(1999・春)
邸宅正面玄関の門を見上げた美里がしみじみとため息を漏らすので、蓬莱寺は笑ってしまった。
その片手には木刀と、そしてもう片方の手には珍しく中くらいの鞄を提げている。
「こんな大きな御屋敷に、光は住んでいたのね」
「中は更にとんでもないぜ、ったく、金持ちはいいよなあ」
「もう、京一君たら」
呼び鈴を鳴らすと、門の脇に作られた小さな出入り口のほうが開き、小柄な女性が顔を覗かせた。
「あれ、トキさん、だっけ?」
「まあまあ、覚えていてくださって光栄ですわ、さ、お入りなさいませ蓬莱寺様、お連れ様も、遠路はるばるご苦労様でした」
敷地内を招かれて、家屋に上がり込むと、トキは二人を居間まで案内してくれた。
「私は、これで」
障子の前で立ち去った背中を見送って、蓬莱寺は彫手に手をかけて開く。
「ようこそおいでなさいました」
そこに、白いブレザーの上下を着た朋恵が正座して待っていた。
姿を見止めた途端、美里があら、と声を漏らし、お久しぶりですと礼をしてから、勧められるまま用意された座布団に腰を下ろす。
蓬莱寺も隣に胡坐をかいて座った。
「朋恵さん、お元気そうで何よりだわ」
「美里さまもお変わりなく」
「ところで、その制服って」
朋恵は困り顔で微笑み返す。
「―――やはり、東京の方には気付かれてしまいますわね」
「何だ?」
ただ一人不思議そうにしている蓬莱寺を振り返って、美里がフフと笑顔を浮かべた。
「朋恵さんが着ている制服、どこのものか分からない?」
「ん?ああ、えっと」
「もう、京一君、よく見て」
「うーん?」
目を眇めて、まじまじと見詰められて、朋恵が少し眉をひそめる。
「蓬莱寺様」
「え?」
「女性をあまりじろじろと見るものでございません、失礼でしょう」
「あ、わ、悪い」
あたふたとする様子に、間を置いて、少女たちは共におかしそうに笑い声を上げる。
「何だよ」
そのままムッとした蓬莱寺に、美里がごめんなさいと謝ってから、ようやく種を明かしてくれた。
「朋恵さんの制服はね、皇神学院高校のものよ」
「えッ」
今度は瞠目して、再びまじまじと朋恵の姿を眺めると、蓬莱寺は仰天したようにあんぐりと口を開く。
「皇神っていや、確か村雨の通ってる」
「そうよ」
ええーッと大声を上げた直後に、襖が開いてトキが茶を淹れて持ってきた。
卓上に受け皿と茶碗を置きながら、蓬莱寺にニコニコと笑顔を向ける。
「ひいさまによくお似合いでしょう?」
「ひいさま?」
「朋恵様のことです、我が家のお姫様ですから」
「トキ」
少し諌めるような朋恵の声にも、トキは相変わらずニコニコと微笑んでいる。
「今春からひいさまも、当主様の御判断で学校に通われる事になったのです」
「けど、なんで皇神なんだ?」
「それは」
こほん、こほんと朋恵が咳払いする。
「トキ、もう宜しい、貴方は下がりなさい」
「はい、かしこまりました、朋恵様」
立ち上がり、一礼して、そのままトキは居間を出て行ってしまった。
襖を閉める間際に、ちらとこちらを見た顔は、やはりまだ暖かな笑みを浮かべていた。
「トキさん、京都からこっちに来てたのか」
振り返って蓬莱寺がしみじみと呟く。
「ええ、もう暫くすれば、私はこの家を出ますから、お兄様の御世話をさせるために呼び寄せました」
蓬莱寺と美里は僅かに驚いたように朋恵を見詰める。
「家を、出るって?」
「はい」
ニコリと微笑み、朋恵は真っ直ぐに姿勢を正す。
「私がここを守り続ける意味はすでに失われております―――かつての守姫たちは『外』へ出ることなど叶いませんでしたけれど、当主様、いえ、お父様が命ぜられたのです、このような状況になった以上、私も歳相応の暮らしを送るべきだと」
おろしたての制服に、艶やかな黒髪を高い位置でひと括りにした様子は、確かに標準的な少女の姿だ。
「私、それならば、本当は真神に通いたかったのですけれど」
「まあ」
