肩にどさっと何か乗せられる感触と共に、顔のすぐ傍で「黒沢ッ」と気安い声が聞こえる。
乗ってきたものは腕だ。
陽介が懐っこい仕草で朋也を引き寄せながら「こらッ」と話しかけてくる。
「捕まえたっ、お前昨日午後どこ行ってたんだよー」
「どこって」
―――昨日は、昼休みに最近知り合った少女に誘われて、一緒に沖奈まで遊びに出ていた。
午後の授業をサボり、HR直前になって教室に戻ったのだが、その時は心配して声をかけてきた友人達に『腹痛を起こして保健室で寝ていた』と答えてあった。
陽介はどこで真実を得たのだろうか。
考えを見抜いたように寄せられた口元のトーンが僅か落とされる。
「昨日、お前の事沖奈の駅前で見かけたって奴が居んだよっ」
「は?」
「ウチでバイトしてるヤツ、そいつもサボリで遊んでたんだと、お前、海老原さんと一緒だったんだって?」
だからなんだというのだろう。
困惑している朋也に、その『誰か』から黙っている代わりに海老原を紹介して欲しいと伝言を頼まれたのだと、今度は少し窺うような口調で続けられた。
(それか)
はあ。
ため息が漏れる。
横目でチラリと窺うと、陽介が何故か少し驚いたようなそぶりでサッと目を逸らしていた。
何だろう?
背中にあたる温もりの、胸の鼓動がやけに早い。
「別に、構わないけど」
「おまっ」
やっぱり二人でサボってたんかと、強い口調で言ってすぐ陽介は再び声をトーンダウンさせる。
「―――で、何してたんだよ」
「何って、別に」
「別にってこと無いだろ、女の子と二人、授業までサボってさ」
「花村は海老原が好きなのか?」
―――愚問だった、直後に尋ねた自分を怨んだ。
陽介は一瞬顔を赤くして、大きく目を見開いて、何か言いかけた口元を―――閉じると、急に暗い表情で項垂れた。
預けられたままの腕の、掌がキュッと肩口を握り締めてくる。
(けど、なら何で)
分からない。
朋也はひとまず、小さな声で陽介に詫びた。
苦笑いの表情が「いいよ」と微かに首を振り、困ったように眉をハの字に寄せる。
「俺こそ悪い、何か、突っ込みすぎた」
「いや」
朋也は微かにため息を漏らす。
「昨日は、誘われて沖奈に行って、海老原にあちこちつき合わされただけだ、荷物持ちしてきただけだよ」
「―――そうなん?」
「ん」
そっか。
不意に安堵の様相を浮かべて、陽介は急に笑顔になると「そりゃ語愁傷様」と朋也の肩をバシバシ叩いた。
ちっとも気遣うそぶりではない。
朋也は内心やれやれと呟いていた。
陽介の天気模様は、時折さっぱり理解不能だ。
「それより、紹介とかそういう話はまあいいけど、そいつも事情を深く突っ込まれたら困るんじゃないのか?」
「ああ、確かに」
「それに海老原は気が向かなきゃ確実に無視するぞ」
「それも分かる気するな」
(だったら何でそんな話したんだ)
それでも「一応伝えておく」と朋也は約束した。
今日の陽介は何か変だ。
(いや、最近結構頻繁におかしい)
何といえばいいのだろう。
朋也は、同性からこれほどあからさまで濃厚な好意を向けられたことが無い。
拙いじゃれあいを好む人種が存在することは知っているが、同じ輪に加わってはしゃいだ経験もつもりも皆無だ。
一線引かれてしまうというか、普段から意識して振舞っているわけではないのだが、親しくなる人物は誰も各々のテリトリーを第一に考えるタイプばかりだった。
陽介の様な友人は初めてだ。
だからこそ時折その気安さに気後れしてしまう。
尻尾を千切れんばかりに振りながら飛び掛ってくる犬のように、自分に対しての陽介は無邪気で従順で怖いもの知らずだけど、誰にでも同じ様に振舞っているわけではない。
とりあえず、八十稲羽限定で、陽介が目に見えて懐いている人間を朋也は自分以外に件の先輩くらいしか知らない。
これは心を開かれている―――のだろうか?
