霧に包まれたテレビの中の世界。
真犯人は捕えられたというのに、こちら側は相変わらずのままだ。
見通しの悪い視界を開く眼鏡のフレームを指先でくいと押し上げ、やはり胸元のきつい八十神高校女子制服に身を包んだ朋也は、日本刀の露を払い鞘に戻す。
「りせ、どうだ?」
頭の中にうーんと曖昧な声が響いた。
『昨日と同じ、何かいるような気配はあるんだけど、やっぱり見つけられないよ』
「ここじゃないのかも」
千枝が駆け寄ってくる。
「確かに最初はボイドクエストで遭遇したけどさ、今はもう別の場所に移動してるとか、ありそうじゃない?」
『でも、結構近くにいそうな気配も感じるんだけど―――千枝先輩の言う事も一理あるかもね』
「そうか」
役に立てなくてごめんね、と、小さく聞える。
辺りを窺った朋也は、その声が自分だけに向けられたものと気がついて、小声で優しく「いいよ」と答えた。
「十分助かってる、ありがとう」
『先輩』
―――むしろ問題にすべきは、そこではない。
(また)
あの言葉が脳裏を過ぎった。
朋也は周りに気付かれないようにキュッと手を握り締めていた。
(本当にどうかしている、どうしてあんな言葉がいつまでも気になるんだ)
いや、それ以上に。
俺は―――
相棒、と肩を叩かれて、振り返った朋也と目が合った途端、陽介は気遣うような表情を浮かべる。
「どうかした?」
「いや」
「―――あのさ、そんな思い詰めるなよな」
勘が鋭いようで、時々見当違いの相棒は、どうやら今回朋也に都合よく勘違いしてくれたらしい。
「幾らでも協力するって、言ってるだろ、な?」
「そうだよ黒沢君!」
「水臭いよ!」
雪子と千枝まで乗り出してきた。
「大丈夫!あたしらも頑張るし、だからさ、元気だしていこうよ!」
「リーダーが暗い顔してちゃダメだよ、うまく行くはずの事も、行かなくなっちゃう」
「雪子の言うとおり!ホラホラ!笑って笑って!」
「折角可愛いんだからッ」
「雪子、そこはさあ、その―――ちょっと察しようよ?」
かけ合いが可笑しくて、思わずクスッと笑ってしまった。
朋也の笑顔に仲間たちは多少安堵したようだった。
「それじゃあ、とりあえず、移動って事で」
「他の場所にも行ってみよっか」
「そうだな、そうすっか」
とりあえず商店街?と尋ねられた陽介がたじろいでいる。
―――こちら側に存在する、朋也達が把握している迷宮は、どれも人の心の葛藤から生じたものだ。
今いるボイドクエストを除く他の場所は、対応する仲間が抱えていた歪みの記憶に直結している。
幾ら乗り越え、制御する術を身につけたとはいえ、暗い過去を振り返るのは辛いだろう。
現に戦闘技術を上げるための訓練先として提案すると、選ばれた迷宮の主は不承不承頷いている様子だった。
簡単に割り切れる想いなどない。
それでも、朋也のために自ら進んで足を運ぼうと言ってくれる彼らの優しさが嬉しかった。
―――その心を、無下にしないためにも。
(俺が二の足踏んでたらダメだろ)
しっかりしろ、と、朋也は胸の内に言い聞かせながら掌で両頬をパシンと被うように叩いた。
途端、「ちょっと!」と大仰な声をあげて陽介が手を掴み、顔を覗き込んでくる。
何事かと見上げていたら、間を置いてホッと溜息を吐かれた。
「何?花村」
「え?あ、いや」
怪訝な表情の千枝に、振り向きながら何でもないと苦笑いで告げる。
雪子はきょとんとしている。
「おっし、じゃ、チャッチャと行こうぜ、相棒!」
「商店街だね、まずは」
「うええ、やっぱそうなん?」
何か言いかけた陽介が、不意に朋也をちらりと伺い、いいです、と項垂れながら片手を上げた。
「よし、じゃあ、商店街、もとい、小西酒店にレッツらゴー!」
「あのなあ里中、お前それワザとか?」
「ぶふッ、ち、千枝、古ッ、ぶふふ!」
相変わらず沸点の分からない雪子の笑い声に、陽介は呆れ顔で千枝と顔を見合わせる。
