チャイムの音に、玄関へ向かうと、磨りガラスの向こうから陽気な声がした。

 

それから数時間後―――

 

 完二がのしっと朋也の肩に腕を回す。

「センパイ強いッスねー!」

その声はへべれけでヨレヨレだ。

顔を真っ赤に染めた後輩は、ろれつの回らない口調で先輩相手にくだを巻きつつ、容赦なく体重を預ける。

その、朋也といえば、完二重いと溜め息を吐いて、手にしたグラスに口をつけた。

焼酎、チューハイ、ビールにサワー。

散乱した空のビンやカンに埋もれるようにして、ワインボトルを抱きしめたクマが転がっている。

ボトルの中身はすっからかんで、クマもすっかり夢見心地だ。

赤い顔でムニャムニャと何事か呟いている様子を横目でチラリと窺い、陽介はチューハイの缶を呷る。

年の瀬迫る真冬日、誰もいない家に一人きりの相棒を慮っての酒宴開催。

女が混ざるとアルコールはダメだの煩いから、今日は男だらけの無礼講だ。

実際同性だけで騒いだほうが盛り上がると思う、余計な気遣いは無用だし、何より痒いところに手が届くような居心地のよさを共有できる。

転がっているクマを足蹴にすると、そのまま壁際まで転がってステンレス製の三段棚にぶつかった。

衝撃で二段目に飾られている不気味な緑色の人形がウネウネと動く。

朋也の趣味は所々理解し難い。

モコイ人形とか言う、これは、お礼に貰ったものだと聞いているけれど、こんなもん寄越すような奴に一体どんな親切を施してやったのやら。

「黒沢、お前の趣味やっぱちょっと変だよ」

そうか?と振り向いた朋也を見て、陽介は内心舌打ちしていた。

そもそも『酒でも呑んで盛り上がろうぜ』と提案したのは陽介だった。

完二は勿論即了解で、好奇心旺盛なクマも目を輝かせての快諾参加。

しかし唯一難色を示したのは―――名目とした対象その人、朋也だった。

「未成年が酒なんて」とご高説賜り、多少ムッとして酒が苦手なんじゃないかと挑発してみたら、バカらしいの一言で押しかけトリオは門前払いを喰らうところだった。

結局、我等がリーダーに通用する唯一にして最強の秘技『情に訴える』を駆使してどうにか開催にこぎつける事ができたのだ。

『センセー案外硬派なのネン』とはクマの弁だが、今回ばかりは陽介も同感だ。

未成年には厳しい法の目をかいくぐって持ち寄った酒が無駄にならずに済んでよかった。

しかし、今となっては酒宴の目的がすでになくなってしまったに等しく、これではやはりただの呑み会ではないかとリーダーから有難いご指摘も頂いた。

陽介は全く問題ないと首を振って笑ったのだった。

「結局、酒が呑みたかっただけか」

なんとでも言っとけ、と思う。

ホントのホントの所は別なのだ、そしてそれは、カンのいい恋人に未だ気付かれていない。

朋也の親切にすっかり付け込んでしまった部分に関しては多少罪悪感を覚えなくもないが、たまにはこいつも羽目を外すのがいいだろうと、無敵の自己中心的見解で気にしないことにした。

グラスが空になっているのを目ざとく見つけた陽介は、問答無用で朋也の手を掴んで引き寄せる。

「コラ!」

自分の飲み差しのチューハイを並々と注いで、ヘラヘラ笑う。

鬱陶しそうな視線で朋也が睨み付けてきた。

「まったく」

けれど、呑まずに放置、なんて野暮はしない。

渋々口をつける様子にホウッとなる。

(これだから、俺はコイツが好きなんだよなー)

里中から常々『リーダーは甘いんだから』と注意を受けている当人は、やはり今回もその広すぎる度量でやりたい放題の陽介達を受け入れてくれた。

もっと甘えて乗っかってやりたい気分だ。

酒を飲む横顔の、色っぽい目付きにドキリと胸が高鳴る。

(ヤバイ)

陽介の視界がゆっくり波打ち始めていた。

(このままじゃ、俺のほうが先に潰れっちまうだろ)

それは、まずい。

目的実行がまだだ、お楽しみはまだ―――これからなのだから。

(畜生、潰れてたまるか!)

