泳いだ後で日差しを避けつつ飲むリボンシトロンはおいしい。
銀の髪が風にサラサラとなびいている。
首からタオルを下げ、プールの出入り口付近、言いつけどおりチケット売り場傍の自動販売機脇に設置されたベンチに腰掛けて、朋也は陽介を待っていた。
傍を行く人達、特に男からチラチラ寄越される視線が鬱陶しい。
(そんなに俺は可愛いんだろうか)
―――まあ、確かに、毎日鏡を見る度、我ながらうんざりするほど美少女だと思い知らされているけれど。
卵形の丸い輪郭に絶妙なバランスで配置されたパーツ。
くっきりとした二重の大きな瞳は長い睫に縁取られて、ぽってりした唇に筋の通った小ぶりの鼻。
髪はサラサラで、肌は白く、全体的にしなやかな猫の様なシルエット。
極めつけはメリハリの効いた体型だろう、客観的に見ても、この胸のボリュームは男として見逃せない。
(けど、自分の体じゃな、いまいち有り難味に欠けるというか)
陽介遅いなあと、サンダルの爪先をぶらつかせる足元にふと影が差した。
顔を上げた朋也はあからさまに表情を引き攣らせていた。
―――目の前に、さっきの大学生達が立っている。
「彼氏待ってるの?」
ニヤついた無遠慮な視線で体中嘗め回されて、怖気以上の怒りが炸裂していた。
朋也はそっけなく視線を他所へ逸らす。
予想と違ったのだろう、男の一人が多少癇に障った口ぶりでオイと呼びかけながら手を伸ばしてきた。
(触るな)
パン、と乾いた音があたりに響く。
微妙に剣呑さを孕み始める空気の中、朋也はリボンシトロン片手にスッと立ち上がり、掛けていたベンチの背凭れにもう一方の手を置いた。
木製のベンチは多少ペンキが剥げかけているけれど、しっかりした作りの丈夫なものだ。
プールか市の所有物、悪さをすれば器物破損の現行犯。
(それでも、いたいけな少女が身を守るためなんだから、多少大目に見てやってください)
ごめんなさい叔父さんと心で唱えながら力を込めた。
ばき。
―――男達がギョッと目を剥く。
朋也はまるで砂糖菓子を砕くように背凭れの一部を文字通り『毟り取り』、握った腕を男たちに向けて突き出した。
そして、ゆっくりと掌を開きながら、粉々の破片をパラパラと地面に落としていく。
彼らが周囲を取り囲んでいてくれたお陰で、他の誰かやプールの関係者には見られずに済んだ。
けれど標的の男達は、目の前の、いかにも非力そうな少女が行った凶行をしっかりと目撃し、全員その場に凍り付いてしまった。
「失せろ」
氷点下の眼差しがゆっくりと男達を睨みつける。
「目障りだ」
彼らはジリジリと後退りをして、回れ右のあと足早に去っていった。
ある程度まで離れたところで、急に駆け出し、そのままあっという間に見えなくなってしまう。
朋也は軽く嘆息すると、振り返ったベンチの砕けた部分を指先でなぞりながら「ゴメンな」と呟いていた。
掌も少し擦り剥いてしまった。
これは、多分、悪さをした罰に違いない、棘が刺さってないだけ有難いと傷口を舐めて再び腰を下ろす。
(あっついな)
温くなったリボンシトロンを口に含んだ。
蝉が鳴いている。
件の馬鹿面を見せられたお陰で、少し前の嫌な記憶が呼び起こされてしまった。
(あの状況で胸揉むとか信じられない、水着に指まで突っ込まれたし)
改めて、とんでもない目にあったものだ。
朋也はスカートの裾をキュッと握り締める。
(女って凄く大変だな)
仲間内の少女たちのこと、菜々子の事も、もっと大事に、もっと気を遣ってあげるべきと思う。
あの痴漢行為に立ち向かえたのは自分が元男だったからで、普通の少女なら怖くて声すら上げられなかっただろう。
(そういう意味じゃ、男は気楽だ、なんたって痴漢されても大した被害じゃないもんな)
「朋ちゃん!」
呼ばれて振り返ると漸く現れた陽介がプールの出入り口から駆けて来た。
「ゴメン、待った?」
「遅い」
そのままリボンシトロンをゴクゴク飲む朋也に苦笑いを浮かべて、再びゴメンと謝りながら隣に掛ける。
「うまそう、それ、ひと口ちょうだい」
朋也はもう少しだけ飲んで、待っていた陽介に缶を手渡してやった。
上下する喉を眺めていたら、ぷは、と飲み口から唇を話した陽介が笑いかけてくる。
「あー、やっぱ夏は炭酸に限るよなー」
「それわかる」
「だろだろぉ?」
返そうとする陽介に、全部飲んでいいと告げて朋也はサンダルのつま先をブラブラさせる。
暑い。
「陽介」
「ん?」
「さっきまた痴漢に絡まれたよ」
ぶは!