場の空気が和んで、朋也も、なんだかおかしくて、便乗してつい笑ってしまった。
「お前まで笑うなよなー」
「やめてよ、爆笑魔人二号」
「ち、千枝!ぶふふ!」
「うまくない!今の全然うまいこと言ってないからね、私!」
「あははははッ」
「―――はぁ」
脱力する千枝と、いつの間にか聞えていたナビ越しのりせの笑い声。
不意に視線が合って、周りに気付かれないように―――陽介が、二人きりのときに見せるような笑顔でそっと微笑みかけてきた。
*****
主も無く、調べつくされた迷宮内に目新しい敵など存在する筈も無く、ルーチンワークのように黙々と闘いをこなしていく。
今回捜索対象としているのは朋也を襲った見たこともないシャドウだから、視界に入ったシャドウシンボルとは漏れなく切り結ぶ必要があり、そして今のところ、『あたり』どころか、『惜しい』すら出現していない状態だ。
「正直、ダレるよなあ」
目の前の敵をすべて片付け、視界がスッと元の風景に戻っていくのを眺めながら、陽介がヘッドフォンを外しつつぼやいている。
商店街、城、サウナと進み、一同は現在劇場の第9階フロアーまで昇ってきた。
目の眩むようなネオンと、濃厚に漂う香水の香り、この迷宮の主は突入直後から普段より言葉数が少ない。
「私たちも強くなったかんね!」
コキコキと肩や首を鳴らしながら、千枝がニコリと笑う。
「ここにいるシャドウも、見たことあるのばっかりだし、あッこいつかーみたいな感じでさ、楽勝!」
「そうそう、あの、頭に花の咲いてる、赤ちゃんみたいなシャドウとか、千枝のキックで一撃だもんね!」
「いやーそれほどでもないけど、ふふふっ」
いつの間にか傍に来ていた陽介が、呆れ顔で「何話してんだか」と朋也の肩に手を置いた。
そのままコソッと耳元に囁きかけてくる。
「―――お前さ、ホントに今日はスパッツ穿いてんのね」
「ああ」
「なして?」
「天城と里中と、りせからも、絶対穿かなきゃダメだって言われて」
「俺は目の保養が無くて悲しいよ」
「何言ってんだ、この、エロ介」
肘打ちを食らわしてやる。
陽介は「オウッ」と呻いて体を僅かに折り曲げる。
振り返った千枝が、何事?と視線で問いかけてきた。
朋也は苦笑いだけ返しておいた。
(それにしても)
フウ、と溜息を漏らしつつ、天井を見上げる。
色気と幼さが同居する極彩色の風景。
最上階までは、残りツーフロアしかない。
(このまま)
―――ここでも何も得られなかったとしたら?
(次はどうすればいい?)
正直なところ、殆ど手詰まりといわざるを得ない。
少なすぎる情報、頼るアテも無く、こうして地道に足を使って歩き回るしか術がない。
叔父さんの仕事は大変なんだな、と、不意に思った。
こちらは責務ではないけれど、朋也に限っては今後に関わる重要事項だ。
付き合ってくれている仲間たちにも後ろめたさを禁じえない。
歩き回るのは疲れるだろう、それに、どんな瑣末な闘いも気を抜けば怪我をする、もっと悪い事が起きる可能性だってゼロじゃない。
まして、この異質な世界は滞在するだけで体力を消耗させられる。
(それに俺は)
―――それ以上に、彼らに顔向けできないような行為に興じている。
何とも自己中心で背徳的な快楽。
女の体になってからの、陽介と過ごした夜の記憶。
(天城や里中、完二に、りせも、クマだって、皆本気で俺を心配してくれているのに)
こんな姿は嫌だろうと気遣ってすらくれているのに。
(その想いを、俺は裏切っている)
身勝手な感情で禁断の果実を含み続けている。
髪を撫でられる感触に、振り返ると、陽介がニコリと頬笑みかけてきた。
(こいつにだけは、知られちゃいけない)
―――俺の本音を知ったなら、それこそ、増長してどんなバカを仕掛けてくるか、分かったものじゃない。
調子いいな、と小さくぼやいた。