時折僅かに鬱陶しいと思うこともあるけれど、嫌ではないし、むしろ好んで相手をしている自分自身にも戸惑いを覚える。
これまでの暮らしを覆すような事ばかり立て続けに起こっている所為で、価値観の転換が起こりつつあるのか。
(分からん)
知らず難しい顔をしていたようだ。
「黒沢?」と呼びかけられて、はたと振り返ると、窺うような陽介と至近距離で目が合う。
途端、ふわっと頬を染めて目を逸らす様子を、朋也は何となく可愛いと思った。
(案外気遣いが過ぎるんだよな、花村は)
「いいよ」
やっと普段の笑顔が浮かぶ。
人を和ませる事に関して、陽介は天才的な能力を持っていると思う。
「別に、俺に何のペナルティも無いし、海老原紹介するくらいなら幾らでもしてやるよ、気にするな」
「そっか、悪ィ」
「お前が謝る事無い、ま、中継ぎした点に関しては大いに反省して欲しいけど」
友達を売るなよと脇を軽く小突いてやった。
陽介はバツが悪そうに少し笑った。
「あ、そうだ、それでさ」
スルリと腕を外すと、そのまま傍らから覗き込むような格好で上目遣いに見詰められた。
「お前今日ヒマ?」
「まあ」
「じゃあさ、一緒にどっか行っとかねー?」
「いいけど」
変わり身の早さに苦笑いを浮かべて答えると、陽介が何で笑ってんだよと少し不審な表情を浮かべる。
朋也は「何でもない」と答えておいた。
この頃の陽介の態度などはともかく―――この気の置けない相棒と共に過ごす時間は、とても楽しい。
新たな土地での生活に早々に順応できたのも、元を糺せば陽介の存在が大きい。
諸事の理由でともすれば憂鬱になりがちな気分を常に明るく盛り上げてくれるムードメーカー。
けれど、朋也は忘れていなかった。
自分が稲羽を訪れてすぐ、花村陽介を襲ったあまりに残酷な『喪失』
笑顔の影に秘めた想いの僅かもちらつかせないのは、シャドウを制御できているばかりが理由では無いだろう。
だから、陽介を楽しませてやりたい。
何かできるわけでは無いけれど、何か返せると信じて、慕ってくれる想い以上を与えたい。
それは哀れみや同情などではなく、人となりを知った陽介に対して生まれた純粋な愛情だった。
叔父や菜々子を想う様に、陽介に対しても他とは違う特別な想いを感じる。
「おっしゃ」
陽介は気を取り直して頷いていた。
「んー、じゃあ、そうだな―――今日はお前んちにするか!」
何?
「うお、楽しみんなってきたっ」
朋也は一人盛り上がる姿をぽかんと見守る。
本当に―――想定外だ。
こいつの頭の中は、時折俺の想像の範疇をはるかに越えてカッ飛んでいく。
常日頃細やかな気配りを絶やさない男の、こういうときだけ独断専行とは如何なものだろう。
(まあ、部屋はいつでも片付いているけど)
母曰く、年頃の男子は常時女を部屋に呼べるよう整理整頓に務めるべし、という教えを叩き込まれた末の成果だ、特別予定がある訳でも無いが、習慣として身についてしまった。
すっかりその気でワクワクしている陽介に、今更「ちょっと待て」とは言いだせない。
浮かれ気分の足取りは「じゃあ放課後な!」とだけ言い残してさっさと教室に戻ってしまった。
一体、何なのだろうか。
ため息が漏れる。
辺りの喧騒をどこか遠く聞きながら、朋也も、陽介の入った教室へ向かい気の進まない爪先を進めた。