陽介はぶんぶんと首を振る。

隣で朋也が怪訝な眼差しで相棒の奇行を見守っていた。

 

2人の関係が変化したのは夏に入るほんの少し前。

青葉茂る頃、友達でない愛情を仄めかした陽介に、戸惑いながら朋也が応えて、2人は微妙な距離感の恋人同士らしき間柄になったのだった。

(でもコイツ、案外純情ッつーか、なんつーか)

隙が、少ないのだ。

愛し合う2人ならうっかりし過ぎるくらいがデフォルトだろう。

うっかり手を繋いで、うっかりキスをして、うっかりそれ以上―――とか。

陽介の恋人の定義に当てはめるなら、朋也との関係は、ぶっちゃけ恋人同士ではない。

じゃあ何だと問われれば、それはやはり恋人同士と答えておきたい人情だ、あまり深く考えると泣いちゃいそうだから―――後ろ向きでいるよりは建設的に、どうにかする方法を殆ど毎日のように考え続けている。

お互い甘えたり甘えられたり、日がな一日年がら年中イチャイチャイチャイチャして過ごすにはどーすればいいのか?

鬱陶しいくらい一緒にいて、お互い蕩けちゃいそうなほどくっつきあって、周りからウザがられるくらい愛の言葉を囁きあって。

(まあ、そういうのは、俺ら男同士だし?あんまり露骨だと視線が痛いだろうからさ)

多少は我慢すべきか。

しかし、それにしたって朋也の態度はそっけなすぎる。

―――体の関係は、一応、持った。

初回のみ半ば押し入り強盗のようだったけれど、以降はお互い了解の上で行為に及んでいると思う。

いまいち確信を持てずにいる訳は、相方が非常に消極的だから。

陽介はまだ一度も朋也から誘われた事がない。

こちらがムラムラした時、それとなく促して、受け入れてもらって、という流れが定石で、いつも我侭を聞いてもらっている気分だ。

(それはそれでいいんだけどさ、でも、それじゃあ)

俺たち『付き合ってる』って言えないだろ?フェアじゃないだろ?

朋也を思い浮かべる時、いつもバニラのシャーベットの様なイメージを覚える。

甘くて冷たい、その食感がクセになる。

けれどもっと食べたいとねだっても、本人に拒まれるのだ、これ以上はダメだと、暗に。

両者の温度差に由来する陽介のジレンマはじきに限界が訪れそうだった。

(まあ、ついこないだまでは恋愛に集中できる状態じゃなかったってのもあるからな)

町を覆う混迷の霧。

けれどそれはすでに払われた、自分と朋也の愛の力が混沌という名の迷いを吹き飛ばした。

だから、残る懸案事項は、一つしかない。

町の平和が戻った以上、今度は俺たちの幸せを追求すべきだろう。

色々考えた末にひねり出した妙案、最も有効性と即効性の期待できそうな策、飲酒。

つまり、『酔っ払った朋也の可愛い姿を拝ませてもらってついでに色々してやんよ!』作戦。

流石のクールビューティーも酒の力には勝てまい。

酔ってしまえば警戒心や羞恥心もなりを潜めるだろうということで、それこそが実は本日の秘められた真なる目的であり、恋人の目を欺くためにつれてきた完二とクマは早々に酔い潰してしまうつもりだった。

 

(目的の半分までは達成したんだ)

朋也にベロベロと絡む完二をイライラしながら眺めつつ思う。

クマは完全に寝落ちた、これでは恐らく明日まで目を覚まさないだろう。

元々調子に乗りやすい性格を利用して、最初から早いピッチでぐいぐい飲ませてやったから、戦線離脱も一番乗りだった。

完二は呑み慣れているのだろうか、ペース配分がうまくて水のように空けているのに平然としているから内心大分身構えていたのだが、聞き上手の朋也に色々身の上話を語っているうち、緩んだ気持ちが酒びたりになったらしくあっさり落ちぶれていった。

恐らく、潰れるのは時間の問題だろう。

センパイ、センパイと頭を朋也の肩にグリグリこすり付ける様子を見かねて、立ち上がった陽介は完二を突き飛ばすと、同じ場所を占拠して胡坐をかいた。

「コラ」

また睨まれて、けれど今度はフンと鼻を鳴らしながら新たに開けた缶の中身をグイッとひと飲みする。

転がった完二はそのまま「うー」とか「あー」とか呻くだけで起き上がってこない。

「せんぱいー」

伸ばしてきた腕を即座に叩き落して唸る。

「うるっせ!黒沢にあんまベタベタくっつくなっての!」

こいつは俺の、と言いかけたところで、隣から強烈な一撃を脇腹にお見舞いされた。

「うッ」

涙目で振り返れば、朋也は平然とグラスに口をつけている。

殴られた部分を擦りつつ、陽介はちぇとぼやいた。

(酔わねえ)