陽介が「何?」と覗き込むように問いかけてきた。
「鬱陶しいって言ったんだ、あんまりベタベタくっつくな、誤解されるぞ」
「誤解じゃねえし、それに、元の時だってこれくらいはしてたろ?」
「そうだっけ?」
「俺達の仲の良さは稲羽じゃ有名だぞ」
それはそれで、嫌だな。
歩き出した朋也の後から不満げに口を尖らせて陽介がついてくる。
「花村何文句たれてんのよ」と千枝も雪子と一緒に追ってきた。
「がんばろ、リーダー!あとツーフロア、大丈夫大丈夫、きっと何か見つかるって!」
「私も平気だよ、頑張ろうね、黒沢君」
有難う、と返す、朋也の頭で声が響く。
『先輩、敵!』
即座に立ち止まって目を凝らした。
数メートル先の空間に、赤い球状のシャドウが浮かんでいる。
「今更赤ぁ?」
小馬鹿にした口調の千枝に便乗して、陽介も「だよなー」などと言っていた。
けれど「待って」と雪子が表情を強張らせる。
「あのシャドウ、大きくない?」
「そうかなあ」
「そうか?」
―――戦闘に突入する際接触するシャドウシンボルは、サイズが大きいほど手強く、また赤い色をしたものは特に凶暴なシャドウが潜んでいる。
(確かに、この場所で見かけるものにしては大きい気がする)
一同に俄かに緊張が走った。
千枝が、もしかして、と小さく呟いていた。
(アタリ、か?)
抜き身の日本刀を構え、慎重に間合いを取る朋也の後から仲間たちが続く。
残り数メートルの距離で、シャドウシンボルがこちらに気付き、両手を振りかざしながら猛スピードで接近してきた。
え、と背後で陽介の声が聞こえたような気がした。
目前に迫ったシンボルは、圧倒されるほどの大きさだった。
朋也は咄嗟に振り上げた切っ先を思い切りシンボルの正面に振り下ろす。
視界がフラッシュバックして、気付けば一同は撮影スタジオの様な雰囲気の戦闘フィールドに招かれていた。
駆け出して行く千枝と雪子を見送る。
少し離れた場所で陽介が苦無を構えた。
りせのナビボイスが響き渡る。
『気をつけて!』
「りせちゃん、こいつら楽勝だよ、あれでしょ?キリング何たらと、サイコロ」
『そうだけど、でも、サイコロのほうは見たことの無いタイプだよ!』
え、と千枝が漏らす。
確かに知らない形状をしている。
漆黒の立方体、その周囲を囲むように、同じく黒い色をした土星の輪の様なものがゆっくり回る。
ダイスの数は一つきりで、確かに以前出現した同タイプのシャドウもいたけれど、オプションがついていなかった。
(新種のシャドウ!?)
緊張の走る面々に、手の形をしたシャドウが先制を仕掛けてきた。
「うわッ」
咄嗟に反応が遅れて、千枝が真っ向から一撃くらいそうになる。
二者の間合いに飛び込んできた朋也の剣がシャドウの攻撃を跳ね返す。
「集中しろ里中!」
「ゴメン、リーダー!」
朋也の影から叫んだ千枝が、即座に脇をすり抜け、今弾いたシャドウに飛び掛っていった。
「おりゃあッ」
靴先一閃、シャドウは黒い霧になり掻き消える。
(あのシャドウじゃなかったか)
胸を過ぎる微かな落胆の色を隠して、朋也は剣を構えなおした。
『とにかく、数を減らしてッ』
りせのナビボイスが告げる。
敵シャドウの数は残り四体。
「まずはキリングハンドから行くぞ!」
叫ぶ朋也に頷き返し、陽介が声高に叫ぶ。
「ペルソナッ」
頭上にフワリと出現したスサノオが、暴風を巻き起こして3体のキリングハンドを消滅させた。
『花村先輩、もっと!』
「ヒューッ、やるぅ!」
声援を送る千枝の傍で雪子もペルソナを召喚し、コノハナサクヤの巻き起こした火炎をダイスにぶつける、だが。
「効かない!?」
ダイス型シャドウは多少表面が煤けた程度で、大したダメージを負っていないようだった。
直後にダイスから放たれた巨大な竜巻が、朋也を足元から飲み込んだ。
「くうッ!?」
「黒沢ッ」
