ジャズの流れる自室で読書を楽しむ。

我ながらなかなか渋い趣味と思うのだか、どうか?

―――単純に見たいテレビがなかっただけなのだけれど。

本を読むのに妨げにならない音楽、というチョイスで、手持ちのCDがジャズしかなかった。

今状の理由は、実はその程度だったりする、趣味嗜好は特に関係していない。

真実なんて案外そんなものかもしれないとページをめくりつつ思う。

外付けのディティールにばかり拘っていては、核となる部分には到底たどり着けないだろう。

(春からの事件も、そういうことなんだろうか)

携帯電話の着信音が音楽の合間に鳴り響いた。

栞を挟んで本を卓上に置き、発信元を確認すると、陽介からのコールだった。

(何?)

時計を見上げると、十時を回っている。

朋也は通話ボタンを押した。

「はい」

「よう!オレオレ、お前さ、今平気?」

大丈夫だよと伝えて、腰掛けていたソファに座りなおす。

「何?」

「うん、あのさ」

途端歯切れ悪くなった電話の向こう側に内心首を傾げる。

「どうした?」

「―――あの、さ」

間を置いて、唐突に今日の弁当の話など切り出すものだから、朋也は益々困惑してしまった。

本当に美味かったと明るく繰り返す声を聞きつつ、何の話をしたいのだろうと思いを巡らせる。

陽介がしたい話は多分、そんなことじゃないはずだ。

「また作ってくれよ、俺、お前の弁当何度でも食いたい」

「うん」

「今度はな、チャーハンがいい、おかずシュウマイで」

「何だそれ、作ってもらう分際でリクエストか?」

「いいだろー」

口を尖らせる姿が浮かんで、思わず噴出してしまった。

電話口で陽介も楽しげに笑っている。

(でも)

違う。

多分、そんな話はどうでもいいはずだ。

言葉の合間に紛れる空々しさがそれを物語っている。

「ええっと」

会話が途切れた途端、再び陽介は口ごもり始めた。

何度か「あー」だの「うー」だのを繰り返した後で、いいや、と小さく声が聞こえた気がした。

「ほんじゃ、まあ、そういう事で」

「は?」

思わず声に出してしまった。

「お前、そんな話するために電話してきたのか?」

「いっ、いーだろ!別に、用がなきゃ掛けちゃいけないのかよ」

「そんな事はないけど」

「だったらいいだろ、お前の声聞きたかっただけだッつの、って、あッ―――」

明らかに、今、しでかしてしまったといった様子の声が漏れる。

声が聞きたかっただけ。

そんな子供じみた理由が、朋也には多少おかしい。

陽介は寂しいんだろうか。

ふとそんなことを思ったとき、通話口の向こうから溜め息が聞えてきた。

「あの、さ」

―――さっきまでと雰囲気が違う。

「その、怒んないで聞いて欲しいんだけど」

声に混じる微かな惧れ。

朋也は「何?」とだけ聞き返した。

「俺、夢見たんだ」

(夢?)

通話口の向こうは言葉を選ぶようにぽつぽつと話し続ける。

「お前が死ぬ夢」

咄嗟に携帯電話を取り落としかけた。

朋也は言葉を失くして陽介の声に耳を傾ける。

「お前が向こう側の世界でやられて、倒れてくの、俺、見てることしかできなかった、助けることも、身代わりになることも出来なかった」

そんなもの、と朋也は思う。

そんなものいらない、助けてくれなくとも、まして、身代わりなどもってのほかだ。

悔やむことなどない、第一所詮それは夢なのだから。

(夢)

繰り返した言葉は、今度は自問であった。

確かに、今陽介から聞いている話は、彼の『夢』に過ぎない。

けれどもしそれが現実になりうる可能性を持つとしたら?

更に言えば、真に現実になりうるのだ、今の状況から―――可能性は限りなく高い。

それだけのリスクを犯して朋也たちは春からの事件を追い続けている。

陽介は怖いのかもしれないと再び思った。

声は、ためらいながら、それでも話すことを止めようとはしなかった。

「何もできなかったんだ、俺、お前がいなくなっちまうっていうのに、何も出来なかった、それが凄く辛くて」

苦しかった、悔しげな声がそう告げる。

「目、覚めた時、俺、何だかたまらなくなってさ、それでその―――お前に、言っとかなきゃいけないと思って」

「何を?」

溜め息がひとつ、聞えた。

「―――好きだ、って」

―――朋也は今度こそ言葉を見失っていた。

今のは、どういうつもりで口にしたのだろう。

冗談と笑い飛ばしてやるべき言葉だったのか、しかし―――

臆病な音声は脳髄に染み込んで熱を発するまでに幾許かのタイムラグがあった。

ふざけていると取るには余りに真剣な雰囲気。

聞かなかったことにすらできないような切なる願い。

朋也が無言になった事で何か察したのだろうか、間を置いて、陽介は突然笑いながら「なーんてなッ」とやけに明るくトーンを変えた。

「まあ、親友のあっけない最後を夢に見てだな、柄にもなくビビッちまったっと、そういう格好悪い話だよ、うん、我ながらダッセエのな」

ゴメン、ゴメンと繰り返す。

「ホント、悪かったな、妙な話して、ホラ、お前もそう神妙にならずにさ、怒っとけって、縁起でもない話すんじゃねーとか、誰が死ぬっつーんだゴラーとかさ」

「花村」

気配が震えたように感じる。

「な、何?お叱りですか、お代官様」

「違う」

軽薄な言葉で逃れようとした陽介を引き止めた。

自分でも『何故』かはいまいち曖昧だ。

けれど陽介は大切な何かを伝えることを恐れて、曖昧にして逃げようとしている。

根拠のない確信だけで何を言ったものか、しかし、とにかく、応えなければ。

(本当の事をなかなか言わない奴だから)

気付かれないようにスウと息を吸い込む。

「お前の気持ち、嬉しいよ」

「えッ」

「でも、俺は死なないから」

「は?」

「だから妙な心配するな」

暫しの沈黙。

そして、「ああそうか、そーかそーか」と、どこか間の抜けた声が返ってきた。

朋也は少し閉口した。

「まあ、お前、強いしな、頼れる俺らのリーダーだからな、悪かったよ、妙な事言って」

「花村?」

「いや、もういいって、ホント、俺もどうかしてたんだよ、柄じゃねえのに」

「違う、花村」

「こんな時間にくだらねえ用事で電話して悪かったな、それじゃ」

畳み掛けるように矢継ぎ早に言葉を重ねていく。

それこそ、口を挟む余裕もない。

陽介が一人で話を完結させようとしていると、朋也は多少焦り、声が大きくなった。

「花村!」

呼びかけた通話口から聞えてきたのは―――回線が切られた後に聞える電子音。

携帯電話を見下ろし、終話のボタンを指先で押すと、そのまま暫し黙考する。

時計の示す時刻は既に十一時近かった。

自転車ならそれほど遠い距離じゃない。

(―――鍵、どこだったかな)

ふらりと立ち上がった朋也は、自室を後にした。