噴出した勢いのまま咽込む陽介を眺めて、朋也はよしよしと背中を擦ってやった。
「な、な、なッ」
動転して要領を得ない相棒に、かいつまんで事情を説明する。
陽介の顔色は青くなったり赤くなったりして、最終的に黒くなり、目の据わった暗い表情で「最低だな、そいつら」と吐き捨てた。
そして急に、朋也の手をギュッと握り締めた。
「陽介?」
剣呑な目付きでじっと見詰めて―――不意に肩を落とし、目を瞑り切なげな溜息を一つ漏らすと「行こうぜ」と呟いてベンチから立った。
きょとんとする朋也を立ち上がらせて、そのまま手を繋いで歩き出す。
放せと言おうとして、陽介の背中から伝わる強張った雰囲気に、朋也は仕方なしに黙って後からついていった。
夏場のファミレスは空調が効き過ぎているから窓際の席が丁度いい。
冬には通されただけで軽く殺意の芽生える場所だが、夏は窓越しの日差しがいい具合に中和されて案外快適に過ごすことが出来る。
朋也はバナナオ・レをストローで飲みながら、慣れない手つきで懸命に包帯と格闘している相棒を眺めている。
痴漢の話をしたとき、手の傷を知って陽介は手当てをするといって聞かず、途中薬局に立ち寄って色々買い求めてきたのだった。
マキロン、ガーゼ、化膿止めに包帯。
二人はファミリーレストランの一角で卓を挟み向かい合って掛けている。
陽介の手前で、アイスコーヒーの氷がカランと音を立てた。
「で、できた」
やり遂げた感の表情から、歪に巻かれた包帯の手に目を向ける。
「ちっと格好悪いけど」
それで我慢な、と言われて、何となく微笑みながらうんと答えた。
陽介は満足げな顔をしてアイスコーヒーのストローを咥える。
「今日、家帰ってからもう一回巻きなおしてやるから」
「ん、風呂入った後も頼んでいいか?」
「勿論、お安い御用」
その割には時間かかったな、と内心意地の悪い事を考えながら、朋也は有難うと告げた。
「なあ、朋也」
「ん?」
バナナパフェ食べる?
唐突な質問にエッとなって陽介を見詰める。
陽介は再びストローを咥え、アイスコーヒーをひと飲みしてから話し始めた。
「いやさ、そこのメニューに載ってたからさ、好物だろ、バナナ」
「まあ、そうだけど、何を唐突に」
「折角だからさ」
また折角か。
急に白い目を向ける朋也に、俄かに慌てた表情が「いやいやいや!」と手を振った。
「違うって!聞けよ、こういうトコ来て俺らみたいのがパフェ食べるって何気に勇気要るじゃねーか」
―――まあ、そうかもしれない。
朋也は無言で陽介を見詰める。
「彼女連れならともかく、野郎だけでパフェって、正直ナイだろ?」
「そうか?」
「寒いだろ、周りの目とか、心とかがさあ」
(あまり気にならないけれど)
朋也の心中を読み取ったのだろうか、陽介は咳払いを一つした。
「と、とにかく、ンだけど今のお前ならそういうの食べても問題ないッつーか、寧ろ普通?ていうか可愛い?」
「―――やっぱりお前のためじゃないか」
「や、違うよ、ホント」
まあ、それでもと朋也は思う。
卓の隅に立てられた三角柱型の簡易メニューを手に取り、写真のバナナパフェを眺めた。
(確かにうまそうだ)
朋也自身の感性はともかく、世間は男の甘味をあまり容認してくれない。
もしかしたら陽介も食べたいのかもしれないと、不意に思った。
「うん」
頷く朋也に陽介がエッと返す。
「食べたい、バナナパフェ」
「そッ、そーだろ?そうだろ!?そう言うと思った!」
すいませーんとウェイトレスを呼びつけ、陽介はワクワクとバナナパフェを注文している。
案の定、ウェイトレスは朋也をちらと見て、かしこまりましたと厨房に向かい歩いていった。
「スプーン2本頼まないといけないな」
「サンキュ、でも要らないよ」
「貸し借りしてたら面倒だろう?」
「ちょこっと味見させてくれるだけでいいって」
時間帯の所為だろうか、店内に他の客の姿は少ない。
朋也達の席の傍にも人影はなく、少し離れた場所から微かな話し声が聞えていた。
ゆったりした音楽と厨房から僅かに漏れてくる物音。
どこか間延びした空気に包まれて、他愛のない会話を交わす。
