暮れなずむ街並みを2人で歩く。
千枝と雪子はさっさと先に帰ってしまった、完二はどこかに用があるらしい。
足元の石ころを蹴り飛ばして、ため息を漏らした陽介の隣で、朋也が苦笑いを浮かべていた。
「しょうもないこと企むから、こういうハメになるんだよ」
「うるせえなあ、お前だってちゃんと水着持ってきてただろが」
「花村が持って来いってしつこかったからだろ」
「俺はお前にもいい思いさせてやりたかったの」
「そうなんだ」
「なんだよ」
―――空腹で窮屈な一夜だったにもかかわらず、陽介は驚くほどよく眠れてしまった。
心地良い目覚めと共にもたらされたのは朋也の優しい笑顔と「おはよう」の声。
それで一気にテンションが上がりかけて、状況を思い出して、一気に下がった。
千枝と雪子はすでにテントを出た後だった。
ぼんやりしている陽介に、朋也は「完二を連れ戻してくる」と告げて、さっさとテントから出て行ってしまった。
暫くして、千枝と2人難儀そうに完二の巨体を引きずり戻ると、千枝は再び自分のテントへ戻り、朋也は床に寝転がせた完二をしきりに気遣っていた。
(アホ面下げて爆睡してやがったんだから、気にする必要ねーんだよッ)
何となく気に食わなかったのと、まだ多少眠気が残っていたのとで、甘えて朋也に凭れかかろうとした時、タイミング悪く完二が目を覚まし、その後は色々バタバタしてしまって結局相棒と再度のスキンシップは持てず、モヤモヤした気分を抱えたまま訪れた宿泊地傍の小川。
滝つぼの清々しさに気分を切り替え、数日前から温めていた野望をいよいよ実行に移し、途中までの首尾は上々―――だったはず、だが。
ふと半袖のシャツから覗く腕を嗅いでみる。
「なんかちょっと臭う気がする」
気のせいだよ、と朋也が投げやりに答えた。
「それか、汗の臭いだ、川の水に浸かったから生臭くなってるのかもな」
「うう」
「―――言っとくけど、余計な事言うなよ」
陽介は隣を窺う。
「なあ、もしかしなくても、ちょっと怒ってる?」
疲れた表情の朋也は何も答えなかった。
腹の虫だけキュウと鳴いて、腹減ってるからな、と、ぽつんと呟かれた。
「俺も腹ペコ」
そういえば。
(しまった、母さん今日から熱海旅行!)
花村家で転居に不満がなかったのは父親くらいのものだろう。
息子以上に田舎暮らしに飽き飽きしている陽介の母は、元より高めの機動力を如何なく発揮して、地元でできた友人やネットのサークル仲間と共に、国内のあちこちを飛び回っている。
この間は仙台、その前は箱根、その前は沖縄、その前は―――どこだったか。
海外でないだけましと思うが、それでも高校生の息子の世話を放りっぱなしで遊び惚けているなんて、それは母親としてどうなんだ?
一度「グレてやるッ」と脅したら、「陽介はグレたりしません!」とぴしゃりと跳ね除けられてしまった。
だから陽介は、親の事情で稲羽を訪れた朋也の気持ちが少しだけ分かる気がする。
(とにかく今日、母さんは家にいない)
それは夕食が用意されていない事と同義だ。
途端ガクリと力が抜けた。
振り返った朋也が怪訝な表情を浮かべて「どうした」と尋ねてくる。
「ん、いや」
親がいなくて飯にありつけない、なんて、まさか朋也にだけは言えないだろう。
堂島家は朋也が訪れて以来、店屋物の食事が減ったと聞いた。
(流石に甘えんなって怒られるだろうなぁ)
ちらりと上目遣いに窺って、苦笑いしながら「何でもない」と答えた、直後に脳裏でピンと閃く。
(そうだ)
「黒沢、お前ン家ちょっと寄っていい?」
「何で?」
「いや、夕飯何かなーって思って」
呆れ顔の朋也がため息を漏らす。
「卑しいな花村、そんな暇があったら、さっさと自宅に帰ってシャワーでも浴びろよ、お前の家でも夕飯用意してるんだろ」
「いやーそれがさぁ、母さん今日から3泊3日の熱海旅行で」
言葉の途中で(しまった)と口を噤んだ。
案の定、僅かに驚いたような表情をして見せた朋也は、直後に眉間に深い皺を刻む。
「いやー、あの」
このところ俺はちょっと調子に乗りすぎだろう。
(流石にウザがられるよなあ)
内輪のトラブルに巻き込んで、無茶を言ってみたり、甘えてみたり、ごねてみたり、縋ってみたり。
友達づきあいの範疇をとっくに越えている。
それとも『親友』のカテゴライズで括れば、これくらいは当たり前の部類に入るのか。
(でも俺ばっかり依存してるみたいだし、けどこいつは何も言わねーし)
今まで朋也の様な距離感の相手を持ったことがないからよくわからない。
好きといっても、多分、朋也の好意と自分の好意は意味が違う、あまり馴れ馴れしくしていたら気味悪がられてしまうかもしれない。
踏み込み可能なテリトリーは慎重に測るべきだ。
