「ここがお前の部屋かあ」
ジロジロと無遠慮に辺りを眺め回す陽介に、朋也は苦笑いを漏らす。
「へえー、けっこう片付いてんじゃん」
―――放課後、昼休みの宣言どおり、陽介は半ば強引に堂島宅まで押しかけてきた。
特に面白いものなんて無いぞ、と、断ったのだけれど、それでも構わない、と押し切られてしまった。
陽介は俺の部屋にいったい何を期待しているんだ。
「で?やっぱ例のモノは布団の下?」
(それか)
本格的に苦笑い、だ。
「そう言う陽介は?」
「ふふん、俺はそんな安易なトコに隠してないぜ!」
急に胸を張られたと思ったら、あとからすぐ遠い目に変わる。
「一度、母親に見つかって家族の前でタイトル読まされたからな―――」
ああ、と思い、朋也は陽介の肩をポンポンと叩いてやった。
痛い状況が透けて見えるようだ、気遣ってくれるのか相棒と、情けない視線が向けられる。
直後に二人で笑いあった。
「そういやお前、ここに女の子呼んだこととかあんのか?」
「ん?」
急に何を訪ねるのかと思えば。
朋也は首を振った。
「無いよ」
「予定は?」
「それも無い」
「ははっ」
陽介が嬉しそうに笑う。
「お前って、意外と男くさいのな」
それはどういう意味だと多少不満に思う。
大体、何がそんなに嬉しいんだ、もしかして妙な対抗心でも持たれているのだろうか。
―――部屋のドアがノックされる。
「いるー?」
菜々子の声だ。
「かいらんばん、しらない?」
「菜々子ちゃんいるのか、せっかくだし、入れたげようぜ」
朋也は頷き返すと、部屋のドアを開けた。
「あ」
陽介の姿を認めた菜々子はニコッと笑ってお辞儀をする。
「こんにちは、陽介お兄ちゃん、いらっしゃい!」
「こんにちは、菜々子ちゃん」
陽介も笑顔で返す。
「菜々子ちゃん、今日ヒマなの?」
「ううん」
菜々子は首を振る。
「これからミワちゃんとヨーちゃんと、タケヨシくんのおうち、行く」
「おっ、男の家に!?」
―――驚くような事だろうか、むしろ陽介に対して困惑しきりだ。
「タケヨシくん、となりの席でね、れんらくちょう、とどけに行くんだ」
怪訝な朋也と驚愕の陽介をさして気に留めた様子もなく、菜々子はニコニコと話を続ける。
「ミワちゃんは、タケヨシくんがすきだからいっしょに行くって言ったよ」
(へえ)
「すきだから…」
小さくても、やっぱり、女の子なんだな。
恋愛に年齢は関係ない。
具体的にどういった心理が働いているのかは別として、自分以外の誰かを好きになれる心の素養は元来誰にでも備わって居るものだろうと朋也は思う。
少なくとも、愛情を知ることができれば、それはいつでも開花する。
「す、進んでんなぁ最近の子は」
陽介はひとしきり納得したあと、何故か自分の初恋年齢の話を持ち出していた。
おしゃまさんってどういうことだよと突っ込みたい。
(我慢、我慢)
俺の初恋はいつ頃だったっけなあ、と、他所事を思い紛らわせた。
「けど、まぁ―――しばらくそういうのは、いいかな」
改めて、陽介を見た。
「今は、そんなことしてる場合じゃないっつーか」
心なしかトーンダウンした口ぶりと、どこか遠くを想うそぶり。
「そんなことよりもっと前に、俺にはやらなきゃならないことがあるから」
菜々子が「しゅくだい?」と尋ねた。
少し俯き加減になっていた顔を上げて、陽介は笑った。
「ちがう―――けど、そうかも、菜々子ちゃん頭いいね」
はにかむ菜々子の頭を、朋也はポンポン、と叩く。
促して一緒に階下に降りた朋也は見つけ出した回覧板を菜々子に預けると、玄関先まで見送ってから、再び部屋に戻った。
陽介はまだ同じ場所でぼんやり佇んでいた。
開いた扉の向こうに朋也を見つけた途端、所在無い笑みが唇に微かに浮かべられる。
「菜々子ちゃんに(宿題)って言われたけど」
瞳の奥、ユラユラ、ユラユラと揺れる。