防御が間に合わず―――真空の刃で幾重にも切りつけられて、あちこちから鮮血が噴出していく。
(今の弱点を突かれたッ)
やがて風が途切れ、踏み縛っていた両足が崩れて、朋也はその場に座り込んでしまった。
全身がビリビリと痺れるように痛む。
頭を一振りして、こちらに駆けて来ようとする陽介に気付くと、頬を伝う血を手の甲でグイと拭い声高に叫ぶ。
「大丈夫だ!」
陽介はビクリと足を止めた。
「このタイプはある程度ダメージが蓄積されると自爆する、一気に叩くぞ!」
剣を支えに立ち上がる。
制服やスパッツのあちこちが避け、無残な惨状に顔を顰める。
(くそッ)
朋也は目の前を片手でスッと切り、掌で煌めいたカードをそのまま握りつぶしながら再び叫んだ。
「ペルソナッ」
呼び出された獅子頭の異形がダイスに向かって真言を唱え、地上に光の円陣を出現させた。
カーンカーンと甲高い音が響き渡り、視界が一瞬光に眩んだ直後―――発せられた聖なる魔力に絡め取られるように、ダイスは黒い霧になり散華した。
『先輩!』
ホッと胸を撫で下ろす間もなく、響き渡るりせの怒号。
『敵、増援2体!』
振り返った視界にフワリと現れ出たダイス。
(な)
瞠目する朋也の目の前で、それぞれのダイスの内側からカッと強い光が発せられる。
(まずい)
息を呑み、咄嗟に両手で自身をかばうようにして、これから訪れるだろう衝撃に備えた直後―――
「嘘でしょ!?」
「いやああッ」
雪子と千枝の悲鳴を遠く聞いた。
同時に、朋也の鼻先を甘い香りがフワリと掠める。
(え?)
横様に攫われ、凝る体を抱きしめる腕の強さに一瞬息が詰まった。
ダイスと距離が開いた直後に強烈な光と熱が押し寄せてきて―――
きゃああああッ
重い何かに圧し掛かられながら、爆発音と少女の叫び声を聞く。
突風が津波のように押し寄せてきて、荒れ狂いながら通り過ぎていく。
やがて―――気配は治まり、そっと双眸を開いた朋也の背中で、何かがズルリと擦れて傾いだ。
「え」
崩れ落ちるように転がった、それは。
「よ」
喉がヒュッと音を立てる。
青ざめながら両手を伸ばした。
―――抱き上げた陽介は、グッタリと脱力して動かない。
朋也は陽介を胸に抱えて、陽介、陽介、と、繰り返し呼びかけた。
返事はない。
(嘘だ)
そんな事あって堪るか。
(嘘だろ)
少しずつ冷たくなりはじめているような、ボロボロの姿をギュッと抱きしめる。
(陽介、陽介ッ)
震える腕に力を込めて、必死の思いで願う。
(嫌だ、目を開けろ、陽介!!)
―――花の香りだ。
(な)
途端、がくんと力が抜けた。
(何?)
いや―――実際には抜けてなどいない。
現にまだ陽介を抱きかかえているし、朋也の体は―――ひとりでに動いて、陽介の髪を撫で始めていた。
(何だ、これは)
それはどこか他人の腕のようで、朋也の意識は呆然としながら目の前の光景を眺める。
白く細い指先に柔らかな光があふれ出した。
それは陽介に伝わり、凍る体を温もりで満たしていく。
完全に力を失っていた筈の姿が微かに身じろぎをした。
朋也の中に、朋也の意識が、ストンと戻っていた。
(今の、何だったんだ)
腕の中で陽介の瞳がゆっくりと開き、数回瞬きをすると、朋也を見上げる。
「朋也?」
自分に何が起こったのかよく分かっていない様子でボンヤリしていたけれど、頬に触れる膨らみに気付いて、エヘへ、と緩い笑みを浮かべながら、スリスリと擦り寄ってきた。
「アッ、ん!」
布越しの甘い刺激に朋也はビクンと体を震わせる。
「こ、コラ!」
「フワフワ、やーらかい」
いつもの暢気な様子にたまらなくなって抱きしめると、朋也は安堵の溜息を漏らしていた。
(良かった)
―――何だか分からないけれど、とにかく陽介が気付いてくれてよかった。
感極まって髪の上から唇を押し付けると、何か勘違いしたらしい陽介は胸元に顔をうずめたまま、ウットリと目を閉じて、服の切れ目から覗く肌をペロリと舐めた。
