狭い。
けれど窮屈ながらもくっつきあって体温を感じているのは、実はそれほど嫌じゃない。
複雑な心境にため息を漏らす。
バリケードの向こうから「うるさい」と聞えてきた。
「あてつけないでよ、悪いと思ってるんだからッ」
「だったらスルーしろよ、大体誰の所為だと思ってんだ、誰の」
「もー!うるさい、黙って!寝るんだからッ」
クスッ
笑い声が聞こえて、陽介はちらりと横を窺った。
(大物だよ、お前は)
背中にあたるゴツゴツした岩の硬さに切なくなって凭れかかった温もりは、何も言わずに陽介を受け止めてくれた。
やっぱり甘えてんのかな。
ずっと胸でぐるぐる回り続けている問いかけが繰り返される。
(違う)
違うぞ。
それもあるのかもしれないけれど。
(それだけじゃない)
答えは昨日、月の光に淡く輝くアッシュブルーの瞳の中に見つけた。
陽介は目を閉じて、薄闇に透ける茜色の記憶にそっと想いを馳せていた。
そもそもの発端は朋也にある。
夕食を食いはぐれてテントに戻った陽介は、感情をそのまま相棒にぶつけたのだった。
「お前が一緒に居て、何であんな材料選ばせてんだよ!」
「仕方ないだろ」
「仕方ないって何だ!昼間散々こき使われて、挙句飯抜きなんてありえねーだろ!」
「怒鳴るな、諸岡先生が来る」
「うるせー!俺はな、今日ばっかりはお前に失望してんだ、大体お前だって腹減ってんだろ?フツーにフツーの夕飯食いたかったろ!?」
「そうだな」
「だったら!」
「天城と里中、楽しそうに買い物してたんだ、横から口なんか挟めるか、俺は覚悟を決めていた」
「そんだったら俺にも話して、覚悟決めさせとけ!」
「花村だったらやる気無くしてへこたれてるのが関の山だろ?」
「う、うるさいッ、てか、マズイ飯食わされんのに覚悟なんか決めるか!お前ちょっとおかしいんじゃねえの!?」
「今頃気付いたの?」
「バッキャロー!」
怒鳴ったところで力尽きて床にぺたんと座り込み、それきりだった。
大体、最初からお門違いな理屈で八つ当たりしているだけだという自覚はちゃんとあった。
ただ空きっ腹の恨み辛みをぶつける捌け口が欲しかっただけで、すぐ傍に相棒が居て―――それだけのことだ、朋也は運が悪かったのかもしれない。
それでも、本音を晒してぶつけたとしても、朋也なら受け止めてくれるから。
他に誰かいたなら、陽介はこんな無茶な振る舞いをしなかった。
我慢して内側に押さえ込む術は心得ている、まさか、そこまで子供じゃない。
(俺、ホント無茶苦茶だよな)
―――2人きりのテント内に腹の虫の切ない鳴き声が響き渡った。
「はあ」
嘆息して、暫く黙り込むと、陽介は小さく「悪い」と朋也に詫びた。
朋也は「腹減ったな」と応えただけで、それきりだった。
直後に完二がテントに紛れ込んできて、それから思い返すのもうんざりするような諸々があって、入れ替わるように千枝と雪子がテントに闖入し、今に至っている。
女子2人は何の危険を覚えているのか知らないが、陽介と朋也の荷物を使って勝手にバリケードを作りテント内部を二分してしまった。
そして陽介達と反対側で荷物に背を預けるようにして寄り添い合っている。
最大で大人五人収容できるこのテントは、本来ならば現人数程度余裕で寛げるだけのスペースを提供できていたはずだけれど、同室を割り振られていた他の生徒が全員病欠したため、テントを2人で使用することを理由に大岩のある場所へと追いやられ、最初から床面積の三分の一程度が使用不可となっていた。
そこを更にバリケードで分割されてしまったものだから、益々狭められた空間は足を伸ばすことすらままならない。
やむを得ず朋也と隣り合って膝を抱えて我慢しているのだが、それはほんのちょっとだけ、陽介にとって慰めになっていた。
内心―――今朝から期待と落胆の繰り返しで、今日はもういいことなんてないだろうと半分投げていたから。
(ゴミ拾いの挙句、あのカレーだろ?そんで、相棒と2人きりってちょっとドキドキしてたっつのに、完二の野郎が転がり込んできやがって、しかもこんなことになって)
最後に少しでもいい思い出ができてよかったな。
ジャージ越しに伝わってくる温もり。
朋也の呼吸と心臓の音を感じる。
昨日の夕方。
柔らかな草の感触と、甘い果物の香り。
優しく撫でてくれた掌。
バカみたいに嬉しかった、「覚えていない」と言われてしょぼくれた気持ちが、あっという間に復活した。
時々、朋也は俺に魔法をかける。
優しくて切なくて、ほんのり苦しくて、それでいて幸せな気持ちにしてくれる、不思議な力だ。
二人一緒ならなんだって出来そうな気がするし、どこまでも行ける、何にも負けないと思う。
誰からも貰ったことのない強い想い、それは多分『魔法』に違いない。
だから朋也は、俺にとって世界でたった一人きりの『魔法使い』だ。
(なんてな)
バカみたいに浮かれている理由なんかとっくの昔に分かっている。
はじめ、それは恋だと思った。
でも途中でわからなくなって―――いつかの記憶が囁きかける(それは錯覚なんじゃないか?)