大ボス候補だった完二ですら、ユデダコみたいな顔して地に伏しているというのに。

(ぜんっぜん、酔っ払ってくんない)

酒席が開かれてから結構な時間が経過しているはずだ。

しかも、陽介がしつこいくらいしきりに勧めて呑ませまくっているから、結構な量を飲酒しているはずである、なのに。

―――酔わない。

変わらない表情、変わらない仕草、変わらない姿勢。

淡々と呑む姿はむしろ男らしさすら覚えてしまうようで、妙な方面にトキメキを見出そうとしている自分のポジティブ加減を陽介はあえてダメ出しして奥に引っ込めさせる。

(そんなモンが目的じゃなかったはずだぞ、畜生!)

背後では、冷たくあしらわれた完二がメソメソと鼻を啜り始めていた。

コイツ涙酒かとウンザリしている陽介の隣から、大丈夫かの声と一緒に慈悲深い手が伸ばされる。

(俺のほうが大丈夫じゃねーよ)

半分くらい泣きたい気分でちびりちびりと呑んでいた缶の中身はいつの間にか空になっていた。

辺りを見回して、陽介の口から深い溜め息が漏れる。

―――持ち寄った酒を全て呑みつくしてしまった。

散々苦労したのに、全弾撃ちつくしても攻略不可かよと、空の缶を振って名残惜しくテーブルに置いた。

「花村」

振り返った朋也と目が合った。

やはり、頬にほんのり朱が差している以外は、変わったところなど微塵も見受けられない。

意識もハッキリしているようだし、落ち着いた声、いつもの口調、少し潤んでいる瞳だけがせめてもの慰めか。

(これを思い出して、俺は一人家で反省会開くんか、嫌だな)

そのまま甘えた声で抱きついてでもくれたなら、どれほど幸福で満たされていた事か。

「完二、潰れてダメみたいだ、クマも起きそうにないし、どうする?」

この『どうする?』が、『お開きにしよう』と同義だという事くらい、恋人だからすぐにわかった。

(っていうか、流れ的にそれ以外考えらんない)

酒は完売、面子も2人潰れていては、合理的なリーダーなら畢竟その結論に至るだろう。

(しっかしなあ)

つくづくウンザリする。

これじゃ、微糖どころか、ほぼ無糖。

シャーベットなんて可愛いもんじゃない、削りだした氷そのものだ。

(シロップ持ってきておくんだった)

気づかれないように舌打ちをして、そうだなあと陽介は立ち上がる。

「オイ完二、起きやがれコノ!」

お前が潰れてどうすんだよと、完二の脇腹に足を乗せて転がす。

「コラ、花村」

言葉だけの朋也の非難が上がる。

陽介は「やれやれ」としゃがみこんで、完二の頬をバシバシ叩きながら「起きなきゃ下ずり下ろして道脇に転がすぞ」と呼びかける。

「あぁ?」

柄の悪い声と共に目が開いたところで、すかさず「帰んぞボケ」と睨みを効かせた。

完二は切なげに身を捩って唸る。

「潰れてねッスよぉ、ただちっと、眠いだけでェ」

「るッせ!でかい図体引きずって帰んの面倒なんだよ、ほれ、立て!」

「んあー」

フフ。

艶めかしい声が聞こえて、陽介は弾かれたように振り返っていた。

目が合った朋也の色っぽい表情にびくりとする。

けれどすぐ、口元に浮かべられた明らかに面白がっている笑みに気付いて、ムスッと口を結ぶ。

(畜生、色っぺーんだよ!)

男のクセに、何でいつもそうやって俺のことドキドキさせんだよ!

「お、お前ッ」

朋也が小さく首を傾げた。

淡い微笑と相まって非常に可愛い、可愛すぎる。

「笑ってないで手伝えッ」

「ハイ」

つい大声になってしまって、動揺を隠しきれない自分を陽介は軽く嫌悪する。

朋也は「クマ起こしてくる」と立ち上がった。

足元もしっかりしていらっしゃると、再び泣きたい気分だ。

後姿をぼんやり見送っていた陽介は、雰囲気をぶち壊す完二のくぐもった声で我に返ると、溜め息交じりに酒臭い後輩の腕を掴み、立ち上がりつつ引き上げたのだった。

 

*****

 

