陽介の様子がずっとおかしい。

この間の雨の日から継続している。

千枝や雪子は多分気付いていない、なら、完二は殊更分からないだろう。

テレビの中には行ってない。

(特に何か影響あるってわけじゃないけど)

前触れなくはしゃいだかと思えば、じっとこちらを探るような瞳で見ていたり、バカ騒ぎの合間に時折寂しげな表情を浮かべたりする。

一体何を考えているのだろう。

カートを押しながらため息が漏れた。

朋也は今、明日から一泊二日予定の林間学校で行う飯盒炊爨の買出しの付き合いでジュネスに来ている。

ほんの数日前にひと悶着あった、今はまだ複雑な心境にさせられる場所だ。

もっともフードコートを見たり思い出したりしなければ、取り立ててどうという事も無い。

朋也と同じ班分けになった千枝と雪子が作る予定の献立は、日本の国民食カレーライス。

無難な選択と思ったのもつかの間、食料品売り場での彼女達の会話に総毛立った。

何故カレーすら作ったことがないんだ。

世間にはカレールウという手軽で便利な調味料が存在するのに、あえての本格嗜好、しかも一般的なカレーではお目にかかれないような個性的な食材の名前を次々と上げ連ねていく。

(普段2人はどんなカレーを食べてるんだろう)

あまつさえそこに誤ったマメ知識が付け加えられていくものだから、既に悪い予感しかしない。

願わくば、どうにか食べられる物体にはなっていただきたいと、神と2人に祈るばかりだ。

アドバイスすべきかとも考えたが、やる気を出している二人に口出しするのも無粋だろうという建前の影に、これは武勇伝の予感がするという本音が潜んでいることを朋也は知っている。

自分達と同じ班で一人現状を知らずにいる陽介には悪いが、ここはひとつ野望のため共に死んでもらおう。

はしゃぐ2人を見ていると気が滅入るばかりだったから、朋也は近くにあったグレープフルーツに視線を移した。

ついでに家にも何か買って帰ろうか。

(今日は早く寝るつもりだから、夕飯とかは無理だけれど)

果物を買って帰れば菜々子が喜ぶだろう。

もしかしたら叔父さんも一緒に食べられるかもしれない。

堂島は、さすが刑事と言うべきか、春から続く一連の事件に朋也達が関係していると薄々勘付き始めている。

疑いの眼差しをすり抜けるのは簡単だけれど、嘘をついている罪悪感と、いつかバレるかもしれないという不安が常に付きまとっていて、陽介とは別件の悩みの種となっていた。

いっそ話してしまうべきか―――何度も考えて、そのたび、否定を繰り返す。

仲間全員で決めた事だ、司法に託すのは霞掛かって得体の知れない事件の全貌を現実の光の下に引きずり出してからだと。

裁きまでこの手で下すつもりはない、そんなものは重過ぎる。

時が満ちるまで、苦しみは心配をかけている罰と受け止めようと既に腹は括ってある。

ぼんやりしていた朋也の元に、あらかた買うものを選び終えた千枝が駆け寄ってきた。

「カート、持ってくね」とハンドルを引き受けて、待っていた雪子と共にレジへ歩いていく。

手持ち無沙汰になった朋也はグレープフルーツを選ぶことにした。

なるべく形が整っていて、色艶の綺麗な、瑞々しいものが良い。

背後から「何してんの?」と声をかけられる。

「花村」

「よう、買い物終わったのか?」

別行動を取っていた陽介がいつの間にか戻っていた。

朋也の横に立つと、同じ様に売り場を覗き込みながら千枝達がどこへ行ったのか尋ねるので、レジで清算していると教える。

「そっか、んで、お前のそれは?」

「菜々子と叔父さんと食べようと思って」

「へえ、相変わらず家族想いだなぁ」

物欲しそうな顔を見て、朋也は「やらないぞ」とそっけなく告げる。

「お前だって明日の支度があるだろ」

「流石に寄らないって、でもいいなあ、俺も一緒にグレープフルーツ食べたい」

「卑しいよな、花村は」

「んなことねえよ」

ふと、陽介の片手に持つ荷物に気がついて、今度は朋也が「お前こそそれは?」と顎で示しながら問いかけた。

「えッ、いや、これは」

親の頼まれ物だ、と、陽介は説明する。

「何?」

「いやー、それはちょっと」

「言えないようなもんなのか?」

「んなこともねえけど、その」

つまり、たいしたものではないが口にするのは憚られる、という事だろうか。

(くだらないものって事だな)

