ジュネス店内はかなりの人出だった。

突発的に行われたセールの集客効果は絶大で、セール品以外のものも飛ぶように売れた。

朋也は陽介とコンビにされて、商品陳列と客への呼びかけを行う陽介の傍で、薄くなった売り場の充填作業をひたすら行った。

時折、客に声を掛けられて、答えられない内容に詰まる朋也が困る前に陽介がフォローに入り、あまりストレスを感じる事も無く仕事に専念できた。

(花村は案外凄い奴だ)

売り場の偉い人から「上がっていい」と声をかけられて、バックヤードに戻りながら朋也は傍らの友人を僅かに尊敬の籠もった眼差しで窺う。

(頑張る奴と思っていたけど、それだけじゃなくて、やるときはやる奴なんだな、こいつは)

「ん?」

振り返った陽介が「何?」と瞳を瞬かせる。

朋也は首を振り、ため息を吐きながら「喉渇いた」と短く答えた。

「そっか、じゃあ、上のフードコード行っとく?奢るし」

「当然」

「ハイ、今日ばっかりは喜んで」

軽く頭を下げてから笑う陽介と一緒に薄暗い通路を歩く。

やり遂げた感に、ほんの僅か、ここで働くのも悪くないかなと思い、けれど朋也は心の中で笑って、決定を保留にしておいた。

 

「うえぇ、疲れた」

馴染みのプラスティック椅子とテーブル、白い卓上に陽介が両手を伸ばして突っ伏す。

日は大分西に傾いてしまったが、空はまだ青く、風は涼やかだ。

辺りを数多の大人や子供の声が行き交っている。

「急にセールやることになったらしくて、とにかく人手欲しいって親父に頼まれてさ」

むくりと顔を上げて、体を起こしながら、陽介は申し訳程度に事情を説明し始めた。

「んなことしてる場合じゃないって言ったんだけど、聞かなくって」

(成る程)

半ば強引に引き込まれて、たいした説明もなしに店内に連れて行かれたけれど、事情から察するに陽介はあの時相当困り果てていたらしい。

それは尤もな事だろう。

人手を集めろ、と言われても、陽介に辿る友人の伝手は皆無に等しい。

そもそも色眼鏡で見られている奴だから、顔なじみ程度の相手に頼むには難しい内容で、正直気が引けていたに違いない。

そんな折、朋也が現れた。

まさに、渡りに船、といったヤツだ。

(でもまあ、そういうことだったら)

すまなそうにこちらを窺う鳶色の瞳に温かな気持ちが込み上げてくる。

先に笑顔を見せたのは陽介の方だった。

「けど、お前いてくれて助かった!サンキュな」

つられて朋也もフワリと微笑み返す。

「なかなか楽しかった」

「マジ?俺なんか面倒なだけだよ」

陽介は大仰に驚いて見せて、すうと嬉しそうに瞳を眇めた。

「お前、すげーな」

―――本日快晴、絶好の散歩日和、だったけれど。

(こういう休日の過ごし方も悪く無い)

もちろん、ジュネスでアルバイトをして過ごす、と言う意味ではない。

目の前で陽介が笑っている、それだけで、楽しさは倍増する。

 

和やかな雰囲気に終わりをもたらしたのは、聞き覚えのある少女の声だった。

 

「あ、花村ー」

 

二人は同時にはっとして、姿を確認した陽介が朋也にしか判らない程度に眉をひそめる。

近づいてきたのは以前この場所で見かけた少女たちだ。

理由は判らないが、すこぶる不機嫌であるらしい。

地響きでもしそうな足取りで椅子から立ち上がった陽介の正面に至ると、片や腕組みをして、片や腰に手をあて並び立つ。

こんな像を寺社仏閣の門付近で見かけるよな、と、朋也は思う。

「何なの今日、超忙しいんだけど」

口火を切ったのは赤い唇の少女だった。

働いていたにしてはメークがキツイ、マスカラをたっぷり乗せた瞳が何度も瞬かれる。

「知ってたら休んだっつの」

「いやー、そこはお願いしますよ、今日、ちょっとボーナスも付いたでしょ?」

陽介は愛想笑いで二人をいなそうと懸命な様子だった。

500円でしょぉ?せっこーい」

もう一人の少女は油ものでも食べてきたような口元だ。

グロスを塗りすぎているのだろう、これでは逆に嫌らしく見えて仕方ない。

「あたし、お金貯めてるからさー、もっと給料上げてよ」

「やー、それは俺じゃ力不足かと」

「えー、超意味無い」

少女たちは興ざめしたように目配せしあうと、来た時と同じくらい無遠慮に立ち去っていった。

相手の事などお構いなし、だ。

呆れた気分で見送っていたら、途中で立ち止まって世間話を始めた。

凄い音量の噂話だ。

(まるぎこえ)