「ヤ、ンっ」
柔らかな肌にチュッチュと吸い付かれる。
「だ、めぇ」
いい加減にしろと小声で牽制してみても、いまいち迫力が乗り切らない。
陽介は構わず制服の裾から腕を忍び込ませて、素肌の背中をスルスルと擦る。
「こ、コラ!何を」
「ん、朋也、いい匂いがする」
「それは血の臭いだッ」
そっかーと呟いた口元が、切り裂かれた部分を探り当てて舌でなぞるように舐めるものだから、伝わる痛みと妙な快楽にゾクゾクと背筋が粟立って、淡い声が漏れてしまった。
滲み出す血を飲むように、陽介は傷を執拗に舐め続ける。
朋也は小さく首を振りながら、ダメだと何度も繰り返す。
(このまま続けられたらっ)
半ば襲われているような格好で、懸命に抵抗を試みていた朋也の背後に「黒沢くーん」と呼ぶ声が足音と共に近づいてきた。
朋也は一瞬で我に返り、咄嗟の判断で陽介を突き飛ばして―――「うお!?」
ガツンと無情に響いた可哀想な物音を聞きながら、そそくさと衣服を整えた。
「あいぼおぉぉ」
(自業自得)
床に突っ伏してメソメソと鼻を啜る陽介の傍ら、仄かに火照った頬をごまかすように微笑んで、振り返った朋也は駆け寄ってくる雪子と千枝に「大丈夫だ」と手を振った―――
*****
「これ以上の探索は無理だね」
鼻の頭に絆創膏を貼りながら「まだ行けるって!」と陽介が傍らの千枝に食いついている。
「だってアンタボロボロじゃん」
「バカ言うな、俺のどこがボロボロだってんだ、さっきのは運が悪かったんだよ」
「でも、あんな事があった以上、一度戻って対策立て直すべきだと思う」
話し合う三人から少し離れた場所で、朋也はりせが提示してくれた個人の状態のデータチェックを行っていた。
『先輩』
「ん?」
『結構ダメージ大きかったみたいだけど、大丈夫?』
「ああ、体は問題ないんだけど、制服がね」
『完二に繕ってもらえばいいんじゃない?』
「それは多分無理だろう、まあ、今夜自力で頑張るよ」
『私、替えの制服用意してあげよっか?』
「ホント?それ、凄く助かる」
オッケー任せての声に、クスッと笑いながら陽介のデータチェックを開始した。
(やっぱり、大分消耗してるな)
胸がチクリと痛む。
―――ダイスが爆発した瞬間、身を挺して朋也を守ってくれたのは陽介だった。
代償として絶望的なダメージを引き受け、りせは一瞬、陽介の命が消えたように感じたという。
『でもね、すぐに回復して、だから私、てっきり雪子先輩が助けてくれたのかと思って』
「いや」
『でも、先輩って今、蘇生の力が使えるペルソナ付けてたっけ?』
―――付けていない。
だからこそ朋也には分からない。
ただあの時、不可思議な現象が起こった事も事実だった。
(俺の祈りが通じた、なんて、そういうのはちょっとロマンティック過ぎるかな)
自分で考えておいて気恥ずかしくなった朋也にりせが『先輩?』と呼びかけてくる。
「いや、何でもないよ」
『そう?』
「それより、花村の状態確認も終了した、りせ、最後に俺のデータを頼む」
『はーい』
出現したウィンドウを見て、朋也は再び目を瞬いていた。
―――また数値が二重に見える。
(何だ、これは)
瞳を凝らすと、背後の数列は薄くなり、とりあえず手前の数字のチェックに取り掛かりながら、ぼやけているもう一方の情報が酷く気に懸かった。
(疲れ目、にしては、内容全然違うみたいだ、けど、どうやってもまともに見えそうにない)
精神力を示すSPの項目がいつの間にか半分以下まで減っている。
溜息を漏らして、朋也はりせに作業の終了を伝えた。
『先輩大丈夫?』
「ああ」
『―――あのね、先輩』
「ん?」
何か言いかけて、そのまま暫く黙り込み、やがて苦笑交じりの声で『やっぱりなんでもない』とりせは告げてきた。
「どうかしたのか?」