『依存しているだけだ』
『望んでいるのは寄りかかる背中だろう、繋ぎ止めてくれる手だろう』
聞き覚えのある声が繰り返し問いかけてくる。
でも、そうじゃない。
違う。
昨日の夕暮、堤防で見つけた。
見えない糸を手繰るように、朋也の『本当』が知りたくなって、尋ねたら最初驚いた顔をして、それから黙り込んでしまって―――結局、答えてくれなかったけれど、その間ずっと俺を見詰めていたダークアッシュの瞳。
ユラユラと揺れていた戸惑いと、同じ様に俺の心を量っている気配。
夕闇に染まっていく姿は本当に綺麗だった。
半分くらい見蕩れながら、何だか気がついてしまった。
朋也は、俺に興味を持っていないわけじゃない。
ただ、どうすればいいかわからず、持て余している正体不明の感情。
―――同じじゃないか。
多分あの時俺達は写し鏡みたいに同じ目をしていたんじゃないか?
だから俺は笑って朋也を受け入れる事ができた。
まだいいんだ。
結論を急がなくていい。
慌てなくたって相棒はちゃんと傍に居てくれるし、気持ちが追いついてくるまで、俺はゆっくり歩けばいい。
今、ここにある想いは決して一方通行の独り善がりなんかじゃない。
(ベクトルは違うかもしんないけどさ、それでも)
ちゃんと伝わっているんだ。
それが分かっただけでいい。
朋也の瞳に映っていた月が今でも胸で淡く輝いている。
「花村」
ウトウトしていた陽介は、闇の中目を開いた。
「ん?」
「悪い、寝てたか」
「いや、へーき、それより何?」
「天城と里中、寝たみたいだな」
正面を窺う。
バリケードの向こうで寄り添う二つの影は、互いに肩を落として動かない。
「ああ」
陽介は小さくため息を漏らす。
「ったく、とんだトラブルメーカーだよ、あいつらの所為で今日は散々だ」
微かな笑い声が耳元に響いた。
「確かに、忘れられない思い出にはなったかもな」
「そういうのトラウマっていうんだ」
「ある意味滅多にできない体験をしたよな」
「言うなよ、思い出させんな、気分悪い」
「女子の手料理って喜んでたの誰だっけ?」
「だから俺の心の傷のほうが深いんだよ」
額を肩口にこすりつける。
本当を言うと、眠くて目を開けていられない。
花村?と呼びかける声がした。
「んー」
ポン、と、頭に何か乗せられた。
サラサラと流れるように触れられる。
「―――慰めてくれんの?」
半ば寝ぼけながら呟いた陽介の耳に、優しい笑い声が響いた。
伝わる気配と掌の感触が心地良い。
思わず両腕を伸ばして温もりを胸の中にぎゅっと抱きしめていた。
僅かに強張った空気はすぐに解れて、背中に回された腕がフワリと受け入れてくれる。
胸の水面で輝く銀色の月。
(クロサワ)
何でそんなに、俺のこと甘やかしてくれるの―――?
「―――」
答えはやっぱり返ってこなかった。
昨日の夕暮と同じ秘めやかな沈黙、けれど否定じゃない、拒絶はない。
(期待していいのか?)
掌はずっと陽介の髪を撫で続けている。
酷い状況でも今夜はいい夢が見られそうな、そんな予感がしていた。