ため息交じりに陽介を窺う。

再び腰を下ろした陽介は、仄かに暗い表情で黙り込んでいた。

「これじゃ卒業旅行、国内だよー、やっぱ親に全額頼もうかなー」

「男見つけて、払ってもらえばぁ?」

「あはっ、早紀みたいにぃ?」

陽介の双肩がビクリと震えた。

即座にハッと少女たちを振り返り、朋也は再び陽介に視線を戻す。

項垂れた表情を茶色の髪が隠して見えない。

少女たちの会話は続いている。

「去年だっけ?早紀の駆け落ち」

「そうそう、帰省してきた大学生にくっついてどっかまで行ったらしいじゃん、けど、すぐ帰ってきてさ、自分でお金貯めて出てくって言ったって」

「えー、何それ、捨てられたってことぉ?」

「知らないけどぉ、ここでバイト始めたってことはやっぱお金貯めたかったんじゃん?」

片方の少女が僅かに声のトーンを下げる。

「けどさぁ、うちら女子高生が本気になれば、もっと稼げるバイトあるじゃんねー」

―――呆れてものも言えないとは、まさに、今、この様な心境をさすに違いない。

朋也はテーブルの下でギュッと手を握り締めていた。

これはあまりに―――酷い。

どうしてこれほど無神経になれるのだろう、彼女たちに美徳の文字は備わっていないのだろうか。

かつて母親に言われた事がある。

(トモ君が自分で選んだ人なら、ママはどんな恋人だって認めてあげる、でもね、自分を大事に出来ないコだけはダメ、そんなコは)

他の人も大切に出来ないから。

そういう理由だった。

無論、殆ど付き合いの無い朋也には、彼女達の実際の人となりは分からない。

(けど、最悪だ)

嫌悪感に身震いがした。

陽介を窺うと、項垂れていた顔が一瞬こちらを見て、すぐ投げやりにそっぽを向きながら「関係ねーよ」と嘯く声が聞こえた。

(花村)

ならどうしてそんなに辛そうなんだ?

「あの人らの、テキトーな噂だし―――別に、気にしてねーし」

どうして声が掠れている。

「あんなふうに言われて、可哀想だよな」

(泣いてるのか?花村)

再び振り返った陽介は、危惧していたような様相をしてはいなかった。

けれど涙を流していないからといって、泣いていないとは限らない。

心が流す涙だってあるのだから。

「小西先輩の仇、取ってやれるのは俺らだけだ」

陽介の言葉、強い口調。

「俺らは、特別だ、俺らしかいないんだ」

けれど違和感を覚える。

これは何だ?

朋也は言葉の奥に紛れる、本当の声を聞き取ろうと耳を澄ます。

「だから―――外野は気にする必要無い」

(そうか)

半ば―――唐突に気付いてしまった、見えてしまった。

陽介の欲しいもの、今自分に求められているもの。

懐こい陽介。

何かと纏わりついては俺を引き込もうとする陽介。

確かにテレビに入る力を最初に得たのは俺だ。

けれど事件を解決しようと言い出したのは陽介だった、以来誰よりも熱心に稲羽で現在進行し続けている同件の解決に尽力しているのも奴だ。

(お前は俺が欲しいのか)

何の感慨もなく、淡々と解が導き出される。

(依存の対象として、逃げ込む場所として、俺の存在とこの事件が必要なのか)

正確には、恐らく、不本意な現実から目を背けるためのスケープゴート。

別に俺でなくても、花村がその対象となり得ると判断したなら何であろうと構わない。

(そういうことなんだろう?)

陽介の心はいまだ血を流し続けていた。

それは多分小西早紀の一件が理由の全てでは無い。

敢て非情な言い方をしてしまうなら、片恋相手の死は単なる切欠でしかなくて、これまでも散々見たり感じたりしてきた陽介に対する周囲の酷薄な態度を耐え凌ぐ間に溜まりきってしまった負の感情が一気に噴出し、制御が利かなくなっているに違いない。

そんな現状に尤も驚き戸惑っているのは、他ならぬ陽介自身だろう。

派生した惧れや不安から逃れるための目暗ましが必要だった。

多分違いない―――何故なら。

(今のお前の言葉からは、気持ちが少しも伝わってこなかったからだよ、陽介)

朋也は陽介を見詰める。

そうして一言「大人だな」と返した。

認めるわけでも、受け入れるわけでもなく、ただ距離を取るために。

同じ目線に立ってはいけない。

そんなことをしたら陽介が縋る場所を失って溺れてしまう。

(お前が、それがいいっていうなら)

陽介は数回瞬きをして、不意に普段の笑顔でほんの少し照れたように頬を染めていた。

「テレビん中でガキの俺を見たからな―――ちょっとは変わんねーと」

朋也も静かに微笑み返す。

笑っている陽介が好きだ。

(たとえ依存でも、対等な関係じゃなかったとしても)

向けてくれた好意は本物だろう。

だったら別にいい、想いがどんな形をしていたって。

(構わない、依存してくれていい)

「俺、お前で良かったと思うよ」

陽介の声は六月の涼やかな風に良く通る。

「お前とだったから、ここまで来れたよな、正直」

それは朋也も同感だった。

個々の問題はそれぞれが自力で解決すべきであって、関わりあうのはナンセンスだとずっと思っていた。

(でも、俺は今までしたことのなかったことをしようとしている)

心境の変化に内心驚き、呆れ果てている。

陽介が空を仰いでいた。

端から水で溶いたように薄い浅葱色に淡い雲がたなびく。

「何か、めんどい」

ポツリと呟いたあと、間を置いて、お前の事じゃないからなと取って付けたように足された。

(そんなのわかってる)

要らない気ばかり遣うから、自分の本当の気持ちまで見えなくなるんだ、馬鹿。

「何だろうな」

朋也は陽介を見ていた。

「―――分かんねーや」

―――陽介は朋也を見ていない。

 

西の空に、一際輝く星がひとつ、標のように瞬いていた。