蓋を開けると同時に瞳を輝かせた陽介を見て、朋也は思わず噴出してしまう。
「なッ、なんだよぉ」
「ごめん」
照れて赤くなった姿に笑いながら詫びた。
「そこまで期待されていたとは思ってもみなかったから」
陽介は不服そうな表情のまま箸を持つ。
「いただきまーす」
おかずのハンバーグにかぶりついた。
「ム!」
「どうだ?」
覗き込んだ朋也に、頬張った旨みを噛み締めながら嬉しそうな表情が答えた。
「ムマイ!」
満足した笑みを浮かべて、朋也はパックジュースのストローを咥えると、腰掛けた通気用ダクトに片手をつき、空を見上げた。
昨日、テレビの中に落とされた久慈川りせを漸く救出する事ができた。
今回もまた、雪子、完二の時同様、複雑に入り組んだ迷宮の様な空間を駆け回り、最深部にて彼女のシャドウと交戦を余儀なくされた。
更には次いでクマのシャドウまで出現したので、これまでにない苦しい闘いとなったのだった。
半ば巻き込まれるような形で関わっている事件ではあるが、最近朋也は殊更思う。
もっと鍛えておかなければ、と。
(俺の大事な人たちに被害が及ばない保証なんて、ないんだ)
稲羽を守る、この街の人々を守る、といった感覚は、やはり今ひとつピンとこない。
そこまで大きな話をされても困惑するだけだ、恩着せがましい腹積もりでいるわけじゃない。
けれど―――身近にいる大切な人々が傷つけられて悲しんだり苦しんだりするのは嫌だ。
守る力があるのなら、その手段を持っているというのなら、万全を尽くそう。
手抜きをした挙句の後悔など笑い話にもならない。
(花村達を守るためにも、菜々子や、叔父さんに被害を及ばせないためにも)
一日も早く真犯人を捕まえる、そのために強くならなければ。
ため息交じりにジュースを啜る。
霊芝入りウーロン茶なる怪しげなネーミングの飲み物は普通のウーロン茶より少し苦い気がした。
たなびく雲は分厚くて、空の機嫌はあまり良くないようだった。
「なあ」
「ん?」
弁当を食いながらこちらを見る陽介に、同じ様に首を傾けて朋也が返す。
昼時の屋上、二人は今、通気用ダクトの上に隣り合って腰掛け、朋也の作ってきた弁当を一緒に食べている。
騒動が一段落した慰労も兼ねての約束を果たしたという体裁だ。
本当は、今日は午前中一杯校外学習の菜々子の弁当のついでに作ってきただけなのだけれど、それを言うと陽介は拗ねるだろうからと、敢えて恩に着せておいた。
陽介はさっきから旨そうにデミグラスソースのたっぷりかかったハンバーグを貪り食っている。
「りせちー、今頃どうしてるだろうな」
テレビの中から戻ったりせは酷く衰弱して、疲弊しきっている様子だった。
無理もない。
人目につかないよう仲間共々連れ立ち、商店街の入り口で後を雪子と千枝に頼んで見送った。
クマも、と、陽介が呟く。
「ペラッペラになってたけどさ、アレちゃんと元に戻んのかな」
「どうだろうな」
戻るんじゃないか?と返す朋也に、お前って冷たいよなあ、と陽介が呆れ顔で返してくる。
「まあ、アイツを常識の範疇で計ろうとすんのが間違いか、だよな、そのうち何もなかったような顔して戻って来んだろうな」
「クマだからな」
「りせちーの心配してた方がよっぽど建設的か」
弁当をひと口、ふた口食べて、二人は顔を見合わせると、互いに肩を震わせ、声を押し殺し、やがて込み上げてきたものに突かれたように笑い出した。
「命の恩人にヒデー!」
「どうする?鍛えるって言ってたけど、アレが物凄く筋肉質になって戻ってきたら」
「ヤバイ!それヤバイ!あのキャラでムキムキなんてありえねー!」
嬉々として、悪ふざけの過ぎる冗談を交し合って、そして―――ため息をひとつ、2人は安堵の笑みを浮かべあう。
