この間の話だ。
夕方、珍しく家にいた叔父から「ジュネスに行くが付き合うか?」と聞かれて、朋也は叔父と菜々子と一緒に稲羽一大きい郊外型大型物販店の扉を潜った。
ジュネスはいつでも活気に溢れ、他に行くところが無いのかと呆れるくらい、年齢も性別も多種多様な人々がそれぞれに色々と楽しんでいる。
都会に、この手の一箇所で何でも揃うような、ある意味巨大な雑貨店は存在しない。
最初は物珍しさから、ジュネスも結構なものだと思ったものだった。
(けど、いつ来てもここは人が多すぎる)
流石にいい加減飽きた。
案外、今、この場所に、八十稲羽の総人口の殆どが収容されているかもしれない、冗談ではなく。
他所が寂れ過ぎているからかえって目立つのかもと、逆転の発想を思い浮かべてみたりもした。
とにかく、数日は買い物をしなくて済むだけの食料や日用品の類をカートに放り込んで、キャスター付きの小山を押しながら叔父や菜々子と雑談を交わし、朋也もそれなりのひと時を楽しんでいた、その時だった。
声が聞こえた。
馴染みのある声だ、雑踏の向こう側から聞こえる。
目を凝らして窺うと、知っている顔が立っていた。
エプロン姿で商品を並べつつ、通りを行く客に声を掛けている。
隣の菜々子が「あッ、ヨースケくんだ!」と朋也の手をきゅっと握り締めた。
「ほう、頑張ってるな」
菜々子の向こうで叔父が目を細くしている。
陽介は、特売品のカレールウの売り場を任されているようだった。
「えー、お夕飯にカレーは如何でしょうか、こちらの商品、本日限りの特別価格、298円にて販売しております、
足を止めて陽介の勇士を見守る堂島一家の脇を、子供が駆け抜けていく。
陽介の入る売り場の脇を老女がカートを押しながら通り過ぎようとしていた。
子供が近づくと、老女は何を思ったのか急に方向転換しようとして、子供の進行方向を塞ぐような形でカートを真横に向けた。
子供は避けようとして、スピードの乗った足をそのまま無理に逸らしたものだから、バランスを崩して陽介が今まさに陳列を行っている山の一角に体当たりする格好で飛び込んでいく。
「うわッ」
辺りに物凄い音が鳴り響いた。
「おい」
叔父が、ぽつんと呟いていた。
崩れた山の手前で呆然と立っている陽介と、同じ様に唖然としている子供、そして、老女の姿。
けれど陽介が何か言う前に、子供は踵を返して駆けていき、老婆もそ知らぬ顔でそそくさとその場を立ち去ってしまった。
残されたのは、辺りに散らばった商品と、肩を落とす陽介の姿。
子供が元気だった事は不幸中の幸いだが、親は姿を見せることすらなかった。
傍を行く買い物客も、一様に我関せずの顔をして通り過ぎていく。
「あーあ」
ため息混じりにしゃがみ込む。
陽介が、商品のひとつに手を伸ばそうとして、同じ様に伸びてきた指先にはたと顔を上げた。
「あ、すいませ」
途端、驚いたように目が丸くなる。
「黒沢!」
「災難だったな」
朋也は気遣いの籠もった笑みを友人に向けた。
あの騒動の直後、カートを叔父に預け、売り場に駆けつけたのだった。
「見てたのか」
苦笑いの陽介に、朋也の傍らから不意に小さい手が差し出される。
「ヨースケくん、これ!」
菜々子がカレールウを両手で丁寧に持ち上げて陽介に差し出した。
あんまり真剣な表情をしているものだから、朋也と陽介はふと顔を見合わせて、思わず笑ってしまう。
「ありがとう、菜々子ちゃん」
陽介に頭を撫でられて、菜々子は嬉しそうにしていた。
朋也も商品を拾い集める作業を手伝う。
見ていた客の数人が、ようやく手を貸してくれた。
集めたルウを今度は陽介と一緒に売り場に陳列し直していく。
箱状の形態を見極めて、ついでに今度は衝撃の強い組み方に変更しておいた。
こうしておけば、再び不慮の事故があったとしても、今回よりは被害の規模を小さく抑えられるだろう。
途中からかなり夢中で商品を積む作業に没頭してしまった。
あらかた終わったところで、肩をポンポンと叩かれる。
「サンキュ!悪いな、手伝ってもらっちゃって」
振り返ると、傍らの陽介は満面の笑みを浮かべていた。
「お前が手ぇ貸してくれて助かったよ」
「いいって、それより、潰れてる箱が無くてよかったな」
「マジ?そんなとこまで見てくれてたの?スゲエなお前、さっすがカリスマ主夫」
「何だそのあだ名は」
「センセイ!その細やかな仕事振り、ジュネスでイカしてみない?」
「嫌だ」
「おにーちゃん、ジュネスでアルバイト、するの?」
菜々子の一言で朋也は黙り込み、陽介は可笑しそうにケラケラと笑っていた。
結局その日の献立はカレーに決まり、朋也は商売上手な友人と別れて家路に着いたのだった。
(―――アレが原因になったんだろうか)
店舗奥の屋内倉庫の様な場所でエプロンを身につけながら思う。
薄暗く広い通路に商材を乗せたキャスター付きの棚が並んでいる、こういう場所をバックヤードと呼ぶそうだ。
―――本日は日曜日。
学校は休みで空は快晴、六月の風が涼やかに踊る正午過ぎ、本来なら絶好の散歩日和となるはずだった。
(花村の様子でも見ていこうなんて、考えるんじゃなかった)
今日も忙しくアルバイトをしているだろう、友人の勇姿を応援しにいってみよう。
そんな些細な理由で何となくジュネスに踏み込んだのが運の尽きだ。
いきなりガシッと腕を掴まれて、振り返れば必死の形相の陽介が居た。
縋るように新手のセールスの様なことを言うものだから、何事かと思い承諾してみたら、そのまま有無を言わせず店内に連れ込まれ―――今に至る。
(ジュネスのエプロン)
背中でクロスさせた肩紐が捩れていないか指先で確認して、後ろ手に腰紐を結ぶ。
しっくり納まる自分に多少投げやりな気分にさせられる。
(こうなった以上、やるしかないか)
こんな格好も、こういった場所に踏み込んで、これからするだろう作業も、改めて考えれば経験のひとつというわけだ。
武勇伝になるかな、と、ちらと思った。
途端腹が決まった朋也に、物陰から「黒沢」と声がかかる。
「用意できた?」
ひょこっと覗き込んできた陽介が、改めて傍に立ってまじまじと朋也の姿を眺める。
何故か少し嬉しそうで、疑問を視線に乗せながら様子を見ていると、顔を上げた陽介は、今度はやけに焦ってあたふたとしていた。
何でも、ジュネスのエプロンがよく似合っている、らしい。
(嬉しくない)
言葉にしなくても伝わったのだろう、直後にバツの悪そうな表情で「ゴメン」と謝られた。
「でもさ、お前が手伝ってくれるの、スゲー助かるよ!」
パッと手を取って、陽介がギュッギュと握り締めてくる。
そのままニコニコと微笑みかけてくるものだから、朋也は反応に困ってしまった。
(とりあえず)
「よろしく」
「おう!」
少し離れた場所から陽介を呼ぶ声が聞こえる。
「はーい、今行きますッ―――じゃあ、行こうぜ相棒」
パッと手を離し、踵を返して駆け出した。
背中を追いかけながら、朋也は(今日は大変な一日になりそうだ)と、内心僅かに肩をすくめたのだった。