『ううん、つまんないことだからいいの、それより先輩、この後どうする?』
「ああ」
一旦戻る旨を伝えてから、朋也は待っている仲間たちの元へ向かう。
「終わったか?」
陽介に頷き返して、朋也は一旦出入口フロアに戻ろう、と提案した。
「さっきの闘いで全員大分消耗している、体勢を立て直すべきだ」
「お前もかぁ」
「ほら見ろ」
「うっせーな里中提案して無いだろ、でもまあ、確かにそうかもな」
「私も賛成、黒沢君顔色悪いし」
「そう?」
「うん」
「だな、俺も結構傷だらけだし、天城と里中も万全って状態じゃなさそうだ、これでもしまたさっきの奴が現れでもしたら今度こそマズイかもしんない、一度戻ろうぜ」
「ああ」
意見が一致したところで、踵を返して歩き出した朋也の後に、陽介、雪子、千枝の順に続く。
肩をポンと叩かれた。
振り返ると、陽介が「大丈夫か?」と尋ねてきた。
「俺は何ともない」
「そっか」
「むしろ自分の心配をするべきだろ、お前、あの状況で俺を庇うなんて、無謀すぎる」
「え、だ、だってよぉ」
「そうだよ!花村、あんな捨て身の作戦、今度やったら私がアンタの息の根止めるからね」
「里中!おまっ」
「花村君、黒沢君の事が心配なのは分かるけど、程ほどにしないとダメだよ?」
「いーんだよ、俺の事は」
リーダーの無事の方が大事だろ?と切り替えされて、少女たちは黙り込んでしまう。
それはそれで気に触ったらしく、今度は陽介が「オイッ」と声をあげて反論しない二人を責めた。
「だって、ねえ?」
「花村たまには正論言うんだなーって、ちょっと感心しちゃった」
「お前らっ」
ワナワナと何か言いかけてから、諦めたようにガクリと肩を落とす姿を見て、朋也は笑う。
「オイコラ」
不意に伸ばされた腕が喉の辺りを締め付けた。
背中から圧し掛かるようにして、お前まで笑うな、と、陽介は恨みがましく言う。
「助けてやった命の恩人に対して、なんつー態度だ、この野郎」
「ハハハ、ゴメン」
「俺が庇ってなかったら、お前は今頃なあ」
言いかけて―――陽介の手が、朋也の制服を握り締めた。
(花村)
微かに震えている指先に、胸の奥がチクリと痛む。
「そーだよ、リーダー!」
多少は感謝してやんないとね。
「花村報われないって!」
「里中、てめえ!」
首だけ捻って千枝と言い争いを始めた陽介の手に、朋也はそっと手を重ねていた。
「ありがとう」
誰にも聞こえないような声で告げる。
―――聞えただろうか?
「いいよ」
指先の震えが止まっていた。
そっと耳元で囁いて、陽介はスルリと腕を解いて振り返りながら言い争いを再開させる。
すぐに朋也もその背中を振り返って仰ぎ見た。
「里中!お前だけは絶対庇わねえ、何があってもぜーったいに庇ってやんねーからな!」
「いいですよー、花村なんかに庇われなくたってねえ、全っ然ノープロッブレム!」
「このやろ、言わせておけばっ」
「千枝、それだと花村君に庇われた黒沢君の立場がないよ」
「あ!そか、じゃ、盾くらいには役に立つかもね」
「男の子だものね」
「そーそー、私らより面積広いもん、まあ使い切りだけどさ、弾除けくらいにはなるでしょ」
「お前らなぁ、言わせておけば」
前よりずっと広く、頼もしく見える背中。
苦笑いの朋也に、同じく呆れている様子のりせの気配が伝わってくる。
『花村先輩、元気そうだね』
「そうだな」
―――先の、心臓が凍りつくような感覚。
ボロボロの陽介の姿と一緒に瞬間の恐怖がまだ生々しく甦ってくる。
(あんな想いはもう二度と)
朋也はギュッと手を握り締めた。
りせの声が「先輩?」と何か察したように呼びかけてきた。
「大丈夫」
朋也は柔らかく微笑む。
いつもの自分を装って、本当の気持ちに気付かれないよう蓋をする。
子供の頃からのクセ―――不安を、心配をさせないように。
(顔色伺いだけは得意だから)
花の匂いが、甘く香った。