「以前から付き合いのある陰陽師が、真神は宜しくないなどと申しまして」
「何だそりゃ、何で真神が宜しくないんだよ」
「知りませんわ」
不機嫌に口を少し尖らせる仕草に、蓬莱寺と美里は顔を見合わせる。
「ですが、通うなら、皇神が宜しいでしょうと、わざわざお父様に口添えなさったのです」
詳しい事はよくわからないが―――そういえば、以前村雨が、自分はある陰陽師の使いなのだと話していた。
弓月も陰陽師の意見を取り入れて、朋恵の通う学校を真神でなく皇神に決めた。
「ねえ、京一君」
「ああ」
「これって、やっぱり」
「だろうな」
こっそり窺うと、朋恵はまだ眉間を寄せたまま、ため息混じりにぼやいている。
「まったく、ご自身は卒業してしまうのに、私を呼び寄せても何もなりませんでしょう」
そこで、蓬莱寺と美里は全て悟って、もう一度顔をあわせて笑いあっていた。
「まあまあ、朋恵ちゃん、皇神もきっといい所だぜ?」
「そうよ、朋恵さん、きっと楽しい三年間になるわ」
「私、何だか計略に嵌められたような気分ですわ」
また笑う二人の姿を見て、今度は朋恵も一緒に可愛らしい笑顔を浮かべていた。
「―――それで」
「ああ」
促されて、蓬莱寺はようやく用件の品を鞄から取り出す。
「マリアセンセが校長に掛け合って、特別に用意してもらったんだと、詳しい話は知らねえが」
そういって座卓の上に置かれたものは、筒状の入れ物だった。
朋恵が手に取り、蓋を開くと、中から一枚の書状が出てくる。
文面冒頭には『卒業証書』と記されていた。
「まだ、姫は目覚めてねえけどよ」
顔を上げた朋恵に、蓬莱寺は照れたように鼻の下をこする。
「真神は昨日、卒業式だったんだ、だから、姫も一緒に卒業、だろう?」
「そう、ですわね」
朋恵はもう一度文面に目を通し、筒の中に大切にしまってから、卓との間に少し間を空けて深々と礼をした。
「有難うございます」
「いいって、礼なんかいらないぜ、なあ、美里」
「顔を上げてください、朋恵さん」
起き上がると、二人分の眼差しが穏やかに朋恵を見詰めている。
「光と出逢えて、私たちは幸せでした、それはこれからも変わりません、光はずっと私たちの友達です」
「ダチが、ダチのために何かすんのは当たり前だ、そう気を使われちゃかえって不自然だぜ、それにな、朋恵ちゃん、もうちょっと肩の力抜けよ?そんなんじゃガッコ始まったらくたくたになっちまうぜ」
「―――そう、ですわね」
朋恵は苦笑する。
「ですが」
「うん?」
「それを蓬莱寺様に諭されるいわれはございません」
「は?」
「以前より常々思っていたのですが、蓬莱寺様は少々お気が抜けすぎているように窺われますわ」
「なッ」
蓬莱寺の隣で美里がクスリと笑う。
「そうね、京一君はもうちょっと肩に力を入れたほうがいいかもしれないわね」
「み、美里まで」
ぐうと黙り込む男前に、少女たちは再び声を合わせて笑った。
そのうち、蓬莱寺もやっぱり笑い出して、ひとしきり和んだところで、再び蓬莱寺が話を切り出す。
「なあ、そういえば朋恵ちゃん、姫は?」
朋恵はニコリと微笑を返す。
「お兄様なら、今はおそらく庭にいらっしゃいます」
「なッ、め、目が覚めたのか?」
「いいえ」
身を乗り出した蓬莱寺に、今度は申し訳なさそうに首を振った。
同じように一瞬ハッと息を呑んだ美里は、僅かに寂しそうな顔をする。
「じゃあ、何で庭に」
再び座りなおす蓬莱寺に、朋恵はスッと瞳を細くする。
「壬生が時折、外に連れ出しているのです、部屋にばかりいてはつまらないだろうと」
「へえ」
お会いになられますかの声に、頷いて、朋恵の案内で二人は庭に向かった。
廊下を抜けて、縁台の端、板の上にまで桜が吹き込んでいる。
春の日差しに照らされた、眩いばかりの見事な薄紅色の木々の合間に―――
「壬生」
呼ばれて、車椅子の取っ手を持ったまま、壬生が振り返った。
椅子の端から僅かに覗いていたひざ掛けが、春風にふわりと揺れていた。