今くらいの季節は吹く風が心地良い。

あと僅かもすれば日差しが強くなって、太陽の下に繰り出す気力もなくなるだろうからと、最近は外で昼食を摂るようにしている。

見晴らしのいい屋上ランチは気分もいい。

都会の空気は汚れていて、外ではあまり食欲が湧かなかった。

もっとも、街中のカフェテリアはいつも盛況だったし、近所の公園のベンチには昼食時に弁当持参の会社員や親子連れがたくさん訪れていたから、元住んでいた場所が汚染されていたという意味ではない。

あくまで朋也個人の嗜好に拠るものだ。

それでもやはり稲羽と比べれば、空気中の塵や埃の量は遥かに多かっただろうと思うけれど。

衣替えしたばかりの襟足から吹き込む風にうっとり目を閉じていたら、隣から笑い声が聞こえた。

「なに一人で浸っちゃってんの?」

振り返るとあいがおかしそうに口元に手をやっている。

「アンタって時々変だよね、ウキヨバナレしてるっていうか」

「海老原でもそういう言葉を知ってるのか」

「ちょっと!あたしのことなんだと思ってんの」

二人は笑いあった。

昼休み、多く作り過ぎてしまった弁当を一緒に食べてくれる誰かを探していたら、運良く海老原あいに出逢って、今は屋上で会心作のポテトサラダをつまんでいる最中だ。

あいから「これなら結婚してやってもいい」と太鼓判を頂いた。

尊大な物言いには思わず苦笑いが漏れたけれど、自分が作ったものを人に喜ばれるのは結構嬉しい。

傍らのあいからはいい匂いがしていた。

「ねえ、朋也?」

「ん」

「あんたってさ、こっちで彼女とか作るつもり、あるの?」

朋也は箸を止める。

稲羽での滞在は元より期限付きだ。

来年の春などまだ遠く感じられるけれど、多分、あっという間だろう。

ここでかけがえのない誰かができたとしても、いずれ遠距離恋愛は確定している。

「どうかな」

風にあおられて前髪が浮き上がり、普段隠れがちな朋也の目の辺りが露になった。

端正な顔立ちに思わずあいは見蕩れる。

「特別、気になる子はいないから、今はまだ未定」

「それってあたしにも興味ないって事?」

「そもそも海老原が俺に興味ないじゃないか」

「そんなことないし」

「ただの男友達だろ?」

「何よ、文句ある?」

顔を見合わせて、朋也はやっぱり笑ってしまう。

口を尖らせたあいも目の奥は同じ様に和んでいた。

「もう!超失礼!何笑ってんのアンタ、今度また午後あたしに付き合わせるからね!」

「ハイハイ、HRまでに戻れたらいいよ」

「バカ、このポテトサラダ無かったら、許してやらなかったんだから」

俺はポテトサラダで命を繋ぎとめたのかと、暢気な声色がまた笑う。

そうしながら何となく陽介のことを思い出していた。

一年。

今はまだいつかの話、けれど、日々は着実に過ぎ、時間はゆっくり目減りしている。

(この一年の間にどれだけのことができるんだろう)

少なくとも―――例の事件に終止符を打ってからこの地を去りたい。

時折見る青い夢に現れる小柄な男も意味深な言葉を口にしていた。

今年が人生の節目で転機。

(そうだとしたら、花村との出会いも、意味のあるものなんだろうか)

「ちょっと、朋也!」

ギュッと腕をつねられて、いててと呟きながら朋也は意識をあいに戻す。

「何?」

「あたしと居る時他の女のこと考えないでよ、ホント、サイテー!」

「そんな事してないよ」

「ウソ、ぼんやりしちゃって、わかんないと思ってんの?」

(考えてたのは男の事なんだけど)

陽介ごときで惚けていたと責められるのは心外だ。

真実を話すのも馬鹿らしいので、朋也はゴメンと苦笑いで謝っておいた。

「よし」

妙に尊大な態度で頷きながら、とりあえずあいは納得してくれたようだった。

(こういうのは可愛いと思うんだけどな)

夏風が二人の声を空へと攫っていく―――

 

 そして空になった弁当箱の包みを持ち、ひとり階段を下りてきた朋也は2階廊下で捕まえられた。

「黒沢っ」

遠慮なく圧し掛かる肩の重みと声ですぐに誰かわかる。

回した腕で引き寄せられながら、首を横に向けると案の定、物言いたげな表情の陽介と目が合った。

「花村」

「お前、ちょっと来いっ」

そう言われてもと腕時計に目を走らせる。

あと少しで5限目開始時刻だ。

「何だよ、ここでいいだろ?用件を話せよ」

短い押し問答の結果、下駄箱を望む中二階エントランスの縁辺りでお互い手を打った。

陽介は肩を寄せて、耳打ちするように小声で話しかけてくる。

「前も聞いたけど、お前さ、本当に海老原さんと何もないの?」

何かと思えばそんな話か。

朋也の口からため息が漏れた。

「―――無いよ」

「何だ、今の間!」

「花村があまりにアホだから呆れてたんだ」

「はあ?なんだよそれっ」

最早言い繕う気力もない。

陽介の的外れな疑念はともかく、個人の事情にいちいち首を突っ込もうとする神経が鬱陶しい。

べつにどうでもいいだろと、すげなく答えて腕を振り払おうとした。

しかし陽介は意外に執念深く、解かれそうになった腕を再び朋也の肩に回して、更に密着してきた。

「なあ、親友、誰にも言わないからさ、俺にだけはちゃんと教えろよ?彼女ができたなら正直に」

「海老原はそんなんじゃない」

「こないだ一緒にサボって、今日は一緒にメシ食って、お前らホントのホントに付き合ってねえの?」

「花村こそ、マジで海老原が好きなんじゃないか?俺にだけは正直に話せよ」

ウッと声を漏らして、スルリと腕が離れた。

複雑な表情で項垂れる陽介に、つくづく、メンドクサイ男だな、と思う。

(こんなのをいちいち気にするなんて、俺もどうかしてる)

「悪い」

伸ばした指先で何気なく前髪に触れると、途端陽介は弾かれたように顔を上げて仰け反った。

「な、何すんの!?」

「は?」

お互い暫く見詰め合う。

陽介の顔がなんだか赤い。

「―――あー」

視線をそらしながら、陽介は気まずげに間の抜けた声を漏らす。

「ま、まあ、何だ、その、違うっつーなら、いいんだけどさ」

(何がどういいんだ)

すっかり困惑した表情の朋也に気がつくと、今度は苦笑いで大げさに肩を叩いてきた。

「悪いな、変に疑ったりして、いやでもお前も悪いんだぞ?誤解受けるようなことしてっから!」

「お前が勝手に誤解して、勝手に騒いだだけだろう、俺の何がどう悪いっていうんだ」

「―――それは、仰る通りですね、ハイ」

ごめんなさい、と、謝る頭上にスピーカーから予鈴が流れ出す。

慌てて教室に戻りつつ、前を行く陽介の背中を眺めて、朋也は小さく疲れたため息を漏らしていた。