陽介は慌てて手を振り「違う違う」と適当な言い訳を探した。
その声は朋也の「そういうことならそう言えよ」と応える声と重なった。
「―――は?」
ため息混じりに煩わしげな眼差しが前髪の下から陽介を見据えている。
「腹、減ってるんだろ?」
「お、オウ」
「親父さんは?」
「多分、店で適当になんか買って帰ってくると思う」
「何時頃?」
「わかんねーけど、9時とか、10時とか」
「遅いな」
「で、でも家帰れば食うもんくらいあるだろうし!」
ビシッと額を指で弾かれた。
「痛ぇッ」と呻きながらよろめいた陽介は、額を押さえて朋也を見る。
「―――期待して話振ったくせして、妙な意地を張るな」
「な、何が」
「仕方ないから、今日の帰りはお前の家に寄り道してやるよ」
陽介は慌てて要らないと告げた。
変な気を遣ってくれなくていい、朋也だって自分と同じくらい腹を減らしているはずだし、同じくらい疲れているだろう。
無理をさせたくない。
本音を言えば、申し出自体は非常に嬉しいし、ありがたい。
(でも俺、お前に迷惑かけんのイヤだ)
今日は、それでなくても巻き込んで、昨日に続き散々だったというのに。
疎まれる事を恐れる一心で必死に言葉を重ねる陽介を無言で眺めていた朋也が、不意に笑顔を浮かべた。
そうしてなにやら可笑しそうに声を立てて笑い始めた。
陽介がきょとんとして立ち止まると、同じく足を止めた朋也は、ひとしきり笑ったあと顔を上げて、小さく息を吐き出した。
「馬鹿、いいよ、この際だから甘えとけ、今更だろ」
「けど」
「散々肉体労働させられて、飯抜きで、おまけにあんなトラブルに巻き込まれて、挙句さっきのアレだ、いい加減気分転換でもしたい、お前の家で風呂場使わせてくれたら、それでチャラにしてやるよ」
「んなもん、おまえこそ早く帰って風呂入ればいいだろ、夕飯だって堂島さんが」
「うちもどうせ店屋物だよ、だったら多少面倒でも作って花村と食べるほうがいい」
「えッ」
―――胸がドキリと高鳴った。
夕映えに朋也は優しく微笑んでいる。
「昨日今日の憂さ晴らしも含めて、部屋で腐ってるよりマシだよ、まあ、反省会でもしようぜ」
「はんせい、って」
ドキドキ、ドキドキと。
(うるさい心臓)
多分こいつは特別な意味を込めて言ったわけじゃない。
家で堂島さんや菜々子ちゃん相手に色々溜め込んだままニコニコしてるより、俺相手に林間学校の鬱憤をパーッと晴らして帰りたいだけだ。
(でも)
早鐘の様な鼓動が収まらない。
顔が火照ってくるのが分かる。
(酷ぇよ、黒沢)
もしかして俺の気持ち知ってるのか?
わざと煽ってんのかよ?
朋也が不意に「花村?」と怪訝な表情を浮かべた。
それで、ハッと我に返った陽介は「えーっと」を繰り返したあと、口腔内に溜まった唾を飲み込んでいた。
「―――ホントにいいの?」
うん、と頷く朋也。
「お前さえ迷惑じゃなかったら」
「んなもん!」
咄嗟に大声になってしまって焦る。
朋也は再びクツクツと笑った。
「じゃ、決まりだな、言っとくけど有り合わせだぞ、冷蔵庫の中身以上は期待するなよ」
「お、おう!」
「あと米はお前が炊け、米くらい炊けるんだろ?」
「まかせろッ」
「よし、じゃあさっさと帰ろう、とりあえずシャワー浴びて、それで飯な」
「一緒に浴びんの?」
「はあ?」
(しまった)と口をつぐんだ陽介の頭に朋也が平手を見舞う。
「気持ち悪いこと言うな、一人で入れ」
そっぽを向いて足早に歩き始めた相棒を慌てて追いかける。
「よし」
隣り合って窺えば、朋也は意地の悪い表情を浮かべていた。
「花村の誕生日資金、三百円に変更」
「ひっで!なにそれ、マジでホームランバーの流れ!?」
「3本だぞ、良かったじゃないか」
「お願いしますよセンセー!」
―――相棒がこんな一面を垣間見せたりすることは、他の誰か相手では、まだ、ない。
それは言外に特別と告げられているようで、陽介の鼓動はまた少し早くなっていた。
(黒沢といると嬉しい)
陽介は思う。
(黒沢が好きだ)
茜色の空を染め上げている陽光が、胸の内で煙っていた霧を晴らしていくようだ。
瞳に差し込む眩い輝きに改めて感じる。
この想いは、依存や、何かの代わりなんかじゃない。
端正な朋也の横顔を見詰めて、ふと少し前の辛くて苦しいばかりだった思い出が甦ってきた。
陽介の胸の奥の方がチリリと痛む。
けれど、もういない面影を重ねてみても、それは朋也以外の誰にも見えなかったから、陽介は瞳を細くして込み上げてくる感情を噛み締めていた。
To Be
NEXT Rank UP―――
気付いたら朋也側がなんも補足されてなかったんで、またたびおまけつけました。
興味があったらどうぞ、ただ短いしグルグルしてますけど。