「―――今度もどうにか、だよな」
「ああ」
「ま、俺とお前なら負けねーって確信してたけどさっ」
「よく言う、クマの影と戦った時、攻撃受けた訳でもないのに気絶しかけてたのはどこの誰だっけ?」
「あ、アレは、ちょっと頑張ってペルソナ呼び過ぎただけだろ、お前だってボロボロだったろが!」
「今回は完二が大活躍だったよなあ」
「ちょっと!俺とジライヤの健闘っぷりを忘れてない?」
少し肌寒い風が吹き抜けていく。
―――真実はいつも霧に包まれている。
―――手を伸ばし、何かを掴んでも、それが真実だと確かめる術は決して無い。
『なら、真実を求める事に何の意味がある?』
―――目を閉じ、己を騙し、楽に生きてゆく、その方がずっと賢いじゃないか。
(あの時、クマの影はそう言った)
壊れかけた仮面の奥で輝いていた禍々しい光。
心の奥を見透かされたようで正直ゾッとした。
見えるはずのものが見えない、知らないうちに、気付かない内に、欺こうとする心。
目隠しをするのはきっと恐怖。
ならば隠されるものは一体なんなのだろう。
(俺は何を怖がっている?)
ふと考えて、胸が大きくひとつ震えた。
「黒沢?」と陽介が覗き込んでくる。
「ん?」
「どうした?何か顔色悪い」
「いや、別に」
「そっか?」
「―――昨日の、クマの影の言葉、思い出してたんだ」
ふうん。
夏風と呼ぶには冷たい、湿気を孕んだ風が吹いている。
明日は雨が降るのだろう。
何となく予感があった。
鈍色の雲の垂れ込める空は、向こう側にある青さえ忘れてしまいそうなほど暗い。
「真実って、一体なんなんだろうな」
陽介は弁当を食べつつ、朋也の様子を窺っている。
「現実に成った出来事は間違いなく真実だよな、それは、もう確定された事実だ、けど」
この胸の内にあるモノは?
ストローを咥えて、朋也は少し苦いウーロン茶を啜る。
「詭弁みたいな話になると、その事実すらあやふやになる」
間を置いて、箸を動かした。
無言で食事を摂る2人の間に仄寒い空気がわだかまっている。
カチャカチャと物音がして、食事の終わった陽介が弁当箱の蓋を閉じながら「そうだなあ」と呟いていた。
「俺にはよくわかんねーよ、真実とか、現実とか、そういう難しい話はサッパリだ」
でもさ。
丁寧に包みなおした空の弁当箱を膝の上で抱えて、空を仰ぎ見る。
「例の事件の犯人は捕まえなきゃなんねーと思うし、絶対に許せない、許しちゃいけないと思う、どんな事情があるにせよ、人殺して逃げ回ってる卑怯者を見逃していい理由なんてない」
「―――そうだな」
「それに、アイツ言ってただろ?」
くるりとこちらを振り返った。
鳶色の瞳が、気遣うような気配を滲ませて朋也を見ていた。
「真実が欲しいなら簡単な事だ、お前達がそれを真実と思い込めばいいって」
「詭弁だ」
「けどさ、それって案外真理じゃないか?」
(確かに)
そのとおりだと朋也も思う。
結局のところ、あらゆる全てが『そう』できているのだ。
信じれば真実、疑えば嘘。
間違っているいないの判断すら究極的には個人の見解に委ねられてしまう。
そういう曖昧な世界で俺達は生きている。
(でも、おろそかにしちゃいけないことは、確かに存在している)
結局のところ優先順位こそが最たる判断基準なのだろうと、思考は決着して、朋也はため息を漏らした。
「なんだかバカらしいな」
「だな」
「真実なんて誰にも判らないことなのかもな」
「―――そうでもないと思うけど」
振り返ると、陽介はパックのジュースをズルズル飲みながら空の遠くを眺めていた。
横顔を暫く窺って、朋也は弁当の残りに取り掛かる。
ツバメが低く飛び交っていた。
陽介が「明日は雨かぁ」と小さくぼやいていた。