金の光。
まだ忘れていない、忘れられない、忘れるにはあまりにも早過ぎる疵が翳ろう。
「犯人捕まえて、事件終わらせて、平和にする―――それって、俺らにしかできないことだよな」
陽介が普段は心の海の奥深くに沈めて決して見せまいとしているカセクシス。
それは、恐らく自分たちのため、そして陽介自身のためと知っている。
強くあろうとする姿から瞳を逸らせない。
まだたったひと月程度しか付き合いの無い友人だけれど。
(花村)
頑張っている彼に、応えてやりたい。
「その、頑張ろうぜ」
気恥ずかしそうな微笑の、瞳だけが不意に真摯な輝きを帯びていた。
「頼りにしてる」
言葉に呼応するように胸の奥で何かが震えるのを、朋也は確かに感じていた。
だから黙って頷いた。
千の言葉を連ねるよりも伝わるだろうと根拠の無い確信だけがあった。
陽介の疵は、決して消えないだけでなく、恐らくは、今後更に確立されていくのだろう。
切なく甘美な思い出と共に、彼女の姿は永遠に彼の心に焼き付けられてしまった。
そしてそれは折に触れ陽介の心に痛みと決意をもたらす。
女神の存在を得た陽介が、ほんの僅か―――羨ましい。
(なんて、不謹慎だろうか)
目の前の日和見的な男はそこまで考えていないかもしれない。
朋也は内心苦笑していた。
「あ、そういや」
急に平素の彼に戻って、陽介が話を切り出してくる。
「お前んとこにも来た?青年会に入れって」
「青年会?」
そ。
「町おこしがどーのこーので、青年会が行事やるとか言ってて、ジュネスも関わるから入れられそうになってんのよ、俺」
(なんだか面倒臭そうだな)
そもそも文字でしか見かけたことの無い『青年会』とは、具体的に何をやるのだろうか。
町おこしと言われても今ひとつピンと来ない。
「んなことしてる場合じゃねーし、忙しいって断ったけど、しつこくってさぁ」
大体、青年会とか町おこしとか、どうでもいいっつのな。
ため息の陽介に朋也も苦笑いで返していた。
まあ、気持ちは分かるが、そういったコミュニティに承知されてしまう理由も大まかわかる。
寂れた田舎町だ、大げさな話ではなく、意欲的に活気付けていかないと八十稲羽の存続に関わるのだろう。
(しかし具体的な活動内容って、神輿とか、祭?)
褌姿の完二が一瞬脳裏に浮かぶ。
(嫌だ)
即座に『NO』が上げられて、朋也が困惑している最中、不意に陽介はくるりと踵を返したのだった。
「さて」
思わせぶりな仕草で髪をかきあげている。
「そう言うわけで、布団の下発掘の時間です」
(え)
「お前の恥ずかしい趣味を、白日の下に晒してやるっ」
電光石火、とはこの事か。
そう言ったが早いか即座に布団に駆け寄る陽介を認めて、朋也はワンテンポ遅れつつ状況を理解すると、大慌てで背中に掴みかかっていった。
「こ、こら!やめろッ」
「何だよ、いいだろ、ちょっとくらいさあ!」
「見られて困るようなものなんて隠していない!」
「だったらいいだろ、見られたって」
「よくない、人の寝具を荒らすなッ」
「んなもん後で直せよー」
「そういう問題じゃない!」
乱暴な手つきで布団をめくり上げようとする陽介と、それを必死で止めようとする朋也との間でひとしきり押し合いが繰り広げられる。
陽介は朋也が嫌がるほど喜んで、畳んである布団をしつこく崩そうとするものだから、初めのうちこそやめろやめろと困惑していた朋也も、口調に怒りが籠もりだした。
シーツを引っ張り、掛け布団を跳ね飛ばし、敷布団を強引に持ち上げる。
遂にキレた朋也が「いい加減にしろ!」と怒鳴るのと、目当てのものが見つけられず「なんだー」とぼやいた陽介の声は、殆ど同時だった。
しかし勢い余った朋也はそのまま陽介にタックルを食らわせる。
「うお!」
驚いた声と共に、よろめいた陽介の体がぐらりと斜め後ろに傾いだ。
