湿り気を帯びた風は何かを予感させるようだ。

遠くの空を見上げながら思う。

瞳だけ移動させてこっそり窺えば、傍らに腰掛けている朋也も何か思っているような顔で空を見ていた。

睫の長い二重の眼差し、鼻筋の通った、綺麗な横顔。

薄い唇を彩る淡い花色に一時見蕩れる。

気付かれる前に、視線を風景へと戻して、陽介は膝に置いた弁当に箸をつけた。

朋也が作ってきた大学イモは温かな味がした。

 

―――今日、少し付き合えないかと声をかけて、誘い出した鮫川河川敷。

 

放課後はそれなりに人の多いこの場所も、今日は雨の予報が出ている所為か、土手の上を時折人影がちらつく程度で、河原には自分と朋也以外誰もいない。

丁度いい、好都合だ。

数日悩みに悩みぬいて、陽介は一つの結論を導き出していた。

それは、何の解決にもならない、もしかしたらまるで無意味なことなのかもしれない。

(それでも俺には必要な事なんだ)

―――そして、朋也の中でも何かが変わる切欠になって欲しい。

泣き出しそうな空の元、湿った風が強く吹き抜けていく。

7月だというのに今日は酷く寒い。

前を歩いていた陽介は、立ち止まり、覚悟を決した。

 

「俺さ、お前に言っておくことがあるんだ」

 

「俺、お前のこと、どこか信用してなかったと思う」

「ていうか、うらやましかったと思う」

 

「お前は、俺と同じだと思ったんだ」

「都会からこんな田舎に来て、つまんねーってふて腐れてると思った」

 

だから、甘えて、縋って、一方的に頼って―――

 

「けどお前は来て早々、ペルソナとか出して、リーダーで、人が集まってくる―――ヒーローだ」

「俺は、そんなお前が好きで、自慢で―――けど同時に、うらやましかったみたいだ」

 

「みたいって?」

朋也の声が静かに問いかけてくる。

陽介の体は大仰にビクリと揺れた。

「俺も気付いてなかった」と答えながら、痛む胸に頭を垂れる。

(ごめんな、黒沢)

本当にごめん。

身勝手に色々なものを押し付けて、お前に何もかもまかせっきりで。

 

「こないだ、お前を特別って言ったときに思ったんだ」

「俺は多分、誰より、お前に認められたかったんじゃないかって」

 

だから、認めて欲しい。

俺はお前があてに出来るだけの価値のある存在だって―――受け入れて欲しい。

欲しかったものはもういらないような気もしている、手に入るかどうかもわからないと朋也は言っていた。

それが何なのか、陽介にはいまだ確証の持てる答えを見出せていない。

けれど、悩んで考えて、それで変わるのは自分の意識だけだ。

真実が手に入るわけでも、朋也の中の何かを変えられる訳でもない。

(これは多分、俺の我侭だ)

まだ期待して、何かを得ようとしている。

鮫川の表面は空の色を映して暗く濁っていた。

 

「だから、黒沢」

 

陽介は振り返り、目の前に立つ朋也を見据える。

 

「俺を殴ってくれ!」

 

驚いたように瞠目する朋也。

陽介は数歩駆け寄りながら奥歯を噛んで身構えた。

湿り気を帯びた冷たい風が間を渡り、2人の髪を揺らす。

じっと見詰め返してくる瞳の色は静かに澄み渡り、眼差しが陽介の心の奥を探っている。

他意は何もない。

(ただ、俺は―――お前と肩を並べたいだけだ)

頼るだけでも、頼られるだけでもなく。

「俺ん中にある、ぐちゃぐちゃしたもん全部、吹っ飛ばして欲しいんだ」

お前に甘えるだけだった、どうしようもない俺を殴りつけて欲しい。

「俺は、お前と対等でいたい、肩を並べていたい」

これは、そのための通過儀礼。

ちゃんと自分の足で立って、お前からも頼りにしてもらえるように。

「だから、黒沢」

 

懇願する想いと眼差しで、じっと見詰め続けていた朋也は、やがて、ゆっくりと唇を開いた。

 

「―――殴り合えば対等だ」

 

今度は陽介が瞠目する。

「えッ」

それは想定外の返事だった。

咄嗟に頭の中が白く染まって、朋也の真意を汲み取ろうと必死で目を凝らした。

―――朋也の目は真剣だった。

(ああ、そうか)

陽介は漸く―――漸く、全て理解したような気分を噛み締める。

(俺はまたお前に全部押し付けようとしていたんだな)

朋也が欲しかったものは、多分、これだ。

(理解なんて頭でするもんじゃない、直接ぶつかり合ってみれば一番伝わるじゃないか)

「わかった」

対等、なら、そうだよな。

拳を握り締めて身構える。

同じ様に目の前の朋也も身構えていた。

鮫川の水面を僅かに差し込んだ光が映す。

吹く風が河原の青草をざあっと揺らして通り過ぎていく。

 

「おっし、行くぜ!本気で来いよ!」

 

―――殆ど同時に土を蹴り上げて。

 

交差した拳が、互いの頬を殴り飛ばした。