鉞担いだ金太郎は、クマの背中に乗っている。

クマを担いでいる今の俺は、一体なんだろうなと、どうでもいい事を考えながら陽介は歩く。

夜空に瞬く鬱陶しいくらいの星。

田舎道は夜の8時で人影が消える。

虫の声すら聞こえない、底冷えするような暗い道のりを、千鳥足の完二と並んでトボトボ歩いていた陽介は不意に「あッ」と声を上げた。

「何スか?」

クマの片腕を咄嗟に放して、バタバタとあちこちのポケットを探り、確信した。

「ナイ」

ふわっと口元に広がる白い溜め息。

振り返った陽介のもの言いたげな雰囲気を受けて、完二は眉間を寄せていた。

「何なんスか?」

「忘れた」

「は?」

「財布」

あー。

理解していただいたところで、陽介は、脱力しきっている背中のクマを、問答無用で完二に押し付けた。

「ちょ、ちょっと先輩!」

「コレ、お前んちにでも泊めてやってくれ、俺財布取りに行ってくるから」

「はあ?明日でいいじゃないッスか」

非難と抗議ごうごうだ。

無理もない、自分の足元すらおぼつかないというのに、その上酔いつぶれた人間一人運ぶとなれば、相当な苦労だろう。

完二には非常に悪いと思う。

(でも、関係ねーよな)

律儀にクマを受け取って、これから捨てられる子犬の様な目をしている後輩からそっけなく視線を逸らし、背中を向ける。

完二は頼もしい男前だから、クマ一匹くらいどうってことないよな。

陽介の内側でスサノオもそうだそうだと相槌を打ってくれた、大丈夫、こいつらはなーんも心配要らない。

(むしろ気になるのは、朋也の方だっつの)

酔っ払い2人を家まで送り届けるという大儀の元、後片付けの全てを押し付けてきてしまった。

男四人集まって散々騒いで酔っ払えば、それなりの状況になるというものだ。

(これじゃマジで俺がただあいつ困らせに来ただけみたいになっちまう、恋人としてそれってどーよ?)

よくないだろ、と、内なる声がまた囁いた。

そうだよな、財布も取りに行かなきゃならないし、そのついでで様子を見に行くくらいはアリだよな。

背後から完二の泣き言が聞えた。

「マジ、無理!こいつ砂袋みたいになってるじゃねッスか!」

「完二」

「花村センパイッ」

「―――男には、やらなきゃなんねー時がある、それが今って事だ」

「は?」

「じゃあな、頼んだぞ!」

「のあッ、せ、センパイ!」

アスファルトを蹴り上げるように、漆黒の闇を、一目散に駆け出していく。

完二の声なんてあっという間に聞こえなくなってしまった。

大丈夫、最悪、路上で寝たとしても、二人なら互いに暖くらい取れるだろうから、まあ最悪凍傷程度で済むだろう。

(アレ?凍傷って結構ヤバイ病気だっけ?)

ていうかそれそもそも病気なんだろうか。

どうでもいいかと切り替える。

走りながら見上げたら、空に星が綺麗だ。

―――これで、いい名目ができた。

(まあどうせ、待っているのは俺の残念賞な状態だけなんだけどね)

帰る間際すら、朋也はいつもどおり笑顔で「また明日」と、ご丁寧に手まで振ってくれた。

可愛かったけれど、それ以上にコンチクショウだ。

酒まで征するなんて、稲羽の番長はどんだけ最強なんだよコンチクショーッ

(もういい、次の手をいずれ打ってやる)

恋人関係は以前継続中なのだから、策などまだ幾らでも講じることができる。

けど、とりあえず今日は、戻ったらおとなしく朋也の手助けをしよう。

(それと)

―――願わくば、ほんのひと匙の甘いひとときを共に。

もしかしたら手際のいい朋也の事だから、片付けなどすでに終わらせて、疲れた体を風呂で癒しているかもしれない。

(風呂)

ぽわんと脳裏にバスタオル一枚で出迎えてくれる朋也の姿が浮かんだ。

速攻で「さみーよ」と合いの手が入り、陽介は苦笑いを浮かべる。

チャイム5回鳴らして返事がなかったら帰ろう。

案外片付けは明日に回して、今日はさっさと寝てしまうつもりだったのかもしれないし。

「あー」

吐く息が白い。

寒気が鼻腔の奥に沁みて、陽介は多少足を急がせた。

 

 

 

 

長い…おつまみは乾き物とお菓子(含むポテロング)です、叔父さんに見つからない様工夫して捨てる予定。