同じ方向に朋也も倒れこみ、ガツン、という鈍い音と、陽介のくぐもった呻き声を聞きながら、何かに鼻をしこたまぶつけて痛みにウウッと声を漏らす。
「いってえ―――」
陽介の声。
朋也はよろよろと起き上がる。
そして、目が合った。
頭を抑えている陽介。
陽介からは―――胸の上に乗り上げている朋也。
お互いきょとんと見詰めあい、暫し瞬きを繰り返す。
ズクズク響く痛みのせいで思考が上手く働かない。
何が起こったのか状況の整理に手間取って、ぼうっとしていた。
そして。
「う」
ぱく、と口が動いた。
陽介が口をパクパクさせながら、見る間に顔を赤く染め上げていく。
目が大きく開かれて、何事かと思う間もなく「うわあああ!」と耳を劈くような奇声が部屋一杯に響き渡ったのだった。
思わず起き上がって避けたら、陽介は背中にバネでも仕込まれていたかのような動きで半身だけビョンッと起き上がり、そのまま即座に頭を抑えて今度は前屈みに沈んでしまった。
いったい何がしたいのかと、朋也は相棒の奇行に言葉を無くす。
(首まで赤い)
肩がブルブルと震えている。
恐らく相当痛いのだろう。
改めて確認してみれば、どうやらタンスの表面で後頭部辺りを強打したようだった。
ようやっと気を取り直した朋也は、そっと手を伸ばして、頭を抑えている陽介の手に触れてみた。
「大丈夫?」
即座にその手を振り払って、起き上がった陽介が再び頭を手で抑えながら形容しがたい笑みを浮かべた。
「だ、だいじょうぶ!」
(何?)
と、いうか、全く大丈夫な様に見えない。
目尻に涙が浮かび、顔だけでなく耳や喉元辺りまで真っ赤だ。
(これは、相当痛いんだろうな)
ビクビクと身を引き何故か拒絶の態度を見せる陽介を、無理に捕まえて胸元に抱き込んだ。
そのまま抱え込んだ頭の後ろ辺りをそうっと確認してみる。
(ああ、やっぱり、こぶになってる)
触れてみると「痛いッ」と声が上がる。
「黒沢」
胸の辺りに湿り気を帯びた熱が生じた。
ゴクリ、と鍔を飲み込む音がする。
「花村」
申し訳ないと思いかけたが、目の前のグチャグチャに乱された布団を見て、軽く嘆息を漏らすと、相変わらず緊張したままの陽介の患部付近を狙って軽く指で弾いてやった。
「いてっ」
ビクリと体が震える。
怯えていた訳はこれだろう、俺に掴まって、何かされると思ったのか。
「今、ぶつけたばっかなんですケドっ」
「自業自得だ、お前があんな真似しなきゃ良かったんだ」
「やっぱ、そうなっちゃいますか?」
「なっちゃう」
馬鹿、と呟いて、改めて、向かい合うように座りなおしたら、陽介は後頭部を押さえたまま困ったように笑っていた。
肌の露出している部分は軒並み真っ赤に染まったままだし、目尻には相変わらず涙が滲んでいる。
朋也はため息混じりに立ち上がっていた。
「ちょっと、待ってろ」
そのまま部屋を後にする。
(とにかく冷やして、手当てをしないと)
世話の焼ける、と呟いてみて、不意に笑いが込み上げてきた。
(本当にしょうがない)
そういえば―――階段を下りる最中、以前の記憶が甦ってくる。
出会いも確か、ゴミ箱に突っ込んだ陽介を助け起こしてやったんじゃなかったか?
(いや、本当の最初は電柱に激突していたような)
やれやれと再びため息が漏れていた。
調子に乗りすぎるからいけない。
黙っていればそれなりに見栄えのする容姿をしているのに。
(しかも案外熱血だし、いいことも言うんだけどなあ)
階段を下り切った所で朋也は不意に首を傾げていた。
―――胸がドキドキしている。
少し考えてみて、もしかしたら陽介の混乱や動揺につられたのかもしれないぞと思い至った。
途端、僅かにイラッとする。
朋也は首を振り、疲労感の籠もった溜め息を淡く漏らしてから、濡れタオルを用意するべく浴室へ向かい歩き始めた。