翌日は照れ臭くて、まともに顔を見ることすら困難を極めた。

朝から挙動不審の陽介とは対照的に、相棒の様子は普段と何も変わらなくて、もしかしたら余計な気を遣わせてしまうかも、と心配していた気持ちが帰る頃には『お前もうちょっと気遣えよ』に変化していた。

調子いいなと自分でも思う。

(けどさ、アイツ、気にしなさ過ぎ!)

多少の寂しさ、悔しさも手伝って、わだかまりは呆気なく吹っ切れてしまった。

更に翌日。

陽介は、何でもない風を装って、昼休みに声をかけ、朋也と放課後の予定を取り付けた。

 

高台へ向かうバスに乗客は少なく、目的地に到着する頃には、車内に陽介と朋也しか残っていなかった。

当然だろう、夕暮れ時、わざわざこんな場所を訪れる地元民はいない。

バスから降りると夏の夕暮特有の大気が纏わりついてくる。

温い風がスウッと通り過ぎていった。

丈の短い青草を踏んで、学童保育で使用されることもあるという広場を進むと、やがて木を組んだ柵に突き当たる。

その向こうは急勾配の斜面になっていて、一見なだらかな緑の生い茂る向こう、遥か眼下に八十稲羽の町並みが広がっている。

陽介は柵に手をかけて、少しだけ身を乗り出した。

「見ろよ、黒沢」

傍らに立った朋也も柵に片手を乗せ同じ様に景色を望む。

夕暮前の白い光に包まれた世界はどこか懐かしく、感傷めいた気分すら呼び起こすようだ。

「―――ここ、稲羽に来た当初は嫌いだった」

町の小ささが分かるだろ?

そのままの格好で陽介は笑う。

「けどこう見ると―――いい町だよな」

都会と比べるとちっぽけな地方集落。

ゲーセンもカラオケも、コンビニすら無い。

けれど大切な人たちが暮らす町、たくさんの忘れ難い思い出の詰まっている町。

「元気出せ」と朋也に呼びかけられて、振り返った陽介は情けない気分で笑ってしまった。

「出せっつって出せるかよー」

僅かに浮かんだ困った表情が、すぐ優しい苦笑いに変わる。

陽介は『ああ良かった』と思う。

朋也がいてくれて良かった。

傍らに在るのが、この温もりで本当に良かった。

振り返って見渡す町にそっと目を眇める。

そうして見上げれば空の水色がやけに目に沁みた。

「俺さ、先輩に教えてあげたいよ、大切なのは―――場所じゃないってこと」

陽介の髪を風が撫でる。

「大嫌いだったこの町が、俺は今、大好きだ」

―――吹く風と同じ様に、移ろい行く季節と心。

今でも辛いことは多い。

眼下に広がる町にだってまだ完全に馴染みきったとは言えない。

でも。

(何もかも変わったわけじゃない、全部受け入れられたわけでもない、それでも)

「ここは何も無いけど―――家族と、仲間と」

―――親友がいる。

陽介は振り返り、朋也を見た。

返ってくる眼差しに心が躍る。

木立をざわめかせる夏風を吸い込んだ胸の奥がただただ愛しい。

彼方の空はうっすら茜色に染まり始めていた。

「大事なものは、遠いどこかにあるんじゃなくて―――自分の周りにあるんだってこと」

―――今ここにいる。

―――今ここにある。

揺るがない想いと、かけがえの無い存在。

暮れ往く光を映すアッシュブルーの瞳に、俄かに気恥ずかしさを覚えて陽介は目を反らしてしまった。

こんな青臭い台詞をクソ真面目に語ってしまうのも、かけられた魔法の所為なんだろうか。

誰にも明かせない心の澱も、朋也になら打ち明けられる、きっと受け止めてくれる。

陽介の内側に広がる暗い海の波打ち際でずっと手を繋いでいてくれる。

(そうか)

不意に感じた。

(俺にとってお前は、夜空に輝く月、そのものだ)

灯す火の無い夜道でも、月明かりを頼りに進めば迷う事はない。

陽介は柵に肘を乗せて両手を組み合わせると、暮れ行く彼方に視線を向けた。

オレンジに染まる稲羽の町は大切なものを詰め込んだ宝箱のようだ。

「俺ずっと、”特別”になりたかった」

それは多分―――もっとずっと幼い頃から漠然と抱き続けていた想い。

「多分、誰かの”特別”で初めて自分に意味があると思ってたんだ、だからペルソナ能力とか、すげー興奮した」

―――今にして思う。

あの頃の自分は、なんてバカだったんだろう。

辛さや苦しさを飲み込んで、道化を演じ続ける事で正当化した『悲劇』に浸っていただけだった。

「けどホントは、そんなの必要なくて―――何かがあるから、できるからじゃなくて―――」

それは―――奇跡。

「生まれて、生きてたら、気付かないうちにもう誰かの”特別”になってるんだと思うんだ」

世界中で日々起こり続ける目に見えない奇跡。

あまりにありふれていて、誰もが気付かず見過ごしてしまう、けれど大切な、かけがえのない出来事。

(黒沢と逢えたっていうこと)

それこそが俺にとっての奇跡だ。

(―――たとえ、お前が俺とおんなじ様に思ってなくてもさ)

今なら信じられる。

大切なものは、いつだって、気付けばもうすぐ傍にある。

そうだな、と、声が返ってきた。

振り返り仰いだ姿が夕陽を受けながら微笑んでいた。

優しい笑顔が大好きだ。

陽介は万感の想いを込めて「うん」と頷く。

「例えば、お前が―――俺の”特別”なように、さ」

そうして鼻の下をこすり、笑った。

渡り行く夏風。

夜の気配がそっと肌を撫でる。

柵に手をかけ、再び身を乗り出して、陽介は明るい声で傍らに呼びかけた。

「じゃさ、みんなの家、こっから探そうぜ!」

朋也は苦笑いを浮かべていたけれど、同じ様に身を乗り出して稲羽の町並みに目を凝らす。

陽介の他愛ない提案に付き合ってくれるつもりのようだった。

嬉しい気持ちばかりが込み上げてきて困る。

「ジュネスがアレで、幹線道路がこうだから―――俺んちあそこ、あの変な屋根の、ってことは、お前の家は―――」

耳をくすぐる柔らかな笑い声。

(ああ、俺、コイツのことが好きだ)

止まっていた時計の針が漸く時を刻み始めたような気がしていた。

それは新しい世界に踏み出すための一歩。

(お前がくれた一歩だ、黒沢)

どんなに暗い夜道も、傍らに足元を照らしてくれる月がいてくれるなら、怖いものなどない。

往く今日が藍色に染まりきるまでの間、並びあって景色を指差しあいながら、陽介は朋也と過ごす今に無上の喜びを噛み締めていた。