お待たせしました、と、朋也の目の前にパフェを置き、ウェイトレスが去っていった。
陽介が注文したのに、迷わず自分の前に置かれた事で朋也は苦笑いを浮かべ、陽介もやっぱりなと納得の一言を漏らしていた。
「バナナがこんなに」
背の高いガラスグラスの内側に、コーンフレークの上にバナナのピューレが敷かれ、その上にクリーム、バニラアイス、グラスの縁に綺麗に並べられたバナナ、小さく切ったさいころ型のブラウニーと扇型したウェハース、彩を添えるチェリー、2本挿されたポッキーの一本は陽介にあげた。
「これぞまさに女子の食いもんだよなー」
バナナを一個摘んで齧りながら陽介はしみじみとパフェを眺めている。
「今のお前に凄ぇ似合ってるよ」
「褒められてる気がしないな」
朋也はフォークで挿したバナナをパクパクと食べる。
(おいしい)
クリームのついたバナナは口の中で甘く溶けた。
「なあ、朋ちゃん」
「ん?」
「あーん」
ふと、パフェを食べる手を止めて、正面の間抜けな顔を見詰めた。
あーん。
「ねえ」
あーんッてば。
「―――あのさ、俺、バカみたいだから、ちっとは何か反応してよ」
朋也はフウと溜息を漏らし、クリームをひとさじ陽介に向ける。
「はい」
「え!?」
「あーん、だろ、陽介」
「あ、うんッ」
パクリ、モグモグ、飲み込んでから、陽介はこの上ない笑顔で「うまい!」と言った。
「俺こんなうまいパフェ初めてかも、ねえねえ、もうひと口ちょうだい」
「はい」
「あーム!」
―――うまいッ。
幸せそうな表情につい笑みが漏れる。
こうしていると本当にカップルか何かのようだ。
(いや、実際カップルなんだろうけれど)
男の時から―――それは、どうなんだろうかという声が、ふと胸中に浮かんだ。
確かに告白をされた、朋也は受けて、友人でない付き合いが始まった。
男友達と抱き合ったりはするかもしれないけど頻繁に行う事でもないし、キスなど絶対にしない、セックスはありえない。
(気持ち悪い、というより、怖い)
男同士の性交渉はアナルセックス一択だ。
本来出す場所に突っ込むというのは、異性間であっても特殊な方法なのに、まして同性同士、それを恋慕の情だけで行ってしまうのだから正気の沙汰と思えない。
朋也は陽介以外とそういう行為に及ぶつもりは全く湧かないし、もし強請られたら、相手を全力で殴るだろう。
とにかく状況としては間違いなく恋人同士の範疇だ。
けれど心は?
(陽介の気持ちは?)
あの言葉を思い出す。
つまらないことにひっかかっているなと思う。
それでも、朋也にとっては重要な事で、そして現状、このような状態になっている自身を鑑みると、なんだか嫌な予感が群雲のように湧き上がってくる。
バナナパフェの甘ったるい匂いに混じって覚えのある花の香りが漂っているような気がして、朋也はクリームを乗せたスプーンを奥歯で噛んだ。
陽介が、朋也、と呼びかけてきた。
「うん?」
「あの、さ」
「何?」
「さっきの」
卓の向こうで少し目を伏せた姿が両手の指を絡ませながら言い辛そうにしている。
「痴漢のこと」
口からスプーンを出して、朋也は陽介をじっと見詰めた。
「どんなことされたの?」
「―――どんな、って」
「だからさ」
卓の上に置いていた朋也の手に、陽介の手が重ねられた。
そのままキュッと握り締めて、鳶色の瞳と目が合う。
「その、一応聞いておきたいんだ」
「それは、いい」
「どういう意味?」
「もういいって言ったんだ、大した事されたわけじゃないし」
「そういうのは聞いてから決める、だからさ」
話して。
控えめな態度の裏に強硬な意思を感じ取って、朋也は言葉を詰まらせる。
話すまで許さないつもりなのだろう。
アイスコーヒーの氷が再びカランと音を立てる。
パフェに夢中になっている間にバナナオ・レは薄まってしまった。
(困ったな)
溜息を吐いて、視線を逸らし、再び伺っても陽介は真っ直ぐ朋也を見詰めていた。
やれやれ。
実は案外ショックだった心情をそのまま伝えるのはよくない気がする。
なるべく、何でもなかったように話をしよう。
決心して、朋也は「そうだな」とためらいがちに重い口を開いた。