朋也は追求を止める。

男には人に言えない買い物の一つや二つあって当然だし、陽介の隠し事に首を突っ込んだところで何か収穫があるとも思えない。

急にそっけなくなった気配を察したのだろうか、口を尖らせて、陽介が肩を寄せてくる。

「べっつに変なもんじゃねーよ、明日の楽しみにしておいてって話」

「親の買い物じゃなかったのか」

「うっせーな、いいだろ!」

朋也はグレープフルーツを選んだ。

レジに向かう途中、隣を歩いていた陽介が「なあ」と呼びかけてきた。

「買い物済んだらさ、ちょっとだけ、俺に付き合ってよ」

「いいけど、長くは無理だ」

「ん、俺も無理だから大丈夫」

(一体何の話だろう)

レジの向こうでビニール袋を下げた千枝と雪子が「遅い」と声を上げている。

朋也は慌てて会計を済ませると、待ちくたびれていた彼女達に陽介共々詫びてから、ジュネスの自動ドアを潜り外へ出た。

「じゃあ、あたしと雪子他に買い物あるから、ここでね」

「分かった、またな」

「遅刻すんなよ里中」

「それはあんたでしょ!ったく、明日精々こき使われてろッ」

「へーへー、じゃあな、カレー楽しみにしてっかんな」

「了解、明日ね、黒沢君、花村君」

仲良く歩き去っていく姿を見送って、さて、と陽介が振り返る。

「それじゃ、俺たちも行きますか」

「どこに?」

「とりあえず鮫川、途中でジュース買ってこうぜ」

確かに喉が渇いたなと朋也も頷き返す。

道すがら他愛ない会話に興じながら、彼方に瞬きだした星を目指すように、2人は並んで歩いた。

 

 日の暮れかけた河川敷に人の影は少ない。

防波堤の斜面に腰を下ろすと夏草が香った。

吹く風は少し温くて、夏が目前まで迫っていると予感させる。

白っぽい空に浮かび上がる月。

景色の端のほうは、水色からいよいよ紺に染まりつつある。

「気分いいなあ」

風に髪をなびかせて、陽介は喉を反らせるように目を閉じていた。

隣で朋也はほんの少し笑う。

ビニール袋の中にはグレープフルーツが二つ、草の香に混じって、甘い匂いが漂ってくる。

「もう夏だな」

「―――あ、そういや知ってる?」

陽介が振り返って懐っこい笑みを浮かべた。

「俺もうすぐ誕生日」

「へえ」

「何かくれよ」

「プレゼントをねだるな、何が欲しいんだ」

「えっとね」

「先言っとくけど、五百円越えたらアウトだからな」

「ええっ、何ソレ、ケチくさい!」

「花村なんて四六商店のホームランバーで十分じゃないのか?」

「俺はそんな安い男じゃねえよ!」

朋也は笑う。

むくれていた陽介は、不意に表情を曇らせると、俯きがちにため息を漏らした。

「―――どうした?」

「んー?」

リボンシトロンのプルトップを押し上げる。

「これ、テレビの中で飲むと妙に頭がスッキリするっていうか、なんだろうな、あれ」

「花村」

「まあ、とりあえず飲めよ」

多少モヤモヤした気分のまま朋也も缶ジュースの蓋を開けて飲み口に唇を当てる。

互いに喉を潤して、鮫川の流れに視線を向けた。

「あの、さ」

横目で陽介を窺う。

陽介は正面を向いたままでいる。

「―――えっと」

何か、し辛い話をするつもりなのだろうか。

ここ最近の様子と関係ある内容かもしれない。

晴れない横顔を見ていると、そんな予感が漂う。

朋也は再び鮫川に視線を移した。

今の時期は何が釣れるのだろうと、状況と関係ない考えが頭を過ぎる。

「お前、アレ、どういうつもりで言ったの?」

朋也は振り返った。

陽介はまだこちらを見ない。

「アレ?」

「こないだの、雨の」

階段んトコで。

要領を得ない言葉の意図する所を辿り、朋也はおぼろげな記憶を拾い上げていた。

―――思えば、陽介の様子がおかしくなったのも、あの日以来だったような気がする。

2人で雨音を聞きながら、屋上に続く階段で昼食を摂った時の事だ。

弁当を作る約束をさせられたから覚えていた。

(あの時俺は何か言ったかな)

不意に振り返った陽介が恨めしげな表情を浮かべる。

「―――もしかして忘れてんの?」

「いや、覚えてない」

「酷ぇ、そんなんアリか」

抱えた膝頭に顔を埋めるようにしてしょぼくれてしまった相棒の姿に、朋也は小さなため息を漏らした。

「悪い」

陽介は「いーよ」とくぐもった声で答える。

「俺だけ気にしてたんか、いっつもそうだよな、お前はさ、涼しい顔しちゃってさ」

「花村」

「何か俺、ウゼえ」

―――確かに。

でも、それだけじゃないと朋也は考える。

多分本人が自覚している以上に鬱陶しくて面倒な男だけど、そういう花村が俺は気に入っているんだと、しかしまさかそんな恥ずかしい台詞は口に出せないから、どうしようかと鮫川のせせらぎを聞いていた。

