに笑っていた。
その様子からは現在進行形で彼に影を落とすものの存在は微塵も感じられない。
けれど、彼は間違いなく封印の力に蝕まれ、そして今まさに、実の父の口から迫りつつある脅威の存在を知らされてしまった。
平気でいられるはずが無い。
きっと光は、俺が想像するよりずっと辛い。
壬生のことを差し引いたってそうなのだろうし、奴のことを加えれば、その心痛は計り知れない。
「京一?」
急に振り返るので、蓬莱寺は驚いてオウと抜けた返事を返した。
「ほら、食べろよ、うちの和菓子だ」
見れば盆の上に黄色と黄緑の上品な練り切りと、水色の寒天に餡の入った氷菓子が、切り出しの竹ヘラを添えて置かれている。いかにも高級そうなその和菓子はとても旨そうでもあった。
「こっちは本店の一品だ、あちらとは少し味が違う」
「へ、へえ」
蓬莱寺は以前にも朋恵に金竜堂の和菓子を出してもらったことを思い出し、ヘラで突き刺して一つ口の中に放り込んだ。見た目通り、上品で繊細な味わいが口の中で花開く。
「な、違うだろう?」
そういわれてもあいまいな返事しか返せない。自分にはそもそも餡子の違いなど、つぶあんかこしあんか程度しかわからないのだから。
慌てて食べて、旨いよと答えた。光は一瞬妙な顔をして、アハハと声に出して笑った。
「蓬莱寺君の口にあって安心したよ」
弓月の言葉の意味を瞳で問いかけると、それは父さんが作ったのものだと教えられてギョッとする。
「こ、これを親父さんが?」
「別に変じゃないだろう、お前だって前に、料理人は男が多いって言ってたじゃないか」
「そりゃそうだけどよお」
それならなおさら、もっと上手にほめておくべきだったんじゃないのか?
こちらの心配に気づいているのか、光は面白そうにニコニコと笑っている。
久々にそんな顔を見たなと、ふと思った。
「光さん、お時間はあるのですか?」
母親に聞かれて、腕時計を見てから光はあと一時間くらいなら平気ですと答えた。
そして急に蓬莱寺を振り返る。
「京一は、どこか行きたいところとかあるか?」
「え、俺?いや俺は別に、京都なんて山や寺ばっかで大して見るとこなんてねーから」
言ってから、しまったと息を呑んだ。
弓月と千陰は顔を見合わせて苦笑していた。
「蓬莱寺さん、こちらはそればかりではありませんよ、京都にも若い人が楽しめるような場所は沢山ございます」
「あ、いや、その」
「そうだ、何なら案内でもつけさせようか?光もこちらにはあまり詳しくないし、丁度良い、二人で観光を」
「いや、俺ら、修学旅行できてるんでっ」
慌てて断ると隣からクスクスと声がして、光が必死に笑いをこらえているようだった。
蓬莱寺は青くなり、赤くなって、楽しげな彼をじろりと睨む。
「姫、おいコラッ」
小声で呼ぶと光は悪い悪いと苦笑した。
「京一も時間は大丈夫なようですし、もう少しお邪魔していてもよろしいですか?」
「それはこちらがお願いしようと思っていましたのよ、光さん」
千影がふんわりと微笑む。
「せっかく久しぶりに訪ねてきてくれたのです、父も母も、あなたの話を聞かせて欲しく思っております」
お父様も本当は嬉しくて仕方ないのですと、言われて光は照れたように笑う。
月弓も穏やかな父の眼差しでゆったりと微笑みかけた。
「君も、光の守人ならば一族の者も同然だ、そのつもりで振舞ってくれてかまわない」
「は、はあ」
蓬莱寺は恐縮しながら頭をかいた。
諸々の事情さえなければ、彼らはどこにでもいるような仲むつまじい普通の親子だったのだろう。
それから二人はたっぷり一時間、光の両親も交えてひとしきり談笑に興じた。
学校でのこと、暮らしぶりのことなど、聞かれるたび光は当たり障りの無いことだけを面白おかしく話して聞かせた。両親は大いに笑い、蓬莱寺もそれに時折茶々を入れては一緒になって楽しんだ。
けれど。
時が過ぎ、腕時計を覗き込んだ光はそろそろ失礼しますと席を立った。
蓬莱寺もそれに続く。
玄関まで弓月と千影は見送りについて来た。
光は、彼らに今度は朋恵とともに参りますと、丁寧に頭を下げていた。
けれど。
車に乗り込み、門を出て両親の姿が見えなくなるまで、光はずっとニコニコと笑いかけていた。
けれど。
「―――姫」
車を降りて、その車が見えなくなって、すぐ。
光は唇を固く結び、顔を俯ける。
「姫、お前」
答えはない。そのまますたすたと、足早に歩き始める。
「姫っ」
蓬莱寺は隣に並んで、心配気に顔を覗き込んだ。
「なぁ姫、お前さ」
「京一は」
突然立ち止まり、光が振り返る。
金茶の瞳は張り詰めていた。
「京一は、どうして俺の守人なんか引き受けたんだ」
「なっ」
そんなもん、今更聞くようなことじゃないだろう。
けれど、瞳が更に問いかけてくる。
「俺は、真神に来る前、何もかも一人で解決すると心に誓って出てきた」
「光」
「お前だって俺なんかにかかわらなければ、こんな面倒ごとに振り回されずに済んだんだ」
「そりゃ、お前」
「お前はバカだ、どうして俺なんかの守人になった、同情か、好奇心か?」
「ちょ、ちょっとまてよ、何言ってんだお前、そんなもん」
「俺は!」
光が怒鳴った。
蓬莱寺は思わず閉口する。
「―――俺は」
声が急に小さくなる。
そのまま泣き出すのではないかと、蓬莱寺の胸の奥がギュと痛んだ。
「もう、これ以上、俺に関わらないで欲しい」
「姫」
「―――ごめん」
そのままフイと顔を背けて、光は再び俯き加減に歩き出した。
その背中に呼びかける適切な言葉を見つけられないまま、蓬莱寺も黙って後に続く。
胸の痛みがちりちりと尾を引いて、いつまでも痕を残すようだった。