やがて、ゆっくりと手を伸ばす。

蹲ったままの陽介の髪に触れる。

陽介の肩が、一瞬ピクリと揺れた。

朋也は陽介の髪を静かに撫で始めた。

(柔らかいな)

多少パサついた茶色の猫っ毛は掌に心地良い。

何だか犬でも撫でているみたいだと思う。

髪形が乱れると嫌がられるかもしれないと思っていたけれど、陽介はおとなしくされるままになっている。

風が吹いていた。

雲間から差し込む夕陽を受ける陽介の髪はオレンジ色に輝いて見えた。

「―――恥ずかしい奴め」

陽介が目の辺りだけちらりと覗かせて朋也を仰ぐ。

「知り合いに見られたらどーすんだ」

「そんときは花村慰めてたって言う」

「ヤメテ、俺がすげーヘタレみたいだからヤメテあげて」

「ヘタレじゃないか」

起き上がった陽介は頬から鼻にかけて赤い。

「お前は俺を慰めたいのか、へこませたいのか、どっちなんだよ」

膝の角度を緩ませて、手櫛で髪を整え始める。

合わせて朋也も手を下し、そのまま後ろ手について空を見上げた。

瞳に白い月が映る。

「なあ」

「んー?」

「―――お前さ、俺に、どうして欲しいんだって、そんな感じのこと言ったんだよ」

「そうだっけ」

そうだよ、と返ってきた。

惚けてみせたけれど朋也も何となく思い出していた。

ただ『どうして』そんな言葉を口走ったのか、根拠が見あたらず当惑していた。

様子のおかしい陽介を牽制して、その実俺が望んだ答えは何だ?

(俺は花村にどうして欲しかったんだ)

黙り込んだ朋也を、今度は陽介が窺っていた。

風が吹いていく。

髪を揺らして、暮れ行く空の彼方へと通り過ぎていく。

「それでさ」

―――陽介は、俺が忘れてしまっていたような一言をずっと気にして色々悶々と過ごしていたのか。

(鬱陶しい奴)

しかし同時に若干の罪悪感も覚える、それは確かに恨まれてしまうかもしれない。

(俺は何がしたいんだろう)

「俺も、逆に訊きたいんだけど」

朋也は陽介に意識を戻した。

「お前こそ、何であんなこと訊いたの?」

ピクリと肩が揺れる。

陽介の目に夕陽が映る。

地平を彩る残滓は言葉を探している間にみるみる翳り、夕闇が塗り込められていく。

どれほどの間、無言で、互いの意識を探りあい、自分の胸を探っていただろう。

花村、と朋也が呟いた。

「―――もう、遅い」

「―――だな」

「そろそろ帰らないと」

「明日の準備とか、まだだしな」

「そうだ」

膝を立てる。

先に立ち上がった陽介が衣服についた枯れ草を払う。

朋也も立ち上がると、地面に触れていた部分の衣服が仄かに湿り気を帯びていた。

同じ様に手で枯れ草を払って、傍らに置いてあった鞄を取り上げる。

―――結局は以前と何も変わらない。

互いの胸に蟠りが残っただけで、得るものは何もなかったように思う。

これ以上言葉を重ねる気のしない朋也が黙っているから、陽介も何も言わないような気がしていた。

(わからない)

痛む気持ちの何が原因であるのか。

この混乱の元凶はなんなのか。

鞄を持ち上げた陽介がグンと伸びをする。

そうして振り返って、暫く朋也を見詰めた後、不意に、瞳に懐こい気配を滲ませた。

「帰ろう」

片手を伸ばして、笑う。

朋也も手を伸ばし、引き上げられるようにして土手の上まで登った。

そこで漸く普段の調子で「やめろ」と手を離すと、陽介もいつもの笑顔を浮かべる。

「いーじゃなーい」

「鬱陶しい」

「あ、お前、そういうこと言う?友達無くすぞ」

「元々友達の少ない花村に言われたくない」

「なにっ」

体当たりを食らわせられて、ぶつかり返して、互いに何となく笑いあった。

―――いつもの俺たちだ。

肩に腕を回してくる陽介に歩きにくいと文句を言いながら、朋也は安堵している自分に再び罪悪感を覚えていた。

望まれた答は何だったのか。

つもりはなかったのだろう、けれど、してやられた気分だ。

並びあって歩く景色は濃紺に染まり、空に星が瞬く。

モヤモヤした気持ちだけ抱えて、明日からの林間学校何をするのかと2人は分かれ道まで話し続けた。